怪物姉発情記
「あれ、姉さん? なにそれ?」
ユウキ・メイラーの自宅にて。
掃除を終えてユウキのベッドの上でごろごろしていたセツノは、
何やら大量の荷物を抱えて“帰宅”してきた姉に気付き、声をかけた。
「ただいまー。ちょっと図書館で本借りてきたの」
「へー。……って、ちょい待った。身分証明はどうしたのよ」
ユメカとセツノは、帝国の暗部とも言える戦闘諜報員である。
戸籍は持っているものの、それを軽々しく明らかにすることは禁じられている。
当然、表の図書館で本を借りるために、なんてことは許されない。
面倒くさい規則だが、立場的には仕方ないことでもあるが――
「ユウキさんの使ったー」
ユメカはあっさりとそう言い、机の上に手提げ袋の中身をばさばさと放り出した。
「……間借りしてる身で使う姉さんも姉さんだけど、男の身分証で女に貸し出す司書も司書よね……」
セツノは半眼で溜息を吐く。
まあ、厄介事に使ったとかそういうのではなく、本を借りただけなのだから、目くじらを立てるほどのものではないのかもしれない。
「まあそれはそれとして、どんな本借りてきたの? 私にも見せてよ」
家事をする以外にはごろごろしているしかないので、セツノも基本的には暇だった。
「……しかしまあ、ずいぶんと節操ないというか、どういう基準で選んだの?」
物語や私記、技術書や絵本、果てには艶本まで、一貫性というものが見当たらない。
「適当に選んでみたの。どうせ暇だし、色々読んでみようかなって」
あっけらかんとユメカは言った。
まあ確かに、とセツノも頷く。
「次の任務は未定だしね。……とりあえず、これとこれと、あとこれ借りるよ」
ユメカが机の上に積んだ本を適当に見繕い、面白そうなのを数冊手に取った。
「……セっちゃん、そういうの読むんだ」
「む。いいじゃない別に。女の子が少女小説読んで何が悪いの?」
「いつもは『私、恋愛になんて興味ありませーん』って顔してるくせにー」
「べ、別に興味がないってわけじゃ……」
「ふーん。へーえ。ほーう。それもそっかー。ユウキさんに色目使っちゃってるしねー」
「そそそ、そんなことにゃいよ!?」
ちなみに、ユウキは出勤中である。
だというのに、この2人のくつろぎっぷりは。なんというか。
「セっちゃんの泥棒猫さん!」
「ああもう! 艶本でも読んでさない馬鹿姉!」
空が赤みを帯びてきた頃。
ユウキは自宅に向かってのんびりと歩いていた。
考えているのは、家で留守番している姉妹のこと。
喧嘩してないかなあ、とか、変なことしてないかなあ、とか、セツノちゃんの料理楽しみだなあ、とか。
明日と明後日は週末で休みを貰えたので、3人でどこかに出かけるのも良いかもしれない。
とか何とか。適当なことをつらつらと考えていたら、ふと、見覚えのある姿を見つけた。
向こうもこちらを見つけたようで、何やらもの凄い勢いで駆けてきた。
「セツノちゃん? 食材の買い出しですか?」
と、声をかけるも。
「お兄さん! こっち!」
焦った様子のセツノに、ぐい、と腕を掴まれて。
「ちょ!? うわあっ!」
そのまま強引に引っ張られて、裏路地の方に連れ込まれた。
「ど、どうかしたんですか?」
目を白黒させて訊ねるユウキに、セツノは切迫した表情で。
「お兄さん! 逃げて!」
その訴えに、ユウキの思考はクリアになる。
どう見ても緊急事態だ。ここで慌ててはいけない。
とにかく冷静に、事態の把握に努めるべきだ。
「――何があったんですか?」
「ちょっと予想外というか、ある意味予想通りというか……。
とにかく、お兄さんの身に危険が迫ってます!
