第18話  苦渋の決断

 

 二の丸御殿には造営奉行所が廃止されたころには粗方入居していたのである。

残って居た天井壁画などが仕上がると、年が明けて二月、正式に二の丸御殿が完成した。


 御廣式鎖口番おひろしきくさりぐちばんとしての初出仕の朝、兵庫は小袖に紺藤色の麻の花菱柄の半裃を付けて美乃と向き合っていた。

両胸と背中と袴の腰板に、丸に橘の家紋があった。

腰に大小の刀を差して、真新しい雪駄を履いて玄関口に立つと、

「行って来るよ」

 と、新鮮な空気を一杯吸い込んで出かけるのだった。

美乃が門まで送ると、善三もつ祢も奉公人らも一緒になって一家の主を見送った。

 役宅を出た兵庫は真南に歩き、金谷門から入る。

「お早うさんです」

 番士や足軽らは、正装姿の兵庫を初めて見て、思わず最敬礼で見送るのだった。

鼠多門ねずみたもん橋を渡って門を潜り抜けると、階段で台状に繋がっているのだが、右に玉泉院丸庭園を見ながら上がって行くと、二の丸御殿があった。

真新しい二階建ての御殿が朝日に輝いて眩しく見えた。

南風が吹く季節であれば木の香が漂ってきそうな感じである。

御殿の敷地の西側を歩いて極楽橋横を通って玄関手前の番所に着いた。

「久しぶり。変わらぬな」

 初めて会った時と変わらぬ笑顔を見せて、番士頭の村上甚右衛門信房が出迎えて呉れた。

「村上様こそお変わり無く何よりです」

「江戸で何があった」

 甚右衛門は小者にお茶を入れさせ、兵庫に手渡すと行き成りそう訊いた。

縁台に座って飲みながら浅草寺境内の一件から話した。

「成程な、いや何故そのようなことを訊いたかと言うとな。実は甲斐守(長連愛ちょうつらよし)様からお廣式鎖口に就く高添兵庫とはどの様な者かとお尋ねがあったので、江戸上屋敷で相公(治脩はるなが)様の警護に付いていた者に御座いますと申し上げると、鎖口番は他の者に換えるように申し渡されたのだよ。何故とは訊けぬので承知したもののお主ほどの者が理由もなく外されるとは何としたことかと怪訝に思ってな。で替わりはお主も知っている滝崎弥五郎にしたのだが…」

「あの一刀流の滝崎殿ですか?」

「左様、その滝崎だ」

「それでうらはどうすれば宜しいのですか」

「滝崎は当初側室方のお住まいの出口門の警備であったので其処を頼む」

「承知しました。ところであそこには冨永という方が居ましたよね。まだいらっしゃるんですか」

 初めて警護の役に就く時、入り口からこの番所まで案内してくれたのが冨永佐内であった。

「よく覚えているな。冨永の爺さんはよぅ、倅に家督を譲って隠居したよ」

 思えばその時より十一年の歳月が経って居たのだ。

 奥向き裏口門の東側に番所があり、その門の北側には土蔵とその右側が側室や部屋方お女中衆の住まいがあった。

この部分の警護に任じられたのであった。

兵庫は鼠多門から上がって来ると直ぐに二ノ丸の裏口だったので以前よりかは遥かに楽であった。

 この日役宅に戻った兵庫は美乃にお役目が変わったことを話した。

「宜しいじゃありませぬか。あなたに取っては不本意かもしれませぬが、御殿の中で畏まって居るよりは自由に出来るのではありませぬか」

「まあな」

 こうして番士頭並として、任務に励むのだった。


 五月ともなると急に暑い日が続いた。

その日の勤めを終えて家に戻ると出迎えに出た美乃が困惑気味に小声で来客を告げた。

 客間には次兄の景清が居た。

不摂生な生活でもしているのかぶよぶよとした身体つきになっていた。

「待ったぞ兵庫。お前の嫁や使用人は実に不愛想だな。出がらしの茶を一杯出して客を放って置くのだから、どういう教育をしているんだ。全く……」

 持て成す相手ではないので、

「何しに来られたか」

 と突っ慳貪に対応する。

「その態度は何だ。曲がり何にもお前の兄だぞ、礼儀を弁えろ」

「兄と言われるか、良くもその口で叩けたものよ。既に其方に縁を切られているではないか。聞けば金の無心に来たようだが、うらより俸禄がありながら何としたことよ。嫁さまの実家に頼んだら良いではないか。人助けの余裕などあり申さん。お帰りなさい、そして二度と来ないこと」

