第20話 つながり



 さて。案は2つある。


 ひとつは、飲み物に混ぜる。ユウキさんは農園の兎のような無防備人だから、上手くいく可能性は高い。

 しかし、基本的に頭は良いので、ひょっとしたら勘付かれるおそれもある。

 よって、確実な策とは言い難い。


 もうひとつは、無理矢理飲ませる。身体能力は大差ないが、私の方が荒事は得意なので何とかなる。

 こちらは実力をもとにした案なので、実行すれば確実に成功するだろう。

 問題は、コトを終えた後、はたしてユウキさんの心を繋ぎ止められるかどうかである。

 ユウキさんが被虐趣味だったらよかったんだけどなあ。

 まあそれはそれとして。


 メイドが持ってきたこの薬。

 試したところ、やはりというか何というか、媚薬だった。


 これでユウキさんを手に入れろということらしい。

 身体だけ手に入れても仕方ないんだけどなあ、とは思うが、それはそれとして、身体だけでも欲しいと思う自分もいた。

 だって、ねえ。

 ユウキさんが私の付き人になってから、これでもかというくらい露骨に誘っているのにもかかわらず。

 ユウキさんは、頑なに、一線を越えようとはしなかった。


 不能の線も疑った。

 しかし、くっついたりしたとき、腰が引けるところを見ると、反応してないわけではなさそうだ。

 血塗れ竜に操を立てているのだろうか。

 しかし、以前囚人闘技場で見た2人の様子や、ユウキさんから聞く血塗れ竜の話などの印象から考えると、その線は薄そうである。


 強引な姿勢と、徐々に深く攻めることで、口づけ程度なら違和感なく受け入れられるようになってはいる。

 この関係のまま、ゆっくり、ゆっくり侵攻していくのも有効な手だとは思う。

 しかし、ビビスの側から薬まで出してくるとなると話は違う。

 あの変態公爵は、自分に得のないことは一切しないタイプだろう。

 私に“ユウキさんを落とせ”と指示してきた以上、何らかの裏があると思っていい。

 それがどんな狙いによるものかはわからないが――少なくとも、時間がたっぷりあるというわけではなさそうだ。


 ――やっぱり、使うしかないか。

 嫌われないよう、しかし身体は手に入れる方針で。 


 

 結局、最終案としては。

 飲み物に混ぜて、そのまま飲めばそれで良し、飲まなかったら強引に、という折衷案でいくことにした。


 メイドを追い出してからしばらくして。


 ユウキさんがやってきた。

 始まるのはいつもの会話。

 適当な雑談に始まって、気付けば互いの距離を測り合っている。

 私は近付こうとして、ユウキさんは離れようとしている。

 これはこれで緊張感があって楽しいのだが――やっぱり、もっと近付きたいよ。


 私は、ユウキさんがいれば、あとは何も要らない。

 こんなに誰かを欲しいと思ったことなんて――母国にいた頃ですら一度もない。


 

 ああ、そういえば。

 ユウキさんに、私の昔話をしたことは、なかったっけ。


 

 単に思い至らなかったのか、それとも気を遣ってくれたのか。

 ユウキさんが私の過去に触れようとしたことは一度もなかった。

 正直、思い出したくないこともたくさんあるし、助かっていたといえばその通りだ。

 でも――知って欲しいという想いも、少なからず、あった。

 ユウキさんには、私の全てを知っておいてほしい。

 だって、これから私のものに、なるんだし。


 正直、退かれるかもしれない。

 帝国の一般的な女の子がどのような生活をしているのかは知らないが、それとはかけ離れていると断言できる。

 でも、血塗れ竜みたいな変わった娘を受け入れられるのだから。

 きっと、私のことも、受け入れてくれるよね?


