第17話 内助の功
結局兵庫には何のことか分からなかった。気になったので聞き直すと、兵庫は一笑に付した。
傍で聞いて居たなら誰もが勘違いしそうな会話には違いなかった。
誰もが思い違いしそうな子作りの話などではなかった。
それは自然に授かるものとして置いといて、美乃が欲しがったのは氷室であった。
駒込の役宅でどれだけ重宝したことか…。
「喜兵衛さんは金澤に居る筈だから会ったら相談してみるよ」
兵庫も雪氷の保存庫があるとどれだけ便利かは身に沁みて分かっていた。
役宅の隣は定番御馬廻澤田源大夫組配下飯尾鉄次郎の屋敷である。
敷地の広さは略同じだが百石取りであった。
自分はその半分なのに同等の役宅を拝領していいものか悩んだがだがその理由は役に付いて分かった。
着任当初は以前就いたことのある鼠多門の警備であった。
それは飽くまでも臨時で間もなく完成する二の丸御殿の御廣式鎖口番と監視役が役目であった。
それは定番御歩組横目としてお役料四十石が付いたのである。合わせて九十石となった。二の丸御殿の完成は八年の二月であった。
鼠多門の警備から造営方役所の造営奉行らの警護に回されると、奉行のうち加藤正四郎や藤原好之に付いて現場を歩いたのである。表御殿はほぼ完成しているようで、御居間廻りから奥向の内装も略出来上がっているようだった。
「略終わったな」
藤原好之は陣笠を取って手拭いで汗を拭った。
御居間書院の傍には能舞台があった。
その先が奥向で御廣式鎖口で、兵庫の務め先ということになる。
建物の完成を以て造営奉行所は閉鎖となったが、まだ残りの作業に従事する工事関係者が居るので、警備としては気の抜けない状態であった。
入居は来年の二月以降に予定されていて、その前に家具や道具の搬入があった。
新たなお役目も九十石なら特に家臣は要らなかったが、義父の金左衛門が伴次という中間を独り手配して寄こしたのである。
兵庫が勤めているので、美乃は益三を連れて隣近所に挨拶に行った。
隣りの飯尾家では女中が出てきたが、美乃が若い所為か不愛想な対応であった。
その理由が実に下らなかった。
おつ祢の話だと挨拶に伺った美乃が、髪は島田で既婚でありながら眉を剃っていなかったことと袖が少し長かったこと、然も江戸から来たというだけで快く思わなかっただけのことのようだ。
だがそれらは金澤でも婦女の間でお洒落として流行りつつあった。
ご近所ということで四五軒回ったが、近所付き合いの出来そうな先は無かった。
顔が合えば挨拶する程度であろう。
実家も近くなので、その分其方に出かけて行きそうであった。
実家や上役への挨拶を済ませると、兵庫は才川近くにある足軽屋敷を訪ね、村田喜兵衛と会った。
「又お伺いして宜しいでしょうか」
「どうぞどうぞ。実はその前にお願いがあるんだが聞いて頂けるかな?」
兵庫の神妙な顔を久しぶりに見た。
「何なりとおっしゃいまし」
「屋敷に氷室を作って貰えまいか思ってね」
「良いですとも。先ずは御屋敷を拝見してからですが」
「有難い。妻が喜ぶよ」
後日喜兵衛は部下を連れて下見に来た。
「二百(坪)とか聞きましたが敷地は申し分ないです。大きさは同じぐらいで良いですかね」
喜兵衛の頭の中には図面があった。
後は材料次第である。
依頼してひと月程して玄関から回り込んだ北側の土蔵手前で作業を開始した。
其処に穴を掘って冷蔵庫を造るのだが、お役目中だろうが何だろうがうまく資材を運び込んだ。
美乃は喜兵衛らが手を休めている時に、お茶にお菓子か漬物を添えて出して労った。
駒込の御屋敷でも感心したことだが、村田喜兵衛は大工仕事にも精通して居るらしく、鋸で切り込みを入れて鑿で削り合わせる。
指物師は一切釘を遣わないが、喜兵衛は大事な部分には木を楊枝のように削って打ち込んで止めた。
そこでその点を訊くと、
「あたしの親父は町大工じゃぁなくて御扶持方大工だったんですよ。宝暦の大火で消失した門などの再建もありましたが、寛政四年(一七九二年)に開校しました明倫堂や経武館という学校の建築に携わった後、病で亡くなったんです。
「跡をお継にならなかったの?」
「はい、その頃には
「あなたは最初から今のお仕事に着いたの」
傍らのガタイの良い茂吉という若い足軽に問うと、
「はい、親方に一から技を教わってます」
手木足軽は通常は庭園などの管理を受け持っているが、石垣などの補修も行ったりと、特別な技術を持った集団であった。
