12.脅威

「……は……?」


 吐息と共に滑り出たのは、そんな間抜けな声。

 それしか言えなかった。

 眼前の光景は、まるで理解不能だった。


 アヤコが、消えた。

 多眼の怪異と向き合って、消えた。


 何か攻撃をされた風にも見えなかった。

 だがアヤコは確かに画面の中で、全身にトランシジョン効果でもかけられたかのように


 それから、薄っぺらい光になって、舞い上がって、光の柱みたいに――。


「アヤ……コ……?」


 舞い上る光の柱。

 それ以外に表現しようがない何かに、彼女はなった。


 頭を殴られたような衝撃の後、俺は現実味の感じられないその画面を呆然と眺めたまま馬鹿みたいに立ち尽くすしかできなかった。


 ――そうしている間に、件の棒立ちだった怪異は踵を返し工具店から出て行ってしまう。

 どういう訳か今まで映像を受信し続けてくれていたアヤコの画面もそれを皮切りに暗転してしまい、現場の様子は何も確認できなくなってしまった。


「――っ!」


 光柱が見えなくなると同時、我慢しきれずに俺は再びエスカレーターを駆け上がる。


 何かの間違いかもしれない、そもそも現実的に考えて人間が一瞬で細切れになるはずもないし、それが舞い上がるなんてもっとあり得ない。

 俺の見間違いかもしれない、勘違いかもしれない。


 ――アヤコはまだ生きているかもしれない。

 どうしても、それを確かめずにはいられない。


『おい馬鹿、やめろっ!』


 画面の向こうでカイルが叫んでいる。

 彼のことだ、俺を心配してくれているのだと頭ではわかっている。


 だがアヤコの二の舞になる可能性が高いと理解してはいても、今の俺にはどうしても引き下がることができなかった。


 頼むから俺には構わないで逃げてくれ。

 人の事は言えないが、カイルも馬鹿だ。


 さっさと廊下に出たヘプタにならって逃げてほしい。

 ――だがそんなヘプタはヘプタで、立ち止まって顔色を変えていた。


 虚空に半端に伸ばした手は、彼の前に展開された画面に触れている。

 ごく自然に、その先へ視線が流れた。


 地形のスキャンを行ったらしくワイヤーフレームで表現されたそこには、


「何やってるんだ、早く逃げろ!」


 自分のことを棚に上げ、俺は咄嗟とっさに彼に向かって叫んだ。

 だがどういうわけか彼は、非常階段への扉を開いた後また立ち止まってしまう。


『……あぁ、もちろん逃げるよ』


 こちらが困惑する中、こちらを振り向いたヘプタの表情はあいかわらず優美だった。

 だが、翡翠の双眸には強い決意が宿っている。


「だったら早く――」


『まだだよ』


 俺の発言は即座に遮られた。


『ちゃんと僕を追ってきてるか確認しなければ君達が確実に逃げきれない。追ってきたとしても、指田さしださんみたいに電奇館から出られないんだとしたら僕が出た時点であの怪異が中に戻ってしまうかもしれない。僕の画面を見て、引きつけているのを確認してからエスカレーターを使うんだ』