 


 


 私には、名前がなかった。

 一番古い記憶の頃から、私の呼び名は番号だった。

 大人はいつも、私のことを番号で呼んだ。それが当たり前だったので、疑問に思うことなどまず無かった。

 起床し、食事を取り、日課をこなし、就寝する。

 その中には名前の必然性はなく、個体の識別できる番号さえあれば、それで充分だった。


 帝国に比べると人口や国土は劣るものの、抜群の技術力を誇る王国。それが私の母国である。

 その技術力は、ある時期から特殊な方向に突き進み、私の所属していた研究所は、その最先端だったそうな。


 

 ――私は、そこの被験体だった。


 

 色々な薬を投与され、様々な手術を施された。

 私が生き残ったのは運でしかなかった。

 5歳の頃にはたくさんいた友達も、10歳のときには片手にも満たなかった。


 そんな環境で育ったにもかかわらず、私が自我を保てたのは、投与された薬の相性としか言えないだろう。

 他の子ども達は、廃人か植物人間か無我人間のどれかだった。

 そのみんなが、少しずつ、少しずつ数を減らしていって。

 そんな中でも、私は確実に、生き延びていた。

 13歳くらいからは、耐久実験と咀嚼訓練の繰りかえしだった。

 身体もだいぶできてきて、あらかたの刺激には耐えられるようになって。

 私は、数少ない“成功例”として、より高次の完成を目指すことになった。


 そこで出会った存在のせいで、色々、本当に色々あったのだけど――今は、思い出したくなかった。


 そんなこんなで、毎日身体を切り刻まれて、毎日色々なものを噛まされて、私の少女時代は過ぎていった。

 あ、今でも充分に少女だから、そこらへんは誤解しないでね。


 外見の成長が止まったのは14のとき。

 飢餓状態で脂肪が多少は増減するものの、筋肉や骨格が変化することはなくなった。

 身体が完全に“生き延びること”に特化されたおかげで、それ以外の機能は残らなかった。

 成長することや――子供を産むことは、私が生き延びる上では不必要なものだったらしい。

 それから2年間、変わらない身体のまま、ひたすらに身体を虐められた。

 感覚は鈍麻し、全てがどうでもよくなって。


 そして、ちょっぴり、嫌なことがあって。


 私は、国を出ることにした。


 研究所の所員や警備員を全員喰い殺し。

 妹分も喰い殺し。

 立ちふさがる連中全員、喰い殺して。

 私は、母国を後にした。


 とにかく――あの国で死にたくなくて。

 せめて、他の国で死にたいと思い。

 帝国に、密入国した。

 技術力こそ劣るものの、豊富な人口と資源を誇る帝国なら。

 私を殺せる人間が、いると思ったから。

 だから、囚人闘技場に来ることに抵抗はなかったし。

 自分から、それを望みもした。


 そう。私は死ぬつもりだったのだ。

 実験段階で、自殺することができない身体にされてしまい、自分じゃどう頑張っても死ぬことができなくて。

 燃費の悪い特殊な身体は、常に空腹を訴え続けて。


 囚人闘技場に来て、さあこれから、というところで。


 ――ユウキさんと、出会った。


 


 


「あ、でも、別に研究所で育ったことが不幸だったとか、そんな風には思ってないよ?

 あそこのおかげで、少なからず恩恵も受けられたし。

 美味しいものをたくさん食べてもお腹一杯にならないし。

 妹分も喰い殺しちゃったから、それこそ何を食べても大丈夫になることができたし。

 体も丈夫になったから、病気とも無縁だしね!

 ……それに、妊娠しない身体だから、ユウキさんも気兼ねなく中出しできるよ?」


 そう言って、向かいに座るユウキさんを見上げようとしたら。


 肩を掴まれ、半ば強引に抱きしめられた。


 え?


「……もう、いいです。それ以上は、言わなくても」

 ユウキさんの声は、何故か絞り出すような感じで。

 ……あれ? おっかしいなあ。退かれるかもしれないかとは思ったけど、こんな反応は予想外というか。

 そりゃあ、ユウキさんは優しいし、表向き、嫌な表情は出さないとは思ってたけど。

「あ、あのさ、ユウキさん? 私、別に悲しくなんてないよ?

