怪物姉隠形記(表)

 

 

 ある晴れた昼下がり。

 サラ・フルムーンは不機嫌だった。

  

「……まったくユウキの奴……!」

 

 むすーっと唇を尖らせながら、任された書類を片付けている。

 執政官秘書となってから一年が過ぎ去ろうかという頃。

 流石に仕事にも慣れ、関係ない考え事をする余裕もできていた。

 

 考えているのは憎き(本人主観)同僚のことである。

 

 今日は懐が暖かいので、昼食を奢りつつ色々話をしようと思っていた。

 ――主に、半年前の旅行で偶然会った泥棒猫さんのことについて。

 

 しかし、ユウキときたら、のらりくらりと避け続けるのが上手いの何の。

 流石に学院生時代、最も激務と謳われた“執行部”の仕事を手伝っていただけはある。

 

「……まあ、それがユウキの格好いいところでもあるんだけど――じゃなくて!

 格好良くない格好良くない!

 あんな八方美人、誰が格好良いと思うもんか!」

 

 うがー、と握っていたペンを後ろに放り投げる。

 ペンは放物線を描いて、開け放たれた扉の方に――

 

 

 きん、と鋭い音が、響いた。

 

 

「――えっ!?」

 サラが音に驚いて振り返ると。

 つい今しがた、自分が放り投げた万年筆が、宙に浮いていた。

 

 否、浮いているのではない。

 

 廊下の方から現れていた小剣に、刺し貫かれている。

 

 小剣の持ち主は、サラにとって見覚えのあるもので。

 

 つい、

 

「うげっ! アマツ先輩!?」

 

 と、本音丸出しの声を漏らしてしまった。

 

 

 

 

「……任務を終えて執政省に報告に来たら、いきなり不意打ちを食らうとは思いませんでした。

 しかも下手人が、学院の後輩だったとは。世も末ですね。悲しくなって抜剣してしまいそうです」

「ご、ごごごごめんなさい!」

「しかも気付かれての第一声があんな蛙の引きつったような声だなんて。

 ――そんなにアタシに会いたくなかったのか、コノコムスメが」

「そそそ、そのようなことは!」

 

 近衛隊准隊士、アマツ・コミナト。

 

 サラの学院生時代の先輩で、これでもかというくらい、嘘くさい伝説を残している強者である。

 

 曰く、武装した自治会員50名を木剣で全員叩きのめしただとか。

 曰く、中央騎士を一対一の決闘で半殺しにしただとか。

 曰く、寄ってくる百合の純潔を片っ端から散らしてしまうだとか。

 

 とまあこのようなものが腐るほどあった。

 男女問わず目を惹かされる美しさに加え、剣の腕も立ち弁も立つ。

 家柄も良く、20歳という若さで、准隊士とはいえ近衛隊への入隊を許されている。

 羨み妬みで、有ること無いこと言われるのは仕方のないことかもしれない。

 

 サラとしては、自分より美人で自分より腕が立つ、この先輩は苦手3本指に入るのだが。

 学院生時代は何故だが顔を合わせる機会が多く、そのたびにネチネチと虐められていたりする。

 ちなみに理由はさっぱりわからない。

 アマツのような人間に嫌われるようなことなど、終ぞした記憶はないのだが。

 毎回仲裁してくれるユウキがいなかったら、ひょっとしたら自分はストレスで胃に穴が空いていたのではなかろうか。

 

 まあそれはそれとして。

 そんな苦手な先輩が、偶然職場に現れるなんて。

 今日の自分は不運だなあ、とサラは内心嘆くしかなかった。

 

「……あの、本当に申し訳ありませんでした。

 墨の出が悪くなっていたので振っていたらすっぽ抜けてしまいまして……」

 

 本当は苛々して放り投げたのだが、

 実物は小剣に刺されて確認不可能なので、問題ない。

 

「ああ、すまんすまん。アタシの方も長期任務明けで鬱屈としてたからな。

 別に、お前を虐める気は、今のところは全くない。

 ――それより、少し聞きたいことがあるんだが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も傾き、空が赤みを帯びてきた頃。

 帝都中央の鮮物市場は、夕餉の食材を求める者達で、ごった返していた。

 その一人である白い少女は、人混みの中で、覚えのある声を聞いた。

 

「……?(きょろきょろ)」

 

 立ち止まり、辺りを見回すと、

 

「おい、こんなところで何やって――って、買い物か?」

「……!」

「久しぶりだな……えっと、ホワイト。どうだ、ユウキの所は住みやすいか?」

「……(こくん)」

 

 

 本当に、久しぶりだった。

 白はこんなとき、どのような顔をすればいいのかわからなかったので、ただぼんやり見上げるのみ。

 

 ――自分を“保護”した女性。

 

