26.踏み出す

 8月12日、日曜日。

 カイルが呪われたのが昨日。


 俺は今、秋葉原駅を出て電奇館のある方角と逆側に進み、和泉橋を目指していた。

 カイルと共に行動した時と同様Vhunterとして今の様子を全国に配信する気はなく、ヘプタと伴さんにのみ映像を送っている。


 大勢のファンに見られている方が心器ハーツや除霊の効果がより増すという事実は承知の上だが、こうしたのはヘプタの仮説にある程度の信憑性を感じたからだ。


 電奇館で玻璃蜘蛛に遭遇した日、まずアヤコから狙われた。

 その次がヘプタだったわけだが、彼はその順番で狙われた理由が人気の有無なのではないかという推測を立てていた。


 あの日は特に秋葉原付近で配信をしていそうなVhunterもいなかったと思うし、人気者から狙われたのだとしたら――ぱらの過去を見た俺からしてもこの上なく有名人を強く妬んでいた奴らしい動機だと思う。

 また俺と行動していたカイルだけが狙われたことについては、あの時点での彼と俺のチャンネル登録者数の間に玻璃蜘蛛出現のボーダーラインが存在するのではないかという仮説も立っている。


 あの時点での登録者数は確か、カイルが1万人を少し超えた程度で俺が6000人弱だ。

 電奇館にいた時すでに9000人程度いたカイルに比べ、新人だった俺は登録者数の膨れ上がり方が類を見ないほどである。


 リアルタイムで見ていなくとも過去の動画を見てチャンネル登録が増える場合もあるし、仮に登録者数が玻璃蜘蛛出現のトリガーであるなら今ファンを増やすのは自殺行為だと言える。

 よって、今日も身内にしか映像を送っていないというわけだ。


 そして今回出撃するのがヘプタでなく俺になったのも、前述の通り登録者数が決め手となった。

 ヘプタの登録者数は今1万2000人程度で、カイルより上を行っている。


 仮説を出した張本人だからこそ、ここを強調した段階で引き下がらざるを得なかったのだろう。

 俺は今6000人を少し上回っているようだが、玻璃蜘蛛はどの段階で出るのだろうか。


 キリがいいとしたら1万人より上だろうか。

 それならおそらく、配信さえしなければまだ余裕はある。


 それにもしこれらの仮説が完全に的外れであっても、一応カイルの時に俺は狙われなかったという実績もある。

 よって、今日櫂人かいとの元自宅を目指すのは俺の方が適任だ。




「今は水辺だが……何もないか。」


 和泉いずみばし

 遥か左上に高架橋を仰ぐこの橋は、万世橋よりも幅が広く見える。


 その万世橋だが念を押す意味でもあり、他の水辺が安全か試す意味もあって今回は避けて通っている。

 欄干から向かって右側を見やれば、蒼白い陽光に照らされた神田川の流れが伺える。


 その先の上流側に万世橋が存在するはずだが、右側に向けて曲がった先にあるためこの位置からでは橋が見えない。

 カイルの様子が気になるが、確認したところで何もできないため今回彼とアヤコの様子は見に行っていない。


 蒼く煌めく清流は恐ろしいが引き込まれる程に美しく、眺めていると段々と心が洗われていく。

 ――そして滾々こんこんと沸いてくる、罪悪感。


 サバイバーズ・ギルトと言っていいのだろうか、これは。

 そんな俺の心の痛みを察してか、イヤホンからヘプタの声が聞こえてきた。


『……うーん。無事だといいね、二人ともさ』


 意識が自らの内側から外界に引き戻され、遮断していた周囲の景色が拓けていく。


「今はそう祈るしかないな。……わかっていると思うが、今回俺が同じ目に遭ったら後は頼む」


『縁起でもないでござる! 自ら死亡フラグを立てるのはやめてくださらんか!』


 すかさず伴さんの電子音声が横槍を入れてきたが、それは出発の前にもヘプタに伝えてきたことだ。

 だから、訂正はせず前を向く。


 規則正しく並べられた石畳の歩道の上で、ただただ前へと進む。



 ――結局、神田川から離れても玻璃はり蜘蛛ぐもは現れなかった。

 高架橋とビルに見下ろされながら歩き続けて、やがてある地点で足を止める。



「この通りか……」


 踵を返し、右側へと向きを変える。

 オフィスかマンションか、辛うじて高層と呼べる程度のビルが立ち並ぶ通り。


 都会の象徴と言えば聞こえはいいが、蒼白い光と同色に染まりやすい灰色ばかりのそれらは殺風景とも言えた。

 玻璃蜘蛛を含め怪異の存在がないかざっと見渡してはみたが、害のなさそうな浮遊霊が二、三人目についたのみで差し当っての危険は存在しない様子だ。


 特に躊躇ちゅうちょするでもなく、一歩踏み出す。

 この道を歩いて行けばもうじきグラナイト岩井町に辿り着くようだが、早々に変わり映えのない視界に飽きてきた。


 余裕のあるうちに、と思い立ち以前から気になっていたことを画面越しにこちらを見ているだろう二人に問いかける。


「ヘプタ、伴さん。さっき縁起でもないと言われたばかりだが……この一件に関わっていれば死ぬことも普通にあり得る。ヘプタは前に理由を聞いたからまだわかるが、伴さんはどうしてここまで俺に協力してくれるんだ? 今後外に出ることもないとはいえ、関わっていれば呪いの余波を受ける可能性も捨てきれないだろう?」


