23.現代へ
――――
「……、今のは……?」
ブラウニーで空中に表示した時計を確認してみるが、あれだけの情報量が流れ込んできたというのにたった数秒ほどしか経過していないようだった。
呆然としていた時間も含めれば、おそらく一秒もかかっていない。
うっかりまた呆けてしまいそうになるが、慌てて自らの手元へと視線を向ける。
ちゃんと彼の手は握っており、放して川に落下させてしまっていたなんて惨事は発生していなかった。
繋いだ手の先で、彼は悪戯っぽく笑っている。
「ははっ、驚いたか? 俺が見た内容を口頭で伝えるよか直接自分で見た方が早いだろ?」
「……いや、それはそうだが……どういうことだ? 俺は超能力なんて使えないはずだが」
カイルの手を引き、足場に登る手伝いをしながら疑問に思っていたことを訊ねる。
カイルの話ではサイコメトリーを用いて情報を持ってくるはずで、それは超能力者である彼にしかできないはずだったのだが。
「使えねぇってのは間違いだな。正確にはそう言われてる連中も、微弱すぎて使い物にならないだけで超能力自体は持ってる。まあとにかく、何でもいいからこの指輪にはまってるコーネルピンって石で俺とお前の中に眠ってる能力を引き出してテレパシー的な現象を起こして見せたってわけだ」
「コーネルピン……」
『別名プリスマティンとも呼ばれる希少な石らしいでござる。大抵は茶色や彩度の低い暗緑色のようでござるが、明度の高い青や緑も存在するらしいでござる。才能開花の力があると言われているでござるが、拙者の時代ではおまじない的な意味合いしかなかったでござるよ?』
握った手元へ、目を落とす。
この時代では支給品でもないアクセサリーは何らかの仕事を請け負わなくては手に入らない。
まして個人主義の時代で貴金属や宝石への関心は薄れているため、身に着けていたとしても大抵は『それらしい』卑金属やガラス玉、こだわってもイミテーション止まりの場合が多い。
相当高価でかなりの貢献を要求されたと思うのだが、こんな芸当ができるならば手に入れたがる理由もわかるというものだ。
それにしても、今回は伴さんもヘプタも俺と同じでこの石のことを知らないようで安心した。
実はカイルがサイコメトラーだと言った時、二人ともそのこと自体に驚きはしたものの超能力者の遺伝子や存在自体はAIからの授業で習って知っていたのだという。
言われてみて俺もそのことを思い出したのだが、割と真面目に授業を受ける方なのになぜ今の今までそれを忘れていたのだろうと今でも少し疑問に思っていたりする。
ともあれ今回は、常識の欠落を意識してこっそり落ち込む必要もなく安心した。
「まあ持ってるのなんざ俺くらいだろうな。相手に情報を伝えることができるなんて今初めて真偽を確かめられたし、普段はもっぱらサイコメトリーの精度を上げるために身に着けてんだ」
カイルの左手が足場に辿り着く。自力でも上がれそうだが、一応濡れた手が滑るかもしれないので最後にもう一度彼を引っ張って手伝うことにした。
「しかしよくそんな石の効果を知っていたな、やはりカイルが超能力者だから得られた情ほ――」
不意に、視界が暗くなった。
――否、
カイルも異変を察したようで、俺が顔を上げると同時に勢いよく背後を振り返っていた。
そして、
――神田川の片隅、すぐ側。
水面に立つ、蒼黒い人影。
「……なっ――!?」
血が急速に体内を巡り、精神をたたき起こす。
心臓が一気に締め上げられるようで、息が苦しい。
何故何の前触れもなく玻璃蜘蛛が現れたのか。
直前までは何の気配もせず、なんの異変もなかったはずだ。
理解ができないままでいたが、そもそもそんな事をしている余裕はない。
それに――気づいてしまったのだ。
奴の目が俺ではなく、より至近距離にいるカイルに注がれている事に。
「カイルっ!」
関節でも外しそうな勢いで、掴んでいた彼の右手を引き上げる。
