怪物姉乱戦記(中)

 

 

「……えっと。もうすぐで僕の家に着きますが、約束して欲しいことが2つあります」

「……?」

 

 夕闇時の帰路。

 真剣な表情で、ユウキは少女に語りかけた。

 

 学院生時代の先輩に押しつけられ――もとい預けられた少女を家に連れて行く途中。

 どうしても、少女――ホワイトに言っておかなければならないことがあった。

 

「うちで見聞きしたことは、アマツ先輩には秘密にしておいて欲しいんです。

 えっと、その、言われたら困るものがあるというか、いるというか……。

 あ、別に怖いモノとかがあるわけじゃないし、君に嫌な思いはさせないと思います!

 でも、えっと、うーむ……」

「……(きゅ)……(ふるふる)」

 

 言葉に悩むユウキの裾を少女は掴み、顔を見上げて首を振った。

 それはとても小さな仕草で、普通なら意図も読みとれず困惑するしかないかもしれないが。

 

「……大丈夫、ってこと?

 僕がひどいことしないって信用してくれてるのかな?

 ――きみ、いい子ですね。偉い偉い」

「……(むみゅ)」

 

 少女の意図をあっさりと汲み取ったユウキは、その頭をぽふぽふと撫でた。

 いきなりの行為に、少女は少し面食らった表情を見せたが、

 嫌がる素振りは欠片も見せず、ほんの少しだけ、頬を赤く染めていた。

 それを誤魔化すかのように、ぐいぐいとユウキの裾を引っ張り始める。

 

「わわ!? な、何……って、ああ、もうひとつの約束か。

 えっと、もうひとつ約束して欲しいのは――」

 

 ユウキは少しだけ考え込んだ後。

 諦めのような溜息を吐き、こう言った。

 

 

「――驚かないでくださいね」

 

 

 少女は不思議そうに、首を傾げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……姉さん、なにしてんの?」

「あらセっちゃんいいところに。ちょっとここ押さえててー」

「いや、罠仕掛けるの止めなさいよ。

 っていうか扉に雑巾仕込むとか、姉さんの将来が本気で心配なんだけど。主に諜報員的な意味で」

「私は戦闘と癒しが専門だからいいのー。

 そんなことより刺客撃退装置3号さんの設置を手伝ってよう」

「ツッコミどころが多数あるけど、差し当たって一番重要そうなのを。

 ――1号と2号を片付けてきなさい」

「えー」

「夕飯抜きにするわよ!」

「ちぇー」

 

 妹に罠の設置を咎められ、しょんぼりするユメカだった。

 ――と。

 その顔をはっとさせ、きょろきょろと周囲を気にし始める。

 

 そしてそのまま台所へダッシュ。

 

 逃げたのか、とセツノは思ったが、どうやら違った模様。

 台所の入り口でユメカは立ち尽くしていた。

 

「――せ、セっちゃん?」

「ん?」

「この張り切りっぷりは一体全体どうしちゃったの!?」

 

 心底驚いた様子で叫ぶユメカ。

 台所には、調理中のものから準備が済んだものまで、所狭しと手料理が並べられていた。

 どれもがセツノの得意なメニューばかり。

 その秘めたる威力は、見ただけで唾液だだ漏れになっているユメカから推して知るべし。

 

「……え? 別に普通でしょ。普通」

「嘘だー! このエビの煮物、この前私が作ってって頼んだときは“めんどくさい”の一言で切って捨ててたのに!」

「……そだっけ? 姉さんの発言は記憶に留めてないからなあ」

「なにげにヒドッ!?

 ……ま、まあ、それはそれとしてっ!

 セっちゃん、貴女――」

 

 ユメカは一息溜め、妹をびしっと指さして、叫んだ。

 

「あの小娘が来るからって、気分良くしてるんでしょ! このロリコンめ!」

「誰がロリコンよ誰が。

 それと……べ、べつに張り切ってなんて……ないからね」

「嘘だっ!」

 

 ぎゃあぎゃあと喚くユメカ。

 何とか誤魔化そうとしているセツノ。

 

 そんな二人は、同時に。

 ユウキと少女の帰宅の気配を、察知していた。

 

「「――ッ!」」

 

 初動は同時だった。

 

 刺客撃退1号の起動を図るユメカ。

 具体的には天井から垂れた不自然な紐を引っ張ろうとした。

 その手が全力で蹴りつけられる。

 常人なら骨が砕けてもおかしくない一撃を受け、しかし平気な顔で「妹が反抗期に!?」とか言っている。

 続いて豪快にスライディングし、床に不自然に備え付けられていたスイッチを押そうとする。

 その手を容赦なく踏み付ける妹。

 常人なら以下略。今のセツノには容赦というものが存在しなかった。

 

 そうこうしているうちに、気配は玄関の前まで到達し――

 

「しまった! 一番馬鹿っぽい罠を外すのを忘れていた!」

「馬鹿っぽいとは何よー!」

 

 自信作を貶されたユメカは、怒り顔でセツノに迫る。

 最後の罠を守るために、妹にタックルして動きを止めるつもりのようだ。

 しかし、そこは流石にユメカの妹。

 姉を止める術は嫌というほど身に付けていたりする。

 

