11.討伐

 ――


 そして5階、エスカレーターの前に至る。

 巡回の速度からして迎え撃つに最適な位置取りだと思ったのだが、準備を終えて回想に耽る程度の時間はあったらしい。


 ――おかげで、唐突に姿も心臓が破裂しそうになりこそすれ、恐慌に至らず冷静に対処ができた。


「――おい、はここだぞ」


 出来る限り尊大に言い捨て、物理的にのみならず精神的にも見下す形を取ったつもりだ。

 それが功を奏したのか、指田はこちらを見上げるなり若々しかった筈の顔面に深々と皺を刻み、憤怒の様相をあらわにする。


 瞬きの瞬間に、階段の床板を踏み荒らす轟音が空気を激しく叩く。

 エスカレーターを上り切るまで半秒もかからず、当然ながら俺の反射神経では指田が眼前に迫ってきた段階で心器を構えることすらままならない。


 このままいけば、機関銃並みの早さで俺はめった刺しにされあっけなく瞬殺される。


 ――そう、このままだったら。

 突如、俺より高かった指田の身長が急に

 否――金属製の床板ランディングプレートので、指田はエスカレーターの制御盤やらモーターやらの隙間に片足を丸ごと突っ込んで派手に転倒した。


オ゙前゙ェ゙エ゙エ゙!!!!!!!! ア゙ァ゙ア゙ア゙!!!!!!!!』


 地を揺るがすような怒号がとどろく。

 パーテーションは元々プレートの上にあったものだが、元あった場所に固定されたまま制御装置の上に浮いている。


 パーテーションの設置も指田の仕事だったのだろう。

 だがエレベーターの点検は指田の仕事じゃない。


 非常階段が普通に使えたおかげで、指田の関わっていない部分には細工が可能だという気づきを得られた結果だ。


 正直転んだ際に一発くらいはナイフを喰らうことを覚悟していたのだが、運よく指田はそれを手放してくれたらしい。

 憎悪をそのまま叩きつけるような絶叫には肝を冷やしたが、立ち上がられる前に俺は心器を振り下ろす。


「刃よ――」


 指田のフルネームは既に知っている。

 そこから先の流れは炎谷ぬくたにの時と同じだ。


 祝詞と同時の斬撃。

 つんざくような絶叫は止まり、指田は――彼だけではなくパーテーションもまた光の粒子となって周囲に霧散していく。


 耳元から、歓声。

 画面を展開すれば、コメント欄には称賛の嵐。


『新人スゲーーーー』


『もう絶対死んだと思った、これはファンになる』


『すっごいカッコ良かったです!』


 この中にはアヤコ達のオマケで見に来ていただけだった視聴者もいたのだろうが、多くの人が俺のチャンネルを気に入ってくれたようで今や登録者数は3桁を余裕で突破していた。

 朝には1桁だったというのに。


 新人デビューとしては大成功した部類に入るんじゃないだろうか。

 内側から膨れ上がるような喜悦に胸を打たれ、言い知れない昂揚を覚える。


 これが舞い上がるという心地なのだろう。

 だが、その奥底で少しだけ後ろめたい気持ちもあった。


『あの銀の板? みたいなの外れるんだ。よくこれに気づいたな』


 ふと、こんなコメントが目に留まる。

 実際、生まれも育ちも居住施設の俺はエスカレーターなどほぼ見る機会がない。

 当然メンテナンスの方法どころか『ランディングプレート』なる名称も先ほどまで知らず、まして外せるなどとは思いつきもしなかった。


 ならどうして、そんな俺が今回の作戦を実行することができたのか。

 それは――コメント欄でもっともうるさく騒いでいる人のおかげだ。


『さすがはクロウ殿でござる! いよっ日本一! ラストサムライ! 最強墓穴製造機! エスカレーター墓穴男でござる! キャアアアアアア結婚してくださいでござるうううううううううううう!!!!』