そのままこちらに引き寄せようとしたところで、不意に耳慣れた音が聞こえた。
――
否、自分の耳で聞いてみて初めてわかったが、どちらかと言えばそれよりも少し鋭い。
これは、先程記憶の中で耳にしたばかりの――
高速で回り続ける頭の片隅でそう認識すると同時、眼前の少年の顔が
「……ぁ……」
崩壊は一瞬で
支えをなくした反動で後ろに転倒した俺の手の中に、傷模様の指輪だけが残された。
視線の先、人間だった彼は、まるで青の陽光を透かしたモビールのように揺らめいて。
カイルは、あっけなく先週のアヤコと同じように光の柱へと姿を変えてしまった。
彼は二人目の命の恩人だった。
先程まで会話をしていた。
確かに存在していた。
心を軽くしてくれるような笑顔を浮かべる人だった。
そんな彼がこうもあっけなく、消された。
俺と怪異を隔てるものがなくなり、蒼の光柱を透かしたすぐ向こうに平坦な複眼が見える。
気が狂いそうなほどの悲愴が、全て殺意へと切り替わる。
全身を伝播する震えに耐え、歯を食いしばり玻璃蜘蛛を睨みつけた。
「――刃よ! 佐藤踊の旧き呪縛を断ち切れッ!」
引き抜いた心器から紫苑の光刃が伸びる。
居合の如く、腰から引き抜いた勢いのまま切っ先が玻璃蜘蛛の胴体を斜めに分断した。
――決まった。
こいつの名前が佐藤踊であることは知っている。
他でもないカイルが遺してくれた情報だ。
彼が指輪を介して過去を伝えてくれていたから、俺は玻璃蜘蛛の本名を知りえた。
カイルのお陰で除霊を行うことができた。
真っ二つに切り裂かれた玻璃蜘蛛は今すぐにでも消え、そうすれば呪われたアヤコとカイルは無事に生還できるのだろうか。
早く、結果が知りたい。
「……は……? なん、……で……」
確かに刃は命中させた。
反動もあったし、何より身体自体は間違いなく傷つけている。
祝詞だって間違えたわけでもないし、Vhunterを支える視聴者の数が少なすぎたのだとしても――それでも、除霊がここまで効力を発揮しないというのはありえないはずだ。
――なら、何で。
頭にのぼった血は俺を奮い立たせてくれたのに、今度はまるで代償のように重力に呑まれて引いていく。
――寒い、息をするたびに喉が渇いて苦しい。
なぜ除霊が無効化されたのか答えを導き出せないまま、かち合う視線。
この瞬間から、時の流れが急激に遅くなったような錯覚を覚える。
――あぁ、ここで俺も終わるのか。
そう悟った、瞬間。
唐突に、張りつめた空気が霧散した。
そして玻璃蜘蛛の姿もそれと同時に消失していく。
除霊が効かないことと同じように、こちらにはその理由も意味もわからないまま。
ただ一人訳もわからぬまま俺だけが取り残され、静まり返った船着き場に膝から崩れ落ちる。
夢でも見ていたと思いたかったが、今この瞬間も目の前に残されているカイルだった光柱が現実逃避を許してくれない。
呆然としたまま、凪のような時間を過ごすこと数秒。
それからやっと、イヤホン越しに必死に俺を呼ぶ二人分の声に気づける程度に自我を取り戻した。
『く、玄殿ぉ! ご無事でござるかッ!?』
『何でいきなり玻璃蜘蛛が……? いや、今はいい。今すぐ調査を中断して帰ってくるんだ。できるかい?』
「……あぁ……」
必至に捲し立てる二人に対し、ただ短い返事を喉の奥から絞り出すのが精いっぱいだった。
わかっている。
玻璃蜘蛛がいたつい先刻に比べれば遥かにマシだが、踏み入る前よりは多少なりとも霊気が増している。
長居していれば電奇館の時のように狂暴化した霊が集まってくるかもしれない。
そうなれば生還できるものも生還できなくなる。
今は駅まで一人で帰るのが先決だと、わかってはいる。
――もうカイルは共に帰れないのだから置いて行くしかないと、頭ではわかっているんだ。
俺は踵を返し、古い石の階段を駆け上がった。
吐き気に似た胸中の
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