怪物妹豊胸記(前)

 日差しがじりじりと肌を焼いている。

 見上げれば眩しい太陽。

 眼前に広がる白い砂浜、青い海。

 海鳥が空で歌っている、絶好の海水浴日和である。

 

 ユウキ・メイラーは灼けるような日差しに目を細めながら、大きく伸びをした。

 執政省で働き始めてから早4ヶ月。

 夏の休暇を与えられたユウキは、悩んだ挙げ句、海に来ることにした。

 帝都から馬車で丸一日はかかるところにある、行楽都市テシヤ。

 宝石箱のような海で名が広まっており、夏は大人気の旅行先である。

 しかもその一等地。海は特に綺麗で、海水浴場持ちで完全予約制の宿を、取っていた。

 正直、安くはなかった。

 しかし、職場の先輩の紹介もあり、一念発起して、この海に来ることを決意したのだった。

 

 

「ユウキさーん。お待たせしましたー」

「お兄さん、よ、よろしくお願いします……」

 

 ――ユメカ、セツノと共に。

 

 

「うわー。綺麗な海ー。ユウキさん、泳ご、泳ご!」

 ぐいぐいとユメカが腕を引っ張る。

 淡い緑の水着を着たユメカは、まるで童女のようにはしゃいでいる。

 帝都に住んでいたら縁のない海を前にしたからか、それともユウキと一緒にお出かけだからか。

 どちらにしろ、身体全体でその喜びを表している。

 その身体は水着で隠されているところ以外は、惜しげもなく陽光に晒されていた。

 こんな日差しの中に晒してもいいのだろうかと心配してしまうほどの白い肌。

 その弾力性は毎晩(無理矢理)味わわされてるが、それでも思わず喉が鳴ってしまうほど艶めかしい。

 これで妖艶な笑みでも浮かべてみせれば、海に散らばる男達を、軒並み落としてしまいそうだが、今のユメカは妖艶とは全く無縁の、健康的な美しさに溢れていた。

 それはきっと、彼女の全身から溢れ出る「楽しんでますオーラ」によるものなのかもしれない。

 

 どうやら、喜んでもらえたようだ。

 ユメカと知り合ってから4ヶ月。セツノも併せた同居は3ヶ月。

 怪しげな諜報員姉妹だが、ユウキにとっては居て当たり前の存在になっていた。

 2人には色々世話になっているからこそ、こんなお高い旅行も決意できたのだ。

 この旅行、2人には特に楽しんで欲しいものだ、とユウキは思っていた。

 特に、毎日三食、美味しい手料理を振る舞ってくれるセツノには、普段の仕事を忘れて、楽しんで欲しい――

 

「――って、あれ? セツノちゃん?」

 

 姉はこれでもかというくらいはしゃいでいたが。

 妹の方は、姉のようにはしゃぎ回ったりせずに、俯いてじっとしていた。

 ユメカの水着のインパクトで気付けなかったが、セツノは水着姿ではなかった。

 上に大きなタオルを巻き、生足だけが伸びている状態だ。

 下はおそらく水着だろうが、タオルにくるまれていてわからないため、生足が妙に視線を惹きつける。

(って、年下の女の子に何変なこと考えてるんだ僕は!)

 頭を振って煩悩を打ち払う。

 そして、セツノが黙って己の体を隠す理由を考える。

 海が気に入らない、というわけではないだろう。

 この旅行の件を打ち明けたとき、セツノも言葉には出さなかったが相当喜んでいたと思う。

 しかし、現状ではそうは見えず、顔を赤くして俯いて、タオルで全身を隠している。

(ん? 顔を赤くして?)

 よくよく見てみれば、セツノの頬は赤く染まっていた。

 ひょっとして――

 

「体調が悪いんですか?」

 

 ユウキはやっぱりユウキだった。

 まあそれはそれとして。

 セツノはぶんぶんと首を振り、恐る恐るユウキの顔を見上げてくる。

「あの……見ても、笑わないでくださいね?」

「?」

 何に対して笑うというのか、ユウキははてなと首を傾げた。

 セツノは顔全体を紅潮させて、小さく「えい!」と気合いを発した後。

 

 はらり、と。

 全身を隠していたタオルを砂浜に落とした。

 

 水着は純白で、よくあるタイプの一体型。

 所々にちりばめられたフリルが可愛さを引き立てている。

 すらりと伸びた手足は年の割には美しさが際立っていて、本当に14歳かと目を疑ってしまうほど。

 スタイルも悪くない。姉に比べて背も胸も遠く及ばないが、それでも同年代の平均は突破していると思う。

 もともと、ユメカに似て目鼻の整った美少女である。

 それが、肩や生足を晒して、表情を恥ずかしげに赤く染めている様は。

 

「素敵ですね」

 

 と、無意識のうちに言わせる破壊力を秘めていた。

「~~~~~ッ!」

 くるり、と反転。

 そしてダッシュ。

「え、ちょ!?」

 慌てるユウキは置いてけぼり。

 セツノは砂浜の向こうへ、赤い顔のまま駆けていった。

 

 

 呆然としながら、セツノが走り去るのを見送るユウキ。

 そのユウキの肩を、白い指がつんつくつんと突いていた。

「……ユウキさん」

 振り返ると、拗ねたようなユメカの顔が。

「私には、何も言ってくれないんですか?」

 唇を尖らせて抗議するユメカも、とんでもなく可愛いもので。

 

