怪物姉敢闘記(後)

 

 

 朝。

 見慣れた天井がぼんやり映る。耳には小鳥のさえずりと、炊事場の方から物音が――

「――音?」

 大きな欠伸をひとつ漏らし、ユウキはベッドから起きあがる。

 執政官秘書に就く際に、新たに与えられた寮の一室。

 学生の頃の寮とは違い、食堂などはなく、各部屋に炊事場が設けられている。

「……まさか、ユメカさんが料理してるとか?」

 寝起きの頭は昨夜の記憶を上手く引き出すことができない。

 この家に無断で入ってくる人物といえば、謎の多い女性――ユメカくらいである。

 とはいえ、ユメカの人物像と料理という行為は全くもって結びつかない。まさかとは思うが、台所でいかがわしい行為でも――と勘ぐってしまう程度には頭が回っていない。

 まあ、誰かが何かをしているのは確実なので、とりあえず見に行ってみるしかない。

 

 と、思ったら。

 突然、物音は停止して、ぱたぱたという足音が聞こえてきた。

 

「あ、お兄さん。おはようございます。すぐに朝食にしますか?」

 

 黒髪の少女がにっこり挨拶。

 はて。これは一体どういう状況なのだろうか。

 

 …………。

 ……思い出した。

 

「――そういえば、うちに来てたんでしたっけ」

「? お兄さん、どうかしました?」

「いえ、何でもありません。

 おはようございます、セツノちゃん」

 

 ようやく目覚めてきた頭で現状を理解し、ユウキはセツノに朝の挨拶。

「朝食を作ってくれたんですか?」

 鼻をひくひくさせてみると、朝餉の良い香りが届いてくる。

「あ、お台所、勝手にすみませんでした。ひょっとして、ご迷惑でしたか……?」

 しょんぼりした子猫のように、弱々しくこちらを見上げてきている。

「いえ、いつも自分で適当に済ませてしまっているので、とても嬉しいです」

「そうですか! えへへ、慣れない台所だったけど、結構自信作なんですよ。

 お腹いっぱい食べてくださいね。おかわりいっぱいありますから!」

「朝はそんなに食べられませんけど……頑張りますね」

 苦笑しながら、何か手伝うことはないかと炊事場に向かおうとしたところで。

 

 

「ちょっと待ったあああああああああああああああっっっ!!!」

 

 

 どかん、と腰の後ろに重い衝撃。

 悲鳴を上げる間もなく、ユウキは床に押し倒された。

 

「何なのよ今の甘酸っぱい朝の会話はーっ!?

 セっちゃん、監視でここに来てるんでしょっ!

 甘いの禁止! 絶対禁止!」

 

 ユウキの腰にしがみつきながら喚いているのは。

 セツノの姉、ユメカだった。

 ああ、そういえばこの人もうちに来てたんだっけ、と。

 今更のように思い出した。

 

「ちょ、お兄さん、大丈夫ですか!?」

「は、はなをうひまひた……」

 

 心配そうに声をかけるセツノと、腰にユメカがひっついて起きあがれないユウキ。

 そんな2人にはお構いなく、ユメカは完全に己の道を突っ走っていた。

 

「ユウキさんもユウキさんです!

 セっちゃんは私に似てるから、こうムラムラきちゃうのは理解できます。

 でも、相手はお子様なんですからね! 毛だって去年生えたばかりなんですよ!」

 

「って何トチ狂ったこと叫んでるのよ馬鹿姉!」

「あれ? 今年だっけ?」

「ええい黙れ! あとユウキさんが起きあがれないからさっさと離れなさい! この! この!」

「あ痛、この、姉を足蹴にするなんて酷い妹!

 反撃したいけど両腕が封じられてどうにもならない!?」

「……いや、ユメカさんが僕の腰から手を放せばそれで済むのでは?」

「それはダメです」

「駄目なんですか」

「むしろ馬鹿姉が駄目すぎます……」

 

 こんな感じで。

 3人の朝は始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ時間を遡ろう。

 帝都中央西通りにて、姉妹の再会が為された際。

 やはりというか何というか、ユウキとユメカの関係を、セツノに問い質された。

 会話の節々から察するに、ユメカはどこかの特殊な機関に所属していて、その任務の途中らしいが。

 そのユメカとユウキが親しくなっていることについて、セツノは姉に説明を求めていた。

 

 ちなみにそのときユウキはこう思っていた。

(……いや、当事者がすぐ近くにいるときに、背後関係がわかっちゃう会話をするのはどうかと思うのですが)

 先程までは完璧に己の事情を隠し通していたセツノだったが、今はどうやら冷静ではない模様。

 まあそれはそれとして。

 そんなセツノに対し、ユメカはこう説明した。

 

「美味しそうだから食べちゃったの。えへ」

 

 それは冗談で言ってるのか、という表情をユウキとセツノは同時に見せた。

「えっとね、ちょっと失敗しちゃて、ユウキさんに運んでるものを知られちゃったの」

 この時点でセツノの顎は外れたかと思われるほど広げられた。

「それで、媚薬を興味半分で吸っちゃってたのもあって、口封じにユウキさんとしちゃったんだけど」

 この時点でセツノは地面に崩れ落ちた。

「それがね、すっごく気持ちよかったの!