採用に当たっては
偶々この時は石川門の続櫓下の石垣の修繕をしていた。
手木足軽は造園の仕事から石垣の補修なども行った。
無論その中には
石は東側二里ほどの所にある戸室山で切り出していたがこの頃は既に切り出してある石を使っていたのである。
此処の氷室にも使う石であった。
保冷庫たる穴蔵は駒込のものより少し大きく、小屋に隠れた雪の投入口も前よりかは大きめで略真っ直ぐに取り付けてあった。
その為その投入口に動物の皮を被せて外気を遮断した。
金澤の夏も暑かったので雪氷が解けないように厳重に保温設備を施した。
「中を見て下さい。おつ祢さんもご一緒に」
階段は前のものより広く、幅もあったので以前より樂に降りられた。
保管庫の部分は二段になって居るので食材を分けて置けるようになっている。
周りは戸室石で囲っているので、長いこと保管できそうであった。
「御新造様これって駒込の御屋敷にあったのと同じですか?」
「造りは多少違うでしょうが同じ機能と聞いて居りますよ」
「凄いですね、御家老のお宅にすらありませんでしょう。これを造らせることの出来る旦那様は大したものですね」
つ祢は頻りに感心していた。
「暑い時でも食べ物が痛まないので安心して食べられるのが嬉しいわ」
一般の家庭では精々六月一日の氷室の日に雪氷の御裾分けが得られるかどうかだから、夢のような話であった。
「いい部下をお持ちですこと」
「おつ祢さん、喜兵衛さんは旦那様の友人で部下ではありませんよ」
「はぁ左様ですか」
序列に縛られてきたつ祢からしてみれば足軽と士分とでは身分が違うので、どうしても上下の関係に結びついてしまうのだった。
兵庫にはもう一人友人と言って良い人物が居た。そう抜刀術の田上彦次郎である。
中条流の遣い手として今では経武館で剣術指南助教として、中条流剣術を教えていた。
久しぶりに三人が揃うと兵庫の役宅で飲み会となった。
喜兵衛が氷室の完成時に何処からか布に包んだ雪氷を運んで来ると地下の冷凍庫に入れたのである。
美乃はつ祢に魚や野菜に猪の肉を買って来させると氷室に保管させておいたのだった。
「凄い、素敵だわ。ご近所のお女中が知ったら何て言うかしら」
「つ祢絶対喋るなよ」
益三は美乃に付いて挨拶回りをしていたので、近所の住民らの性格をある程度察知していたので用心すべきと思うのだった。
特に隣りの女中は性根が悪そうであった。
知られたら恐らく勝手に使うような性悪女に見えた。
仮に奉行所に訴えられると咎められなくとも面倒ではあった。
故に益三は口止めしたのである。
南の庭に面した客間で酒盛りが始まった。
「兵庫さん、今度は庭の手入れをさせて下さいな」
と庭を眺めて居た喜兵衛が言い出すと彦次郎が「ならば」と言うように、
「庭の何処かに稽古場を造ってみてはどうか」 と提案する。
「兄さんそれは又考えるとして、喜兵衛さんこの荒れた庭をどうするの」
「負かしといて下さいな。御大名のような庭には出来ませんが小庭園ぐらいにはなりますよ」
喜兵衛の足軽屋敷には坪庭程度であったので腕を振るう程の事は出来なかった。
その点高添家には手を加えることによって見栄えのする庭になりそうな敷地があった。
兵庫は何時ものように喜兵衛に任せた。
「ところで山崎殿は如何されてるかね。未だ独り身のようだが」
彦次郎は江戸から戻った同僚から、山崎幸安の様子を聞いて居たようだ。
登与の娘千沙が両替商の妾になったとかならぬとか…。こうした話もそれら帰國者らから齎された情報のようで真偽の程は定かではないが、旗本の道楽息子から逃れられたなら、どうあれ安堵した。
「兵庫さんよ、お勤めはどんなものよ」
彦次郎は二の丸御廣式鎖口番とは言え未だ工事個所の監視役として造営奉行に付いて廻っているだけであった。
「奥への出入りを監視しているだけですから楽なものですよ」
「羨ましいよ」
彦次郎は学校では経武館の剣術指南の助教であったから女っ気も無く、矢張り独り身であった。
「上役から話はありませんか」骨
詰まり見合いの話だが、そう訊ねる喜兵衛にしても独り身なのだ。
女より男が多い時代とは言え、これは縁である。
見合いにしろ恋愛にしろ、縁があれば夫婦になった。
お互い好きでも事情によっては一緒になれない或いはならない者達も居た。