 廃墟の中では比較的新しく見える近代的な意匠の雑居ビルや、旧時代の遺産とでも言えそうな古めかしい商店の窓を通り過ぎていく。

 その奥にわだかまった暗闇の中を徘徊する人影と、時折遭遇して肝を冷やしながら伴さんの返答を待つ。


『一言で言えばファンだからでござるな。50年前風に言えば推し活というものでござろうか。……50年……そう、せめてあと50年若ければ自らが世界に挑んだのでござるが。悔しいでござるが、ここまでジジイになると走ることすらままならないのでござる。玻璃蜘蛛どころか浮遊霊相手でも襲われたら即ゲームオーバーでござろうなぁ』


 どこか寂しそうに、彼は語る。

 50年前の若々しかったであろう彼は、暖かい陽の下でこの道を歩いていたのだろうか。

 平和だった頃の、この道を。


『まあ拙者はどの道あと数年でこの世を去る事になるでござろうから……ただ座して死を待つより、例え今日や近い将来に共倒れになる運命だとしても『推し』を追っていたいのでござる。死んだように長々と生きるより、短くとも最期まで燃えるように生きていたいと思うのでござる』


 抑揚のない電子音声。

 そのせいで逆に想像力をかき立てられるからだろうか──平坦なその声の内に、熱く燃える魂の存在を見た気がした。


 彼に触発されてか、それまで黙っていたヘプタもまた口を開く。


『ちょっとわかるなぁ、それ。前にも言ったように切羽詰まってるから玻璃蜘蛛に挑んでるっていうのもあるけど、それって命が惜しいなら最悪Vhunterを辞めて一生引きこもっていればいい話なんだよね。……それができないのは、きっと命は繋げても僕の存在価値はそこで死ぬからなんだ』


「存在価値?」


 風化し、酸化して緑色になった銅板張り建築の家屋を一瞥いちべつした後にそう一言問い返す。


『こんな時代だし、自分の価値って自分が認めるより他はないと思わないかい?』


「それなりに人気者のお前が言うと意外に聞こえるな」


『それはどうも。……でもさ、ファンの中にはとりあえず人気だからって理由だけでチャンネル登録してる人だっているし。君の場合は伴さんみたいに熱狂的に支持してくれてる人もいるかもしれないけど、僕の場合はどうだか。指一本でサヨナラできる関係──カイル君の言葉を借りるなら、本当に今って繋がりの薄い時代なんだよねぇ』


 ふと、視界に影が差す。

 見上げれば、巨木化した街路樹が俺の頭上に影を落としていた。


 今は6000人に増えた俺の支持者は、遮られれば届かなくなる光のようにすぐ消えてしまうのだろうか。


『まあ誰かの評価に価値を求めるのも悪くはないけどさ、自分の存在価値は自分で認められないと脆いよなぁ、って。』


「……で、お前が思う自分の存在価値とは」


『うーん、一言で表すのは難しいね。けど少なくとも、奪われっぱなしの負けっぱなしで逃げ出すような奴になることじゃない。自分の価値を自分で守り抜けること――なのかな』


 少し抽象的ではあるが、妙にヘプタの言葉が染み入る。

 その理由は、数歩歩いたところで気が付いた。


 俺もAIに存在価値を否定されたが、その評価を否定してここに居る人間だからだ。

 アヤコやカイルを取り戻したいというのも大きな行動原理だが、その役割を放棄すれば5年前に押された無能の烙印が本物であると証明してしまうのではないかと考えている自分もいる。


『……だからね、クロウ君。さっきの君の真似をして縁起でもないことを言うけど、もし君が誰も救えなくても自分を呪ったり否定したりしなくていいんだ』


 思わず、道半ばで立ち止まってしまう。

 もしこのまま誰も救えず、ヘプタや伴さんも死んで俺だけが残ったらどうなるだろう。


 そうしたら俺は自分の全てを否定し、AIの評価を受け入れ足掻くことをやめてしまうと思う。

 図星だったから、無意識に足を止めてしまった。


『結果がどうなったとしても、君が最善を尽くそうと足掻いてきたのは僕たちが見てきた。少なくとも僕や伴さん、きっとアヤコさんやカイル君だってそう思ってる』


『無論でござるよ! ヘプタ殿がいいこと言い出したから黙っていたでござるが、拙者も玄殿の歩んできた奇跡を見てきたでござる。例え玄殿が自分自身を否定しようと――あっ』


 伴さんの声が不自然に途切れる。

 数秒後、彼は甲高い女性の電子音声になって帰ってきた。


『例え玄さんが自分自身の価値を否定しても、私が最後まで肯定し続けるわ!』


 ヘプタが吹き出す声。


『あはは、ヒロイン爆誕だねぇ』


「登場のタイミングが人を乗っ取るタイプの化け物なんだが?」


 思わず眉間を押さえる。

 だが、次の瞬間に上げた俺の顔は――多分、晴れ晴れとしていただろう。


 アヤコとカイルはいくつかの記憶と共に消えたが、彼らが助けてくれた際の安心感や感謝は今も俺の中から消えていない。

 だからもしヘプタや伴さんに何かあったとしても、今俺の心を軽くしてくれたという事実が俺の一部として消えずに残ってくれるのだろう。


 止めていた足を、再び踏み出す。

 少し歩いて横を見れば、目の前には階段と壁面を黒の御影石であつらえた高層マンションが鎮座していた。


「……着いたな、ここがグラナイト岩井町だ」

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