怪物姉隠形記(裏)
「ねえねえセっちゃん」
「――ああっ!?
そっちの出店は質が悪いことで有名だから伝えておけば――っと、ちゃんと回避した! えらい!」
「セっちゃんってばー」
「――そうそう、大根を選ぶときは葉っぱを見て。
教わったことは必ず覚えている辺り、流石白ちゃん」
「……お姉ちゃん、拗ねちゃうぞー?」
「――む。あの客引き鬱陶しいなあ。
姉さん、ちょっと行って排除してきて」
「りょーかい! ……あれ? 私ってパシリ?」
「――よし、ここまでは順調ね。
この調子で行けば、日が落ちる前には帰れるかな」
「……セっちゃんセっちゃん! この卵凄いんだって!
一個で3回はできるって! ユウキさんに十個くらい食べさせようね!」
「って姉さんが引っかかってどうするのよ!?」
人気のない路地裏にて。
黒髪の姉妹が、完全に気配を消しつつも、ちょっぴりはっちゃけながら。
大通りを行く白い少女を、見守っていた。
ただいま、妹分がはじめてのお買い物中。
少女の一大冒険を、心配しすぎて家で待てない姉貴分と、
何となくノリでついてきて、退屈を持て余している(ダメ)姉貴分。
白い少女がその任務を半ばまで達成してもなお。
安心して離れたりせず、主に妹の方がハラハラドキドキしながら見守っていた。
ちなみに姉は野良猫とにゃあにゃあ会話して楽しんでいた。
まあそれはそれとして。
ふと。
「――セっちゃん」
姉――ユメカが、冷たい声を発していた。
いつものとろけた姉ではないことを瞬時に悟った妹セツノは、
少女の監視を一時中断し、姉の方へと向き直った。
「近くに、手練れがいる。――逃げよう」
姉の言葉を受け、数秒ほどセツノは迷った。
自分は、そんな気配を感じなかった。
技能としての索敵なら、セツノの方が優れている。
しかし、それはあくまで技術の問題。
ユメカの動物的な第六感には、何者も敵わないことをセツノは知っていた。
「……別に任務中じゃないし、放っておいても大丈夫じゃない?」
言いながら、さりげなく大通りの方へと視線を走らせる。
それらしい人影は――
――白に。金髪の女性が、近付いていた。
すれ違うとかそういった類ではない。
明らかに、白に向かって歩いていた。
まさか、
「……姉さん。ひょっとして、あいつのこと?」
「うん。あいつ。この前見たときは気付けなかったけど、たぶん、私より強い」
「……確かに、何だか今は、雰囲気が黒いというか、自分を抑えきれてないというか」
「この距離なら気付かれることはないと思うけど、念のため」
「でもあいつ、白ちゃんに……」
「確か、しーちゃんを保護したり、ユウキさんに預けたりしたのも彼女でしょ?
なら、滅多なことじゃ危害を加えたりしないよ。きっと」
普段の姉らしからぬシリアスな言動。
人間兵器のような姉がここまで恐れるとは。
あの女――そこまでの手練れということか。
改めて、女性の素性を思い返す。
アマツ・コミナト。近衛隊准隊士。
ユウキとは帝都中央学院で知り合った女性。
本家は帝国でも有数の影響力を有する貴族。その末梢。
剣術謀術に長けており、敵対した者は全て屈服させられている。
剣の腕に関しては、直接見たことはないが脅威に値する可能性が高い。
――以上、ユメカ作「泥棒猫さんリスト」より。
……確かに、敵に回したくない類である。
特に貴族というのがヤバイ。ユメカとセツノの立場上、最も関わりに配慮が要る人種である。
もし自分たちの所属を知られてしまったら、個人だけではなく村全体の問題になりかねない。
姉の言う通り、白が危害を加えられる可能性は皆無だろう。
ならば、自分たちは余計な波風を立てぬよう、対峙を避けて隠密に徹するべきだ。
そう判断し、姉に同意を示そうとした、瞬間。
半ば無意識に唇を読んでいたセツノは、アマツがこう言ったのに気付いてしまった。
――ちょっとこれから、ユウキの家に行くからな。
それは困る。
現在ユウキの家には、自分と姉の生活跡が、これでもかというくらい残されている。
白い少女との二人暮らしと言い張るには、少し苦しい。
というか姉の下着や自分の恋愛小説を、ユウキの物と言い張るには苦しすぎる。
となれば、すべきことはただひとつ――
「姉さん! 家に戻ろう!」
――限られた時間の中で、自分たちの痕跡を隠す!