奉公人の益三とつ祢は武家奉公人として、お互いを見初めあったもので一緒になっても構わなかったが、どうした訳か敢えてそうしなかったのである。
六月中旬、美乃の父金左衛門が手配してくれた手機が届いた。
美乃は自分の部屋に組み立てて貰うと、この日と翌日にかけて手機の使い方を教わった。
それを呉服商に持ち込むと、初めのうちは足元を見て買い取り価格は安かった。
それでも二反三反と納めるうちに織代を上げてくれたのである。
近くの糸屋で材料を仕入れて商品を織り、反物にして納めた。
その帰りに母伊都乃の為に織った生地を渡しに実家に寄ると、美乃の為に造った小物入れの巾着袋を呉れた。
「まぁ素敵」
「未だ若いから似合うわよ」
と娘をおだてる。
「ところで母上、今度の役宅にも氷室を造って貰いましたの」
「羨ましい話だこと。喜兵衛とかいう婿殿の知り合いにかい?」
「今度氷を持って来るわ」
「暑い時は良いわね。そうだお前に見て貰いたいものがあるの」
伊都乃は奥にある箪笥の抽斗から小巻にした生地を出して来た。
「母上何ですか此れ」
伊都乃は含み笑いをしながらその生地を置くと、畳の上を滑らせて拡げて見せた。
「まぁ素敵な模様!」
手毬が幾つか描かれているがそのひとつは中心に京藤色の八弁の菊があり、その外側に白地の花びらとその外側に僅かに紫を含む紅赤の花びらが白枠を付けて配されていた。
その横の手毬は若紫色の花びらとその間には
それらは金色の亀甲模様の中に描かれてあった。
「京友禅よ」
「母上が?」
「とんでもない。専門の職人が描いた物よ」
正に吉祥の柄であった。
「お前が反物を織り始めたものだから、私も何か始めようと思った矢先にこの生地を箪笥の奥から見つけたの。これは四十年ほど前に母から渡されたものだと思うけど覚えていないの。もうこの歳では手習いも無理だからこれを参考にして見たらどう?」
伊都乃は美乃に友禅染を暗に勧めるのだった。
婿の兵庫を見ている限り、どうも要領は悪いし、とても出世など出来そうもないと思っていたのである。ならば妻たる美乃の内助の功で支えて行かなければなるまい。
幸にして美乃は手機を始めたので無地のままで終わらせないで友禅染まで出来たならば付加価値が加わってより高く納めることが出来るに違いないと踏んだのである。
だがそれは美乃の考え次第であり無理強いは出来なかった。
友禅と言えばこの加賀もその流れを汲んで有名であったが、伊都乃が京友禅を見せたのはそれなりの思いがあったからである。
伊都乃は京の都で生まれ育ち、長じて河原町にある加賀前田家のお屋敷に行儀見習いとして御女中衆の中に居たのである。
夫となった小堀金左衛門は、御馬廻御番人として奉行の片割れとして赴任して来たのであった。
てきぱきとした指示の出し方に伊都乃は魅かれるようになり、金左衛門の方もそれを察知するように気になり出したのである。
そうなると若い二人が打ち解けるのに時間は掛からなかった。
奉行が仲人となって夫婦になった。
一年後には金澤に戻ると加増されて、現在の地に役宅を拝領したのだという。
両親の馴初め話を初めて聞いて自宅に戻った美乃は、母から譲り受けた京友禅の生地を広げて眺めて居た。
そこへつ祢がお茶を入れて持って来た。
「きれいな柄ですこと」
「母から頂いて来たのよ」
「これは友禅染ですね」
「えぇ京友禅よ」
つ祢とて奥女中であったから、上臈や中臈の打ち掛けの下に重ねて着た小袖の柄などにそれらを見ることもあった。
「御新造様もお織りになられた布地に模様を描かれては如何ですか」
「おつ祢、それは無理よ難しいわ」
するとつ祢は、
「ちょっとお待ちください」
と言って部屋を出て行くと直に柳行李を抱えて戻って来た。
行李の中から携帯用の硯箱を出して硯に水ならぬを墨汁を差すと紙にさらさらと牡丹の絵を描いて見せた。
「おつ祢さん、あなた…」
美乃が驚いて言葉が出なかった。
見事な筆遣いであった。
「父親が絵師だったんですよ、それで…」
習わぬ門前の何とかと言う訳でその素養を受け継いでいたのであろう。
「御新造様は何事にも熱心ですから、私で宜しければ手解きいたしましょうか。あらいやだ出過ぎたことを申しまして…」
「おつ祢さん教えて下さる?」
てな訳で家事の合間に絵筆の使い方から教わった。
その話を聞いた兵庫が或る日、地本問屋から花鳥草木圖鑑なる本を買って帰って来た。
「これで研究すると言い」
つ祢が傍に居たので都合良かった。
