第14話 信頼



「――とりあえず、飯は食うようになった。だから死にはしないだろ」

「……怪我の方はどうでしょうか」

「綺麗に右腕が無くなってるからな。下手に繋がってるより治りは早いだろ。

 高熱は収まったみたいだから、悪化することはないと思うぞ」

「そうですか……」


 仕事を定時で上がり、そのまま夜の町へと繰り出して。

 アマツさんから、酒を交えた“真面目な話”を聞き出していた。

 僕の代わりに白の付き人となってくれた近衛騎士は、僕の知りたいことを教えてくれた。

 ――白は、とりあえずは、大丈夫らしい。

 ほっと安堵の溜息を吐く。

 その隙に串焼きを追加注文されてしまったが、代償としては安いものだ。


「しっかし、相変わらずユウキしか見えてないな、あのチビガキは」

「……僕はもう、いないのに、ですか?」

「ああ。ありゃあ帰ってくるのを待ってるぞ。

 ……ったく、真っ直ぐな娘だとは思ってたが、まさかここまで一途になるとはねえ」


 やれやれ、と溜息を吐かれた。

 僕はどう反応すればいいのかわからず、無言で水割りをちびりと含む。


「というかだな、そんなに心配なら、どうして直接会いに行ってやらない?

 お前の顔を見れば、あいつすぐに元気になるぞ。

 仕事中は食人姫の世話で無理だとしても、上がってからならいくらでも会えるじゃないか。

 それこそ、今こうやってアタシに会う暇があったら、血塗れ竜の所に行ってやれよ」

「それは……そうなんですが。

 何と言いますか……顔を合わせ難くて……」

「マスター。このヘタレに一番強い酒な」

「…………」

「文句は無しか。お前の方も相当参ってるみたいだな」


 悪いのは自分だなんて分かり切っている。

 白に予め付き人を辞めることを伝えておけば、

 あるいは白に直接会いに行って謝っておけば、

 少なくとも白は、話に聞くほどのショックを受けなかったかもしれない。


 だけど。

 僕の目の前で、白の信頼と好意による、嬉しそうな微笑みが崩れてしまう――それが怖くて。

 僕は、何もできなかった。


 俯いて黙り込む僕に対して、アマツさんはしばらく無言でいてくれた。

 やがて。


「……お前にとっても、随分、大事な存在になってたんだな。あいつ」


 ぽつり、とアマツさんの呟きが届いた。


「え?」

「ん。まあ、しばらくしてからでいいから。

 そうだな……一月後くらいに会ってやれ。

 ひとりで行くのが怖ければ、私も立ち会ってやるから、さ」


 いたく真面目な表情で。

 そう、言ってくれた。

「……はい。ありがとうございます。一月後に、必ず」

「ああ。――マスター、ちと早いが、お代だ」

 アマツさんは立ち上がり、カウンターの向こうへ金貨を手渡した。

 本当は僕払いだったはずだが、気遣ってくれたということだろうか。


 白の付き人を二つ返事で了承してくれたり、こうして色々気遣ってくれたりと、

 アマツさんには本当に世話になりっぱなしである。

 いつか、恩返しをしなければ――


「ほれ、行くぞ」


 ぐい、と襟首を掴まれた。


「え? え? 行くって?」

 今日はこれで終わりじゃなかったのだろうか。

 何というか、僕とアマツさんとの私的なやりとりで、はじめて感動的な終わり方ができると思ったのだが――


「ばっか、お前の恩返しが終わってないだろ。

 ここの奢りでもいいかと思ってたんだが、話を聞いてて気が変わった」

「うわ、ちょ、やめ、」

 流石は近衛騎士といったところか、力尽くでずるずると引きずられてしまう。

 というか、自分で歩くので離して欲しい。


 

 金髪美女に襟首を引っ張られる男という、情けない格好を晒しながら連れてこられたのは、

 ――裏通りにある、宿だった。

 旅の者がよく利用するような、素泊まりの宿とは目的を異にするもの。


 要は、男女の秘め事を行うための、宿である。


 

 ――最近さ、いい男が見つからないんだよ。


 アマツさんは、そう言って、唇を合わせてきた。


 

“街の中”では、彼女は二つの顔を持つ。

 甲冑を身に纏っているときは、冷静沈着な騎士。

 私服を纏っているときは、気さくで大らかな美女。


 でも、更にもう一つ持っている顔は。

 きっと、僕を含めた一部の人しか知らない顔。


 

 彼女の体質を知った上で、

 受け入れられる男性は限られていた。

 だから、彼女は僕を“性欲処理の道具”として、時折身体を求めてくる。


 アマツさんとの情事は、何というか、通常のそれとは多少異なる形になるが。

 それでも、彼女の技術は熟達されていて、僕は何度も達してしまう。

 お互いがお互いの身体をよく知っているというのもあるのだろうが、

 何より、僕たちの身体の相性は抜群であった。

 白に会いにも行かず、こんなところで何をしているんだろう、という気持ちはある。

 でも。

 近衛騎士としての仕事を続けながらも、僕の無茶なお願いを聞いてくれて。

 白のことを気遣ってくれる、アマツさんには、どんな形でもいいから、恩返しをしたかった。

 僕は知ってる。

 この人は、自分の仕事と、こちらの無茶なお願いを両立させるために、自分の全ての時間を削り、

 睡眠時間すら大幅に削って、“近衛騎士”と“闘技場王者の付き人”という二つの大役をこなしているのだ。


 だから、せめて、ストレス解消くらいには、付き合わないと。


 顔見知り二人のために、己の心身を削ってまで手助けしてくれる女性騎士。

 僕は、心の底から、アマツさんを尊敬していた。


 