結論から言おう。
ユメカは自由人過ぎた。
戦闘特化型なのだから、隠密技能の多少の不得手は許されるかもしれない。
しかし、だからといって。
「片付けの途中に発情って、何考えてるのか本気でわかんないんだけどっ!?」
「やだなあセっちゃん、ユウキさんのこと考えてるに決まってるじゃない☆」
「考えた結果が自慰ってのが意味不明なんだけど!」
「いやほら、性欲はヒトの三大欲求のひとつだし」
「うわあ蹴りたい。すっごく蹴りたい。
今の私、性欲より馬鹿姉蹴たぐり欲のが強いけど――でも我慢!
私、常識人だし!」
「なにようセっちゃん。それじゃあまるで、私が常識ないみたいじゃな」
「いいから黙って気配消してなさい。そろそろ来るんだから」
「はーい」
屋根裏の空間にて。
諜報員姉妹は息を潜めていた。
本来であれば、自分たちの痕跡を隠した後は、少し離れた場所で待機するのが最善だったが。
セツノの心配性とユメカの縄張り根性が、ほんの少しだけ影響した結果だったりする。
(……白ちゃん、無理しちゃ駄目だからね)
(もしあいつがユウキさんのこと強姦するようだったら、私が出て行ってやっつける!)
セツノの心配性も大概だが、ユメカはユメカで先程までのシリアス調は何処へやら。
いつもの馬鹿姉モードに戻っていた――が。
(……あれ? 何か忘れてるような懐が寂しいような?)
姉ははてなと首を傾げた。
気付いたときには手遅れだった。
というか姉のことを信用していた自分が愚かだった。
そもそも、重要な片付けの最中に自慰を始めるような馬鹿姉が、まともに片付けていたと思い込んでいた己の不明を恥なければなるまい。
――部屋のど真ん中に自慰ネタの下着を放置。
空前絶後のお間抜けさんを問い詰めると、
「だってーセっちゃんがいきなり呼び付けるからびっくりしちゃって置きっ放しに」云々と言い訳を。
回収しに行きたくとも、既に白とアマツは家の中。
気配を察知される危険を鑑みれば、このまま放置するほか手はない。
不幸中の幸いか、放置された場所はユウキの寝室。
脱ぎっぱなしにしていたと見るのが自然だろう。
あとは運を天に任せ、見過ごされるのを祈るのみ。
「……っていうかそれ以前の問題として、寝室に何の遠慮もなく入ってくる客人なんて、そうそういるはずもないし」
「あ、入ってきたねセっちゃん」
「…………ユウキさんの知り合いって、変な女しかいないのかな?」
この女騎士といい、以前の喧嘩ふっかけお姉さんといい。
「セっちゃん……そんな自己卑下しなくても……」
「筆頭が何を言うか」
おもむろに入ってきたアマツと、慌てて追ってきた白。
二人は大した時間もかけず、不自然に放置された下着に気付いた。
白の方は、はてなと首を傾げるだけの、至極当然な反応を示していた。
それに対し、アマツの方は――
「――あ、拾った」
「…………ッ!」
「ちょ!? 怒るところじゃないでしょ姉さん!」
「でも私、まだイッてないし……!」
「いやそれかなり意味不明」
よくわからないところで憤慨するユメカと、いつものように突っ込むセツノ。
どう見ても、油断しきっているようにしか見えない。
――が、その実、欠片も気配を漏らしていなかったりする。
索敵の訓練を受けた者でも、今の二人に気付くのは難しいだろう。
二人はそう確信していたため――
さりげなく。
本当にさりげなく、隣の白には気付かれないよう周到に隠された。
アマツの殺気。
当てられた瞬間、思考が硬直してしまった。
女騎士がそんなことをする理由はひとつしかない。
気付いているぞ、という警告。
行動の選択肢は3つ。
息を潜め続けるか、即座に離脱するか、あるいは。
この場で、殲滅するか。
セツノが選ぼうとしたのはふたつめ。
ユメカが選ぼうとしたのは、みっつめ。
選ぼうとした理由に、気質如何は無関係。
それぞれの戦闘能力によって決まっていた。
セツノは己が逆立ちしても敵わないと肌で感じ、とかく逃げの一手と判断した。
対してユメカは、逃げきれる可能性を冷静に分析し、戦闘に入るしかないと決断した。
姉妹は言葉を交わしていない。
互いに最善と思える策を選び、実行しようとしていた。
体重が僅かに移動し、踏みしめた天板が軋む。
隠しようのない、確かな音。もう、動くしかない――
「――ん? 鼠でもいるのか?」
敵意の欠片も滲ませぬ声が、響いていた。
え? と固まるユメカとセツノ。
気付かないふり? そんなことをする意味があるのだろうか?
