第18話 横槍



 あは。

 あははは。

 あははははははははははははは!!!


 やった。

 やったぞ。


 たとえ一時の気まぐれだとしても。

 優しさを利用しただけなのだとしても。


 ユウキの心を、掴んだ。


 暖かいなあ。

 やっぱり、ユウキは暖かい。

 彼の心配する気持ちが、胸にじんじんと伝わってくる。

 ユウキの胸の内は、暖かい。

 ここに比べれば、外は極寒の地以外の何物でもない。

 もう出たくない。ずっと、ユウキに抱きしめられていたい。

 一度暖かさを知ってしまったら。

 もう、独りの寒さには耐えられない。

 ここが私の居場所なんだ。


 学院生時代から切望していた。

 身体だけでも、と思って重ね合わせていたのが遙か過去のようだ。

 今、この瞬間、ユウキの心は間違いなく私を包んでいる。

 こんなに気持ちいいところだとは思わなかった。

 知っていれば、もっと早くに手に入れようとしていただろう。

 ああ、今までの私は馬鹿だった。こんなに近くに、こんなに良いものがあったのに。

 ああ、学院生時代の私は究極の愚か者だ。出会った瞬間拉致監禁して飼っていたら、きっと薔薇色の学院生活だったろうに。


 

 そして。

 こんなに素晴らしいものを、ずっと独り占めしていた。


 ――血塗れ竜が、憎かった。


 

 今も尚、ユウキの心を捉えて離さない最強の小娘。

 ユウキを満足させられる体も持たないくせに、ただ可哀相な境遇というだけでユウキの寵愛を受けていた大罪人。

 許せるはずがない。

 あんな小娘に、この場所は相応しくない。

 ここには、私がいるべきだ。


 掴んだユウキの心を、永遠のものにしなければ。


 しかし、どうすればいいのだろうか?

 なんだかんだ言いつつも、ユウキは誠実な人間だ。

 生半可な理由で、大事な人間を見捨てたりはしない。

 今回の一件は、公爵が直接手を回すなんて反則技だったから、為す術もなく血塗れ竜から引き剥がされただけに過ぎない。

 心は未だ血塗れ竜から離れていない。それは痛いほどわかっている。


 ユウキが血塗れ竜を構う理由は簡単だ。

 可哀相だから。それだけだ。


 シンプルであるが故に、引き剥がす理由も思いつかない。

 くそ、こんなところでも直球勝負か、あの小娘は。


 

 ――あれ?

 まてよ。

 ということは、つまり――


 

 私が、血塗れ竜より、可哀相になればいいんだ。


 

 もっと可哀相な子になって、ユウキに優しくしてもらう。

 ……いい。すごく、いい。

 血塗れ竜なんか目じゃないくらい、ユウキが放っておけないくらい、可哀相な子になればいいんだ!

 周りの目なんて気にしない。

 実家の爵位も知ったことか。

 ユウキさえ手に入れば、それでいい。


 じゃあ、もっと可哀相になるには、どうするべきか。


 

 …………。

 ……あ。

 …………ふ、ふふ。


 いいこと、おもいついた。


 血塗れ竜を、殺せばいいんだ。

 昨夜は、半ば直情的に仕掛けてしまったが、冷静に考えてみても、奴を殺すのは悪くない。


 

 不本意な喧嘩の末、仲の良かった少女を殺してしまった私。


 

 これだ。

 これなら、きっとユウキは放っておかない。

 血塗れ竜の強さはユウキもよく知っている。自分の身を守るため、やむなく、と言えばきっと信じてくれる。


 そうだ、それがいい。殺そう。殺そう。死ね。死ね。今までユウキを独り占めしやがって。

 こんな素敵な場所に居座りやがって。

 憎い。ただ殺すだけしか能のない小娘のくせに、私がずっと欲しかったものを独占していた糞餓鬼め。

 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!

 あんな奴、いらない。

 家族もなく生まれたときの名前もなく薄っぺらい人生しかない小娘なんて死ねばいい。

 死ね! 死ね! 死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――殺してやる!


