6.異変
『くっそ、急に霊が暴れだしやがった! 一体何だってんだ!?』
カイルの声音からは隠し切れない狼狽が伺えたが、蒼のシャムシールで店員風の男の首を刎ね、返す刃で続く若い女二人を一気に斬り払うその挙動に隙はなく戦い慣れているように見える。
『うーん、この感じだと他の階も同じなのかな? クロウ君の周りは大丈夫そうだけど……』
対して、翡翠色の槍でスーツの男を貫いたヘプタの方は泰然自若を保ち続けている様子だ。
背後から奇襲を受けていたが、すぐさま反応しその一撃を薙ぎ払っているあたり見かけによらず俊敏らしい。
『私、エスカレーターの近くにいるから下の階を見てくるよ!』
そして、最も安心感を与えてくれるのがやはりアヤコ。
この中ではおそらく一番Vhunter経験が長いのだろうし、深紅の薙刀は横から割り込んでくる有象無象をたやすく薙ぎ払いエスカレーターへの道を切り拓いていく。
あの様子ならきっと、三人とも敵の攻撃に
俺はむしろ自分の心配をした方がよさそうだ。
今のところ敵の姿こそ見当たらないが、既に水位は膝下まで増している。
全力で走っているつもりではあるが、足を取られどうしても速度が落ちていくのは否めない。
視界は数歩分しか拓けておらず、次の瞬間にでも闇の向こうに潜んだ敵が飛び出してくるかもしれないと思うと一切気が抜けなかった。
『えっ、何これ……こんなの今までなかったのに!』
焦燥に駆られる中、ふとアヤコの狼狽が耳に入った。
彼女の画面に目を向けると、そこに見えたのは下階へ続くエスカレーターの前にベルトパーテーションが置かれた光景。
それだけなら単に不気味なだけだが、直後に見えた光景に俺は走りながら目を疑うことになる。
パーテーションをまたごうとしたアヤコが、見えない――そうとしか言いようがない不可視の力で弾き飛ばされ仰向けに転倒したのだった。
「アヤコっ!?」
思わず叫んでしまったが、幸いにも彼女は怪我もなくその場で難なく起き上がっていた。
『だ、大丈夫……。だけどこのパーテーション、通り抜けられないみたい……。』
『マジかよ……10階だけか?』
『うーん、僕らも確認に行った方がよさそうだねぇ』
残る二人も方角を確認した後、それぞれがエスカレーターの方へと走り出す。
程なくして両者の画面越しに、10階に置かれたそれと全く同じパーテーションが上下どちらの階に向けても設置されている異様な場面を目の当たりにしてしまった。
――と、同時。
俺の腹の底から重苦しい不安が湧き上がる。
もし地下も同じように封鎖されていた場合、俺はどうなるんだ?
既に水位は膝のすぐ下まで来ている。
もはやまともに走行することすらままならず、冷水に絡みつかれた足を無様に引きずり前進するより他はない。
今までかなりの距離を走ってきたので、もうじき扉に辿り着くのは間違いない。
だが、その扉自体が開かなければ廊下に水が満たされ溺れ死ぬのを待つだけとなってしまう。
そんな未来を想像してしまい心臓が破れそうなほどに痛み早鐘を打つ中、ついに眼前に朽木の扉が現れた。
パーテーションは、ない。
やがてノブに手が届いた。
直前まで胸中に渦巻いていた最悪の想像は実現せず、ノブはあっさりと回り押し開いた扉から隙間が生じる。
足元から水が流れ出て、代わりに上から光が差し込んできた。
――光。
今まで潜ってきた完全な闇に比べれば、どれだけ薄かろうと外にあるのは光に違いない。
解放感に任せ、勢いよく扉を開け放つ。
視界が解き放たれ、暗闇に慣れた網膜には視界の淵が
だから、
眼前の黒い影――仁王立ちで待ち構えていた恰幅のいい男が、俺の姿を見るなり出刃包丁を顔面めがけて突き出してくる。
「っ!」
流れ出る水に敢えて踏み出した足を任せ、スライディングの要領で攻撃をかわす。
急な体勢の変化に
尻餅をつき衝撃に身体が痛むものの上から視線を外さないまま
『ウグォァアアアアアアアアアアーーーーッ!』
地の底を揺るがすような絶叫と共に男が転倒し、水を叩く破裂音と共に大量の水飛沫が上がる。
視野は狭まるが、俺はすぐさま立ち上がり躊躇なく軍刀を振り上げた。
「――刃よ、
朗々と
確かな反動。
程なくして、太った男は淡い光の粒子となって周囲に霧散していった。
彼の後を追うように、地下中の床に広がっていた水が跡形もなく消え去っていく。
『……えっ!? 今のって……除霊だよね? なんで……』
ひとしきり周囲の霊を蹴散らしたアヤコから、驚嘆を隠し切れない声が届く。
彼女は新米の俺が除霊を行えたことに対して驚いているのではなく、それを行うにあたり必要不可欠な要素――除霊対象の名前をなぜ俺が知っているのか、と問いたいのだろう。
「外にあった看板は見ていたか? あそこに『店長』の写真と、アルバイト募集についての記述に奴の名前が書かれていたから知っていた」
『……よくそんなん覚えてられたな、すげぇぞオイ』
『クロウ君は観察力があるんだねぇ』
カイルとヘプタからも称賛の声が聞こえる。
除霊とは、ただ心器で斬りつけ一時的に姿を消させるのとは違いその名の通り怪異を完全にこの世から消すことだ。
それに加え、周囲の環境まで変えてしまうところからして炎谷は明らかに『ネームド』だ。
怪異としての二つ名を持つような、そこらの雑魚とは比べ物にならないほど霊力の強い存在。
Vhunterに期待される役割のうち、ネームドの討伐は一番『らしい』と言われる仕事だろう。
だからこそ、それを成し遂げた俺は今先輩たちに褒めそやされている。
自分の画面を開いてみれば、視聴者の数も彼らほどではないにしろ飛躍的に伸びあと少しで三桁というところに来ていた。
むずがゆさや面映ゆさも覚えはしたものの、俺は既に難を逃れ安全地帯に逃げ込んでいる三人にも同様の感情を抱いていた。
「昔から妙なことに対しては記憶力がいいと言われる」
そっけなく答える。
実のところ炎谷が印象に残りやすかったからこそ怪異となってしまった姿を見て即座に彼だと特定できたのだろう。
――この店に立ち入る前に見た『炎谷鉄彦』。
背が低く太り気味な特徴を活かしてドワーフの扮装をし、楽しげに笑っていたあの写真。
生前は心から仕事を楽しんでいたのだと思う。
この地に縛られているということは間違いなく『厄災の日』に逃げ遅れたのだろうが、逃げきれていれば今も変わらずあの笑顔を浮かべる老人を俺が施設で見かける日もあったかもしれない。
と、ついつい感傷に浸りがちになるのはひとまず自分の身の安全が確保されたからだろう。
さしあたり、炎谷を倒したことで一階から上がどうなっているのかを確認しに行きたい。
俺はこの場を後にし、出口から再び外に出ることにした。
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