 だから、ユウキさんには協力者として毎晩愛を交わし合って――あら? セっちゃん、どうしたの?」

「……こ」

「こ?」

 

「この、馬鹿姉がああああああああああああああっっっ!!!」

 

 見事な拳撃が叩き込まれた。

 その後、とんでもない姉妹喧嘩が勃発し、ユウキは命懸けでそれを止めることになったのは余談である。

 

 そして、セツノは裏路地でがみがみと姉を説教した後。

 ユウキが本当に協力者として信頼できるのかどうか当分監視すると言った。

 事情が事情だし仕方ないかな、とユウキはそれを了承したが、その後が問題だった。

 何でも、ユメカが任務を終えた後も帰ってこないことに心配したセツノは、

 何の前準備もないまま帝都に単身来ていたらしく、泊まるあてがないとのこと。

 それなりに金は持っているそうだが、中身はどんなに優れていても外見は普通の少女である。

 誰にも怪しまれずに滞在できる場所が、確保できなかったそうなのだ。

 そこでユウキが助け船として自分が保護者代わりになって宿を確保しようか、と提案したら。

 

「保護者代わりということなら、お兄さんの所に泊めて頂けないでしょうか?」

 

 と、そこに姉の猛烈な抗議や鉄拳が入り交じって。

 何故か、姉妹揃ってユウキの自室に寝泊まりすることになったのである。

 

 ……本当に、何故だろう。

 

 

 

 

 

 

 テーブルの上には、豪勢な朝食が準備されていた。

 高級そうなものではなく、田舎風な、素朴な印象がある。

 ユウキは特に高級志向といった面は持ち合わせていないため、素直な感想が口から零れた。

 

「美味しそうですね」

 

 と、約二名の表情が劇的に変化した。

 セツノは何故かそっぽを向いて、赤い顔で口をもごもご。

 読唇術の使い手なら、彼女が「い、田舎の料理しか作れなくて恐縮ですが」と言っていることがわかったろうが、残念ながらユウキにその技術はなかったので、はてなと首を傾げるのみ。

 

 そして。ユウキの死角にて表情を歪めるもう一人の女性。

 こちらの目は据わっており、どんよりと黒い気配を発している。

 彼女の口も何やらもごもごと聞こえない言葉を発しているが、その詳細はというと。

 

「セっちゃんずるいセっちゃんずるいセっちゃんずるいセっちゃんずるいセっちゃんずるい。

 私が家にいたときはあんなにたくさん作ってくれなかったのに酷いよセっちゃん。

 あのスープ美味しそうだなあ。サラダも瑞々しいし、きっと朝市で買ってきたやつだよね。

 なにこれ。なにこの贔屓っぷり。これは何か裏があるに違いないわ。きっとそうよ。

 じゃなきゃ、こんな気合いの入った料理なんて作らないもん。ユウキさんに美味しそうだなんて言われないもん。

 そうか、これは陰謀ね。セっちゃんは私とユウキさんを引き離すためにこんな手の込んだ料理を作ったのよ。

 そうよそうよそうに違いないわ。じゃなきゃ鳥肉の照り焼きなんて朝から作らないもん。

 私とユウキさんを引き離すためにしてるんだ。絶対そうだ。絶対絶対絶対絶対。

 だから防がなきゃ。ユウキさんを守らなきゃ。そうよユウキさんは私が守るの。守るんだから。

 ユウキさんは私が守る。ユウキさんは私のもの。セっちゃんには渡さない……!」

 

 

 聞こえていなかった2人は幸せだったかもしれない。

 まあそれはそれとして。

 ずかずかずか、とユメカはテーブルに寄り。

「姉さん、何を――」

 セツノが制止する間もなく。

 

 

「わ、私が毒味するんだから!」

 

 

 そう言って。

 がつがつがつ、と料理を凄い勢いで食べ始めた。

 

 