 だから、こう、抱きしめるのは場違いというか、えっと、その」

「……アトリ。貴女にとってはそうかもしれません。

 でも、僕がこうしたいんです。だから――許してください。

 こうすることを。――それと、貴女の決意を消してしまったことを」


 あ。

 そうか。

 つまり、ユウキさんは。


 私に、謝りたいのかな。


 私が、本当は死にたかったことに気付いて。

 それを、ユウキさんを求める気持ちへとすり替えてしまったことに対して。

 罪悪感を覚えているのかな。

 ……ユウキさんはお人好しだなあ。

 私が、勝手に、貴方のことを好きになっただけなのに。

 それに対しても、自分の責任にしちゃうなんて。


 そして、抱きしめることで、私のその想いを強くさせて。

 ――二度と、死にたいと思わせないようにするなんて。


 この優しさは、毒だ。

 心を甘く殺す毒。

 ユウキさんの毒に、私はもう殺されている。ああ、だから死にたい気持ちが無くなったのか。


 

「え、えへへ。ちょっと変な話しちゃったよね! ご、ごめんね、ユウキさん!」


 半ば強引に彼の腕を振り払い、椅子から逃げるように立ち上がる。

 そしてそのまま壁際へ。


「な、長話して喉が乾いちゃったから、水でも飲むね。ユウキさんにも注いであげるよ!」

 そう言って、棚の上の水差しに手を伸ばす。


 やばい。

 もう、我慢できない。

 身体が甘く痺れている。


 はじめて。

 ユウキさんの方から、抱きしめてくれた。


 かちゃかちゃと、水差しの口が震えている。

 コップに水を入れるのが難しい。

 うああああああ。頬が緩むのを制御できない。胸の奥が熱く燃えさかっている。頬はきっと真っ赤なんだろうなあ。

 欲しいよ。欲しいよ。ユウキさんが、欲しいよ。


 ユウキさんに背を向けながら。

 懐から小瓶を取り出して、蓋を開ける。

 本当は、もっと準備を整えてから、飲ませるつもりだった。

 薬を入れた方のコップは、薄れた亜麻色が浮かんでいる。注視すればおかしいと気付かれてしまうだろう。

 でも、もう、我慢できない。

 多少不自然でも気にしない。

 とにかく、一刻も早く、ユウキさんにこの薬を飲ませたい。

 そして、さっきみたいに、抱きしめてほしい。


 

「はい、ど、どうぞ」

 目を合わせられない。視線を背けたまま、ユウキさんにコップを差し出し、自分はコップの中身を一気飲みする。

「ありがとうございます。……ん?」

 ユウキさんが、コップの中身を見た、やや眉をひそめる。

 ただの水のはずなのに色づいていることに疑問を覚えたようだ、。

 やっぱり、強引すぎるかもしれない。

 だけど、今更、引き返せない。

「ほ、ほら、ユウキさんもぐいっといっちゃってよ!」

 今更のように緊張してきた。上手く言葉を紡げずに、少々たどたどしく水を勧める。

 ユウキさんはこちらのコップに視線を送ったが、それは既に空である。中身の確認はしようがない。


 そして、こちらが慌てているのも、嫌な話をした直後だからと好意的に解釈してくれたのか。

 ユウキさんは、結局、何も異を唱えることなく。


 水をそのまま、飲んでくれた。


 


 


 


 


 

 この扉の向こうに、ユウキがいる。

 いままでずっと会えなかったユウキ。

 でも、もうすぐ、会える。


「それでは、入りましょうか」


 血塗れ竜をここまで連れてきたトゥシアが、そう言ってきた。

 ここまで来て引き返す気なんて、少女には欠片も存在しなかった。故に、無言で頷きを返す。

 ――もうすぐユウキに会える。

 期待と興奮で、頭に血が上っていた。轟々と耳鳴りがする。気を抜けば気絶してしまいそうだ。

 そして、トゥシアがゆっくりノックをし、扉を開けた。


 