「ていっ!」

「ああっ! それは私の大好物の、ササミのチーズ――ふがっ!?」

 

 料理名を言い切る前に、その顔に皿が押しつけられた。

 ただ顔を押さえられただけでは、ユメカの突進は止まらない。

 しかしそこに、彼女の好物が挟まれると――

 

「……やっぱり食べてるし……! なんでこんなのが姉なんだろう……」

 

 ちょっぴり鬱になりながら、セツノは罠の解除へ向かう。

 仕掛けられているのは扉の上部。

 僅かに開けられた隙間には、嫌な感じに湿っている雑巾が鎮座坐していた。

 時間に余裕はない。

 セツノは鍛え上げられた脚力で跳躍し、ダイレクトに回収を目指した。

 ――間一髪、扉が開かれる直前に、雑巾はセツノの手によって回収される。

 

 その、瞬間。

 扉は開かれて。

 セツノは跳び上がっていて。

 膝が丁度、帰ってきたユウキの鳩尾の高さと同じくらいで。

 

 結果。

 

 見事なまでのニードロップが、炸裂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後。

 激しく土下座するセツノと、後ろで「作戦通り……!」と嘯いているユメカを、新しい居候の少女は、少し怯えた様子で見つめていた。

 それもそうだろう。

 自分を引き取ってくれた優しそうな人が、扉を開けた瞬間、空中飛び膝蹴りをお見舞いされたのだから。

 

 ちなみにユウキは応急処置を受けてぐったりしていた。

 本当ならば、少女が新しい環境に慣れるためのフォローをしなければならないのだが。

 セツノの膝蹴りは可愛らしい外見とは裏腹な高威力で、まともに動くことすら困難だった。

 

 戦闘訓練を受けているセツノならば、直前で蹴りを止めることもできたはずなのだが。

 新しい住人を迎えるために、少々浮ついていたのと。

 姉との馬鹿なやりとりで集中力を乱されていたのが。

 惨劇を引き起こす要因となってしまったのかもしれない。

 

 まあそれはそれとして。

 

 常人であれば発言は困難なカオス空間の中で。

 最も常人と認め難い人物が、場を仕切ろうと口を開いた。

 

「――これは、悲しい事件だと思うの。

 ひょっとしたら、避けることができたかもしれない。

 でも現実に事件は起きてしまった……。私たちはそこから目を逸らしてはならないわ。

 だから、だからね――」

 

 また馬鹿姉がトチ狂ったことを言おうとしてる。

 そう確信したセツノは、ユメカを止めるべく、土下座の姿勢から反転、鋭い蹴りを見舞おうとした。

 

 が。

 その前に。

 

「…………(ぺこり)」

 

 女の子が、思い詰めた表情で。

 深々と、頭を下げていた。

 

 それは、どう見ても謝罪の仕草で。

 慌てたのは、セツノとユメカだ。

 

「え? え? そんな、謝って欲しいわけじゃなくてね、

 というかこれをネタにセっちゃんをいじめようとしただけだから、その、気にしないで?」

「あ、あなたが謝ることじゃないのよ!?

 悪いのはそこの頭の悪そうなお姉さんで……っていうかむしろ謝りなさいよ馬鹿姉!」

 

 二人の、いつもの言い争いが始まった。

 

 

 

 ぎゃあぎゃあと言い合う姉妹。

 それを、少し離れたところから、悲しそうに見つめる少女。

 

 ――やっぱり、ここも駄目なのか。

 

 そんな諦めが、少女の胸を支配しかけていた。

 寺院でもこうだった。

 少女の生まれが、とある名家の傍流だったこともあり、本人とは関係ない部分で、周囲の諍いが生まれていた。

 聡い少女は、それが遠回しに責められているようで、辛かった。

 

 ――お前がそんなだから、私は悲しくなるのよ。

 

 もう言われなくなった言葉。

 それを思い出し、自分自身が嫌いになる。

 

 そんな自分を直したくて。

 たとえ話せなくても、周囲の人を不快にさせない人間になりたくて。

 はじめて、自分と“会話”できた青年の家に行くことを、勇気を出して、決意した。

 

 だけど。

 彼の家に同居する女性達は。

 そんな少女の意志とは関係無しに、激しく罵り合っている。

 

 やはり、青年が特異な例だっただけで。

 自分のような人間が、周りと楽しく穏やかな時間を過ごすことなんて不可能なのだろうか。

 

 そう、思っていたら。

 

「――あの二人、別に喧嘩してるわけじゃないんですよ」

 

 そんな言葉が。

 横から、聞こえてきた。

 

 びっくりして振り返ると、そこには苦笑いをしている青年の姿があった。

 

「あれ、とても仲悪そうに見えますよね?