 

 殺してやる! 今度こそ。確実に!!!


 

 ……少し、興奮しすぎたようだ。

 だが、この昂りも、ユウキによるものだと思うと心地良い。

 ああ、少しだけ待っててくれ、ユウキ。

 すぐに、あの小娘を殺すから。お前の一番になってみせるから。

 もう、誰にも渡さないんだから。


 だから、口づけをせがんでも、いいよな。


 ゆっくりと、顔を上げる。

 悔しさで滲んだ涙は、きっと瞳を潤ませている。

 ユウキは、拒まないよね?

 先約の印として、唇に、優しく口づけて欲しい。


 そう思って必死に上を向いているユウキに、

 今までずっと我慢し続けてきたご褒美を貰おうと、口を開いて――


 


 

「――ユウキさんから離れろ」


 瞬間。

 肩に閃光のような痛みを覚えた。


 


 


 

 正直、喰い殺してやりたかった。

 人が心躍らせて、愛しい相手を迎えに行こうと思ってたところで。

 その相手に抱きしめられて、嬉しそうに身を震わせていやがった。

 ああもう、ムカつく。

 試合だったら容赦なく、原形を留めないくらい囓ってやるんだけど。

 誰だかわからないし、監獄の中ということもあるので、服と皮を囓り取る程度にしておいた。

 この程度なら、変態公爵がもみ消してくれるだろうしね。


 さて。

 囓っただけで気が済んだかと訊かれたら、答えは否だ。

 誰だかわからないが、この雌豚をユウキさんから引き剥がさなければ。


 そう思って腕を強引に掴もうとして。


 ちゃき、と。

 目の前に、小剣の切っ先を突きつけられた。


 

「……誰かと思えば“食人姫”ですか。独房を抜け出すのは重罪ですよ。

 このまま、ここで緊急措置として斬られてもおかしくないくらいです」


 この声。聞き覚えがある。

 甲冑越しのくもぐった声ではないが、こいつは間違いなく――


「……へえ。あんた、女だったんだ。

 今日はあの悪趣味な甲冑は付けてないの?」

「貴女には関係ありません。それより、独房を抜け出した罰として、少々制裁を加えさせていただきます」

「罰? ユウキさんにひっついてたのを邪魔された腹いせじゃなくて?」

「……片目でも、今後に問題はないでしょう」


 ぐい、と切っ先を近づけられる。

 これで、脅してるつもりなのだろうか。


 ユウキさんにくっついてたことは気に食わないし。

 何より――私を見つめるその目。

 あんた、ユウキさんを、どうにかしようと思ってたでしょ。

 これでも、他人の心情を推し量るのは得意なんだから。


 ユウキさんは、私の付き人なのに。

 こいつ、手を出そうとしてたみたい。


 目が気に入らない。

 あんた、どう見ても、その目は。


 男を、落とそうとしてる、目じゃないか。


 他の誰でもないユウキさんを。

 その汚らわしい身体で籠絡するつもりだったのか。

 わざとらしいくらい湿った瞳で、ユウキさんの気持ちを掠め取ろうとしたのだろうか。


 邪魔されて、怒りに震えてるみたいだけど。


 ああ、こいつ、喰い殺そうかな。


 

 そう、思ったが。


 

「――そこまでです」


 横合いから、冷たい声が投げかけられた。

 そのタイミングはあまりにも絶妙で、食い気が散ってしまっていた。

 憮然とした面持ちで横を見やる。


 そこには、ひとりのメイドがいた。


 デザインに見覚えがある。

 確か――変態公爵のところのメイド服だ。

 顔に見覚えは……あるようなないような。というか、メイドの顔なんていちいち覚えてない。


 しかし、銀の甲冑の中身はそうでもなかったようで。


「……暗殺侍女の片割れが何の用ですか、ミシア。

 負傷した私を始末するよう命じられたのですか?」

「いえ。私がこうやって姿を見せている時点で、そのつもりがないのは明白でしょう?」

「……今、私は忙しいのですが」

「囚人に私刑を加えることが、ですか?」

「…………」

「私はお呼びに参っただけです。

 ――アマツ・コミナト。昨晩の件で出頭命令が出ています」


 出頭? こいつ、騎士のくせに悪さでもしでかしたのだろうか。

 と、首を傾げていたら。


「――“食人姫”。貴女には私個人から少々お話があります。部屋でお待ちください」


 そう、言われた。


 


