怪物姉乱戦記(後)
中秋となり、空気もだんだんと冷たくなってきた頃。
少女がユウキの家に住み始めてから、一月が経っていた。
「――あ、白ちゃん。その青物の盛りつけはね」
「……(こくこく)」
「お腹空いたー」
セツノから料理を教わる少女。そしてそれを寝転がりながら眺めるユメカ。
少女の表情は真剣そのもの。セツノもついつい指導に熱が入ってしまう。
「そうそう。この前言ったこと、ちゃんと覚えてたね。偉い偉い」
「……(てれてれ)」
「セっちゃんー。ごはんまだー?」
「あー、料理教えるのってすっごく楽しいなあ。別に難しいこと何てあんまり無いのになあ。どっかの誰かさんも少しは料理を覚えようって気になってくれないのかなあ」
「……?」
「あ、しーちゃん。そこのチーズ取ってー。
……そうそう、それそれ。投げて投げてー……はむっ。ないふひゃっひ」
「――白ちゃん。
アレに餌はあげなくていいんだからね?
というか付け上がるだけだから無視しちゃって。無視」
「しーちゃん。
そんなイジワルおねーさんの言う事なんて聞かなくていいからねー。
……あ、今度はそこのパンを――ふごっ!?」
「はいお姉様。ご所望の品ですあっち行ってなさい」
「……(おろおろ)」
“白”というのは、少女の名前を異国風に言い換えたものである。
ふとユウキが思いつき、姉妹が「そっちの方が可愛い」と評したので、この家限定の少女の渾名と相成った。
怪しげな諜報員姉妹と、身元不明のか弱き少女。
最初は戸惑いながらも次第に打ち解け、今では仲良し三姉妹のような日常を送っていた。
初めのうちは、少女をライバルと見なして敵対的だったユメカだが。
少女に月のものが来ていないことを知ると、あっさりと掌を返してしまった。
曰く「それなら頑張っても手と口と、少し頑張って足くらいだし。私の敵ではないかなー」とか何とか。
ちなみに、最後まで言い切る前にセツノの拳が叩き込まれたので、どういう意味なのかは不明である。
まあそれはそれとして。
少女――白も、居候としてユウキの家に慣れ始めてきた。
特にセツノと白は仲睦まじく、セツノは白に料理を教え、白も喜んで教わっている。
そんな、ある日のこと。
「――しまった! 寝坊しちゃった!?」
起床して、窓の外から差し込む陽光の角度から現在時刻を把握したセツノは、本来の起床予定時刻を絶望的に過ぎていることに気が付いた。
「昨日は任務上がりで疲れていたとはいえ――不覚!」
毛布を天井まで蹴り上げて、寝間着を脱ぎ捨て、枕元に置いてあった着替えを身に付ける。
手櫛で髪を軽く整えて、鏡で顔色をチェックして、寝室から飛び出ていった。
ばふ、とユメカの顔面に毛布が落ちたときには、セツノは既に部屋の外。
「ふがっ!? ――え? なになに? 心霊現象!?」
寝ぼけ眼できょろきょろした後、再び夢の世界に旅立とうとするユメカだったが。
「……? ……すんすん……。……!」
一瞬、目の前の光景を受け入れられなかった。
テーブルの上に、所狭しと並んでいる料理。
どれも完成度が高く、料理が得意なセツノから見ても、思わず唸らされるものばかり。
一体誰が、こんな垂涎モノな朝餉の支度を――
「――って、白ちゃん!?」
「……(そわそわ)」
部屋の端にて。
セツノ手製のフリル付きエプロンを身に纏った白い少女が。
緊張半分達成感半分の表情で、落ち着かなさげに立っていた。
「えっと……これ、白ちゃんが作ってくれた、の……?」
「……(こくり)」
「……むむむ……!」
「? ……? ……(あわあわ)」
唸るセツノ。それを見ておろおろする少女。
少女の料理は、どれも完成度が高く、端から見れば、セツノのそれと比べても何ら遜色ない。
セツノが教えたことを、完璧に身に付けて、それを一人で実践してみせた。
その学習能力には、目を瞠るものがある。
自分がこれだけの料理を作れるようになるまで、どれだけ時間がかかったか。
少しばかり、もやもやする気持ちを禁じ得ないセツノだった。
だが、まあそれはそれとして――
「……えらいっ! 流石白ちゃん! これは教えた甲斐があるなあ!」
部屋の隅で不安そうにしていた少女を抱きしめて、かいぐりかいぐり褒めちぎった。
――頑張ったのだから、しっかり褒めてあげなくては。
セツノは常々そう思っているし、きっと彼女が尊敬している青年もそう思っているだろう。
だから、いつものように早起きして、いつもとは違う状況に立たされながらも頑張った少女を。
心の底から、賞賛してあげたかった。
いきなりのことで少しだけ吃驚した少女も、すぐにそれを受け入れて、照れくさそうにはにかんだ。
「あーもう、可愛いなあ! ぎゅーってしちゃうぞ! このー!」
「……!?(あうあう)」
軽くどたばたと、仲睦まじい姉妹のようにじゃれ合う二人。
と、そこに。
「――うわー! 良い匂いがすると思ったらー!」
ひゃっほう、とユメカが飛び込んできた。
寝起きの筈だが、美味しそうな匂いで急激に覚醒した模様。
この女性の三大欲求への飽くなき突進力も、目を瞠るものがあった。
「……はむ。――おいしー! あ、これもおいしそー!」
「ちょ、待ってよ姉さん!