 兵庫はこの兄から受けた扱いを忘れることは無かった。

景清が商家から復縁して長兄の後を継ぐ際も兵庫は黙って認め、祝いもしたが兄嫁と二人から疎外されたのであった。

そして縁を切られたのだから、今更その関係を戻すつもりはなかった。

「家がどうなっても良いと言うのか」

「其方の事情でどうなろうとうらには関係のないこと。伴次客人がお帰りだ、門までお送りして」

 景清は恨み言を残して帰って行った。

「あなた良いのですか」

「良いのだ。今後は決して寄せぬように」

 益三やつ祢、伴次にもきつく申し渡すのだった。



 結局高添景清は同僚から借りまくった金も、高利貸から借りた金も返済できず、破産してしまったのである。

妻の香は家を出たまま行方知れずで、景清はお家断絶の末五箇山への流刑送りとなった。

 この話は嘗ての上役である豊原彦六と金谷門内で偶然会って立ち話をした際、聞いたものだった。

 豊原の話では五箇山ごかやまに御縮小屋という流刑小屋があって、武家の罪人が収容されたようだ。

そこは山と川に挟まれた辺境で橋がない為、対岸から渡るには篭の渡しに乗るしかなかった。

これは篭とは言うものの単なる蔓を編んで輪にしただけのものでそれに跨るのだが、当然一人しか乗れなかったのである。

 この話を美乃にすると、

「お気の毒ですね」

 と素直に感想を述べたものだったが、兵庫は行き成り激怒して、

「自業自得というものだ。あ奴には勿体ないぐらいの刑罰よ。野垂れ死ぬが似合って居ようが」

「幾らなんでもあなたの実の兄様でしょ。過去に何があったにしろ言い過ぎよ。父や母、兄弟を敬う教えを習ったでしょう」

 常に夫を立てて従う美乃が珍しく反発してみせた。

「美乃には分らぬことだ、黙って居れ」

 これ初めての喧嘩と言えた。


 翌日帰宅すると玄関に出迎えたのは益三であった。

「爺や美乃はどうした。具合でも悪いか」

「お宅へ出かけられたまま、未だお戻りになりません」

 益三は言いにくそうにそう話すのだった。

「何か用事でも出来たのか」

 益三は答えに弱した。

まさか喧嘩が原因とは言えなかった。

 兵庫は幼い時から物事に拘るようなことは無く、言い合いしても意外とさばさばしていたのだ。

だから美乃との言い合いは別段気にすることではなかったのである。

 だが美乃にしてみたら、亭主が過去にどれ程の憎悪を抱いた相手としても、罵倒するようであってはならないと思ったのである。

況してやその相手が自業自得の結果の境遇にあるとしたら猶更気の毒になった。

その辺りを母伊都乃にぶっつけに参ったのだが……。


 翌朝つ祢が美乃の代わりにお勤めの支度をしてくれたのである。

「旦那様、奥様は暫くお帰りにはなられないかも知れませぬ」

「何でー」

「兄上様のことで口論成されましたでしょう。その時の旦那様のお言葉に衝撃を受けられたご様子でしたから」

 つ祢も兵庫の性格が解って来たようだ。

「帰りに実家に寄って参るから少し遅くなるが心配は要らぬ。先に済ませて置く様に」

「はい、行ってらっしゃいませ」

 益三もつ祢もしてやったりと顔を見合わせて笑った。


 兵庫は番士の一人が急病になった為、代わって夜勤に就いた。

帰りに実家に行くつもりであったが已もう得なかった。

勤務明けに寄る心算であった。

 明け六つの鐘が鳴って間もなく中間の伴次が迎えに来たのである。


「御新造様が急病のようで小堀のお屋敷から知らせが参りました。お帰りに必ず寄るようにとの仰せに御座います」

「分かった直ぐ参る故、其方は家に戻って居よ」

 と伴次を帰すと、眠たい目を擦りながら七十間御門を出て、小堀家に向かった。

門を潜ると小者らが出迎えた。

「おめでとう御座います」と口々にいう。

 その何れの顔も笑顔であった。

兵庫は御城勤めの事と思って返礼すると、

「おう兵庫戻ったか、引き続いての夜勤で嘸かし疲れて居ろうが、目出度きこと。美乃を労わってやれよ」

 金左衛門も目出度いとは言うものの少しばかり意味が違うように思えるのだった。

 女中の玉井が美乃の部屋へと案内した。

「お着きになられました」

 玉井が廊下に伏して声を掛けると、

「お入り下され」

 と母伊都乃の声が返って来た。

《母が看病しているのか、余程…》

 兵庫は心配になった。

「何をお考えか?早う参られよ」

 伊都乃は笑って迎えてくれたのだ。

横になっている美乃はというと、重病でもなさそうであった。

「久々のご対面、ごゆるりとされるがよい」

 伊都乃はそう言って出て行った。

 兵庫は美乃の顔を久しぶりに見たようで嬉しかった。

 急病と聞いたので心配したが、如何やら軽いようなので安堵した。

「具合はどうなのだ」

「順調の様ですよ」

「順調って、お腹が痛いとか何処か痛むところは無いのか」

 何となくちぐはぐな会話である。

「痛くなるのはまだ先でしょう」

「おいおい冗談言うなよ」

 全く分かって居ない兵庫に、

「出来たの」

「出来物がか?」

 ふざけて居る訳ではないことぐらい美乃は分かっていたが、余りにも鈍感な夫に呆れるのだった。

「ややこが出来たの」

「えぇー、其れならそうと教えなよ」

「あなたが分からなかっただけよ」

「この間は済まなかった。美乃の言うとおりだ勘弁してくれ。急に帰ったと聞いた時は何でと思ったが」

「最初は母に愚痴を零しに来たのだけど、夕餉の支度を手伝っていたら吐き気を催したもので最近頻繁にそうなるので母に訊くと、嬉しそうにな顔して『ややこ』が出来たのよと早速玄庵先生を呼んで診て貰うと、懐妊であることに間違いなかった。

