13.欠落

「おいおいヘプタの奴、大丈夫かよ……!」


 8階に上がりきった直後、後方からふとカイルの心配げな声が聞こえてきた。

 俺も不安を煽られ、先程見損ねたヘプタの画面へと目を向ける。


「……これは、駅ビルか……!? 一体何でこんな……」


 当時は近代的で煌びやかな面構えだったのだろう、各店舗のカウンターや商品棚が並べられた空間を件の彼が走っている。

 駅ビルを通らず外の道路を通過していれば今頃電車まで逃げこめていたかもしれないのだが、どうして敢えて遠回りしてしまったのか。


 道路と違い遮蔽物が多く安心するのかもしれないが、かえって道は長くなり他の霊が潜んでいる可能性だって捨てきれない。

 彼は最も冷静そうに見えていたのだが、そんなことを考える余裕すら失ってしまっているのだろうか。


 怪異を引きつける前に声の震えを必死に隠そうとしていたことを思い出してしまい一気に不安が募ってきたものの、もう此方こちらからはどうしてやることもできない。


「つーか、登録者えらい増えてんのな……あっ」


 ヘプタがビルを出て駅へと渡った瞬間、画面が暗転した。

 一瞬で嫌な予感が胸中に渦巻いたものの、よくよく考えればもう間もなくホームの方だ。


 どの車両に乗ったかが個人特定の要因になりかねないため、乗り場付近で通信が自動的に遮断されただけだろう。


 鉄道は入念に結界が施され、そこに閉じこもっていれば安全は保障されるのでそこまで乗り切りさえすれば彼は生き延びられると思われる。


「……後は祈るしかないか……。」


 まだ電奇館にいる俺たちにはどうすることもできず歯痒いものだ。

 彼の安全をこれ以上確認することも叶わなくなり、足を動かしつつもカイルが言及した登録者数にふと意識が向かう。


 カイルの言う通り、デビューしたての俺のチャンネルでも今は1000人以上に登録してもらえている。

 アヤコに至っては登録者数10万人以上、ヘプタが1万人を少し超えたあたりだ。カイルもあと少しで9000に達しそうなところまで来ているといったところだが、アヤコはともかくほかの二人はVhunter歴がさほど長くなく有名とまでは言えなかったはずだ。


 今ヘプタを追い回している怪異はそれほどまでに稀な大物なのだろう、と改めて認識させられてしまった。

 それと同時、彼の生死に関わらずそろそろ件の怪異がこちらに戻ってくる可能性が出てきたことを思い出してしまう。


 突っ走った時点で覚悟はしていたつもりだが、怪異の現在地が把握できない不安は想像以上のものだった。

 ――まして次は奴がアヤコの前に出現した階だ。


 焦燥と緊張に急き立てられ胃が裏返りそうな心地になりながら、襲い来る霊魂を切り裂いてエスカレーターを折り返す。


「……あっ……」


 邪魔な霊魂が消え、拓けた視界の先。

 見上げた先にある9階はほぼ天井しか見えないが、微かながらも今までの階とは明らかに異なる点を見つけてしまい目をみはった。


 ――薄っすらと、本当に薄っすらとだが――赤い。


 もともと単なる映像のバグでアヤコは生きているだとか、現実逃避の妄想でしかないと理解はしていたものの――それでもこの光景を見てしまえば、もはや『何もないわけがない』とは言えない。

 1%くらいはまだ残されていた希望が粉々にうち砕かれた気分だったが、心中に絶望が黒く渦巻いても今更止まれない。


「……辛いなら無理すんな。確認が必要なら俺だけで見てきてやるからよ」


 脚の震えか、あるいは息を呑んだことに気づかれたか。

 後ろ姿しか見えていないはずなのに、俺よりも年下の少年にそう言わせてしまう自分が情けなかった。


 先ほど俺に指摘を受けたヘプタも、こんな気分だったのだろうか。


「……いい。どんな結果であれ、自分の目で見なければ後悔するだけだからな」


「……そうかよ」


 カイルは心配げな声音だが、これ以上追及しないでくれた。

 やがてエスカレーターを上りきり、どす黒く淀んだ闇の中に一つだけ赤く浮かび上がる工具店を見た。


 非常階段の手前に位置するそれ。

 空気が重苦しい割に霊は少ない。

 あらかた下に雪崩なだれこんできてしまっていたのだろう。


 道中襲撃を受けることもなく、店舗へ。

 赤い光は徐々に強くなって、開きっぱなしの扉をくぐれば――少し奥に、画面上で見たままの光柱が見えた。


「……あぁ」


 わかっていた。

 わかっていたはずなのに、震えて言葉が出ない。


 朱子あやこの名にふさわしい、彼女が好きだった赤色が――彼女が存在していた頃の痕跡が、舞い上る光の色に見て取れる。


 網膜が痛むほどに眩しいのに、間近まで歩み寄っても俺の心は照らされなかった。

 目の前が真っ暗になるような思いとは、今のような状況を言うのだろう。


 もはや現実に差し込む物理的な光が意味をなさない。

 ただ項垂うなだれて、打ちひしがれる。


「……行こうぜ、アヤコもお前を道連れになんかしたくねぇだろ」


 肩に手を置いてくれたカイルの言い分が全面的に正しい。

 アヤコは自分を置いて生き延びて欲しいと願うだろうし、Vhunterが仕事中に命を落とすことなど珍しいことでもない。


 だが、俺はどうしても冷静になりきれなかった。


「……お前に、アヤコの何がわかるんだ……」


 掠れるような声。

 勢いも何もないが、それでも八つ当たりには違いない。


 やり場のない思いに加え、ここまで助けてくれたカイルにそれを向けてしまった罪悪感で余計に苦しむことになる。

 つくづく俺は愚かだ。


 だが、それでもカイルはかぶりを振るのみで、俺を責めたりはしなかった。


「……悪りぃな、前から知り合いっぽかったお前に比べりゃ何もわかんねぇよ。けど、せめてお前を死なせたくねぇんだろうなってことくらいは――」


 ふと、カイルが何かに気づく。

 不意に首を傾げ言葉を切り、唐突に浮上したらしい何らかの疑問に対して思考を巡らせているようだった。


「……? 何だ、どうした……?」


 身体が重かったが、何とか彼の方を振り向くことはできた。

 彼は頭を抱え逡巡しゅんじゅんしていたようだが、やがて困惑を隠せない様子でこちらに蒼い双眸を向ける。


「……いや、本当にわかんねぇっつーか……あれ? なぁ、俺……アヤコと画面越しに話してたよな?」


 今度は俺が困惑し怪訝そうに眉間に皺を寄せる番だった。


「は? 当たり前だろう、何をいきなり……」


姿んだよ」


「……は?」


 ひっきりなしではなかったとは言え、数時間は顔を合わせていただろう。

 まして最後に顔を合わせてから30分程度しか経過していない。

 本気なら何らかの記憶障害を疑うところだが、どうやら彼の様子を見る限り冗談でも何でもないらしい。


「おい、俺の心配をしている場合じゃないんじゃないか? やっぱりまだ体調が悪いんだろう。アヤコはあんな特徴的な――」


 ――特徴的な、


 頭が、背筋が、全身が、冷える。

 カイルにアヤコの特徴を伝えようと手繰り寄せた記憶の糸の先には、何もくくり付けられていなかった。


「……そんな、いやまさか……そんな馬鹿な話が……」


 じわじわと首を絞められるような息苦しさに襲われる。

 こんなこと、あってはならない。

 あってなるものか。


 ――それでも、どうしても。

 姿

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