第10話 報酬


「――もうすぐだね、姉さん」

「そうだね、セっちゃん」


 闘技場の西側控え室。

 通常なら、西棟の囚人が待機するはずの場所で、美女二人が待機していた。

 どちらも長い黒髪の美女である。

 纏っているのは野暮ったい黒装束だが、それでも二人のスタイルの良さは隠しきれない。

 男子棟である西棟では、まずもってお目にかかることのできない存在に、他の囚人は好奇の視線を向けていた。


 ――あいつらが、今夜の血塗れ竜の生贄か。

 ――片方は、人食いの相手だってよ。


 これから死地に向かう美女二人への憐れみは何処にもなく。

 色めいた視線と嘲笑のみが、姉妹に向けられていた。


「嫌な空気。囚人って無駄に臭いくせに、視線まで汚いだなんて救えないよね」

「セっちゃん。満足にお風呂に入れないような人たちのことを牛糞みたいな臭いだなんて言っちゃ駄目よ」

「……いや、そこまでは言ってないから」

「あら?」


 周囲の空気などものともせず。

 姉妹はえらくマイペースである。

 しかし、二人の表情を、彼女らをよく知る者が見たら、強張ったものということに気付けたかもしれない。


「とりあえず、ここのシステムはわかってきたかな?」

「うん。勝ったら戻ってこられるのかな?」

「みたいだね。死体は帰ってきてないし」

「……試合は、セっちゃんが先だよね」

「うん。……あのさ、姉さん」


「「死なないでね?」」


 同時に放たれた互いの言葉に。

 しばしの間呆然として、堪えきれずに吹き出してしまった。


「いやいや、姉さんが血塗れ竜に勝てるわけないし。

 とにかく生き残るのを優先してよね」

「私は大丈夫だってばー。

 セっちゃんこそ、弱虫なんだから無茶しちゃ駄目よ」


 しばらく二人で笑いあったが。

 やがて、互いに無言になる。


「…………」

「…………」

 瞳は互いを見ておらず、どこか中空を眺めていた。


「まあ、さ」

 ふと、セツノが口を開く。

「あの変態公爵が、私たちのこと生かしておくはずがないからなあ」

「……もう、みんな、殺されちゃったしね」

「伝書鳥のトシ坊も帰ってこないし。昨日あたりに、やられちゃったんじゃないかな」

「……だよね」


 違和感を覚えたのは、ほんの二日前だった。

 自分たちの勝敗によって村や姉妹の扱いが変わるはずなのに。

 ビビス公爵からは、具体的な話は何一つとして為されなかった。

 おかしいと思い、確保していた秘匿の通信手段を用いたものの――返事は無し。

 連絡文書の重要度は最大にして送ったので、返ってこないということは、全員死んだか見捨てられたかのどちらかだろう。

 ビビス公爵に、半ば拘束されているような村人達が、自分たちを見捨てて逃げるのは不可能である。

 故に――真実は、ひとつ。


「あーあ。頑張ればみんなを助けられると思ったんだけどなあ」

「……うん」


 やるせなさそうに、姉妹は溜息を吐いた。


「ユウキさんには、悪いことをしちゃったね」

 ぽつり、と。セツノが下を向きながらそう言った。

「ユウキさん……会いたいなあ」

 姉が、どこか夢見るような表情で、呟いた。


 そのまま、空虚な時間が過ぎる。

 控え室の人間は徐々に減っていき、やがて、二人だけになった。


 


 


「うわ、前の3人全滅だね。西棟って弱い奴しかいないのかな?」

「……わかんない」

「…………」

「…………」

「……姉さん?」

「なあに?」


「私さ……頑張るよ。

 ここで勝てれば、私たちは囚人として、ここで生きていけるんじゃないかな」

「え……?」


 

「私は、あの人食い娘に勝つ。

 姉さんは、血塗れ竜に勝つ。

 そして、二人でこの闘技場の王者になろうよ」


 どこか吹っ切れたような表情で、セツノはそう宣言した。


 

「……ユウキさんを、付き人にして?」

「そうそう! わかってるじゃない!」

「できる、かなあ?」

「私は、大丈夫だよ? 死にたくないし、ユウキさん欲しいし」

「……むー。ユウキさんは私のだよ」

「はいはい。それじゃあ、二人で闘うときに決めようね。そのときは、恨みっこなしで」

「うん。ユウキさんを賭けて、勝負。王様は一人しかなれないもんね」


 あはは、と。姉妹同時に笑いがこぼれた。


 


「――ゲスト先発、そろそろ入場だ」


 係官の声に、セツノが「よし!」と立ち上がる。

「んじゃ、ちゃっちゃと、殺してくるね!

