20.水の記憶

『あ、橋を渡らず親柱の横に回れば船着き場に至る道があるでござるよ。しかしそこには勇者たちを阻む封印されし扉が――』


「事前に聞いた通り、船着き場に続く門扉を乗り越えればいいんだな?」


『左様でござる~』


 万世橋に併設された船着き場に降り、神田川に触れるという流れは先週から決めていた。

 その時に伴さんが探し出してくれた当時の画像を確認してはいたものの、いざ横に目を向けてみれば現物は明らかに当時より風化が進んでいる様子だった。


 無骨な鉄格子状の門扉は塗装がはげているだけに留まらず、至るところが錆に侵食されひどい部分は穴があいて内部の空洞が丸見えになっている。

 いっそ蹴破った方がまだ安全な気すらしてきたが、何が引き金になって怪異が飛び出してくるかわからない。


 迂闊うかつな行動を取るわけにもいかないので、予定通り門を乗り越えることになるだろう。


「……今のところ何もねぇけど、気味悪くなってきたな」


「……あぁ」


 カイルと俺の意見は一致している。

 彼は俺と同じ場所――万世橋の欄干沿いを睨んでいるので意図もまた同じだと察することができた。


 遠目だと気が付かなかったが、欄干の中央付近とその周辺に水溜まりができている。

 その上俺たちが来た方と逆側の神田方面に向け、小さな足跡が伸びている。


 まだ真新しく見えるそれは俺たちの足よりだいぶ小さく、女性と言うにもまだ寸法が足りない気がした。


「一方通行ってことは川から何か出てきたんじゃね……? つーか、確か明治くらいの女って小柄だとか何とか……」


「早速出鼻をくじくな。……それに、多分これは玻璃蜘蛛はりぐものものじゃない。伴さん、明治初期ごろの下女の履物は何だったかわかるか?」


『検索したところ下女については記載がないでござるが、明治初期の女性は主に草履か下駄をはいていたとのことでござる。当時の絵を見ても下女は下駄をはいているでござるな』


 あいかわらずこの人は期待以上の答えを返してくれる。

 ブラウニーでも検索ができなくはないが、的確な指示を出せるかは人間側の技量に大きく左右されてしまう部分だ。

 何より人体で電力を得ているため無駄遣いをすれば映像の送信が途絶えてしまう可能性がある。


 そのため、伴さんの存在は非常にありがたかった。


「ありがとう。……で、そうなると少なくともあの足跡の主はもっと後の時代の生まれだろう。もっと言えばラバーソールが開発されたのは大正時代あたりからだったと思うが」


 水溜まりになっている箇所は判断しづらいが、そこから伸びる足跡の形状からある程度の推測は立てられる。

 レザーソールの形状は踵が少し高く作られ細かい溝もないが、目の前の足跡は接地面がほぼ均一かつ水溜まりから少し離れた位置の跡には滑り止めの溝の存在が伺える。


 よって足跡の主は少なくともその時代以降に生きていた者であり、それ以前に命を落としている玻璃蜘蛛とは確実に関係ないということになる。


『本当に周りをよく見てるよね』


 ヘプタの感心する声。

 前にも彼に言われたが、他のVhunterと関わり言及されるまで俺の長所として認識できなかった部分だ。


 妙に鮮明に聞こえ、心に浸透していく。

 今もAIに無能の烙印を押された経験が尾を引いているだけあって、無意識のうちに嬉しいと感じてしまっているのかもしれない。


「いやホントな、電奇館地下の件もあるし頼りになるぜ。おかげ様で安心したところで……さて、いよいよ侵入といこうぜ」


 ほっと胸を撫でおろすカイルに、頷き返し錆びた門扉へと向き直る。

 こうして俺の力が役に立つのは嬉しいものだ、と改めて思ったところで再び伴さんが喋り出した。


『いやぁ万世橋、懐かしいでござる。神田方面はオフィス街でござろ? 実は拙者が就職した会社が神田の方にあって、はやく帰れた日は秋葉原でオタク用品を買い漁るためによく渡ったものでござるよ』


 会話の節々からなんとなく察してはいたが、どうやら伴さんは災厄の日以前の生まれらしい。

 加えて秋葉原がオタク向けの街だったのはせいぜい2010年代くらいまでの話ではなかっただろうか。


 その頃から既に成人だったなら、彼は結構な高齢だと思われる。


「神田川の向こうだって? 丁度川沿いに親父の家があったみたいなんだけどよ、この辺りって通ったりしたか?」


 と、先に門を乗り越えて待っていたカイルから俺たち全員に 櫂人かいとの家のものらしい位置情報が共有される。


『あぁっと、一度くらいは通ったかもしれないでござるが……基本オタク御用達の店に直行だったので迷わずスルーだったでござる。非常に申し訳ないでござるよ……』


 声音通り罪悪感を滲ませる伴さんに対し、かぶりを振るカイル。


「いや、いいんだ。どうせ自分で行くつもりだったからよ。まあこうなった今は目先のことが優先だし、もう少し後になるだろうがな」


 ふと、カイルが俺と違う路線から来ていたことを思い出す。

 彼はもしかしたら俺のように近場にいたのではなく、少し遠い場所から来たのではないだろうか。

 そして駅から近いビルを見て回り、仕事帰りにでも櫂人かいとの家を訪れるつもりだったのかもしれない。


 門扉を越えて着地がてらに、送られてきた位置情報へと一瞥いちべつを向ける。

 件の家はどうやら万世橋を越えてすぐ左折した通り沿いにあるらしい。


 神田川に面しているはずなので、もしかしたらこの場からでも背面が伺えたりするかもしれない。

 そう思い俺は対岸を仰いでみた。


「……!?」


 ――が、違和感を感じ俺は東側から一気に正面へと視線を引き戻す。

 万世橋を挟んだその先、正面に広がるのもまた先程見ていたのとさほど変わらないビル群だ。


「今、何か動いたような気がしたんだが……」


 先ほど、視界の端でごく小さく何かが動いたような気がした。

 だが、今そちらに注視してみても特に何かがいる訳でもなく霊らしき気配も感じない。


「えぇ? 気のせいじゃねぇ? もしくは浮遊霊とか?」


 既に船着き場への階段を降り始めているカイルは、特に警戒している風でもない。

 事実一切の霊気を感じないということは、仮に霊や怪異だったとしても偶然通り過ぎただけでこちらに気づいていなかったと思われる。


 玻璃蜘蛛に縁のありそうな場所ということで、気が立っているのだろう。

 俺は自分にそう言い聞かせ、カイルに続いて薄汚れた白い石の階段を下っていく。


 階段そのものは十段程度しかなく、すぐに階下に辿り着くことになる。

 右折すればすぐ、朽ちた低い鉄柵とその奥に広がる清流を見た。


 神田川に限らないが、多くの河川は数十年前は濁りに濁って暗緑色だったらしい。

 が、皮肉にも人間の数が大幅に減ったことにより各地で劇的に水質が改善されている。


 透き通った流水は蒼く淡い陽光を受けてきらめき、どこか幻想的ながら精彩を感じない不思議な光景が目の前に広がっていた。

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