 


 


 

 獣のように。

 白は、暗い部屋で独り、うずくまっていた。

 昨日の夜、アマツに削られた傷がじくじくと痛む。


 でも、そんなことより。


 

 ――愛されたことのないお前には、わからないかもしれないけどな。


 

 この言葉が。

 棘のように、胸に残っていた。


 愛される、ってどういうことだろう。

 優しく抱きしめてもらうのは違うのかな。

 腕を絡ませるのとは、違うのかな。

 わからない。

 わからないが。


 きっと、ユウキは、自分を愛してくれる。


 それだけは、信じている。

 ユウキは私のものなのだから。

 お願いすれば、きっと何でもしてくれる。

 こちらが「愛して」と頼んでみれば、きっとユウキは二つ返事で“愛して”くれる。


 でも、ユウキはそばにいなくて。

 お願いすら、できなかった。


 もう、我慢できない。


 最後の理性に、亀裂が入り始めていた。

 今の今まで、耐えていたこと。

 ユウキに嫌われるかもしれない、と恐れていたこと。


 ――こちらから、ユウキに会いに行く。


 囚人が勝手に外を歩くのは厳禁だ。

 ユウキが自分の付き人だった頃、そう言っていたのを覚えている。

 ひょっとしたら、怒られるかもしれない。嫌われちゃうかもしれない。

 そう思って、今まで我慢し続けてきた。


 でも、もう駄目だ。


 これ以上ユウキの顔を見られないと。

 これ以上ユウキの声を聞けないと。

 これ以上ユウキに頭を撫でてもらえないと。


 自分は、きっと死んでしまう。


 だから、怒られるのを覚悟で、会いに行こう。

 怒られて、いっぱいいっぱいごめんなさいして。


 そして、こうお願いするのだ。


「……ユウキ。私のこと、愛して」


 願いは、滑らかに口から漏れていた

 ユウキを目の前にしたら、止める間もなくこぼれてしまうかもしれない。

 でも、これは、偽らざる想いだった。


 ユウキに愛してもらえるなら。

 自分はきっと、何でもできる。

 だから、ユウキに会いに行こう。


 誰かが途中で邪魔するかもしれない。

 それは、アマツかもしれない。

 でも、大丈夫。


 

 もう、躊躇わない。

 自分にはユウキだけ。

 それ以外は、要らない。


 ――だから、全部殺せばいい。


 そう思い、うずくまるのを止めて、立ち上がった。


 そのとき。


 こんこん、と。

 ノックの音が、響いた。


「――ユウキ!」


 瞳を輝かせて、扉の方に向き直る。

 今度こそ、今度こそ会いに来てくれたんだ――


 そう信じて、扉を見つめる。

 しかし。


「失礼します」


 入ってきたのは、知らない女。

「…………」

 即座に無表情となり、女を意識の外に追いやる。


 やはり、ここには来てくれない。

 自分から、会いに行かなければ。

 扉の前に立つ女は、邪魔だからついでに引き千切っていこうかな。


 そう思い、一歩前に進んだところで。


「お初にお目にかかります、血塗れ竜。

 ――私、トゥシア・キッコラと申します。気軽にティーって呼んでくれると嬉しいです」


 無視。


「今日付で、私が貴女の付き人となりました。以後よろしくお願いします」


 無視。


「付き人となったからには、貴女の希望を最大限叶えたいと思います。

 ――そうですね、まずは。

 ユウキ・メイラーのところへ、一緒に行きませんか?」


 無視――できなかった。

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