怪物姉敢闘記(前)

 

 

 ユメカ・ヒトヒラと出会ってから、二十日が過ぎていた。


「ユウキさーん。えへー」

 むにゅ、と柔らかい感触が背中に押しつけられる。

 持ち主の美貌や甘い声とも相俟って、大抵の男なら陥落してしまいそうな快感だが。

「……勘弁してください」

 ユウキ・メイラーはげっそりした面持ちでそう呟いた。

「何をですかー?」

 むにむに、と背中で双丘が形を自在に変えている。反則的な柔らかさだ。

「あの……体力的な限界を軽く突破しちゃってるんですが」

「言ってる意味がよくわかりませんー。今晩もいっぱい熱いのくださいね」

 つい、と腰の裏を指が這う。

「……僕の記憶が確かならば、その台詞、1時間前にも聞いたんですけど」

「それはユウキさんが私を求めるあまり捏造してしまった幻想です。

 もう、可愛いんだから。そんな可愛いユウキさんにはたっぷりサービスしちゃいますね」

「ちょ……本当に無理……んあっ!?」

「ふふふー。ここであの熱いのが作られてるんですねー」

「……や、やめ……ユメカさん、やめて……あ……、――それ以上はまずいです!」

「ぐりぐりー。……あらあら、あんなこと言ってたわりには、ここはもう、こんなになっちゃってますけど?」

「……もう……勘弁してください」

「体は正直さんですねー。そして嘘つきさんにはお仕置きです。

 今晩は、まだまだ休ませないんだから……んちゅ」

「い、今、“まだまだ”って言った! さっき2回済ませたこと絶対覚えてますよね!?」

「ユウキさんのと愛の営みは絶対に忘れませんよー」

「言ってることが滅茶苦茶だこの人――って、ふあっ!?」

「ああもう、悲鳴まで可愛いんだからー」

 

 何というか。

 搾り取られる毎日だった。

 

 

 

 

 

「……ユウキ、だいじょぶ? なんかげっそりしてるけど」

 休み明け、執政省の通路で偶然出会ったサラにまで心配される始末である。

 とはいえ、何故疲れているのかなんて到底言えることではないため、ユウキは笑って誤魔化すのみ。

(半ば無理矢理)共犯関係にさせられたユウキだが、別段、彼自身が倫理的に逸脱するようなことは皆無だったりする。

 ユメカが要求してくることはただひとつ。

 仕事が終わった後、ユウキの自室でひたすら愛し合う。それだけだ。

 慣れない仕事で疲れて帰ったところで、ユメカの濃密な性行為に翻弄される毎日。

 生命力がガリガリと削られているのをユウキは自覚していた。

 

 ――しかし、共犯という立場になっている自覚は、全くもって存在しない。

 ユメカはことあるたびに、

「私とユウキさんは共犯ですからねー」

「死なば諸共ですよー」

「秘密を共有しちゃってるんです、えへへ」

 といったことを繰り返し言うが、さりとて犯罪行為を強制させられたことは一度もない。

 まるで熱愛中の恋人同士のように、毎晩性行為に勤しむだけ。

 重要なことは任せられないからなのか、それとも発覚した際ユウキを守るためなのか。

 それはさっぱりわからないが。

 

 ユメカは、いったい、何をしているのだろうか。

 

 

 

 

 

 とか何とか考え事をしているうちに、終業時間がやってきた。

「あ……上の空で仕事してしまいました」

 新人秘書だというのに、この体たらく。クロス執政官に申し訳ない。

 とりあえず今日の分の仕事は済んでいるため、このまま帰ることはできる。

 しかし、真剣にやっていたら、明日の分もそれなりに手を付けることができていたはず。

 私事はあくまで就業時間外が鉄則なのに、自分が情けなくなってくる。

「……帰りますか」

 クロス執政官に終業報告を済ませ、ユウキはそのまま帰宅準備を始めた。

 ――と。そういえば。

「サラに心配かけてたんでしたっけ。

 ……そういえば、お互い就任してからろくに話してないですし、食事にでも誘ってみますかね」

 サラとは学院生時代からの付き合いである。食事を誘うことに、今更抵抗を覚えたりはしない。

 

 

 そういえば。

 ユメカと会って二十日も経つが。

 ――彼女とは、一度も食事の席を共にしたことがないことに、今更のように気が付いた。

 

 

 

 

 

 サラは終わりきらなかった仕事と涙目で相対していたので、残念ながら食事は又の機会となった。

 なお、その旨を伝えた際、「こ、今度は絶対に仕事終わらせておくから! 絶対だから!」と息巻いていたが、

 こちらの奢りであることがそんなに貴重なのだろうか。そういえば、最後にサラと食事をしたのはいつだっけ。

 

 そんなことを考えながら。

 のんびりと帰路を進んでいたら。

 ふと、黒髪が目に付いた。

 

 帝国民の髪の色は金銀黒が主だが、帝都に多く見られるのは前者2つである。

 黒髪はどちらかといったら辺境の方に多く、中央では珍しい髪の色だ。

 ユメカが最初に連想されたのは、ユウキの中に彼女の印象が拭い去れないところまで染みこんだからか。

 

 それとも――黒髪の主が、ユメカにそっくりだからだろうか。

 

 まあ、何はともあれ。

 黒髪の少女を見たときに、ユウキは思わず立ち止まって見入ってしまった。

 だからだろうか。

 きょろきょろと辺りを見回していた黒髪少女は、ユウキに目を付け駆け寄ってきた。

 

