8.打開策

『っぐ――!?』


『カイル君っ!?』


 カイルが、刺された。

 貫通している訳でも突き刺さっている訳でもないので、肩を斬られたというのが正解かもしれない。


 だが、そんな違いは些末なことだ。

 肩口は血で染まり決して浅くない裂傷を負ったということに変わりはない。


『っ! 右手でノブを押さえたまままずは上の鍵を閉めて! それから下!』


 助けに入りたくとも誰も階の移動が叶わず、カイル本人が動くしかない。

 挟まれた衝撃によってか扉の向こうの怪異が腕を引っ込めた瞬間を狙い、カイルはヘプタの言う通り扉を閉めた。


 続いてサムターンに左手を伸ばしたものの、激痛で肩を上げるのもつらいに違いない。


!!!!!!!!


 何とか施錠できた扉を向こう側から執拗に叩きつける騒音に、理性は感じられない。

 ナイフの怪異は精神面でもそうだが、肉体面からもまるで人間らしさが感じられなかった。


 叩く間隔が異様に短い、短すぎる。

 どんなに鍛えても生身の人間で出せる速度ではないと、専門家ではない俺にでも容易に理解が及んだ。


 イヤホン越しに鼓膜を殴る刺激も耐え難いが、それよりもこれ以上の逃げ場がないまま扉に背を預けて座りこんでしまったカイルの方が気がかりだ。

 もはや絶対絶命の四文字が脳裏をよぎったが――しかし、そこで唐突に扉の殴打がむ。


『っ……行った、のか……?』


『うーん、待ち伏せの可能性もあるよねぇ』


『それよりカイル君、早く止血して……!』


 程度こそ異なるが、三人からは隠し切れない困惑が見て取れた。

 実際心臓に悪い轟音が消えてくれたのはありがたいが、これはこれで不気味に違いない。

 あまりの急展開に言葉も出せずに呆然としていると、袖を裂いて作った簡易的な包帯で止血しつつカイルが俺に礼を告げてきた。


『……ありがとな、クロウ……お前が気づいてくれなきゃ、扉……全開にしてたわ。』


「いや……」


 そうなっていた場合を考えてしまい悪寒を覚えた。

 カイルのいるドールショップが5階のどこに位置しているかは知らないが、件の怪異は奥の方角に向けて走り出していた。


 窓際から奥側まではそれなりに距離があるにもかかわらず、ドアノブを捻ってからすぐ男がカイルの目の前に到着している。

 扉の叩き方から推測するに、あの怪異は人間離れした俊敏さを持つのだろう。


 もし扉が全開だったら、一瞬で心臓を一突きあるいはめった刺しになっていたに違いない。

 不幸中の幸いというやつなのだろうが、苦痛を滲ませ途切れがちに喋るカイルを見ていると素直に喜ぶ気には全くなれなかった。


「だがこのまま出られなかったらお前は……」


『そりゃアヤコやヘプタも同じだろうがよ』


 即座に言い返されるが、俺が言いたいのはそういうことではない。

 一生出られなければ無論残る二人も餓死するに決まっている。


 だが、真っ先に脱落するのは負傷し機動力と体力が落ちたカイルであるという事実は揺るがないだろう。

 それでも、彼は取り乱すこともなく口角を持ち上げる。

 ――覚悟半分諦め半分の、だからこその余裕なのだろう。


『まあVhunterこの仕事やってりゃ覚悟の上だわな。身バレの危険もあるし、何かありゃ全部一人で解決しないとなんねぇ』


『それは……そうだけど……』


 やるせなさをあらわにするアヤコ。

 俺も表情に出にくいのだろうが、内心は同じ気持ちだ。


 カイルの言い分は正論だ。

 この仕事の性質上、怪異にやられて遺跡で屍をさらす可能性とは常に隣り合わせだ。


 俺も、そして彼も。

 だから先程から黙っていたヘプタも、カイルの手助けをしたいなどとは言いださなかった。


『そうだね、カイル君の言う通りだ。身バレしないよう君が引きこもってくれていれば何も問題はないって訳だね』


