19.橋
「……良かった、アヤコはそのままだったな」
8月11日――前回の突入時からちょうど一週間が経った今、俺は電奇館を後にし隣を歩くカイルに
そのまま、というのは光柱のままという意味なので決して状況がよくなった訳でもないのだが、それでも消失せず残っているというだけで希望はあった。
そもそも消えてしまっていたらどう足掻いても助けようがなかったので、今日はまず最初にそれを確認するという手筈になっていたのだ。
「いや本当な。消えちゃいねぇならまだ希望はあるぜ」
隣の少年もまた安堵に胸をなでおろしている。
日曜日から折を見てVRや音声チャットで相談をしていた時より若干声が若いため、そして何より当たり前だが外見が現実を生きる生身の少年であるため未だに慣れない。
――不思議な心地がするのは、これだけが原因ではないだろう。
俺も未だに信じ切れない思いなのだが、どうやら彼は
――――
VRにて例の怪異は
が、その後は何を調べていいか皆目見当もつかずすぐに八方ふさがりに陥ってしまったのである。
仮に怪談の記述が本当だとしても、まず除霊に必須な怪異の名前がわからない。
玻璃蜘蛛というのは通称であり、この場合生前の人間である下女の名前が必要だ。
だがしかし、その後四人で必死になって調べてもついぞその名は出てこなかった。
彼女が住み込んでいたであろう屋敷も同じで、言うまでもなく場所がわからない上に確実に現存していないだろうという結論に至っている。
その上、ヘプタがこんな事を言いだしたのだった。
「実際に対面してみて思ったんだけど、あの怪異の身長ってけっこう高かったと思うんだよね。現代人の感覚でも男性並だと思うし、明治初期くらいの女性って今よりさらに小さかったと思うんだけど……」
『明治時代の女性の平均身長は140半ば程度らしいでござるが、中期くらいのデータしか見つからなかったでござる。明治初期となるともっと低い可能性もあったでござろうが、探せば高身長の女性もごく稀にいたのではないでござろうか』
伴さんが言うように探せばゼロではなかったのだろうが、当時なら相当珍しかったはずだ。
それならそれでわかりやすい特徴として玻璃蜘蛛の記述に残っていそうなものだし、やはり疑問は残る。
――再び調査に暗雲がたちこめたその時だった。
不意に、そこまで沈黙していたカイルが会話に加わってきたのだ。
「まぁ、んな事ぁ調べてから考えりゃいいだろうが。俺は万世橋に行くぜ」
怪訝そうな表情と大きくかしげられた首を見るに、思わず耳を疑ったのは俺だけでなくヘプタも同じだったのだと思う。
これ以上何を調べたらいいのかわからなくて悩んでいるのに、カイルは深く物事を考えていないのだろうか。
「いや、万世橋に行って何をどうするんだ……」
思わず呆れ半分で一言零してしまう。
すると彼はあっけらかんと、こう答えるのだった、
「んなもん俺の
――――
そして、電奇館を出た今。
頼みの綱であるカイルを引き連れてこれから万世橋まで向かい神田川に触れる予定となっている。
『それにしてもカイル殿がよもやあのサイコメトラーだとは。伝説をこの目で見てしまったでござるよ』
「いや伝説ってほどでもねぇだろ。能力が発現してねぇってだけでその遺伝子を持ってる奴自体は結構いるらしいぜ」
きっと人々が行き交っていた頃よりも色あせた灰色になっているのだろう、舗装された道を歩いていきながら耳を傾ける。
――サイコメトリー。
曰く触れたものから残留思念を読み取る超能力らしく、厄災の日以前では
現在彼は故人となっているらしいが、彼の配偶子により生まれた子供達のうちごく少数にその能力が発現している。
カイルもそのうちの一人だが、今は血縁関係がほとんど秘匿される時代のため他にいる筈の異母兄弟あるいは異母姉妹がどこの誰であるか、また他に能力が発現したのが具体的に何人であるかも知らないのだという。
『それでもごく少数なんだろうし、そんな人物が協力してくれるなんて
伴さん同様に居住区に待機しているであろうヘプタの音声が聞こえる。
俺とカイルのみ来たのはどうせ互いに身バレしているからということと、万が一のことが発生した時に全滅を避けるためだ。