理解できず、二人はその場で動けずにいた。
「そういやお前、さっき鼠駆除の道具買ってたよな。
この建物って鼠が多いのか?」
「……っ!(こくこくこくこく)」
アマツと白の何事もなかったかのようなやりとりを。
ユメカとセツノは、呆然と見下ろしていた。
芝居じみたやりとりを――
「――そう。そういう、こと」
ぽつり、と。
ユメカの呟きが漏れていた。
妹は姉を仰ぎ見るが、姉はそれ以上は何も言わず。
ただ、悔しそうに。拳を握り締めていた。
隊舎に着く頃には、空は既に明るくなり始めていた。
酒精でほどよく高揚した頭を、そのままベッドへ突撃させる。
ぼふ、と間抜けな音がして、シーツの上に金髪が広がった。
「……あー。ひっさしぶりに、気持ちいい酒が飲めたなぁ……」
むにゃむにゃと呟く。
柔らかなベッドに包まれてその表情は見えないが、きっと緩みきっていることだろう。
それほどまで、彼女の声は嬉しさに溢れていた。
「……変わってないなあ、ユウキのやつ。
馬鹿みたいにお人好しで、変な風に気が回って。
ホワイトのやつも良い感じで過ごせてるみたいだし、アイツに任せて正解だったな……」
……。
…………。
……………………。
「……うん、あのときはアレで正解だった。そうだ。そうに決まってる」
ふと。
こぼれた声は、冷たかった。
言っているのは、白い少女のことではない。
もっと、別のこと。
「――だって、ユウキの部屋を、血で汚すわけにはいかないもんな」
言いながら、懐から“戦利品”を取り出した。
何故落ちていたのかなんて、どうでもいい。
ユウキの匂いが残るものなら、何でもよかった。
数瞬躊躇った後、恐る恐る、匂いを嗅いだ。
自分はいつから変態に成り下がってしまったのか。
想い人の下着を顔に押し当て、匂いを嗅ぐだなんて。
実家の者が見たら、卒倒してしまうに違いない。
「栄えある近衛隊准隊士が、下着泥棒か。堕ちたな。ははっ」
笑う。しかし頬はいびつに歪む。
だって。
――残っているから。
「意図的に抑えられた体臭。……諜報員の類だな。
ユウキのやつ、変なことに巻き込まれてるんじゃないだろうな。
だとしたら――巻き込んだ奴は、殺すしかないよな」
想い人の下着、そこに残された女の香り。
その意味を察せられないほど愚鈍ではない。
離れていたのは自分なのだ。恨みに思うのは筋違いなのかもしれない。
でも。
だからといって。
簡単に諦められるはずが、なかった。
ずっと、ずっと我慢してきたのだ。
欲しくて、穢したくて、自分の色に染めたくて。
「……畜生ッ!」
衝動的に、下着を下腹部に押し当てる。
腹の底で猛る衝動を鎮めるには、もう直接的な手段しか残されていなかった。
「……4年越しで、下着一枚とは……笑うしかないよな……ははっ」
べとべとに汚れた下着をつまみ上げ、アマツは力無く苦笑した。
「ま、すっきりできたから、いいか。
下着の一枚や二枚で気にすることもないよな」
汚れた下着を放り捨て、アマツはベッドに寝転がる。
天井を見上げながら、何とはなしに呟いてみた。
「感覚からして、たぶん凄腕だ。
下手なところに探りを依頼したら、裏目に出かねない。
……ここは散財を覚悟して、お高いところに探らせてみるか。
――イナヴァ村だと、実家の伝手を辿るのがいいのかね」
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