第8話 美女


「ほら、ここはアンタのおごりだ。好きなの頼め」

「そうですか――って、あれ?」

 何かおかしくないか? と思った直後には、言い出しっぺが果実酒を頼んでいた。

「あー。それじゃあ、エールをお願いします」

 駆けつけ一杯。

 これからする話は、あくまで酒の席で出てしまった話。

 そう言われたからには、まず何かしら飲まなければ。

「なにションベンなんか頼んでるんだよ。

 あー、マスター。この店で一番強いやつ頼むわ」

「ちょ、自分は果実酒のくせに何言ってるんですか!?」

「うるせえよユウキ。とにかく飲め。いいから飲め。

 ――でないと、真面目な話を始められん」


 真面目な話なのにお酒を入れるのはどうかと思うが。

 まあ、それがこの人の流儀なのだから仕方がない。


「でも、ひとつだけいいですか?」

「あん? 何だよ」


「なんで、ゲイバーで真面目な話をしなくちゃいけないんですか!?」


 

 ――ゲイバー“ナインテイル”。

 帝都中央南部に位置するこの店は、今日も今日とて出会いを求めた同性愛者が集っていた。


 

「いや、だってここ、アタシの行きつけだし」

 届いた果実酒をぐい、と軽くあおってから、あっけらかんと言い放つ。

「ノーマルの僕が来たら、他の人に失礼な気もしますが……」

 こちらはロックをちびりと含む。うへえ、キくなあ……。

「いーんだよいーんだよ。

 だってお前、後ろは開通済みだしな」


 吹いた。

 ああ、お店の人、ごめんなさい。


「あらあら、ユウキさん、経験済みだったんだ。

 悔しいなあ。私がはじめてを貰いたかったんだけど」

「残念だったなマスター。こいつの尻はアタシが掘削済みだ」

「ちょ、大声で何言ってるんですか貴方は!」

「えー。でもお前の尻掘ったのは本当じゃん」

「思い出させないでください」

 グラスを一気に傾ける。かあっと顔が熱くなるが気にしない。っていうかやってられない。


「しっかし、帝都でも噂の美青年、ユウキ・メイラーの初めての相手が、まさか“銀の甲冑”とはねえ」


 ああああああああ。

 噂にならなければいいけど……。


「なに、しけたツラしてんだよ。

 アタシ行きつけの店なんだから、そうおしゃべりなマスターでもねえよ」

「うんうん。信用してくださいな」


 いや、僕は貴女の心配をですね……。


 って、いちいち心配する必要もないか。

 僕の先輩で、今は帝都近衛隊の隊長を務める、“銀の甲冑”ことアマツ・コミナトは、

 多少変な噂が流れたところで、その名声が曇ることなんて有り得ないだろうし。


 見目麗しき美女としか言い様のないこのお方。

 甲冑を着込んでいるときは、冷静沈着な近衛騎士なのに。

 ひとたび鎧を脱いでしまえば、たちまちエロ中年親父風美女になってしまうから驚きだ。

 ちなみに趣味はゲイバー通い。

 アマツさんは男性ではないが、とある事情から、ゲイバー側も拒否することはない。


 

 まあそれはそれとして。


 

「それで……いきなり仕事上がりに引っ張ってきて、用件は何なんですか?」

「ああ、それなんだがな。ちと、お前の耳に入れておきたいことがあるんだ」


 


 


「“怪物姉妹”、ですか?」

「ああ。姉が血塗れ竜と、妹が異色少女と、それぞれ戦うことが決まった」

「はあ。……でも、それをどうして僕に?」

 僕は白の付き人だが、対戦相手が誰であろうと大して気にならなかったりする。

 何故なら、白は、誰にも負けないだろうから。

 彼女の強さは――僕が一番、知っている。

「その姉妹なんだがな。ちと出所がよろしくないんだ。

 お前、ビビス領の、イナヴァ村って聞いたことあるか?」

「……イナヴァ? ――って、“あの”イナヴァですか!?」


「ああ。30年ほど前まで戦闘諜報員の名産地だった、イナヴァ村だ」


「でも、あの村は……もう、潰れてたはずですよね?」

「謀反の疑いを引っかけられてな。

 まあ、戦争が終わって久しいんだから、それくらいは仕方ない。

 問題は、村人は細々と生き残っていて、今でも怪物作りに余念がなかったってことだ」

「…………」

 ごくり、と唾を飲み込んだ。

「で、半年前にビビス公爵が生き残りを発見して、秘密裏に潰すことになってたらしいんだが。

 ――そこで、イナヴァ村の連中、ある取引を持ちかけたそうだ」

「取引……?」


『自分たちはまだまだ使える。

 この姉妹で、確かめて欲しい』


「だってさ。ビビス公爵のサドっ気を刺激した、いい取引だと思うぜ」

「……それは……あの方なら、断らないでしょうね……」

「で、ビビス公爵が出した条件が、最強の囚人、血塗れ竜に勝つことだそうだ。

 妹の方の相手は未定だったんだが、先日丁度いいのが現れたから、ぶつけてみることになった、と」

「なるほど……」


 村の存亡を賭けての試合、か。

 それは、きっと死に物狂いで挑むだろう。


「で、だ。連中としては、血塗れ竜には絶対に勝ちたい。

 しかし、その強さは嫌というほどわかってるだろう。

 だから――勝率を上げる努力をしてくる可能性が高い」

「努力?」

 首を傾げつつも、おぼろげながら、ピンときた。


「血塗れ竜の弱点探し、だよ。

 都合の良いことに、王者のことをよく知る付き人がいるしな」


「だから、気を付けろ、と?」

 確かに、僕は白の強いところも弱いところも知っている。

 そう簡単に漏らす気はないが、油断はできない。

「ああ。でもまあ、流石に王者の付き人を拷問にかけるだとか、そこまではしないだろうが――」

 と。

 アマツさんはそこで何故か、一息区切って。


 