 早めに帰って、姉さんにプレッシャーかけてやるんだから」

「いってらっしゃい、セっちゃん」


 明るい表情を崩さずに、姉は妹を見送った。


 ぱたん、と扉が閉まってから。

「……無事で――ううん。生きて帰ってきて、セっちゃん……」

 姉は微かに、願いを漏らした。


 


 


 


 ――待ちに待った、試合当日がやってきた。


 血塗れ竜は、今日も定位置。

 ユウキさんの胸の中で、くうくうと寝息を立てていた。

 ――みしり、と。見るたび奥歯が軋んでしまう。

 悔しいのなら見なければいいのでは、とは思わないこともない。

 事実、奥歯を鳴らしてしまった直後は、慌ててそっぽを向いている。

 でも……駄目なのだ。


 血塗れ竜は喰い殺してやりたいくらい嫌いだけど。

 ユウキさんの顔は、私の心を暖かいもので一杯に満たしてしまうのだから。


 だから、ちらちらとユウキさんの横顔を見てしまう。

 まるで子どもの恋愛のようで思わず笑いそうになってしまった。


 胸の中で心安らかに眠っている血塗れ竜をどうすればいいのかわからず、

 起こさないようにアタフタしてるユウキさんは本気で可愛い。欲しいなあ。

 っていうか代わりやがれコンチクショウ。

 いいなあ。私もユウキさんの胸に収まりたいなあ。

 すやすや気持ちよさそうに眠ってるけど、まさしく天上にも昇る心地よさなんだろうなあ。

 ずるい。

 あの糞餓鬼、ずるい。


 まあ、でも。

 もうすぐ試合が始まるから、今は断腸の思いで許してやる。


 腸どころか全身が引きちぎれそうだけど。

 ……ん?

 ああっ!? ユウキさんってば、なに穏やかな表情で頭なんて撫でてるのよ!

 そんなことしないで、髪の毛引き千切ってやればいいのに。私ならそうする。絶対。

 うん、決めた。

 このままじゃむかつくし。


 

 私は立ち上がり、静かにユウキさんの元へと向かった。


 

「ユウキさん」

 血塗れ竜を起こさないよう、声を潜めて名を呼んだ。

「……なんですか」

 ユウキさんはこちらを見ない。

 その態度と、やや落ちた声色が――全てを、語っていた。


 

「――知ってるんだ。あのこと」


 

 ユウキさんが顔を背ける。

 可愛いなあ、その反応。

 私のことを半ば無視して、そのまま優しく血塗れ竜の頭を撫でる。


 ――今が、血塗れ竜との最後の時間。

 それをわかっているからこそ、こんな態度を取っている。


 でもね、ユウキさん。

 そんな態度は――挑発にしか、ならないよ?


 

 行動は迅速に。

 血塗れ竜が起きないよう、動きは最小限に、音は小さく。


 指先でユウキさんの顎を掴み。

 こちらを向かせて、口づけをした。


「――ッ!?」

 ユウキさんの目が見開かれる。

 ああもう、反応が可愛すぎるよ。

 口内を蹂躙する舌の動きが、ついつい激しくなってしまう。


 きもちいいなあ。

 明日からは、毎日しようね。

 ユウキさんは、もうすぐ私のモノになる。

 呑気に眠る血塗れ竜のモノじゃ、ない。


 


 何分くらいくちゅくちゅしていただろうか。

 ユウキさんの胸で眠る血塗れ竜が「……ん」と身じろぎして、ようやく私は口を離した。

「――ぷはっ。

 んふふ、拒否しないんですね、ユウキさん。嬉しいなあ」

「…………」

 そんなことはない、と睨まれた。でも、そんな表情を向けられることすら心地良い。

 わかっている。

 今、ユウキさんが抵抗しなかったのは、ぐっすり眠る血塗れ竜を起こさないように気を遣ったからだ。

 今日で終わりだというのにもかかわらず、ユウキさんの優しさは、あくまで血塗れ竜に向けられていた。

 気に入らないといえば嘘になる。

 でも、それも今日までだ。


 あの初試合の日から。

 ユウキさんは、一度も会いに来てくれなかった。

 やはり、あんな強引なアプローチは、彼の気に障ったらしい。

 血塗れ竜への挑発を優先したのだから、仕方ないのかもしれないが。

 寂しくて泣いた夜だってある。

 一度心に火が灯ったら、燃料が尽きたときの寒さになんて耐えられるはずがない。

 正直、後悔したときもあった。

 私が余計に踏み込まなければ、ユウキさんと一緒の時間は、続いていたんじゃないのかと。


 でも。

 中途半端に会い続けるより。

 私だけを、見て欲しかった。


 欲しいものなんて、もう何もなかったはずなのに。

 いつの間にか、何よりも欲しいものができていた。


 

「出番だ、――“食人姫”」


 

 ――あとは、あいつを殺すだけ。


 黒装束の、セツノとかいう女。

 気配を全く悟らせずに、私を壁まで吹っ飛ばした女。

 手強くないといえば嘘になる。


 でも、負ける気なんて、欠片もなかった。


 

 

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