 ユウキの所に預けられてから、白は彼女――アマツとは一度も会っていない。

 とても忙しい人間だということは、ユウキから聞いて理解はしている。

 白とは“色々”あったものの、それは既に白的には過去のこと。

 特に会いたいと思える相手でもなかったので、白としては存在を忘れかけていたりする。

 とはいえ、声を出すことができないので、わざわざ言う必要もない。

 

 ――セツノお姉ちゃんだったら、きっとすぐにばれちゃうんだろうけど。

 

 と、仲の良いお姉さんのことを思い出し、ちょっぴり感慨に耽ってみたり。

 まあそれはそれとして。

 

 ――今は、お買い物の途中なのに。

 

 しかも、はじめて、一人での。

 セツノに認可を受け、ユメカに応援されて、意気込んで挑戦していたところだった。

 まあ、買い物もあと一品だけ、と順調に進んでいたところなので。

 それほど気を張る必要はないのかもしれないが。

 

「…………(むむむ)」

 

 そういうわけで。

 白としては、早く買い物を済ませて、セツノに褒められたいと思っていた。

 故に、このようなところで時間を取られるわけにはいかないのだが。

 

 流石に、自分の保護監督者となっているアマツを、そうそう無碍にするわけにもいかず。

 仕方なく、アマツの言葉を待っていた。

 

 とはいえ、せいぜいこちらの近況を確認する程度だと思っていた。

 アマツは忙しい人だから。

 ユウキの所に預けられて、ちゃんと生活できてるかどうか、確認したいだけなのだろう、と。

 白の頭の中は「はじめてのおつかい」で一杯一杯。

 だから、アマツのその言葉を受け入れるのに、数瞬ほど必要だった。

 

「ちょっとこれから、ユウキの家に行くからな。

 お前がちゃんと家事とか手伝えてるかどうか、確認するぞ。

 まあ、一応お前を任せた身としては、たまの休みにそれくらいはしないとな」

 

 

 それは困る。

 

 

 はじめてのおつかいで一杯だった脳内は、驚きで完全に吹き飛ばされた。

 ユウキの家にはセツノとユメカがいる。

 以前ユウキが、彼女らのことを秘密にして欲しい旨のことを言っていたのを憶えている。

 少なくとも、アマツに姉妹の存在がばれるのは、困るはず。

 

 だというのに、どうすることもできない自分が情けなかった。

 

 たとえここで、体を張ってアマツを止めたところで、大した時間稼ぎにもならないだろう。

 適当な言い訳をでっち上げて、訪問を後日に延ばすことも不可能だ。

 

 もし。

 白にできることがあるとすれば。

 

 くい、とアマツの袖を引く。

「ん?」と首を傾げるアマツに向かって買い物篭を掲げ、その後市場の中心を指さした。

 

「ああ、買い物の途中だったってことか。

 構わないぞ、どうせだから荷物持ちくらいしてやるさ」

 

 時間稼ぎ成功。

 あとは、セツノとユメカが、こちらの異変に気付いて、何らかの策を取ってくれることを祈るのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「流石に学生寮よりはこっちの方が大きいな。

 ユウキも就職したってことだよなあ。狭い部屋で酒盛りしたのが懐かしいな」

 

 執政省の個別寮に着き、アマツはぽつりとそう漏らした。

 ちらり、と頭上の表情を窺うと、何故だか儚げな印象を受けた。

 

 ――この人、凄く強いのに、変なの。

 

 とだけ思い、白はさてこれからどうしようと頭を悩ませた。

 買い物では、無事に引き延ばし作戦が成功した。

 最後の一品の他にも、自分のなけなしのお小遣いを駆使し、不要な物まで多数買い込んでいた。

 具体的には無駄に大きい布袋とかネズミ駆除道具一色とか。

 密かに串焼きの買い食いを楽しみにしていたのだが、しばらく先になってしまった。

 まあそれはそれとして。

 

 あとは、不審なものが見つかりそうになったら、自分が何とかしてアマツの気を逸らすしかない。

 そう決意し、白はアマツと一緒に、ユウキの部屋に入っていった。

 

 

 

「――流石にユウキの部屋だけはあるな。一年目で忙しいだろうに、ちゃんと片づいてる」

 

 部屋に入り、軽く辺りを見回しながら、アマツは感心の溜息を吐いた。

 白の方は、セツノたちの痕跡が残っていないか、その優れた観察眼を全開に、素早く視線を巡らせた。

 

 ――よかった。殆ど残ってない。

 

