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概要
一万石以上の高禄取りが12家もあるが兵庫は90石、だが挫けなかった。
加賀百万石の家臣と言えば聞こえは良いが、御馬乗り役百五十石の下級武士高添景遠の三男として生まれ育った兵庫は、長男景信が家督を相続した後、烏帽子親の小堀金左衛門の計らいで馬の世話役見習いとして関助馬場に採用されたのである。
次男景清は商家の養子になったが、兵庫は努力次第で独自の道が開けるのであるから幸運と言えた。
若しこうした道がなかったら長兄の世話になって、部屋住みとして一生冷や飯食いとなる所であった。
更には金左衛門によって明倫堂なる学校に入れて貰ったのである。
朝早く馬の世話をしてから明倫堂に行って勉強し、厩に戻って又仕事をした。
三十匹(頭)ばかりの内飛騨産の栗毛を宛がわれた。老馬であった。
見習いの兵庫は頭から世話の仕方や馬房の掃除の仕方に餌の作り方から健康管理に至るまで細
次男景清は商家の養子になったが、兵庫は努力次第で独自の道が開けるのであるから幸運と言えた。
若しこうした道がなかったら長兄の世話になって、部屋住みとして一生冷や飯食いとなる所であった。
更には金左衛門によって明倫堂なる学校に入れて貰ったのである。
朝早く馬の世話をしてから明倫堂に行って勉強し、厩に戻って又仕事をした。
三十匹(頭)ばかりの内飛騨産の栗毛を宛がわれた。老馬であった。
見習いの兵庫は頭から世話の仕方や馬房の掃除の仕方に餌の作り方から健康管理に至るまで細
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