「やめてくれ」


 毎度のことながらばんさんの勢いと熱気に負けそうになるが、思わず一言。

 彼はアヤコが指田について話してくれていた時、コメント欄でメッセージを見るよう促していた。


 内容は簡潔に記されたエスカレーターの仕様と必要な工具類。

 これを他人に伝えなかったのは危険な役割を他の二人に引き受けさせたくなかったというのもあるが、伴さんの意向を汲んだからだ。


『追伸 拙者、玄殿の活躍が見たいでござる。そしてもてはやされている所を見たいのでござるよ。もし成功しても拙者の提案だった事はどうかご内密にお願いしたいでござる』


 そして実際、作戦は成功した。

 立案者は何食わぬ顔で俺に賛辞のコメントを綴っているので、どうにも据わりが悪いというわけだ。


 逃げるように目を逸らしたものの、別画面からは同業者からもまた俺に対する称賛が述べられていた。


『すごいねクロウ君、よくそんな追い込み方を思いつくものだよ! それによくあの状況で冷静に対応できたよね!』


 ヘプタは満面の笑みを浮かべ、少々声が上ずっている。

 普段の彼は落ち着いていてあまり調子を崩さないだけに、今はやや幼く見えた。

 素直な感嘆なのだろう、だからこそダイレクトに伝わってきて少々照れ臭くなってしまう。


『いや本当すげぇよお前、迎え撃つタイミングも絶妙だったしよ! おかげで助かったぜ!』


 カイルもまた普段の割増の溌剌はつらつぶりを見せてくれている。

 だが彼に対しては照れよりも何よりもまず、今までが仮病だったのかと思うほどの回復ぶりに目を疑ってしまった。


「おいカイル、やたら元気じゃないか……?」


 そうたずねられた彼は得意げに頷き肩の染みを指差す。


『おう、まだ少し貧血でフラつくが傷は一瞬で塞がったぜ。やっぱ止血が効きづらかったのは霊障だったんだろうな。とにかくお蔭様で復活だぜ』


 この回復ぶりは単なるやせ我慢とは思えず、今は本当に負傷も痛みもないのだろう。

 除霊をするまで消えない傷――助かったからいいものの、もしもっと長丁場になっていたらカイルは緩やかな失血死を迎えていたのだろう。


 そう思うと、すぐに動いて良かったと心から思える。


「それは良かった。けど俺だけではなく必要な工具を探してくれたヘプタとアヤコも――」


 言いながらアヤコの画面へと視線を流して、


「……おい、アヤコ……?」


 思わず彼女の画面を凝視ぎょうしし、眉間に皺が寄った。

 どうも先ほどから口数が少ないとは思っていたが、カイルやヘプタのそれと比べて明らかにアヤコの画面だけ様子がおかしい。


 異様に低い彩度、時折入るノイズのような現象。

 そもそもこちらに全く反応せず店舗の入り口に釘付けとなったアヤコの姿。


『うーん、一体どうしちゃったんだろう? アヤ――』


 ヘプタ達も彼女の様子をいぶかしんだ矢先だった。

 ――不意に開いた扉から、店舗に踏み入る


「……っ!?」


 息を呑む。

 心臓が握りつぶされるように痛む。


 脳に流れ込む大量の血流。

 


 黒い襤褸ぼろから細く伸びた蒼白くうじゃじゃけたような肢体は、腐敗の進んだ水死体を彷彿とさせている。

 顔面もまた似た印象だが、それでいてあれは


 最低限人間の輪郭だったと思えるようなかたちに、無理やり出来の悪い蜘蛛の顔面を押し込んだような

 ずれにズレて、まばらに配置されたガラス質のそれ。


 


「っ、アヤコ! 今行くから待っていろ!」


 もはや配信中の乱入はご法度だとか、そんなことは考慮する余裕すらなかった。

 画面越しですら感じる凍てつくような威圧感、炎谷ぬくたにや指田ですら比べ物にならないほどの影響を画面に及ぼすほどの霊力。


 いくらアヤコでも一人で敵う相手ではないと、考えずとも理解できた。

 俺一人加わったところでどうにもならないことも承知の上だが、それでも黙って見ているなんてできない。


 躊躇ちゅうちょせずエスカレーターを目指す。

 上の階を目指すべく全力で、体力の消耗などお構いなしに駆け上がっていく。


 ――だが、6階に辿り着く直前。

 唐突に――は、起きた。



 ――



 よく怪談話に出てくるラップ音だろうか。

 硬質で、だがしかし拍子抜けするほど軽い音だった。


 それがアヤコの画面から聞こえてきたのだと気づくと同時、その中で

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