「――連中、ベッドの上も達者らしいぞ。

 諜報員として、かなり仕込まれてるみたいだ」


 

「……はい?」

「だ、か、ら、夜の拷問だよ。ベッドの上で色々吐かせるのとかが、とんでもなく上手いらしい」

 情報とか溜まってるのとかな、と。

 エロ中年親父風美女は、ニヤニヤ笑ってのたまった。


 ……真面目に聞いて損した気分だ。

 しかし、用心はした方がいいかもしれない。

 手段はどんなものでも、それが白の不利益になるのであれば、絶対に避けないと。

 ただでさえ、白は右腕を負傷しているのだ。

 あの白が負けるとは思えないが――大怪我してしまうかもしれない。


「教えてくれてありがとうございます。

 お礼に、アマツさんの分も僕が払いますよ」

「へ? 最初からそう決まってたじゃないか」

「……まあ、いいですけど」


 


 


 外は、すっかり暗くなっていた。


 ――少し飲み過ぎた。

 足下がおぼつかない。

 アマツさんは、あれからいくらか飲んだ後、本当に僕払いにして、そのままさっさと帰ってしまった。

 怪物姉妹の名を聞き忘れたが、とりあえず身辺に気を付けていれば充分だろう。


「うー。ぐらぐらする……」


 しばらく夜風に当たって頭を冷やすかな。

 どこか一休みするのに良い場所はなかろうか、ときょろきょろ周囲を見回していたら。


 ふと。

 一人の女性が、目に付いた。


 髪は腰まで伸びた純粋な漆黒。

 流れるようなその美しさに、思わず息を呑んで立ち止まる。

 服も黒く、隙間に見える白い肌が艶めかしい。

 高めの身長。きっと、背伸びすればこちらと同じくらいになるだろう。


 長身の黒髪美女が、夜の街に、一人佇んでいた。


 その表情は、どこか不安げなもので。

 垂れ目気味の穏やかな目元を、心許なそうに歪めている。


 何か困っているのかな、と。

 お酒で少々気分の良くなっていた僕は、ひょこひょこ近づき、気軽に声をかけていた。


「あの、何かお困りですか?」

「――っ!? わ、わたしは、お小遣いなんて持ってませんよ!」

「……はい?」


 …………。

 変な人に、声をかけてしまったのかもしれない。


 


 


「本当にすみません!

 せっかく親切心で声をかけて頂いたのに、私ったら、追い剥ぎさんと勘違いしちゃうだなんて」

「気にしなくていいですよ。

 よくあ――ることではないと思いますが、まあ、不慣れな場所では仕方ないでしょう」

「……そう言って頂けると、助かります……」


 女性が、ションボリと頭を下げる。

 顔や佇まいはとても大人びているのに、出てくる言葉は子供っぽい、不思議な人だった。

 最近、帝都にやってきたらしく、入り組んだ南部の街並みに吸い込まれて、見事迷子と相成ったそうである。

 ……僕より年上に見えるんだけどなあ。


「宿は、中央西部の“オックス”でいいんですよね?」

「はい。セっちゃんが確かに、そう言ってました」

「妹さんとは、どのあたりではぐれたんですか?」

「えっと……んっと……店がですね、こうずらーっと並んでて、猫さんがニャーと鳴いていたところで」

「……迷ってないといいですね、妹さん」

「大丈夫ですよー。セっちゃん、私なんかと違って、迷子になったことなんて一度もないんですから。

 ……私は、3日に一回は迷っちゃいますけど」

「そうですか……」

 なんというか、見た目は随分美人なのに、中身は妙にアレである。

 酔った頭では上手く形容できないが――まあ、アレだ。


 

 そのまましばらく。

 夜道を二人で歩きながら、どうでもいい世間話を適当に繋げていた。

 しかし、見れば見るほど美人である。

 こんな人の隣を歩けるなんて、今宵の自分は運が良い。

 酒の席に誘ってくれたアマツさんに感謝せねば。

 先程から話に何度も出てくる妹――セっちゃんとやらも、姉がこれなら十二分に美人だろう。

 美人姉妹、か。世の中には色々な人がいたもんだ。


 


 

 やがて、彼女が泊まっている宿に辿り着く。

「ああ、ここですここ! 本当にありがとうございました!」

 きゃいきゃいとはしゃいでいる。無事に帰れたのがそんなに嬉しいのだろうか。

「初めてセっちゃんに連れ戻されずに帰ることができました!」

 ……妹さんには、深く同情しよう。

「じゃあ、僕はこれで」

 そう言って、帰ろうとするが。


「あ、お礼にお茶でも如何ですか?

 なんというか、私の感動の第一歩を手伝ってくださったのですから、

 その、何もせずに帰すというのは私の沽券に関わります!」


 気にする沽券があったのか、と言いそうになって慌てて口をつぐんだ。

「……いえ、お構いなく」

「いえいえ! 何もせずに帰すというのは故郷の名折れ!

 ――そうだ! でしたら今度は私がお送りします!」

「お茶を頂いていきます」

 即答した。


「そうですか。それではどうぞー」

 にこにこしながら、女性は宿の中に入ろうとして――そこでふと振り返った。


 

「そういえば、自己紹介がまだでしたよね。

 ――私、ユメカっていいます。送ってくださって、本当にありがとうございました」


 

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