怪物妹奉公記(前)

 

 

「まったく、姉さんってば……」

 

 帝都もすっかり冬の空気に包まれて久しい頃。

 セツノ・ヒトヒラはいつものように姉への愚痴をこぼしていた。

 場所は帝都南部に位置する大きな広場。噴水の縁に腰掛けながら、黒髪を冬風にそよがせている。

 中央では珍しい黒髪に加え、幼さを残しながらも美しさを兼ね始めた容貌は、通る者の視線を惹き付けてやまなかったりする。

 とはいえ流石に平日の昼下がりということもあってか、いかにも「人を待っています」風の美少女に声をかけようとする男は皆無だった。

 よってセツノは姉への愚痴をこぼし続けるのみ。これだけで一日潰せそうな気がするあたりお得かもしれない。

 なお、どうでもいいことだが。

 最近の姉愚痴は、大きく分けて3種類に分類できる。

 

(1)暴走(性的な意味)による被害について。

(2)暴走(変な思い違い)の原因に対する修正の苦労について。

(3)暴走(白への間違った教示)による悪影響について。

 

 要は姉が暴走しているのが全ての要因なのだが、それに関しては既にセツノは諦めきっている。

 今は姉の暴走を如何に効率的に止めるかで、日々の安寧を保てるかどうかが決まってきている。

 ちなみに今回は(3)。こめかみに爪先を叩き込んで撃沈させたので酷いことにはならなかったのが救いである。武力行使万歳。

 まあそれはそれとして。

 内容は違えど、姉への愚痴はセツノにとっては日常茶飯事である。これはイナヴァ村にいた頃から変わっていない。

 故に、昔から彼女を知る者が見れば――

 

「変わりないみたいね、セツノ」

 

 ――と、声をかけるのは至極当然のことだろう。

 だが、直前まで気配を完璧に断たれた状態で声をかけられれば、それはもう、驚くしかないわけで。

 

「ッ!?」

 

 思わず臨戦態勢に入ったセツノは、腰掛ける石縁の隙間に隠した鉄針を取り出そうとした。

 が。

 

「こら、相手を見る前に武器を出すんじゃありません」

 ぺちこん、と額を弾かれた。

「わきゃ!?」と可愛い悲鳴を上げて涙目になったセツノの前には。

 

 メイドさんが立っていた。

 

「…………っっっ!!!?」

「とはいえ、反応速度はなかなかでした。純粋な速さは既に村一番に達していると聞きましたが、頷けますね」

「……ッ! ……ッ!!!」

「流石はあのユメカの妹といったところでしょうか。……? どうしました、先ほどから」

 小首をかしげるメイドさん。

 それを見て、セツノはついに決壊した。

 

「あ、あはははははははははははは!!!

 おばさんが若作りしすぎてるーーーーーーーーっ!

 ちょ、何やってるんですかヤクチさ」

 

 ま、と言う前に鉄拳が飛んできた。

 あわてて防御。しかしその上から叩き潰される。

 

 どでかい水飛沫が上がっていた。

 

 

 

 

 

「……どうやらしばらく会わないうちに、姉に感化されてしまったようですね。

 ここはひとつ、このヤクチ(19)が再教育を施してあげましょうかホホホ」

「す、すみませんでした。笑いすぎて申し訳……ぷっ……あり、くく、ません。

 せ、セツノ(7)は心より反省しています……ッ!」

「……その意味不明な数字は何でしょうか? ちなみに私は19歳です」

「あ、いえ何でもないですゴメンナサイ。ちなみに私は十台です」

 

 もう一度鉄拳が叩き込まれた。

 今度のは直撃していたら死んでいた気がするセツノだった。

 

 まあそれはそれとして。

 ――潜入調査担当の元締めにして、イナヴァ村でも屈指の戦闘能力を誇る指導教官。

 それがセツノを殴り倒した女性――ヤクチの肩書きである。

 潜入調査を得意とするだけあって、変装の類は一級品なのだが、

 

「流石に若作りしすぎじゃないですが? や、外見は完璧ですけど、中身を知っている身としては」

「何を言っているのかわかりかねます。今の私は某商人に仕える年若きメイドです。根も葉もないことを言わぬように」

「……ただのメイドがあんな鉄拳を叩き込まないでくださいよ。見られたらどうするんですか」

「心配なく。この区画内に密告者の類が存在しないことは確認済みです。監視の者も置いてあります。それに、市井の者が見てもわからぬように撃ちましたし」

「な、なんか変な技の実験台にされてる……!?」

「誤解です。それはそうと、本題に入りたいのですが」

 

 ヤクチの表情が真剣なものへと変わった。

 セツノも頭を仕事用に切り換える。……顔は極力見ないようにしながらだが。

 

