1.遺跡_秋葉原

 白い壁面、天井。

 床は御影石に似た質感を持つ灰色のタイル。


 本来であれば秋葉原駅はかなり広い部類に入り、実際視界の悪い薄闇の中でも等間隔に据えられた角柱に接触してしまうようなことはなかった。

 それでも閉塞感を感じてしまうのは、物陰からいつ何が飛び出してくるかわからない状況がそうさせているからなのだろう。


 程なくして、駅を出る。

 一歩外に踏み出せば、先程まで通ってきた道とは真逆の拓けた大通りに出迎えられた。


 視覚的には解放感があるはずなのに、冷たくもどこか生物じみて淀んだ空気は緊張感を和らげてくれない。

 その場に立ったまま、上空へと目線を向ける。

 東側のビルとビルの隙間から辛うじて存在を確認できる太陽はひどく存在感が薄く、おぼろ月よりもなお蒼白く輪郭がかすんでいた。


 太陽の位置からわかるように、時刻は朝。

 では何故こんなに薄暗いのかというと、2050年厄災の日を境に空が闇に覆われたためだ。


 太陽光が届かないと言ってもゼロではないが、それは昼間に限られる。

 夜になればそれこそ真の闇に包まれてしまうため、そうなるまえに目的を果たし居住施設へと帰還しなくてはならない。


 俺は空から視線を外し、右側へと振り向きざまに手に持っていた棒を斜め上に振り上げた。

 紫水晶アメシストを思わせる深紫の光が伸び、軍刀の形状を描き出す。


 足音もなく俺に接近していた警官の亡霊は、蒼白い身体を真っ二つに切り裂かれ苦悶の表情で断末魔の叫びを上げながらゆっくりと闇に消えゆく。

 数秒後に静寂が戻るものの、それを程なくして耳元で聞こえてきた電子音声が破った。


『いやぁ流石はクロウ殿でござる! 今日がVhunterデビュー日とは思えぬ早業だったでござるよ! クロウ殿の玄は玄人の玄でござるか?』


 老若男女どれともつかない、中性的かつ機械的な抑揚のない声が俺のHNを呼ぶ。

 しかしながらその奥に込められたハイテンションぶりが小型の骨伝導イヤホン越しに叩きつけられる。


 無個性な声質で読み上げられる個性的な口調。

 今や生身の人間と区別がつかない程のボイスチェンジャーが使えるというのに、この人はなぜわざわざ前時代的なそれを選んだのだろうと常々疑問に思う。


 だが、声音にまで生身の高揚感が載っていたらそれこそ圧倒されてしまっていたかもしれないので、これはこれでいいのかもしれない。

 そんな事を頭の片隅で考えつつ、俺は淡々と応答した。


ばんさんは知っていると思うが、一応本番前に心器ハーツの練習はしたからな。配信より前のイメージトレーニングを含めれば五年前から学んでいた」


 言いながら、さきほど幽霊に振るった光刃の出る黒い棒心器をもう片方の手で指さす。

 これは人間相手であれば刃を当てたところですり抜けて終わるただの光の映像だが、実体を持たない霊であれば傷つけ退けることができるという代物だ。


 霊は意思や思念で形成されたエネルギー体。

 物理法則を無視できる分、俺たちの生命に反応し輝く非物質の刃やそれに乗った攻撃の意思には影響を受けやすい。

 よって肉体を持たない霊に対する攻撃が成立するという訳だ。


『我ら視聴者には決して努力の全てを見せず、圧倒的なチート能力を披露してくれる……最高でござるよ、やはり玄殿は特別でござった!』


 伴さんは相変わらずの平坦な電子音声で、しかし熱量の感じられる独特の文調で俺を称賛してくれる。


 彼、もしくは彼女は遺跡デビューする前から俺の最初のファンでい続けてくれた人だ。

 ――ファン。

 別名、チャンネル登録者。


 俺は今、新米Vhunterとして全世界に向けてライブ配信を行っている。

 今ここにいる現実の俺は居住施設の支給品である飾り気のない上下黒のシャツとパンツを来た地味な少年であるが、伴さんをはじめ視聴者達には俺があらかじめ設定したバーチャルの姿が見えているはずだ。


 明治時代の学生とも警察官ともつかない制服と制帽を身に纏った俺の

 もし実物の俺と並べて比べてみれば、背格好や髪型こそ似ているものの少なからず美化および誇張された部分があるとすぐに気づけるだろう。


 全世界とは言うが、先にも言及した通り今俺を見てくれているのは登録者の8人とそこに加わったいわゆる一見さん数人を合わせて十余名だけ。


 まあ、多くは一度挑戦したきりとなるので世間の新人に対する興味などこの程度というわけだ。

 それでも俺は、たった一人であっても遺跡突入前の初期から熱烈なファンを得られただけ恵まれていると言えるだろう。


『して、五年も訓練したとは。やはり憧れの先輩に追いつくためでござるか?』


「何度もそうだと答えたぞ」


『そのストイックさに痺れたいから何度もいちゃうのでござるよぉ~』


「それはどうも。だがこれ以上棒立ちになっている暇はないのでそろそろ行くぞ」


『クールでござるなぁ~』


 伴さんの声を聞き届ける前に、俺は目の前の大通りを横断し始める。


 ――そう、五年。

 五年かけて、俺はようやく外に出た。

 外に出て、やっと『彼女』――伴さんの言う『憧れの先輩』と同じVhunterになった。


 ストイックと言えばそうなのだろう、一心不乱に彼女を目指してきた。

 結局答えはしなかったがHNにしている『玄』だって、彼女と同じように色の名前から取ったものだ。


 ――そんな事を考えているうち、対面に並び立つビル群に辿り着いてしまう。

 そこから右折して少しばかり道沿いに進んでいき、ある一点で足を止め建物を見上げた。


 周囲が暗いため大型雑居ビルの全貌を伺うことはかなわない。

 が、入口上部に据え付けられた立体文字看板の陰影で辛うじて施設名を読み取れる。


 ”秋葉原電奇館”


 看板にはそう記されていた。

 ここが今回の目的地だ。


 まだ世界に太陽の光が届いていた頃、複合商業施設として有名だった場所の一つ。


 年中無休を謳っていたこの施設は、きっと毎日多くの人を迎え入れ皆から親しまれていたのだろう。

 それなりに古いビルだったとはいえ、丁寧に手入れされていたのだろう。


 だが、世界は変わってしまった。

 人気者だった電奇館はもう、見る影もなく雨ざらしになり朽ち果てている。


 その時代を生きていない俺は当時の電奇館に踏み込んだことはない。

 だからその時の様相を鮮明に想像することができない。


 だが、それでも色あせて薄汚れた外観を眺めているとどこか物悲しい気分にさせられた。

 しかしながら先程棒立ちになっている暇はないとこの口で言った身なので、いつまでもそうしている訳にもいかない。


 一度背後を振り返り、ざっと周囲を確認する。

 その上で、少なくとも視認できる範囲には死霊の類はいないようだと判断できた。


 先程通ってきた出口に隣接する駅ビルは一部分がガラス張りになっているため入念に確認しようと試みたものの、全面が『狭間の図書館』と書かれたアニメ広告によって埋め尽くされているため奥の確認は断念せざるを得ない。


 サブタイトルがやたら長そうだったが、特に興味もないため全て読まずに視線を外す。

 とにかく奇襲される可能性は低いと判断したので、俺は改めて電奇館に向き直ったのだった。


 ――と、そこで電子音が一つ鳴り響く。

 どうやら他者から通信を要求されているようだ。

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