なにいきなりつまみ食いしてるのよ! 料理は逃げないんだから大人しく待っててよね!」
「料理は逃げないけど、はらぺこ虫からは逃げたいのー!
――いやはや、それにしても、しーちゃんってば、お料理上手になったよねー」
その言葉に。
セツノは、違和感を覚えた。
「やっぱりしーちゃんはお料理の才能があるねー。
これなら私も安心して、炊事を任せられちゃうなあ。
あ、私は夜のおかず担当ねー」
「変な役職自称してる暇があったら、もっと家事をしなさい馬鹿姉。
――っていうか姉さん、なんで白ちゃんが作ったって、わかったの?」
そう。
ユメカは今起きたばかり。
なのに、今朝の料理は、白が作ったと思っている。
普段はセツノが作っているのに、どうしてそう思ったのか。
セツノの些末な疑問に対し。
ユメカはあっさりと。
「え?
だってセっちゃんのご飯より、美味しいし」
ぴきり、と。
――空気が、凍った。
「いやはや、しーちゃんがここまでお料理上手になるとはねー。
もうここまでできるんだったら、セっちゃんより余裕で上だとお姉ちゃんは思うなあ。
むしろ、セっちゃんがしーちゃんにお料理習ったらー?」
「……で、でも、まだ白ちゃんはレパートリーも少ないし……」
「おお? なんか弱気なセっちゃんだー。
……ふふふ、ホントはわかってるんでしょー?
今でこそ対等の関係でいられるけど、そのうち白ちゃんが家事を全部マスターしたら、自分が下になっちゃうって!」
「そ、そんなこと……!」
ない、とは断言できないセツノだった。
そしてそれを見てほくそ笑むユメカ。
ちなみに少女は“そんなことない!”と必死に首を振っていたが、二人とも気付いていなかった。
「私のように家事というアドバンテージがない方が、対しーちゃん的には有利なの。教えたら教えた分だけ上手になっちゃうなんて、もう、しーちゃんってば怖い子!」
「怖い子なんて言わない! 白ちゃんは頑張ってるだけなんだから!
――ん? ちょっと待って?
それを言うならまず何も頑張ってない自分を恥じてよ姉さん!
……ごめんね白ちゃん。私、下らない嫉妬なんかしちゃって、駄目なお姉さんだよね?」
「……(ふるふる)」
「だめよしーちゃん。そこは素直にならないと。
もうしーちゃんはお料理でセっちゃんを超えたんだから、『お前のような絞り滓に教わることなんてない! 理想の女性であるユメカお姉様に私は忠誠を誓います』ってはっきり言ってあげなさい」
「……(えー)」
「あれっ!? 何故かひかれている!?」
と、いつものように騒いでいたところで。
「おはようございます……って、ユメカさんが起きてる!?」
「ふふふ……今日の私はひと味違いますよ? とりあえず味見してみます?」
「とりあえず驚かれたことは気にならないんですね……この馬鹿姉は……」
「あ、セツノちゃん、今日も食事の支度、ありがとう。
最近任せっきりで申し訳ないんだけど、何か手伝えることってあるかな」
「あ、その、えっと……実は今日の朝ご飯は――」
朝食は、豪華すぎず少なすぎず、がセツノの信念である。
人間の体、特に脳は、午前中に最もよく働くようになっている。
食べ過ぎて思考を鈍化させることなく、かつ栄養不足で活動しにくくならないように。
当然の如く、教え子の少女も、セツノの考えを忠実に守っていた。
基本は、パンとスープ。
あとは二品、舌を楽しませる副菜が準備されている。
必要な栄養は主食で摂りつつ、美味しいものを食べたという満足を副菜で生じさせる。
「――うん、パンの焼き具合も丁度良い。白ちゃん頑張ったね」
「……(にこにこ)」
料理の先生に褒められて、満面の笑みを浮かべる少女。
その笑顔に曇りはなく、純粋に褒められた喜びを表していた。
――そう、この娘は純粋なのだ。
混じりっ気が欠片もない。与えられた色は簡単に染みこみ、変化してしまう。
ひねくれた環境、腐った環境に放り込まれたら、一体どのような存在になってしまうのか。
想像すらしたくない。
少女がまだ純粋さを残したまま、この家に来られたのはきっと幸運だったのだろう。
人の優しさに包まれて育ちさえすれば、きっとこの白い少女は、誰からも愛される、そんな女性になるだろう。
そう。
この、白には。
優しく暖かい環境こそが似合っている。
故に、黒い感情は決してぶつけてはいけないと、セツノは考えていた。
そんなことをするくらいなら、舌を噛み切って死んでやる。
そこまで、覚悟しているのに。
「――うん、このスープ、美味しいですね。白もすっかり、お料理上手ですね」
「……(てれてれ)」
どうしても。
言い様のない感情が、胸の裡に広がってしまう。
――今までは、ユウキさんが褒めてくれていた。
料理をしない姉。故に、料理に関しては自分だけ。
そう、自分だけ。
時折姉に、料理の大変さを愚痴として口にすることはあっても。
気遣ってくれるユウキの言葉で、報酬としては充分すぎるほどの充足感が得られていた。
それは、自分だけが独占できるものだから。
料理に関する賞賛。ほんの小さなことだけど、それでも、自分だけのもの。
セツノにとっては何にも代え難い、温かなものだった。
それが、今では、少女のものに。
――どうして、料理なんて教えてしまったのか。
――少女には適当な遊びを教えて、それで満足させていればよかったのに。
――ずるい。あの優しい言葉は。あの微笑みは。私が貰うはずだったのに……!