「ユウキっ!」


 

 我慢できずに、扉に体当たりするように、部屋の中へと駆け込んだ。

 扉の正面にユウキはいない。

 直ぐさま視線を巡らせて、ユウキの姿を探した。


 ――いた。

 ユウキだ。

 会いたかった。

 そして、愛して欲しかった。

 ずっと会えなかった鬱積が、ようやく晴れようと――


 

「――え?」


 

 ふと、素朴な疑問が、浮かんだ。


 ユウキは、どうして、裸なの?


 ベッドの上で。

 こちらに見向きもせずに。

 誰かを、裸で、抱きしめていた。


「……ユウキ?」


 声をかける。しかし、返事はない。

 ユウキはひたすら、誰かを抱きしめて、身体を上下に揺らしていた。


 興奮で麻痺していた聴覚が、だんだんと元に戻り始める。

 聞こえてくるのは、湿った音と、女の声。


 あれ、この声、聞き覚え、ある。


 どこで聞いたんだっけ。

 頭が上手く働かず、ただ呆然と、ユウキが動く様を見る。


 ユウキ。ねえ、なにしてるの?

 抱きしめてるのは誰? どうして、私じゃないの?

 ずっと会いたかったのに。

 どうして、私の方を、向いてくれないの?


 

 よく見れば。

 ユウキ・メイラーの目は血走り、通常の状態ではないことは明らかだったが。

 それに気付けず、血塗れ竜は、目の前の睦み事を、ただ呆然と眺めていた。


 

 そして。

 ユウキと“誰か”が行っている現在の行為が。

“愛し合う”ことなのだと、本能的に、理解した。


 

 思い出した。

 こいつ、闘技場で会ったあの女だ。

 自分に向かって“貴女は、ユウキさんに見捨てられたんですよ”と妄言を吐いた女だ。


 こいつが。

 こいつが、ユウキを、奪ったのか。


 


 

 ――殺してやる。


 


 


 


 


 

 ユウキさんが、暴走する感情の赴くままに、私を荒々しく抱いていた。

 身体が丈夫でよかったと心の底から思っている。だって、こんなにも熱い想いを、余すことなく受け止めることができるのだから。歓喜で全身が溶けてしまいそう。

 きもちいい。

 すっと、こうしていたい。

 ユウキさんの腕が、力強く私のことを抱きしめている。

 これだけで、心臓が止まってしまいそうなくらい、嬉しかった。


 

 と。


 

 こんこん、とノックの音がしたかと思ったら。

 返事をする間もなく、扉が開いた。


 否。開くだなんて生やさしいものではなく。

 ぶち破らんとするかのように、勢いよく、扉が開け放たれた。


 入ってきたのは、2人。

 ひとりは、先程のメイドと同じ衣装のメイド。

 そして、我先にと突入してきたもう一人は。


「ユウキッ!」


 血塗れ竜だった。


 こちらを見て、信じられないものを目の当たりにしたかのように目を見開いている。

 浮かぶ表情は驚愕以外の何物でもなくて。

 それには少なからず、羨望も含まれていて。


 突然入ってきた連中への驚きや、

 情事を見られたことによる羞恥はこの際どうでもいい。

 何より。

 ひとつ、大事なことを確信できた。 


 

 私は、血塗れ竜より先に、ユウキさんの身体を“手に入れた”のだ。


 

 血塗れ竜が殺気を隠さず睨み付けてくる。

 それすらも、今は、心地よかった。


 私のことを殺したいの、血塗れ竜?

 でもね、私も、あんたのことを殺してやりたいの。

 身体は手に入れたけど、心はきっと、あんたに向いたままだから。


 

 ――だから、喰い殺してあげる。

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