とはいえ大通りに出て一気に視界が拓けたものの、まばらに浮遊霊らしきものがうろついているだけで特に襲撃されることもないのだが。
「狙った情報を拾える訳じゃねぇから空振りするだけかもしれねぇけどな。……あー、それにしても兄弟姉妹か。クロウが羨ましいぜ」
三人の会話を傍聴する側に回っていたが、唐突に話を振られ思わず首をかしげてしまう。
「……ん? 俺は自分の血縁者なんて一切知らないが……?」
人工子宮で生まれた世代であるとはいえ、配偶子を提供した遺伝子上の父と母は確実に存在するはずだ。
そしておそらく片親が同じ兄弟姉妹も存在すると思うのだが、血縁者の情報は特別な事情がない限り明かされることはない。
よって一人も知らないし、だからこそ当然だが身内の話をすることはあり得ないはずなのだが。
そう思っていたが、カイルはどうやら血縁の話をしている訳じゃなかったらしい。
「いや違げぇよ、血じゃねぇ方の繋がりな。お前とアヤコのことだよ。こんな時代だからリアルで深い繋がりを持てる人間なんていないのがマジョリティってもんだろ」
「……ああ、そっちか」
頼りない蒼の陽光が差す薄闇の下、高層ビル群に見下ろされながら崩壊しかけの記憶を手繰り寄せる。
五年前俺が死にかけた事件は見事にトラウマと化しているが、そのおかげでアヤコと出会い人生が変わったと考えると差し引けばプラスなのかもしれない、と思った。
物思いにふける俺の内心を知ってか知らずか、隣を歩く少年は大きく肩を竦めて話を続ける。
「まあ、お前から聞いた話じゃおっかねぇ体験だったみたいだし羨ましがるのは申し訳ねぇんだけどよ。……それでも、俺がVhunterになった目的が『繋がり』を見つけることだからさ。お前みたいになれたらいいなとは思う訳で」
振り返った先、鮮やかな蒼の双眸はただ前方を見ていた。
ごく遠く、望む未来像を見ているようだった。
「繋がりを求めることとVhunterになることの関係性がよくわからないんだが」
「もっと人気が出たら俺はサイコメトラーだって公表するつもりだったんだ。兄弟なら間違いなく父親が櫂人だとは知らされてるはずだし、誰か一人くらい俺のチャンネルを通してメッセージをくれねぇかな……ってさ」
なるほどな、と相槌を打つ。
それならリアルの姿で個人情報をばらまかずに済むし、チャンネルがあればそこから連絡がつく。
今は玻璃蜘蛛の調査をとにかく最優先とするためヘプタと伴さんのみを対象として配信を行っているが、この先通常の配信を――それももっと人気が出た状態で行えば同じ遺伝子を持つ人間の目に留まるかもしれない。
「……いい夢だな」
カイルの人柄のおかげもあるだろう、俺は素直に応援したい気分だった。
「いやお前笑えたのかよ。めっちゃ優しそうに見てくると照れるじゃねぇかよ」
……どうやら俺は今、微笑んでいたらしい。
指摘されるとどうにも恥ずかしく、明後日の方を向いてしまった。
『今のが通常の配信でなかったことが勿体なくて仕方ないでござるよ……』
「それな」
「おいもうやめろ。それよりあれが万世橋じゃないのか、気を引き締めろ」
指さした先、前方にはもう年季の入った親柱が見えている。
今のところあからさまに危険そうな怪異もいなければ空気も正常だと思えるが、一歩踏み出した瞬間に――となる可能性も否めない。
よって、用心するに越したことはないだろう。
「おー、ついに来たか。ハハッ、本当気を引き締めねぇとな。……と思いつつ、いつもより落ち着いてられんのは欲しかった繋がりが思わぬ形で手に入ったからかもしれねぇな」
今のカイルは警戒心の欠片もないという訳ではなく、彼も橋周辺やその奥に視線を巡らせ危険がないか調べているようだった。
だがそれとは別に、初めて顔を合わせた時よりもどこか雰囲気が柔らかくなっている気がする。
――繋がり。
それ以上は語らなかったが、もしかしたら『友達』という意味だったのだろうか。
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