『ばっ……無茶だろそんなん、それじゃお前も……』


 死ぬ、というのははばかられたのだろうカイルが言い淀む。

 だがヘプタは俺達の狼狽に構わず、満面の笑みを浮かべた。


『うーん、これで生き残ったらカッコイイよねぇ』


 アバターは便利だ。

 余裕の笑顔のガワの奥で本体の表情は引きつっているかもしれないのに、そうだとしても完璧に隠してくれる。


「……声が」


『うん?』


 耐え切れず、俺は続きを呟いた。


「……声が、震えてるぞ」


 向けられた、苦笑。

 笑声にすら残る微かな震えが痛ましく、気づいてしまった罪悪感に少し心を抉られた。


 ――機械は俺達の意思なんて読み取ってくれない。

 声質は別人のように変えられても、心の機微を上手く消してはくれないものだ。


『本当に目ざといよねぇ、君。……さあ、時間切れだ。アヤコさんを確認したらすぐ帰ってね』


 非常階段と廊下を繋ぐ一本道、その先の薄闇にが現れる。


『ほーら、追いかけておいで!』


 言い放つと同時にすぐさまヘプタは非常階段の方へと転身した。

 画面を切り替え、彼の周囲を広く映す。


 ――ヘプタの目論見通り、彼の後を追い怪異は非常階段を下り始めた。


「……クソッ、絶対死ぬなよ……!」


 ちゃんとした礼が言いたい。

 だが彼が稼いでくれた時間は少ない。


 エスカレーターを駆け上がり、7階に出る。

 再度ヘプタの画面を一瞥いちべつしたところ、ちょうど怪異がこの階の非常階段を通り過ぎたところだった。


 その影響か、明らかに周囲の空気が歪み闇が深くなっている。


「クソッ、何なんだ――っ!?」


 言葉を紡ぎ切らないまま、俺は心器を抜いて向きを変えざまに薙いだ。

 眼前で暗闇から飛び出してきた蒼白い霊魂が真っ二つに切り裂かれる。


 たった今踏み込んだ8階へのエスカレーターからは雪崩れるように何人もの霊が押し寄せてきている。

 ただでさえ時間がないというのに、と苦虫を噛み潰したような思いに駆られた。


 恐らくはこれらの低級霊も件の怪異から影響を受け狂暴化しているのだろう。


「急いでいるんだ、さっさと道をあけろ……っ!」


 苛立ちを抑えきれずに、力任せに軍刀型の光刃を袈裟切りに振り下ろす。

 指田と違って一人一人は大した強さを持たず、おぼろげな存在である彼らは一太刀で紐解けてあっけなく霧散していく。


 だがいかんせん数が多く、切り伏せても切り伏せても立ち塞がり消耗ばかりする割に亀の歩みでしか前に進めない。

 既に数十秒は経過したと思われるが、未だに俺は7階と8階の間を繋ぐエスカレーターに留められている。


「時間がないというのに……!」


 舌打ちと共にヘプタの画面を再び確認――しようとした瞬間だった。


「っ!」


 第六感に従い、咄嗟に身体を左側に倒す。

 直後に灼けるような熱が右脇腹を掠め、轟音と共に一つ上の段の角がたわんだ。


 すぐ後ろに迫っていた男が力任せに金鎚を振り下ろしたようだが、どこの階から持ち出したものなのだろうか。

 それとも売り場ではなくどこかの店舗の事務室にでも――などと、すさまじい勢いで頭が答えを求めて回転する。


 だが、そんなものはこの際どうでもよかった。

 今重要なのは、無我夢中で前方にばかり気を払っている間に背後を取られ挟み撃ちを喰らってしまったということだ。


 いくら相手が雑魚でも、数の暴力はくつがえせない。

 あまりに迂闊うかつだった。


 完全に凡ミスだ。

 アヤコの安否が気になるあまり頭に血が上っていたなどと言い訳してももうどうにもならない。


 前からは俺を突き落とそうとする手が迫り、後ろからは俺を打ち据えようと再び振り上げられた金鎚が迫る。

 ――どう足掻いても、どちらかは避けられない。


 そして、どちらかを受けてもこの先を進む上では致命傷になりえる。

 絶体絶命。


 まるで、世界全体がスローモーションになったようだった。


「――前を叩け!」


 ふと、誰かの声がどこか他人事のように乖離かいりしていた俺の意識を現実に引き戻す。

 考える暇もないまま、前方に向き直って上段の敵に斬撃を浴びせる。


 背後からの殴打を覚悟したが、それはいつまで経っても訪れなかった。

 振り返れば、金鎚の男の代わりに青い瞳の少年がすぐ下まで上がってくる。


 俺より少しだけ背が高く眼光も鋭いが、顔立ちそのものは若い。

 年頃としては同じか、もしかすると俺よりも少し若いかもしれなかった。


 彼は見覚えのある――見覚えのありすぎる、海色に輝くシャムシールを振るい下階から迫る敵を薙ぎ払ってくれていた。


『おいKyleさんマナー違反じゃん良いのかよコレ』


『乱入マジ草』


 俺も彼が誰か察しがついていた。

 だが、それでも信じられずにイヤホンから聞こえるコメントに耳を傾けてしまった。


 ――やはり背後の少年は、俺の知っている人だった。

 彼も――もまたこれらの文字を見て、あるいは聞いていたらしく不機嫌そうに言い放っていた。


「っせーな……あぁそうだよ乱入はご法度だよ、けど見てられっか!? 命の恩人が今にも死のうとしてんだぞ!?」


 一人じゃ到底勝てる見込みもない怪異がこちらに引き返してきているかもしれないのに、彼はどうやら俺のために動いてきてくれてしまったらしい。

 コメントでも言われているように、この仕事において彼の行為は暗黙の了解として禁止されているものだ。


 カイルの行動のせいで彼と俺は互いにリアルの面が割れてしまった。

 ――だが彼と同じ動機で突っ走ってきた俺には、なりふり構わず動きたくなる気持ちを誰よりも理解できているつもりだ。


 実際そのおかげで俺は助かった。

 一人ではほとんど停滞していた足取りも、今は勢いを取り戻しつつある。


「……ありがとうカイル。少なくとも俺は来てくれたことに感謝している」


 道を切りひらくのに手いっぱいで、今真後ろを振り返る余裕はない。

 だが前方に展開した画面の中で、海賊風の青年が嬉しそうに破顔する様子はちゃんと目に焼き付けた。

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