 さて、自分はどう発言すべきだろうか、とユウキは悩むことになった。

 

 

 

 

 

「…………」

 ゆらゆらと。

 水面に広がる、長い黒髪。

 周囲には誰もいない。

 がぼん、と頭が水中に沈む。

 そして数秒。ぷくぷくぷく、と水泡が漏れている。

「…………」

 何やら海の中で身悶えした後、ざばあ、と頭が浮上してきた。

 その表情は――なんというか、緩みきっていた。

「……にへへ……」

 ぽーっとした表情で、中空をぼんやり眺めている。

 かと思えば、唐突に沸騰したかのように真っ赤になり、再び沈んで身を捻る。

 

「……“素敵ですね”だって! いやーっ! きゃーっ! 来て良かったーっ!」

 

 ざばざばざば、と水面で暴れてしまう。

 あと1時間はユウキのもとへは戻れないだろう。それくらい、頬が弛緩してしまっている。

 ばんばんと水面を平手で叩く。

 女の子のものとは思えない豪快な水柱が立つが、そんなことは欠片も気にせずに叩き続ける。

「“素敵”! “素敵”! “素敵”! 

 これってアレかな? やっぱりアレかな!?

 一生懸命水着選んで良かったよー!

 姉さんの無駄乳で怖じ気づいちゃってたけど、やっぱり私もいけるよね!」

 

 ばんざーい、と両手を挙げるセツノだった。

 なんというか、壊れきっていた。

 

 

 

 

 

「――え? 胸を気にしているんですか?」

「そうなんですよ。着替えのときも、私の方をちらちらと見てましたし……」

 

 セツノが走り去ってから。

 ユウキはユメカから、妹が逃げてしまった原因を聞いていた。

 ちなみにユメカの勝手な推測であるのは言うまでもない。

 しかし、ユウキがそれを見抜けるほど女心を理解しているはずもなく。

 あっさり、ユメカの語る“原因”を信じてしまっていた。

 

「私が今のセっちゃんくらいの頃は、もう二回りくらいは大きかったですし、

 やっぱり劣等感を持っちゃってるんだと思います……。

 それになんだか、最近しぼんでいるような気もするんです……」

 

 この場にセツノがいたなら跳び蹴りが後頭部に炸裂してもおかしくなかったが、幸か不幸か、ツッコミ役の妹は、遠く離れた海面で一人にへらうへらと悶えている。

 そのため、この場にはユメカを止める人間はおらず。

 彼女はいつものように暴走していくのみ。

 

「でも、セツノちゃんの、その……アレも、別に小さくはないと思うんですが」

「甘いですユウキさん! 大きなおっぱいは母性の象徴なんです!

 ですから女性は皆、大きなおっぱいに憧れるんです!

 私ももう一回りくらい大きくしたいところですし!

 ……できればユウキさんに大きくしてもらいたいなあ、とか……」

「ちょ、こんな真っ昼間っから外でなんて絶対駄目です! 強姦したら絶交ですからね!?」

「……しょんぼり」

 

 むー、と唇を尖らせるユメカ。

 彼女は常に臨戦態勢なのである。色々な意味で。

 

「……まあそれはそれとして、セっちゃんが胸のことを気にしているのは間違いありません。

 セっちゃんと仲良く海を楽しむためには、私たちであの子の劣等感を拭い去ってあげなくては!」

「そうなんですか……?」

「安心してください、ユウキさん。

 これは私たち姉妹の問題ですから。ユウキさんはのんびり待っていてくれればそれでいいんです」

「……というか、ユメカさんは何をするつもりなんですか?」

 

 ユウキのその問いに、ユメカはフフフと不敵な笑みを浮かべて。

 

「イナヴァ村の諜報員を舐めてもらっては困ります。

 ……あ、でも、いつでも舐めてくれても、その、構いませんよ……?」

「いや別にそれはどうでもいいですから」

「……しょんぼり」

 

「とにかく!」

 ユメカは拳を握りしめて宣言する。

 

「セっちゃんが胸を気にしているのは間違いないんです!

 ですからここは私が姉として!」

 

 

「セっちゃんの胸を、大きくしてみせます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、ユメカが激しくずれた決意を示したのと同時刻。

 テシヤの中央駅に、長距離馬車が辿り着く。

 帝都から何度も馬を代え、丸一日かけて馬車に揺られるコースである。

 その客席から、一人のあか抜けた女性が降り立った。

 眩しい陽光を見上げながら、女性が吐いたのは溜息だった。

 

「はあ……折角一等地で休暇を過ごせるのに、独り身なんてなあ……」

 

 同僚を誘うつもりだったのだが、先約があったらしく、お流れとなってしまったのだ。

 しかし、職場の先輩から旅券を貰った手前、キャンセルするのも気が引けたため、

 仕方なく、一人で遊びに来ることとなった次第である。

 のんびり海沿いの観光街でも散策して、土産を買うのが精一杯である。

 念のため水着を持ってきたが、見せたい相手が一緒にいないのだから、着る機会はないだろう。

 

「……ったく、ユウキのやつ、最近付き合い悪いんだから……」

 

 執政省の新米秘書、サラ・フルムーンは。

 同僚に対する愚痴を吐きながら、鞄から切符を取り出した。

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