ほとぼりが冷めるまで、ひとまず逃げるか、身を隠してほしいんです!」
荒事にも慣れているであろうセツノがここまで取り乱すとは、よほどの緊急事態に違いない。
セツノの所属する組織と敵対している何者かが、ユウキを人質にしようとしているのかもしれない。
荒事となったら、自分は完全に役立たずだ。専門家の意見に従うのが最善だろう。
しかし、セツノがここまで慌てるほどの相手とは、一体どれほどの存在なのか――
「差し支えなければ教えてください。僕なりに対策を立てられるかもしれません。
僕の身に迫る危険とは、何者ですか?」
ユウキのその問いに、セツノは数瞬ほど沈黙して。
こう、言った。
「――馬鹿姉が、発情期に入りました」
聞き間違いかな、と思った。
数秒ほど呆然としてから、ユウキは己の頬を抓った。
痛い。どうやら夢ではないらしい。
「えっと……発情期?」
ユウキの記憶が正しければ、人間には発情期はないはずだ。
犬や猫じゃあるまいし、発情期なんて……。
「はい。姉さんはある意味、お兄さんに対して年中発情期のようなものですが、
ちょっと今回は洒落にならないというか、お兄さんの命が脅かされるというか……」
待て。
ちょっと待て。待ってくれ。待ってくださいマジで。
いつも以上、ということなのか!?
ユメカが年中発情期というのは、ユウキも(失礼だとは思うが)納得である。
毎晩五回も六回も搾り取られれば、フォローしようという気も失せるものだ。
しかし――それを上回る、とは、一体どういうことなのか。
まさか二桁なのだろうか。それは流石に、生命の危機である。
絞り尽くされるとか枯れるとかを通り越して、死にそうだ。
「下手したら3桁に届いてもおかしくありません……。
戦闘訓練では2日ぶっ続けで戦い続けることもできる持久力の持ち主ですから。
……ちょ、お兄さん!? 気持ちはわかりますが気を確かに!」
危うく気絶しそうになったユウキを、がっくんがっくんと揺らして現実に立ち返らせるセツノ。
「す、すみません……。ちょっと絶望しちゃいました」
「姉が迷惑かけてます……」
「ああいえ、セツノちゃんが気にすることじゃありませんよ」
しょんぼりしたセツノを見て、咄嗟にユウキはフォローする。
頭を優しく撫でてあげると、セツノは一瞬にへらと頬を緩ませて、慌てて表情を引き締めた。
「と、とにかく! 姉さんが落ち着くまで、お兄さんはどこかに身を隠しててください!
知人の家に泊まらせていただくか、宿を取るかしてください。
必要経費は、私の貯金箱から出しますから……」
「いえ、そこまでして頂かなくても結構ですよ。
サラが自宅で酒を飲もうと言ってましたし、たぶん泊めてくれるかと――」
「サラ? 変わった名前の男性ですね」
「いえ、サラは女性ですが、学院生時代からの付き合いですから、多分気兼ねなく泊め」
「お兄さん、宿を取りましょう」
「え? いえ、ですからサラに――」
「当日にいきなりお邪魔するなんて迷惑ですって絶対!
馬鹿姉の不祥事でお兄さんの友人関係に影響を与えるわけにはいきません!
ですからここは宿を取って――そうだ、ご、護衛に私もご一緒します!
姉さんが実力行使に出たら厄介ですので! これで完璧です! こうしましょう!」
「え、えっと……?」
と、そんな話をしていたところで。
突然、セツノの表情が鋭くなった。
「――姉さんが来ました」
「え?」
「……静かに。呼吸は自然に、身体はできるだけ動かさないようにお願いします」
「……(こくこく)」
「現在、表通りの向こう側を走っています。
勘で動いてるんでしょうけど、姉さんの勘は馬鹿にできません。 見つかる前に移動して、近場の宿に潜り込みましょう」
「…………」
移動したら、気配とかそういうのでばれるのではないか、とユウキは思った。
その疑問を察したのか、セツノは安心させるように、
「大丈夫です。姉さん、戦闘以外はからっきしですから。
索敵も苦手なので、この距離なら静かに移動すれば気付かれません」
そう言って、通りの方をこっそりと見る。
つられてユウキもそちらに視線を向けると――いた。
露店で、何やら買い物をしているユメカの姿が、見えた。
(って、普通に買い物しているように見えますけど?)