 つい安堵の溜息を漏らしそうになる。

 しかし、流石は白の尊敬するセツノというべきか。

 数刻前には存在したはずの、彼女らの痕跡が、綺麗さっぱり消えて無くなっていた。

 私物だけではない。彼女らの趣味を反映させた置物等も、目立たない場所へとさりげなく移動されていた。

 これなら、どう見ても「ユウキの部屋」である。

 セツノたちがアマツの来訪を知ったのがいつかはわからないが、それでも時間は殆ど無かったに違いない。

 だというのに、この対応。見事としか言い様がなかった。

 やっぱりセツノお姉ちゃんは凄いなあ、と改めて思う白。

 

「さて、ユウキが帰ってくるまで待たせてもらうか」

「……(こくこく)」

 

 白はアマツの提案に何度も頷いた。

 いくら玄関が完璧とはいえ、全ての部屋もそうとは限らない。

 家捜しされる前に、アマツを椅子に釘付けにしなければ。

  

 というわけで最初の一手。

 “お茶を淹れて一服させる”

 

 紅茶の淹れ方については、セツノにみっちり仕込まれているので、それなりに自信があった。

 ただ、問題があるとするならば。

 

「……!(わたわた)」

「? どうした? 気分でも悪いのか?」

 

 上手く意志が伝えられない!

 

 これは由々しき事態だった。

 仕草で伝えようにも、この場には紅茶やカップを連想させられる物が置いてない。

 かといって、何も言わずに席を立ったら、アマツが付いてくる可能性が高い。

 このままアマツの前で怪しげな踊りを踊り続けなければならないのだろうか。

 それはかなりイヤだった。

 

 と。

 

「しかし、喉が渇いたな」

「!」

 

 アマツの方から、こちらの望む話題を振ってくれた。

 これで「ちょっとお茶でも淹れてくれ」と言われれば何の問題もない。

 なかったのだが。

 

「それじゃあ、ちょっとお茶を淹れてやるよ。

 なに、やり方は大体わかるから気にするな」

 

 それは困る!

 

「……!(ふるふる) ……!(自分を指さす)」

「え? ああ、お前がやってくれるって? いいって、気にするなよ。

 流石にいきなり押しかけた身だからな、これくらいはやらないと」

 

 いきなり押しかけたのだから大人しく座っていてほしい!

 と言えない己が恨めしい。

 

 その後何度も白はアマツを席に釘付けようと頑張った。

 頑張ったのだが。

 

 結局、止めることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと。

 アマツは自由人過ぎた。

 

 立ち入ったのは炊事場に留まらず、客間や寝室にまで立ち入る始末。

 収納にまでは手を出さなかったあたり、一応ギリギリのラインでの常識は残していた模様。

 

 とはいえ。

 全ての部屋にて、その痕跡を隠してあったのは、正直凄いと思った。

 セツノは魔法か何かを使ったのだろうか。

 そう思っても不思議ではないくらい、部屋の偽装は完璧だった。

 隠しきれない物は、意識の死角に入るよう巧妙に配置されている。

 セツノに対する尊敬がますます強まった白であった。

 ちなみにユメカがやったとは欠片も思ってないあたり、白もこの家に順応していたりする。

 

 途中、寝室でユウキの下着だけ落ちていたのには首を傾げたが、まあ些細な問題だろう。

 

 また、それを拾われたときに、微かに物音がして白的には冷や汗ダラダラだったのだが、先程買った物の中にネズミ駆除道具が含まれていたので、アマツがネズミと思ってくれたのは幸運だった。

 

 そんなこんなで。

 

 ユウキが帰ってくるまで、無事、セツノとユメカの存在がアマツにばれることは、なかった。はず。

 ちなみに、ユウキが帰宅してからは、アマツにこれでもかというくらい絡まれていたが。

 まあ、アマツの注意が彼に向いている限りは、大丈夫だろう。

 

「……?(あれ?)」

 

 ふと。

 どうでもいいことが、気になった。

 

「……(きょろきょろ) …………?(とてとてとて)」

 

「おや? 白?」

「ほっとけほっとけ、お子様はもうお眠の時間だろ。

 いいからお前はもうちょい付き合え。なに、明日も仕事だろうし、日付が変わるくらいで許してやるよ」

「このペースでその時間までいくと、確実に響きそうなんですけど……。

 ――まあ、構いませんよ。できる限りお相手します。

 ……お疲れ様です、アマツさん」

「……ん。お前も相変わらずだな。嬉しいぞ」

「え? どういう意味――むごっ!?」

「いいから飲め飲め。アタシの武勇伝をたくさん聞かせてやるからよ!」

 

 盛り上がっている二人を背に、白はユウキの寝室へと向かった。

 

「……?(はてな)」

 

 やっぱりだ。

 

 先程落ちていた、ユウキの下着が。

 いつの間にか、無くなっていた。

 

 一体、どこにいったのだろうか?

 

 

 

 

 後日改めて探したが、下着は終ぞ見つからなかった。

 

 

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