 いつの間にか俯けてしまっていた顔が、思わず上がる。

 アヤコもまた俺と同じ仕草をしていた。


 目を瞠るカイル。

 三人の視線が満面の笑みを浮かべたヘプタに集まる。


『うーん、何か変なこと言ったかい? カイル君がそこから出なければ身バレすることもないよね? カイル君は無理して動かずに済む。そして僕は怪異を倒して手柄を独り占め。誰も損しないじゃないか』


 思わず表情が緩む。

 手柄がどうのと言っているが、実のところカイルを犬死にさせることなく代わりに解決してやると言っているようなものだからだ。


 だが少し力が抜けてしまったのはヘプタの素直ではない優しさ以外に、別の事で少々呆れてしまったせいでもある。


『いや、そもそも階の移動もできねぇのに鉢合わせもクソもあるかよ』


 ――カイルに言われるまでもなく、パーテーションの問題は未だ解決していない。

 これが頭から抜け落ちるほどヘプタの気が動転しているのであれば逆に心配になってくるものだが、どうやらそうではなかったらしく彼はあっけらかんと答える。


『そうだね、普通に移動しようと思えば僕らはこの階から出られない。けど、からの移動ならどうかな?』


『はぁ? エレベーターも動かねぇし……まさか窓割って移動するつもりか? いくら何でもそんなん危険すぎるだろ』


 確かにカイルの言う通りならあまりにお粗末なやり方だとしか思えないが、俺はある可能性に気づいて思わずビルの端に据え付けられたルーバーへと視線を動かしていた。


「そうか、『閉店』していても非常階段なら出入りができるかもしれない……!」


 俺の発言に対し、ヘプタが鷹揚おうようにうなずいた。


『そういうこと。……まあまだ確証はないけどね。それでも店舗に逃げ込む直前、扉の前にパーテーションが置かれてないのは確認済だよ』


 目に見える形ですべてのエスカレーターや入口が封鎖されているため頭から侵入は不可能だと決め込んでいたが、改めて封鎖の理由に着目してみれば必ずしも抜け道がないとは限らないと思えてくる。

 全員を包んでいた重苦しい空気が流れを変え、既に件の俊足を持つ刃物男についてヘプタが調査しだしそうな流れができている。


 その一方カイルは頭を抱え葛藤している様子で、自分の怪我のせいで他人を巻き込んでしまいそうな展開に良心を痛めているのかと思っていたが――どうも、それだけではなかったらしい。

 苦悩の末、もう止められまいと観念し上げた顔には真摯さが表れていた。


『……あー……行くならまず10階のオフィスにしろよ』


 唐突なカイルの提案から意図を読めず、俺を含めた三者ともが怪訝な眼差しを向ける。

 彼の口から理由がつけ足されたものの、さらに突飛すぎて俺たちはより困惑する結果となった。


『あのやたら足が速い怪異、客を刺した清掃のバイトだから……雇用してるのは多分ビルの管理会社だ。で、そうだとすると多分あいつだけは他の階にも出てくるからマジで気を付けろ』


「いや、何でお前はそんなことを知ってるんだ」


『魔法』


「は?」


『いやまぁ……アレだよ。一瞬見えた服装が店員っぽくなかったからよ。とにかく清掃員っぽかったってことだ』


 どうにも歯切れが悪く目も合っていない――というよりこちらの画面を見ていない様子で妙な違和感は残るものの、彼の怪我や夜が訪れるまでの時間を考えるとここで時間を浪費するわけにもいかない。

 俺の内心を知ってか知らずか、アヤコが意気込んでその場から歩き出した。


『よしっ、なら10階にいる私がまず資料を調べてみるよ!』


 言うが早いかオフィスルームにいる彼女は手近な事務机に向き合い、引き出しを片っ端から調べ始めた。

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