(……いえ、よく見てください。姉の買おうとしてるものを)
(…………遠くて見えません)
(豚の睾丸と毒抜き蛇ですね。――精力剤の材料です)
(……要するに、いつも以上になる、と?)
(……多分、違うと思います。
先程も言ったとおり、姉さんの持久力は異常なので、ああいった類のものは必要ないでしょう。
アレは多分――お兄さんを自分と同じくらい保たせるためかと)
3桁、腹上死、といった単語が何故か浮かんできた。
まあそれはそれとして。
逃げなければ。
ユウキとセツノの意識は、ここで完全に一致した。
幸い、今のユメカは買い物に夢中になっている。
ブツの効果を想像しているのか、頬がだらしなく緩んでいるのが遠目からでもよくわかった。
今のうちに。
言葉に出さずに、目を合わせて、ユウキとセツノは頷きあった。
そしてそのまま、できる限り音を立てないように移動する。
幸いなことに、ユウキはこの辺りの地理に詳しかった。
即座に身を隠せる宿も、少なからず心当たりがある。
ひとまずそこに退避して、今後の対策を練るべきだろう。
そう、思ったが。
セツノもユウキも。
ユメカの勘を、甘く見ていた。
「ユウキさん、見つけたー!」
ぎくり、と2人の動きが止まる。
氷漬けにされたかのように、その場で彫刻の如く固まる2人。
ひた……ひた……と足音が近付いてきている。
「ユウキさんユウキさんー。お仕事でお疲れですよねー?
ですから、その疲れを私が吹っ飛ばしてあげますよー。
さっき読んだ本によりますとね、体力の続く限りえっちなことをすれば、翌日は気力満タンになるそうで」
吹っ飛ぶのは命ではなかろうか。
少なくともユウキの身体は、丸二日性行為を続けて無事でいられるほど丈夫にはできていない。
しかしそんなユウキの考えなど全く関係なく、やる気満々で近付いてくるユメカの気配。
(……お兄さん。私が時間を稼ぎます。その隙に……!)
(そ、そんな!?)
(大丈夫。負ける気なんてありません。きっと姉さんをやっつけますから。
――だから、この戦いが終わったら、私のお願いを、ひとつだけ、聞いてください)
(セツノちゃん……!)
目頭が、熱くなった。
「――さあ行って、お兄さん! 大丈夫、すぐに追いつきますから!」
叫んで、姉と対峙するセツノ。
ユウキは涙を堪え、その場を駆けだした。
背中に届くのは、振り返るのも恐ろしい殺気の嵐。
どうか無事に――そう祈りながら、ユウキは裏路地を、駆けた。
その日。
帝都中央の裏通りにて。
怪物同士がぶつかり合ったかのような戦闘があったと噂されるが。
真偽のほどは定かではなく。
いつしか、人々の記憶からも薄れていった。
「……畜生……エロ姉め…………ガクリ」
そして。
最終的には13時間で許してもらえた。
臨死体験というものを生まれて初めて体験したユウキだった。
結局、そのまま動けなくなってしまったので、
週末はベッドの上で過ごすことになってしまった。
ぐったりするユウキと、健康に良い料理を一生懸命作るセツノ。
そして。
ベッドの上で灰の如き抜け殻になっていたユウキに、明るい声がかけられる。
「ユウキさんユウキさーん。
この本によりますと、超回復といって、肉体は限度を迎えると、耐久力がより一層アップするみたいで」
「……ユメカさん」
「はい?」
「読書禁止」
「そんな!?」
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