3.探索開始
何者かの悪戯か、あるいは人ならざる者の仕業か。
ガラスをことごとく割られ、役割を果たさなくなった自動ドア――の枠をまたいで通る。
一歩踏み出すだけ、数秒もかからず終わる所作。
だがその一瞬でひどく淀み張りつめた空気が露出している顔に、手に、さらには服の隙間に入り込み腕や背筋を撫でていく。
停滞し冷え切っているはずなのに、ひどく生々しい感触だった。
思わず鳥肌が立ち、顔を顰めてしまう。
秋葉原電奇館の中は、外と比べ物にならないほどに暗い。
光源が今しがた通ってきた入口から注ぐ微弱な蒼い太陽光しかないために、奥に行けば行くほど闇が
両隣に小規模なテナントが存在し、少し進んだ先にはやや拓けたエレベーターホールが見えるものの、そこから先はどれだけ目をこらして見ても全貌がうかがえない。
もう少し目が慣れてくれば状況も変わってくるのだろうが、まず最初にどこから見て回ろうか悩ましいところだ。
少し悩んだ末、俺は件の拓けた空間へと歩みを進めていく。
耳鳴りが聞こえてきそうな無音の空間では足音が響き、嫌でも緊張感を要求される。
「……っ!」
途中で左側のテナントのカウンターに立つ蒼白い人影に気づくと同時、向こうからも黒々とした眼窩ごと顔をこちらに向けられとっさに身構えた。
――が、それきりだ。
こちらに気づいてはいるようだが襲ってくる気配はなく、
そうして辿り着いた、エレベーターホール。
エレベーターは二つとも扉が開いており、金属質のエレベーターシャフトとその中腹を縦断するワイヤーが丸見えになっていた。
どうやらカゴは上下いずれかの階に留まっていそうだが、覗いた瞬間に落ちてこないとも限らない。
特に使う理由もないため、首を突っ込んで確認する気にもなれなかった。
そうなると各階への移動手段はこちらを使うことになるだろう、とより奥にあるエスカレーターへ視線を向ける。
もちろん動いてはいないが、近寄ってざっと確認したところ老朽化は否めないものの階段としては問題なく使用できるように見えた。
「……と、そうだった」
老朽化と言えば、その度合いをもう少し手っ取り早く調べる方法があったという事を思い出して左腕を持ち上げる。
先ほど他者との通信を行ってくれた腕時計状の機械を見下ろし、『地形調査』と告げた。
すると
ワイヤーフレームで表現されたそれはこの階のみ、しかも最奥までは読み取れていない。
地図としては大味すぎてさほど使い物にならないが、ヒビ割れや密度の違う壁――部材が崩壊した場所などを教え事故に遭う確率を下げてくれる。
結果、周辺の壁はもちろん目の前のエスカレーターに目立った崩壊は見られなかった。
通り過ぎてきた店舗内には人型に盛り上がった箇所があるが、位置的に先程見た店員だろうし特に移動している気配もない。
ので、こちらも問題ないと判断した。
ブラウニーの地形調査は時折、実体を持つ怪異であればこうして読み取ってくれる事もある。
ただしその逆――透き通った幽霊のようなそれには全く通用しないので、奥の方に人型が存在しないからといって全く霊がいないとは限らない。
ただ少なくとも廊下には実体のある敵はいなそうだ、という程度の目安はある。
先に見てくるか悩みつつ、壁に打ち付けてあった案内板を見やった。
おあつらえ向きに俺の担当箇所に決まったこの階とその上下のフロアガイドが記載されているようで、一階と二階は同じ形状の枠内にそれぞれ異なるテナントが配置されていた。
だがふと、地下一階の図を見て違和感を覚え微かに目を細めてしまう。
「……地下階にはテナントが一つだけか……?」
それ自体は特に何も問題がない。
だが、上二つの階と比べ空きスペースが多いことが妙に気になった。
単なる縮尺の差かとも思ったが、エレベーターから先の長さがどう見ても短い。
おそらくは従業員専用の倉庫か何かがあるのだろうが、このまま一階の奥に進めばその直上を歩くことになる。
なんとなく、得体のしれないものの上を歩くのは気分がよくない。
既に一階に立ち入ってしまっているため少し迷いはしたが、結局どうしても地下が気になるのでそこから調査することに決めた。
踵を返し、店員の怪異を刺激しないよう足早にこの場を立ち去る。
『あれ、どうしたのクロウ君?』
外に出た瞬間、通信を繋ぎっぱなしにしているアヤコから不思議そうな声がかかる。
カイルが3階から5階、ヘプタが6階から8階担当なので彼女は残る9階と10階、屋上が担当区域だ。
空中に開いた画面は屋外で、どうやら今アヤコは屋上に上がったところのようだ。
屋上から俺の姿が見えたのかとも思ったが、階段の近くにいるようだし本当に偶然画面を開いて俺の動きに気づいたのだろう。
確かに事情を知らない者から見れば俺の行動は突拍子もなく見えるか、怖気づいて逃げ出したようにも見えるかもしれない。
「地下が気になるから先に見たい。どうも地下階だけは階段が外にあるみたいでな」
『そうなんだ、気をつけて行ってきてね』
先ほどまでは微かに心配そうな声色だったが、この瞬間にはすぐ影が消え去っていた。
もしかしたら、五年前に霊に襲われた経験のある俺が怖がっているのではないかと心配させてしまったのだろうか。
――まあ正直、全く怖くないと言えば嘘にはなるが。
それ以上に立ち向かいたいと思っているからこそ、俺はここにいる。
もう守られるだけではないと言えるようになるためにも、まずは仕事で成果を上げて行かなくてはならない。
そう気を引き締め直して、俺は建物沿いに歩き出した。
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