「ひとつ、大きなところからの依頼が入りました。それを貴女に頼みたいのです」

「え? 大きなって……私みたいな若造に任せちゃまずいのでは……?」

「要求される水準が特殊なのです。内容そのものは単純な人物調査なのですが」

「……特殊というと?」

「まず、対象者が特別な役職とのことなので、隠密技能に優れていること。

 次に、対象には他の諜報員が付いている可能性が高いとのことなので、単独活動に優れていること。

 そして……これは意味不明なのですが一番重要とのことでした。……適齢期の女性ではないこと」

「……はあ」

 

 一つ目の条件は、まあよくあることなので問題ない。

 しかし二つ目は……正直、避けたい類のものだ。この条件が付くということは、相手側にばれたら自分の責任でどうにかしろ、ということだ。

 つまり、気取られても村のバックアップは一切なし。独力で何とかしなければならなくなる。

 ちなみに村のことがばれたら死ぬより辛い目に遭うこと間違いなし。

 とはいえ、イナヴァ村での仕事では、ここまではよくある条件である。これだけだったら今までセツノやそれより年下の若者も受けてきている。

 しかし、最後のはどういう意味か。

 

「適齢期、というところで人選は難航しました。

 若すぎては技能が未熟となってしまいますし、かといって年老いすぎてはしがらみも多く使い捨てられない。

 私も今まさに適齢期ですので残念ながら出られ……何ですかその顔は!

 男性を使うことも考えたのですが、依頼主の紹介者が、できるだけ避けてほしいと言ってきましたし。

 そこで、ギリギリの年齢である貴女が選ばれたというわけです」

 

 確かに、セツノは隠密調査と単独戦闘に優れている。この条件を満たせる女諜報員は彼女だけだろう。

 

「……わかりました。お給料は弾んでくださいね」

「引き受けていただけて何よりです。

 ……しかしセツノ、貴女が報酬について言うのを初めて聞きました。

 何か欲しいものでもあるのですか?」

「え? あー、いえ、欲しいものというかプレゼントしたいものというか。

 とりあえず適齢期(38)にはわからないことなのでお気になさらず」

「殴りますね」

 

 

 

 

 

 

 

 ……まあ、嫌な予感はしていたのだ。

 とはいっても、一度引き受けてしまった手前、もうどうしようもなく。

 覚悟を決めてから、セツノは扉をノックした。

 

「入りなさい」

 

 かけられた声に、不自然な響きはない。

 セツノは深呼吸をして、ゆっくり扉を開けた。

 

 親衛隊隊舎。

 帝国内でも選りすぐりの猛者達が住まう宿舎。

 その一室に、足を踏み入れた。

 他の部屋より格式は下がるとのことだが、それでも通常の兵士とは比較にならない広さである。

 諜報員としての経験を数年積んだセツノではあるが、このような部屋に入るのは初めてだ。

 

(……うわ、あの壷とか幾らするのか考えたくないなあ……。

 准隊士でさえこれなんだから、正式な隊員とか隊長とかってどうなってるのかな?)

 

 依頼主を不快にさせないよう、あくまで首や顔を動かさず、さりげない視線の動きだけで観察するセツノ。

 しかし。

 

「――どうしました? 近衛隊の部屋がそんなに珍しいのですか?」

 

 うげ、と呻きそうになるのを必死に堪えた。

 部屋の主は、奥のソファに腰を沈めていた。

 セツノとの距離は5足ほど。これだけ離れていながらも、挙動を敏感に察知するとは。

 

(姉さんクラスの化け物、か。うわー絶対戦いたくない)

 

 戦慄を必死に飲み込みながら、セツノは努めて落ち着いた声で挨拶をする。

 

「――初めまして。依頼を受けて派遣されました」

「ああ。遠いところからご苦労でした。紅茶を淹れましょうか?」

「恐れ入ります。しかし、私にそのようなお気遣いは無用です」

「そうですか。ならば早速仕事を頼みたいのですが。……と、こんな感じでいいのでしょうか?」

「……はい、符丁に問題はありません。しかし――」

「すみませんね。私、こういったことは苦手でして。

 上手な方でしたら日常会話の中で出来てしまうらしいのですが」

「いえ、実は私もこの格式張ったやりとりは苦手でして」

 

 言いながら、ぺろりと舌を出した。

 自分も貴女と同じですよ、と可愛さを含めながらアピールしたのだ。

 が、その内心は冷や汗ダラダラだったりする。

 

 何故なら。

 

「私の名前を聞いているとは思いますが、念のため。

 私は、アマツ・コミナト。

 この近衛隊にて准隊士を務めさせていただいております。

 わかっているとは思いますが、此度のことは内密にお願いします。

 もし貴女が裏切るようであれば、たとえ“村”が相手でも――」

 

(怖ッ! ちょ、殺気怖いんだけどっ!?