 


 隣で、ユウキが穏やかな寝息を立てている。

 可愛いなあ、と微笑みが零れてしまった。

 ――こいつは、いい奴だ。

 学院生時代からの付き合いだが、私はこいつ以上の“お人好し”を見たことがない。

 誰かを助けるのが何より好きで。

 そのくせ、現実を中途半端に受け入れている。

 だから、全員の幸せなんて願わずに、自分が助けたいと思った相手“だけ”を重視する。

 執政官を目指していた頃だって、競争相手を助けるために、自分の未来を捨ててしまったような奴だ。


 そんなユウキを、私――アマツ・コミナトは、好ましく思っている。


 私は体質のこともあり、周囲とは上辺だけの付き合いばかりになっていたが。

 ユウキとだけは、信じられないくらい、上手く付き合えていた。

 恥ずかしながら告白するが、学院生時代の私は、それはもう目を覆うような奥手だった。

 ユウキのことが凄く気になっていたのに、それを表に出すことができず、心を鎧で覆っていた。

 まあ、その影響か、甲冑を着たときの心の切り替えが、非常に上手くいってるわけだが。

 まあそれはそれとして。

 そんな奥手の私ですら、怖がることなく近づくことができたのは、ユウキの人柄としか言い様がない。

 表向きだけツンツンして、その内心ではビクビクしてたような小娘だった私だが。

 ユウキは何の抵抗もなく、私と対等に付き合ってくれた。

 他の生徒連中は、怖がるか敵対するか崇拝するかで、誰も隣に立ってくれなかったのに。

 このお人好しは、私を“ただの先輩”としか見てなくて、それがとても心地よかった。

 こいつのおかげで、私は強くなることができた。

 学院の執行部を二人で改革したときの達成感は、今でも鮮明に思い出せる。


 ユウキの人間性という一点において。

 長年じっくり見つめてきた私だからこそ、誰よりも理解してるつもりである。


 だから。


 学院生時代から、私の中で“一番いい奴”だったユウキだからこそ。

 ――血塗れ竜を、託すことができた。


 血塗れ竜こと、ホワイト・ラビット。

 こいつはこいつで、私とは少なからず因縁がある。

 だからこそ、適当な処遇など許せるはずがなく、私自ら中央監獄に連れてきて、それなりの待遇を保証させた。


 戦い方を教えたのも私だし、囚人闘技場で戦うことを勧めたのも私だった。


 最初は、あまりにもひょろっちかったので、体力を付けさせるだけのつもりだった。

 しかし――教えれば教えるほど、スポンジが水を吸い込むかのように技を覚え、更には、とんでもない能力を持つことさえ、明らかになった。

 気付けば、私を凌ぐほどの腕前になっていて。

 これなら、闘技場でも生きていけると思い、出場を推薦した。


 

 最初は、気まぐれだったのだ。


 

 少女に戦う術を教えたのも。

 誰にも心を開かなかった少女の付き人として、学院生時代の後輩を推薦したのも。

 ただの、気まぐれだったのに。


 少女は囚人闘技場の王者となり、“私の”後輩を手に入れていた。


 担当を外れた後も、血塗れ竜のことを一番に想い、私に身体を売ってまで、彼女のことを気遣っている。

 私が欲しかったものを、少女は手に入れてしまったのだ。


 

「……もう、いいよな」


 ぽつり、と呟きが漏れた。


 ――血塗れ竜。

 もう、充分、楽しんだだろう?

 私もそろそろ、身体だけの関係じゃ、我慢できなくなってきたんだ。


 食人姫なんて予想外の手合いも現れたことだし。

 もう――遠慮するのは、止めにしよう。


 ベッドから抜け出て、服を着込む。

 穏やかに眠っているユウキの頭を優しく撫でて、私はそのまま、外へ出た。


 


 


 ノックをして、部屋へと入る。

 血塗れ竜は、懲りることなく愛しい相手を期待し、また勝手に裏切られている。

 いい気味だ。


「……こんな夜中に、何の用?」


 血塗れ竜が、声をかけてくる。

 確かに、私が普段通っている時間とはかけ離れている。

 訝しく思うのも当然だろう。


「いえ。貴女に少し話がありまして」

「……その話し方、止めて」

「仕事上の話ですから」


 言いながら、一歩踏み出す。

 ――私は、これから、この少女から少なからず向けられている信頼を、壊そうとしている。

 今まで、ずっとできなかったこと。

 少女に対する罪悪感が、させてくれなかったこと。


「……え……?」

 血塗れ竜の表情が、困惑に歪んだ。


 私は、更に、一歩、踏み出す。

 何故だろう。お腹の下あたりから、熱い衝動がこみ上げてくる。

「どうして」

 血塗れ竜が、鼻をひくひくさせながら、呆然と。


 

「どうして……アマツから、ユウキの匂いが、するの?」


 

 そう、呟いた。


 


「ユウキ・メイラーは、もう来ません」


 だめ。耐えられない。でも、我慢しなくちゃ。


「貴女は、見捨てられたのです」


 ――笑いを堪えるのに、必死だった。

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