「…………」

「…………」

 大口を開いてテーブルの上の料理を詰め込むユメカを、呆然と2人は眺めていた。

 というか、どうしてユメカがこんな行動に出たのか、さっぱり理解できなかった。

 恐る恐る、セツノは姉に問いかけた。

「あー。えっと、お姉様? 毒味とはいったいどういう意味なのでしょうか?」

 ふがふがふが、とチーズをまぶされたパンを詰め込んでいたユメカは、妹の方へ振り返る。

 

「へっちゃんは、敵だから」

 

「はい?」

「んぐ……セっちゃんは、ユウキさんを疑ってる――どころか、排除した方が思ってるから。

 だってイナヴァ村からすれば、余計な情報が流出する原因としか見えないし。

 だから、セっちゃんがユウキさんを毒殺する可能性だって皆無じゃない。

 それを防ぐために、はぐはぐ、私がこうして、ごっきゅごっきゅ、毒味してるの。

 あ、この照り焼きの付け合わせ、美味しー。うまうま」

「ちょ、私がそんなことするはずないじゃないの!

 だいたい、姉さんから流出される情報って、大したもの無いし!

 今回の任務はただの媚薬の配達なんだから、姉さんろくな情報持ってないじゃない!

 それなのに民間人を口封じなんて馬鹿げてるわよ!」

「というか、セツノちゃんからの流出の方が激しい気もしますが」というユウキの呟きはスルーされた。

「嘘だ嘘だ嘘だーっ!

 セっちゃんはユウキさんを狙ってるに違いないんだから!

 セっちゃんみたいな田舎娘がユウキさんみたいな素敵な人に憧れるのはわかるけど、だからって毒殺して永遠のものにしようだなんて許さないんだから!

 気持ちいいこともできなくなっちゃうし! がつがつむぐむぐ」

「な、何を言いやがりますかこの馬鹿姉は!?

 たたた、確かにお兄さんは素敵な人だけど、毒殺なんてするわけないじゃない!

 頭の中にお花畑展開するのもいい加減にしてよね! あと田舎娘って姉さんもじゃない!

 ――っていうか、本気で全部食べる気!? 4人前は作ってあるのに!」

「……あれ? ここにいるのって3人ですよね?」と、どうでもいいことが気になるユウキだった。

「……あ、それは単に張り切り過ぎちゃっただけで……あわわ、そうじゃなくて!

 ああ姉さん!? デザートまで全部食べる気!? 体重気にしてたんじゃなかったの!?」

「ユウキさんを守るためなら、これくらい! あと甘いのは別腹だもん!」

「後半本音だよね!? 絶対そうだよね!」

 

 

 

 

 

 結局。

 妹が張り切って作った朝食を全てその胃に収めた姉は、満足そうな表情を浮かべて、そのまま床に倒れ込んだ。

「姉さん! 姉さん!」

「ふ……ふふ……セっちゃんに……勝っちゃったもんねー……」

「ああもう、この膨らんだお腹を全力で押したいなあ! うわーん!」

「泣かないで……セっちゃん。私は、私にできることをしただけだから……」

「確かに姉さんにしかできないことだけど! 天然も程々にしてよね!」

「私は……絶対に負けないんだから……ユウキさんは……私が……守るの……!」

「むしろ奪ってるから! 朝食とか!」

「あれ……なんだか眠くなってきちゃった……。……ごめんね、せっちゃん、私、もう……」

「姉さん? 姉さん!?」

 

「……おなか……いっぱいだぁ………………ガクリ」

「ふざけんなコンチクショーーーーーーッッッ!!!」

 

 こうして、姉は勝利を収め、後に語り継がれることになった。

 ――主に妹の苦労話として。

 

 まあそれはそれとして。

 空腹で出勤することと相成ったユウキに、セツノはすまなさそうに声をかけた。

 

「……あの、お兄さん。こんな駄目姉と一緒ですが、これからもよろしくお願いします」

 頭を下げるセツノがとても弱々しくて。

 ついユウキは、頭をぽんぽんと撫でて慰めるのだった

「あ……」

「こっちこそ、よろしくね、セツノちゃん。

 ……こんなことになってアレだけど、夕食もお願いして、いいかな?

 セツノちゃんのごはん、すごく美味しそうだったから」

「は……はい! 楽しみにしててくださいね! 明日はお弁当も作りますから! 絶対!」

 顔を上気させ拳を握りしめるセツノ。

 

 

 ふと。

 すやすやと床の上で大の字になっていたユメカが、再び口をもごもごさせる。

 

「うう~ん……セっちゃんの……泥棒猫さん……むにゃむにゃ」

 

 火種をひとつ残しつつ。

 ユメカ・ヒトヒラの敢闘は、幕を閉じるのだった。

 

 

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