 でも実は違うんですよ。しばらくしたら、何事もなかったかのように元通り。

 彼女たちにとって、あんなの、喧嘩でも何でもないんですよ」

 

 嘘だ、と少女は思った。

 だって、あんなに激しく言い合っているのに。

 自分があんな風に言われたら、きっと立ち直れないだろう。

 それが、喧嘩じゃない? そんなことは、信じられなかった。

 

「……きみは、色々なものが見えすぎてしまうのかな。

 でもね、見えるものだけが絶対、なんてことはないんですよ。

 あの二人にはあの二人のルールがあって、それさえ破らなければ、二人はずっと仲良しのまま。

 そういったルールは、人によって様々なんですよ。

 ――ほら、さっき約束したじゃないですか。“驚かないで”って。

 自分が見えるものだけを絶対と考えるのではなく、違うものを受け入れる努力を、少しでいいからしてみましょう。

 そうすれば、きっと、きみも少しは楽になれますよ」

 

 そう言って、微笑んでくれた。

 

 青年の言葉は、少女の胸に自然と染み入る。

 

 と、青年の言葉を聞いていたのか、姉妹が少女の方へと近付いてくる。

 少女は微かに身を竦める。自分のせいで喧嘩になったから、何か言われるかもしれない。

 そう、思ったのだが――

 

「あはは、お客様をほったらかしにしちゃって、ごめんね?

 さっきのは喧嘩してたわけじゃないの。だから、気にすることなんてないんだよ?」

「……ちょっと、悪ふざけが過ぎちゃったよね。ごめんなさい。

 セっちゃんには後で厳しく言っておくから。

 だからその見返りとして、チーズ入り卵焼きは譲ってほしいなーなんて」

「子どもにたかるんじゃないっ! ……はあ。姉さん用に卵焼きはたくさん作ってあげるから」

「ふふふ。これが交渉というものよ。お子ちゃまには少し難しかったかな?

 まあ、そーゆーわけだから、私とセっちゃんは喧嘩なんてしてないのよー」

「まあ、本気で喧嘩なんて、まだまだ姉さんには敵わないしね。

 ――それじゃ、お料理の途中だから私はこのへんで。

 美味しいごはん、たくさん作ってあげるから! 楽しみにしててね!」

 

 直前までの剣呑な空気は何処へやら。

 姉も妹も、何事もなかったかのように、少女に優しい声をかけてきた。

 

 というか、あんな激しい口喧嘩が、卵焼きひとつで収まってしまうとは如何なることか。

 少女は呆然としながら、二人の言葉を聞いていた。

 

「ほらね、こんな感じなんですよ」

 

 そう言う青年の口元には。

 楽しげな笑みが、浮かんでいた。

 

「あの二人なら、きっときみを受け入れられますよ。

 僕だけじゃなくて、あの二人も。そしていつかは、他の人たちとも。

 きっと、楽しく話せるようになる。それは僕が保証しますから」

 

「――だから、悲しそうな顔はしないで。一緒に暮らしましょう」

 

 少女は俯く。

 どんな顔をしていいのか、わからなかった。

 ただ、先程までの嫌な気持ちは消え去っていて。

 

 ――ここに、いたいな。

 

 そんな気持ちが、生まれていた。

 だから。

 

「……(こくり)」

 

 一度だけ。

 少し熱くなった頬を見せないように。

 頷いて、みせた。

 

 

 

 

 

 と。

 ここで終われば、何の問題もなかったのだが。

 

 

「――ってすっかり忘れてたーっ!」

 

 おもむろに、ユメカが声を張り上げた。

 

「よく考えたら、この子刺客だったんだ!

 いけないいけない。その場の流れで受け入れてしまうところだった……!」

「え? あの、ユメカさん……?」

「ユウキさん! ロリコンはいけません!

 まだ体のできてない子にそーゆーことをしちゃうと、あとあと後悔することになりますよ!」

「は? ちょ、ひょっとしてまたいつもの暴そ」

「なんかこの子可愛いから、追い出すのはやっぱり止めにしますけど!

 でも! だからといってユウキさんを渡すわけには! 絶対!」

「せ、セツノちゃん! またユメカさんが――」

「だから、ユウキさんに大人の女性の素晴らしさを叩き込んでおきたいと思います! セっちゃんの準備状況から考えて、あと1時間は余裕があります!

 とりあえずハイペースでこなせば6回は大丈夫ですよね!

 というわけでいざ!」

 

 言うなり。

 ひょい、とユウキの体を担ぎ上げるユメカ。

 

「ごめんねー。ちょっとユウキさんを借りちゃうね。

 とりあえずこの家のことはセっちゃん――さっきの、私の劣化版みたいなお姉さんに聞いておいてねー。

 それじゃあ、夕飯までには帰るから!」

 

 目を白黒させている少女に、それだけを言い残して。

 ユメカはユウキを担いだまま、外へと駆け出していった。

 

「やめ、ていうか1時間で6回は流石に、だ、誰か助けてー!?」

 

 ユウキの悲鳴が響いていたが。

 超展開に付いていけなかった少女は、ただ呆然と、連れ去られるユウキを見送ることしか、できなかった。

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 丁度夕飯が完成したときに帰ってきた二人は。

 片方がとても満足げに、もう片方が異常なほどやつれていた。

 一時間でどうしてここまで変わってしまうのか、少女はとても不思議がっていたが。

 それはまた、別のお話。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る