「高価な物を良かったですね」
春夏秋冬の花や草木に群がる鳥の絵が色付きで描かれてあった。
手描きの綴じ本で三百文(六千九百円)で買ったので安いとは言えなかった。
これらの図案を参考にして下絵を描き、美乃は織り上がった生地に墨を薄めて桜を描き込んだ。
そこへつ祢がやって来ると慌てて止めるのだった。
「御新造様お待ちください。直に墨を入れてはなりませぬ。今益三が糊や絵の具を求めて参りますのでお待ちになって下さいな」
つ祢の父親が絵師だったことは話してあったが、実は母親は染物屋の娘だったのである。なので友禅染などにも興味があったらしく、その技法について学んだことがあったようで、つ祢は母が無地の布切れに下絵を描いて、それに沿って糊を置いて輪郭を付け、滲みを防ぐ豆汁を塗ってから、各箇所に色を挿したのを覚えていたのである。
「買うて来たヨ」
廊下越しに益三が声を掛けた。
「あんやとう。其処に置いといて」
つ祢は先ず下絵を描く時の具材青花の使い方を教え、その下絵に沿って糸目糊で輪郭を付けた。
花びらの重なりや葉に付いた雫にぼかしなど、可なり高度な技巧を必要としたがつ祢は見事に表現して見せた。
その域まで達するには相当修練が要った。
「爺や絵具やノリの代金はお幾ら?」
すると益三もつ祢も、
「要らんですよ」
と受け取ろうとしなかった。
夕餉の時にそのことを兵庫に話すと、
「何時でも良いから臨時手当として渡したらいい」
というのだった。
美乃は手機を使いこなせる様になったが、絵を付けることはそう簡単にはいかなかった。細かく言えば工程の半分にも達して居なかったのだ。
兵庫は落胆する美乃を励ます。
「美乃、反物を織るだけでも立派だと思う。染めについては焦らず気楽に修得することだ。美乃なら必ず出来るようになるよ」
美乃の手を取って真剣な表情でそう言うのだった。
「あなた…」
夫がどんどん逞しくなっていくのを痛感して嬉しかった。
俸禄と御役料とで九十石、奉公人は善三、つ祢と中間、女中の四人を養うには先ず先ずであったが、美乃の内職で少し楽になったところで、兵庫を慕う部下や仲間が大勢役宅に押しかけるようになったのである。
その都度中間の伴次が酒屋に買いに行かなければならなかった。
下酒でも一升百文であった。
美乃は上酒でも良いと言ったのだが、つ祢が下酒に訂正して買わせたのであった。
それに青物屋で枝豆や里芋・蒟蒻など摘みになるものも買ってくるので結構出費が嵩んだのである。
毎日でないにしろ家計には響いた。
美乃が一生懸命生地を織っても、木綿なら買い取り額は精々二百文程度であった。
二反織っても四百文である。
一反の売価はは六百文位であったから足元を見ての買い取りであった。
仮に絹に友禅染めまで出来たなら、三倍から四倍にはなるかも知れなかったのだ。
何しろ物価は高くなっていた。
御酢が一升百二十文、醤油が六十文からで塩も三十文からしたのである。
行燈に使う菜種油は油問屋から一合あたり四十文で十升(一斗)買って壺に入れて保管していた。
魚油なら半額だが臭いので菜種油を使っていたのだ。
つ祢と益三の二人暮らしなら魚油で我慢したであろうが、高添家は小身ながら平士であり来客も多かったので、悪い油は美乃が使わせなかったのである。
財布の紐は美乃が握ってはいるが、経済を考えて倹約に心がけはするものの、大身のお嬢様育ちである。
鷹揚な所が時に出るので、台所を任されているつ祢が細かいところで倹約していたのである。
沢庵一本にしろ十五文したから、青物屋から野菜を買って漬物にするなど工面したものだった。
兵庫は真面目なのだが、そのような細かいことには一切拘らなかったのでやり易いと言えばやり易かったが、半面浪費したのである。 御城勤めから帰って酒を飲みながら寛いで居ると、急に腹痛を訴えて横になった。
益三が慌てて伴次に医者を呼びに行かせようとしたが、美乃は薬売りから買ってあった
“反魂丹”を飲ませた。
痛みは半時程で治まった。
連日のように飲み食いしたので胃腸障害を起こしたものだった。
以前にもあった。
抹茶を飲ませたこともあったが、胃腸薬の方が遥かに効き目があった。
「程々になさいませ」
と諫言すると、
「分かったよ」
と素直に聞くのだが、一向に改まらなかったのである。
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