くい、と。
服の端を、引っ張られた。
横を向くと。
心配そうな表情で、少女がセツノを見つめていた。
「――ど、どうしたの白ちゃん?
せっかく頑張って作った朝ご飯なんだから、自分もちゃんと食べなくちゃ。
じゃないと、そこの大食らいに、全部食べられちゃうよ?
ほらほら、この玉葱のスープだって、すっごく美味しくできてるんだから、冷めないうちに」
最後まで、言えなかった。
少女は一度だけ、セツノの前のテーブルを見て、そのあとセツノを真っ直ぐ見つめた。
その瞳には。
言葉など介さずとも。
明確に伝わる、想いが込められていた。
“お姉さんに、食べてほしい”
――ああ。
そういうことか。
一番、大事なことに、気が付いた。
この少女は、ユウキに褒められたいから、料理をしているのか?
自分は、楽をしたいから、少女に料理を教えているのか?
違う。
それは、セツノ自身がよくわかっていた。
白に料理を教えるのは、楽しかった。
きっと白も、セツノに教わるのは、楽しかった。
そう。
楽しかったのだ。
自分も少女も、普通の女の子のように。
余計なことは考えず、ただ、楽しんでいた。
今朝、白が料理をしたのも。
抜け駆けとか出し抜くとか、そういうわけではない。
セツノが寝坊して、いつもの時間に起きてこなかったから。
セツノが疲れているのを知っていたから、気遣って、一人で頑張ってみたのだ。
楽しさを共有し、時には助け合う。
セツノも、白も。今まで持つことが叶わなかったもの。
――ともだち、って、こういうものなのかな。
セツノは筋金入りの諜報員。
白は何やら訳ありの孤児。
どちらも、“普通の女の子”とは言い難いが。
きっと。今は。これからは――
「っと、ごめんね! 私もいっぱい食べるからね。
せっかく白ちゃんが初めて一人で作った料理。
先生の私が食べないで、一体誰が食べるのかって!」
「む、セっちゃんから何やら食い気のオーラが!?
でも甘ーいっ! こっちの大皿は渡しませ――んむっ!?」
「ふふふ姉さん。そんなに食べてばかりいると、牛になってしまいますよ?
とりあえずハンカチでも噛んで我慢してみれば?」
「……もにゅもにゅ。ぺっ。
――私にハンカチを食べさせたければ、ユウキさんの使い古しを持ってきなさい!」
「僕のだと食べるんですか!?」
「……(おろおろ)…………っ!(はっ)
…………!(ぎゅむ)」
「むむ? しーちゃんも私の妨害をするつもり?
でも残念ながら、愛によって鍛えられた私を止めるには――ってあれ?」
「……~~っ!(ぎゅー)」
「う、動けない!? 完璧に初動を押さえられた!
こ。これが――真のロリ力!?」
「ナイス白ちゃん! それでは、いただきまーっす!」
大皿に盛られていた副菜を、豪快に平らげていくセツノ。
気遣いや我慢は欠片もなく、美味しそうに食べていた。
それを見て、ほっと安堵の溜息を吐く白。
「くっ! 強引に外したら怪我させそうで怖いし、かといって押さえは完璧だし……!
しーちゃんが押さえてセっちゃんが食べる! これが二人の力ということね!
――こうなったらこっちもタッグを組みましょう! ユウキさん!」
「えっと……白、そのまま押さえていてくださいね。
何だか離したらよくないことが起こりそうなので」
「そんな!?」
今日も今日とて。
ユウキとその居候たちの朝は、賑やかだった。
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