 というか意味ありげに剣に手を添えないで!

 こいつの家系を敵に回したらイナヴァ村も危ういんだから、裏切るわけないのにー!

 うう、さっき用を足しておいてよかった……。

 ……でもまあ、この様子なら、気付いてない、よね?)

 

 アマツ・コミナト。

 中央でも特に有力とされている貴族の末梢にして、近衛隊准隊士。

 

 そして。

 先日セツノとユメカが潜むユウキ宅に乗り込んできた、要注意人物。

 

 天井裏に潜んでいたのは看破されたが、正体まではばれていない、はず。

 そう信じて、そしてそれを確かめるために、敢えて依頼を受けたのだが。

 

「――ところで、貴女の年齢は?

 まさかとは思いますが、こちらの出した条件が伝わっていないなんてことは、ありませんよね?」

「は、はい。伺っております。

 私の年齢でしたら、条件には該当されないと上に判断されました。

 こちらが資料になります。読み終わりましたら破棄を願います」

 

(怖いって! 今変なこと言ったら斬られる! 殺気が尋常じゃない!

 というか何でこの人こんなに怖いの!? ユウキさんや白ちゃんの前ではあんまし怖くなかったのに!

 こっちが素!? だとしたらものすっごい地雷女な気がっ!)

 

 なかなか失礼なことを考えるセツノだった。

 まあそれはそれとして。

 アマツは受け取った資料に目を通し、ほぅと息を呑んだ。

 この強者にしては珍しく、心底驚いた表情を見せている。

 

「この歳でこの履歴、随分とまあ将来有望ですね。

 流石はイナ――あ、名前を出すのは不味いのでしたっけ?」

「き、恐縮です。はい、“村”に関してもできるだけ具体的には……」

「了解しました。しかしまあ、この年齢ならきっとアイツも……、ああいえ、何でもありません。こちらの話です」

「はあ……」

 

 要はセツノのことを歳に見合わぬ美少女と評してくれているのだろうが、何故だか喜ぶ気にはなれなかった。

 というか何故か自分が危険地帯にいるような気がしてならなかった。

 

「それはそうと、随分面白い格好をしているのですね」

 

 次いでアマツが指摘したのは、セツノの格好だった。

 まあ、それもそうだろう。

 何故なら今のセツノは、普段着とはほど遠い格好をしていたからだ。

 

「――近衛隊隊舎にお邪魔する上で、違和感のない服装といったら、これしか用意できませんでしたので」

「確かに、省庁の官服などは、手に入れるのも一苦労でしょうしね。

 しかし、まあ……似合いますね、まるで本職の使用人のよう」

 

 そう。今のセツノは、メイド服を身に纏っていた。

 官服も手に入れようと思えば難なく手に入っていたのだが、

 諸事情により経費を抑えたかったので、安上がりなこちらにした次第である。

 

「実家にも、ここまでの器量好しは居ませんでしたね。

 ……ふむ。転職してみる気はありませんか? 可愛がってあげますよ」

「申し訳ありませんが」

「残念」

 

 どこまでが本気なのやら。

 アマツは肩を竦めて溜息を吐いてみせた。

 

「――とりあえず、依頼の話に移りましょうか。大きな声では話せませんので、近くに」

 

 手招きされた。

 直前に変な勧誘をされたのもあり、最大限警戒しつつ近付くセツノ。

 互いの距離が2足ほどまで縮まって――

 

「ッ!?」

 

 柔らかそうなソファに腰を沈めていたにもかかわらず。

 アマツは一瞬にして、セツノとの間合いを潰していた。

 不安定な姿勢からのこの瞬発力。姉に勝るとも劣らない身体能力だ。

 速さには自信のあるセツノだったが、その自信は揺らいでいた。

 

(っていうか、なんでこんな人がお兄さんの近くにいるのよ!

 でなけりゃここまで苦労しなくて済むっていうのに……。

 ……変な女を惹き付けるフェロモンでも出してるのかな?)

 

 その理屈で言うと自分も以下略なのだが。

 

「――良い反応。動きの起点も見えていたか。

 この若さでその反応速度とは、恐れ入る」

「恐縮です」

「その腕前なら、万一荒事になっても大丈夫そうですね。

 若すぎるのが来たら、その辺が心配でしたが、どうやら杞憂のようですね」

 

 セツノは努めて冷静な声を出す。

 

「――では、任務の詳細をお願いします」

「ふふ。胆力も良いですね。気に入りました」

(気に入らないでーっ!?)

 

 セツノの心の叫びに気付くはずもなく。

 耳元に近づけられた唇から、その内容が伝えられた。

 

 

 

 調べるべき対象の名前は。

 セツノがよく知るものだった。

 

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血塗れ竜と食人姫 九尾珠 @tama9bi

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