台風の影響でまた雨です。
どーも、ソースケです。
『おまかね』の第3章、42話を更新しました。
遂に研究施設への侵攻です。
あっさりと名前すら出ずに殺されたピークがちょっと可哀想になりました。
まぁ、タイパンは特に何も感じる事なく、ガルの方が心を痛めているような感じですね。
まぁ、ピークはチョイ役なんで、置いておきましょう。
今回私が離したいのは、もちろん『ファランクス』です。
資料として残っているファランクスの様な隊形は、最も古いもので紀元前2500年頃のメソポタミアだそうです。
大盾に槍を持った兵士を密集させ、前進する。
単純ですが、これが強い。
幾つかの素材を張り合わせた、いわゆる複合弓が戦の主力となるまでの間、ファランクスこそ戦争の主役でした。
このファランクスを用いて最強を誇ったのが、みんな大好きアレキサンダー大王(アレキサンドロス3世)のマケドニアです。
マケドニアが強大国に成長したのは、アレキサンダー大王の父、フィリッポス(ピリッポス)2世の代です。
ピリッポス2世は幼少期、人質として古代ギリシア時代の大国テーバイで過ごします。
そのテーバイは斜型密集隊形、ロクセ・ファランクス、いわゆるファランクスの斜線陣で劣勢を覆し、スパルタ軍に勝利した過去があります。
恐らく、フィリッポス2世は幼少期を過ごしたテーバイで斜線陣を学んだ事でしょう、これが後に活かされます。
また、アテナイ(今のアテネ)で考案された改良型ファランクス。
それまでは、ファランクスは重装歩兵だったのを、軽装歩兵に変更し、機動力を上げ、下がった防御面を槍を長くすることで補うというもの。
これも後にフィリッポス2世はマケドニア軍に採用します。
この2点を最大限に利用した戦があります。
それが『カイロネイアの戦い』。
アレキサンダー大王の初陣ともなるこの戦いで、マケドニアの24,000は、アテナイ・テーバイ連合の35,000をあっさりと破ってしまいます。
大勝利です。
この戦いで勝利を決定づけたのは、いわゆる鉄床戦術。
開戦直後からピリッポス率いるマケドニア軍右翼は少しずつ後退、それにより、左翼と右翼の間でアテナイ・テーバイ連合軍の前線に隙間が出来ます。
そこへ、アレキサンドロス3世率いる軽装騎兵が突入。
敵前線を突き破り、敵右翼・テーバイ側の後方を取ります。
後は、斜線陣で人数の多い味方左翼と、軽装騎兵による挟撃、それと同時に右翼も前進を開始。
フィリッポス2世率いる右翼は近衛歩兵部隊(ヒュパスピタイ)と呼ばれる精鋭中の精鋭、本気を出せばアテナイの前線など簡単に潰せます。
最初から、フィリッポス2世はアテナイ軍よりもテーバイ軍の方が厄介だと分かっていた訳ですね。
テーバイ軍には神聖隊と呼ばれる300人からなる最精鋭が存在します。
神聖隊とは、150組の男性の同性カップルの隊です、腐女子の方々が喜びそうな部隊ですね。
このカイロネイアの戦いでは、その神聖隊300人の内、254人が戦死したと言われる程、マケドニアに手酷くやられました。
正真正銘、マケドニアはこの時代の最強の陸軍でしょう。
長くなってしまった。
カイロネイアの戦いは私が最も好きな戦の1つです。
フィリッポス2世、アレキサンドロス3世が共に出陣し、圧倒的な勝利を収める最初で最後の戦だからです。
この後しばらくして、フィリッポス2世は暗殺され、王位はアレキサンドロス3世が継承。
フィリッポス2世が進めていたペルシア攻略を引き継ぎ、それを成し遂げた後、有名なアレキサンダー大王の東方遠征が始まるのです。
本編と全く関係のない話の方が、ノートが長くなりますねwww
大目に見て下さいw
さて、ツァンランに肉薄するガル。
ガルはツァンランを倒せるのでしょうか。
まぁ、あと1節残ってるから想像は容易いかと……。
では、また次回。