「あの、すみません。道をお尋ねしたいのですが」

 

 驚いた。声までそっくりだ。

 思わずぽかんと口を開けてしまったユウキに訝しげな表情を見せる少女。

「すみません。貴女が知人と似ていたもので。それで、何処に行きたいのですか?」

「あ、えっと……中央西通りの……特徴的な形をした噴水に向かいたいのですが」

「特徴的な形、ですか?」

 いまいちイメージが湧かず、首を傾げてしまう。

「わ、わかりにくくてすみません……。

 ……あ、あと、ブチの野良犬兄弟が近くを縄張りにしているそうです」

「――はい?」

「……すみません、妄言です。忘れてください」

 何故か疲れた様子で溜息を吐く黒髪少女。

 とりあえずそれには触れないでおいて、ユウキは少女の目的地を自分なりに推察する。

 

「中央西通りに噴水は幾つかありますが、そんなに数は多くありません。とりあえず、通りまで案内します」

「そ、そんな! 悪いですよ! 道順だけ教えていただければ充分です」

「気にしないでください。このあたりは少し入り組んでいまして、慣れない人は迷いがちです。

 僕も心配で悶々とするのは嫌ですので、どうか助けると思って案内させてくれませんか」

「……あ、ありがとうございます。……お優しいんですね」

 後半は小声でよく聞き取れなかったが、案内することには同意してもらえたようだ。

 

 しかし、見れば見るほど、ユメカによく似ている。

 彼女を少しだけ幼くしたような感じである。中身はこっちの方が大人っぽいが。

 

 

 

 

 

「私、セツノっていいます。本当にすみません、お兄さん」

 

「待ち合わせしてるのは姉なんです」

 

 と、黒髪少女――セツノは言った。

 最近こちらに住むようになった姉を心配して会いに来たようなのだが、姉の情報伝達力の無さに絶望している模様。

「セツノちゃんは、しっかりしてるんですね」

「そ、そんなことないですよ! 姉が駄目すぎるだけです!」

 それはそれでどうかと思うが。

 

 しかし……セツノの話を聞いていて、幾つか引っかかることがあった。

 まず――セツノが、姉の住所を知らないこと。

 帝都は区画整理はそれなりに進んでいるため、大抵の建物には住所が割り振られている。

 引っ越した姉の住んでいる場所を知らないというのは、少々不自然ではなかろうか。

 それと――セツノの喋り方。

 注意して話の内容を吟味しないと気付けないが、彼女の出身地について、情報が欠片も含まれていない。

“田舎”“森がある”“川の水は綺麗”といった当たり前の情報こそ伝えてくるものの、地名や気候、果てには植生している草や野生の獣の種類まで明言していない。

 出身地を明かすことを禁じられているのだろうか。ここまで徹底しているのは、妙を通り越して異常である。

 そして何より気になるのが――セツノの語る、姉の特徴。

 何度聞いても。

 何度考え直しても。

 ――ユメカとしか、思えない。

 

 まさかとは思う。

 まさかとは思うが――

 

 

「ここが、中央西通りです。

 似た名前で、中間西通り、というのが近くにあるので、間違える人は多かったりします」

「そうなんですか」

「それで、噴水ですけど……手近なところでは、あの狸を模した形の像ですが――」

 あれは特徴的、というほどではないですね。と、言おうとしたら。

 

 

「あ、セっちゃん」

 

 

 聞き覚えの、ある声が。

 恐る恐る、声のした方を見ると――やはりというか何というか。

 

 ユメカ・ヒトヒラが、そこにいた。

 

 

「姉さん! 待ち合わせの場所、ちゃんと教えてよね!」

 固まるユウキには気付かずに、セツノはプンスカしながらユメカに文句を言った。

 それに対して、ユメカは不満そうに、

「えー。だって特徴的な形じゃない、この噴水。狸なんてイナヴァ村では見かけないし」

 噴水を指さしながら、そう言った。

 

 ――イナヴァ村?

 どこかで、聞いた覚えが……。

 

「ちょ、ま、名前名前!」

 慌てた様子で手を振るセツノ。しかしユメカは首を傾げるのみ。

「? 名前? 私の名前はユメカだけど、忘れちゃったの?」

「ボケるのも大概にしなさい!」

「? ――あ、ユウキさんだ!」

 慌てる妹など欠片も気にせず、ぱあっと表情に花を咲かせるユメカ。

 しかし、その表情はすぐに翳った。

 

「……あれ? なんで、セっちゃんが、ユウキさんと一緒にいるの?」

 

 言うなり、その場で何やら考え込む。

「え? 姉さん、このお兄さんと知り合いなの……?」

「“お兄さん”!? なにその気安い呼び方!」

「へ? いきなり何言って――」

 

「せ、セっちゃんの……」

 ずかずかずか、とユメカは足音荒く近付いてきて。

 

 

「……泥棒猫さん!」

 

 

 ズドン、と。

 セツノの鳩尾に拳が叩き込まれていた。

 

 

「…………」

 帝都中央の巨大学院で、様々な人間を見てきたユウキだが。

 

 妹に腰の入ったボディーブローを叩き込む姉は、初めて見た。

 

 

「お兄さんだなんて! 何その兄妹プレイ!

 私が今晩やろうと思ってたのに! 抜け駆けしちゃってずるいんだから!」

 ユメカはセツノの胸ぐらを掴んで、がっくんがっくん揺らしている。

 

 それを見ながら、ユウキはひとつの確信を得た。

 

 うん。変な姉妹だ。色々な意味で。

 

 

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