5.バックヤードを目指して

 まず腕に巻かれたブラウニーで地形調査を行い、崩落する程の老朽化はないこととこの先はしばらく一本道が続くということ、実体のある敵はいなそうだということを確認する。


「ライト」


 音声入力すると同時、ブラウニー自体が淡く発光した。


 生体充電式を採用しているこの機器は体温がある限り普通に使う分には電池切れを起こすこともないが、充電しておける電気量はさほど多くない。

 強い光を放てば一瞬で電池を使い切り、通信も切れてしまうだろう。


 眼前に続く闇が辛うじて数歩先が見える程度に拓ける。

 はっきり言って心もとなく、もし霊が潜んでいたらこの光で刺激しかねないというリスクもある。


 実際、基本的には光源の所持はその観点から推奨されていない。

 だが完全な闇を潜り抜けるにはどう足掻いても光が必要だったので、今回は使用に踏み切った。


『うーん……クロウ君、身体の調子が悪くなったりはしてないかい?』


 ふと、ヘプタの声。


 出来る限り神経を研ぎ澄ませ、前方のみならず背後からも奇襲がないかと最大限の警戒を行いながらコンクリートの道を進んでいたので彼の画面を確認する余裕はない。

 が、声音からすると心配してくれているのだろう。


「湿気で少し服が重いが、肉体そのものに問題はない。どうしてそんなことをいた?」


 返答が少しつっけんどんに聞こえてしまったかもしれない。

 だが今は他に気を遣う余裕がない上、彼のどこか遠回しな言い方が引っかかったのも事実だ。


 それを察したのか否か、続いてカイルが横やりを入れる。


『そりゃお前の画面がどう見たっておかしいからだろうよ。めちゃくちゃ暗いし画質も悪い。普通に考えりゃ霊障だわな』


『ちょっ……カイル君……!』


 アヤコの狼狽ぶりからするに、彼女もまたヘプタと同様に俺の不安を煽らないよう言葉を選んでいる最中だったのだろう。

 だが俺は、画面を開かないまま静かにかぶりを振る。


「いや、いい。変に気を遣われるより率直に危険を伝えてくれた方がありがたい。見れば1階に比べて地下は明らかに異常だとすぐわかる、画面越しにもそう見えるなら納得もいくというものだ」


 内心の不安は悟らせまいと、意識して淡々と述べていく。


「……ほら、そんなことを言っている間に扉だ。悪いが今回は俺が『当たり』を引いたようだな。主役は貰っていくぞ」


 言い終えるや否や、足を止めつつ鼻で笑う。


 眼前には扉。

 無骨な鉄扉は灰色の塗装が剥げに剥げて、剥き出しになった内部の部材はもう錆なのか何なのかわからないほどにどす黒いまだら色になっていた。

 光沢の失せたドアノブからは幾筋もの液漏れの痕跡が伺え、流血めいた絵面が気勢を見事に削いでくる。


 何より空気がこれ以上ないほどに冷え切り淀んでいる。

 これで何もないと思う方がおかしい。


 だからこそ後戻りできないように渾身の演技で虚勢を張ったわけだ。

 自分でも完璧に演じきれたと思ったところで、少しの沈黙。

 静寂の中、アヤコの真摯な声がそれを破った。


『……大丈夫、キミの上に三人も味方がいるからね』


 五年前のように一方的に守ろうとせず、それでいて五年前と同じように一人ではないと勇気づけてくれることが何よりもありがたい。


「……あぁ」


 首肯と同時に、ノブを握る。

 おびただしい結露が手にまとわりついても、滑る鉄塊に骨のずいまで冷やされそうになっても、彼女のおかげで心に灯った勇気は消えない。


 躊躇なくノブを捻り、勢いよく鉄扉を開く。

 案の定肌を裂くような嫌な空気が流れ込んでくるが、覚悟していた奇襲などはない様子だ。


 扉を開き切って中に入り少しだけ光を強めるも、拓けた空間の中で目に付くのは書類や食器類の収められた鉄棚や簡素なパイプ椅子とテーブルという何の変哲もない調度品ばかり。

 明らかに空気はおかしいのに何も現れないというのはかえって不気味で居心地が悪い。


 まさかと思い天井を仰ぐが、何かがへばりついているというようなこともなかった。

 充電量に不安があるため、ざっと全体が視認できたところですぐ光量を落とす。


 敵も出ず拍子抜け半分不安半分で困惑し立ち尽くすしかなかったのだが、唐突に両の足首に違和感を覚え足元を照らした。


「……は……?」


 違和感の正体が急激な冷えだと理解すると同時、その原因が視界に入ってきた。

 ――浸水している。


 つい先ほどまでは難なく歩行できていたはずなのに、ほんの一瞬で足首まで水位が上がってきている。

 背筋を駆け抜ける悪寒に突き動かされるまま、勢いよく入口を振り返る。


 腐食した鉄扉は今まさに軋みをあげ、ゆっくりと閉ざされようとしていた。


「クソッ、何なんだ……っ!」


 あれこれ考えるより、まず水を吸って重くなった靴ごと床から引きはがす。

 目の前の棚が倒れてくるのが視界の端を掠めたが、構わず走り抜ける。


 水面を叩きつける背後の轟音を聞き届け、すんでのところで鉄扉からまろび出た。

 肩で息をしながら九死に一生を得たと安堵したのも束の間、廊下にもうっすら浸水が始まっていると気づいて再び心臓が跳ねあがる。


 だがほんの一瞬気を抜いた時、どうもイヤホンの向こうが騒がしいことに気がついた。

 もと来た道を走り抜けながら、画面を展開し他の三人の様子を確認する。


 ――そこでやっと、俺が数分前に言われた言葉の意味を理解した。


 全員の画面が不規則に荒くなり、画面越しにも空気が淀んでいるのがわかる。

 それだけならまだしも、どうも全員幽霊と交戦中のようだ。


 どの画面でも、霊が荒れ狂い次々にVhunterたちを襲っているようだった。

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