『つわりも悪阻のように酷い者も居るがその程度なら心配要らん。栄養を摂って無理をしないことじゃ』

 と今後の過ごし方についての注意を受けた。

「おめでとう」

 母は安堵したようで、

今度は婿を脅かしてやろうと悪戯心であのような知らせ方をしたのよ」

「そうか、でも良かった。嬉しいよ」

 兵庫は美乃の手を取って喜んだ。

一緒になって八年目のことであった。


 この年の三月小堀金左衛門が隠居した。

家督は長男の治良左衛門が引き継いだのである。

金左衛門が父徳右エ門から引き継いで三十八年経って居た。

治良左衛門の屋敷は南に隣接してあったので改修して金左衛門が隠居所として移り、治良左衛門が本宅に入った。

この隣接した役宅の間には通用門が設けてあり、本宅側から見ると母屋と使用人の住まいの間を通って土蔵の先に通用門があるので、行き来するに何かと便利であった。

 当主交代となって治良左衛門が御馬廻り役で千石を相続し、金左衛門は治良左衛門の二百石をこれまでの功績に鑑み、隠居料として拝領したのである。

 さて小堀家を継いだ治良左衛門夫婦には子が居なかった。

天からの授かりものとは言え、正式に家を継ぐと跡取りをどうするかとの問題が生じて来るのだった。

 そんな時妹の美乃が双子を身籠ったと聞いて、男なら養子にしようと勝手に算段する。

育つにつれお腹が普通より大きくはなったが、双子にしては小さいようであった。

 治良左衛門の嫁久が伊都乃に代わって度々様子見に訪れた。

「姉上様、家にはつ祢も居りますので、態々お越し頂かなくとも大丈夫ですから、どうぞ御気遣いなされませぬよう…」

 兄治良左衛門の差し金に違いないが、来られても何もして貰うこともないので、気分を害さぬよう断るのであった。


 父金左衛門の隠退に伴い、その慰労を兼ねて治良佐衛門の家督相続の祝いを行った。

この席で治良左衛門から本音が出たのである。

「程なくして美乃も出産と相成って、吾が一党はお目出度続きである。だが残念ながら我ら夫婦には子宝に恵まれずこの先も望めぬようである。小堀家は利家公に従って以来二百数十年にも及ぶ累代の家柄である。我らに子が出来ぬとあらば他家から養子を貰うことになるが、望ましくは縁者から継いで貰うのが理想と言える。そこで兵庫、美乃、其方らの子が双子であると聞き、まさに天意と受け取って、一人男を小堀家の跡取りとして申し受けたいが如何なものか…と言うより是非にお願いしたい」

 何となくは察していたがこの席で持ち出されるとは思っても居なかった。

兵庫と美乃は思わず顔を見合わせて美乃が何かを言おうとした時、金左衛門が遮るように言葉を発した。

「その方たちも待ちに待った懐妊であろうから、双子とも男であったとしても美乃なら己の手で育てたいと思うに違いない。

だが治良左衛門が申した通り、如何やらこの先も子は望めぬようなので、男一人を養子に出して貰いたい。父からもお願い致す」

 兵庫は返答したが美乃は俯いたまま黙って居た。

帰り道、美乃は兵庫に聞こえるように呟く。

「女の子が生まれればいいんだわ」

「うぬ」

 兵庫はその言葉をしっかりと聞き取っていたが態と聞き取れなかったように装った。

 美乃にしてみれば、男であれば先ずは己が家の跡取りとし、二人目も男であれば初めて養子に出すことが出来るというものだった。美乃が懸念したのは一人が男で今一人が女の場合である。

これも双子には違いなかったが、この場合は間違いなく男を養子に出さなければならなかったのだ。

 事実そうなった。

美乃は十月十日、実家で男と女の双子の赤子を生んだ。

初産で然も双子の割には安産であった。

「でかした美乃」

「良かったわ」

 金左衛門と伊都乃は大喜びであった。

それにもまして喜んだのが治良左衛門夫妻であった。

 実家から戻った美乃の傍には、丸々とした女の赤子が一人いるだけだった。

男の子は乳母が見つかったので、早くも小堀家に引き取られて行ったのである。

 母伊都乃は特に問題ないのだが、毎日のように高添家を訪れては美乃を励ましていたのである。

美乃はその中で母の言葉に納得した所為か、吹っ切れたように彩乃の育児に専念したのであった。



 宝暦・天明の前後は人口が低迷した時代であった。それはいずれも異常低温や日照不足を原因とする冷害型の凶作・飢饉となったからである。

特に東北地方での被害は甚大であった。

そうした中での厳しい年貢の取り立てに子育てなど出来なかったのだ。

その為堕胎や特に女の子の間引きが横行したのである。

それは生活の為苦渋の選択と言えた。

 そうしたことから見れば男にしろ女にしろ子を授かることの出来る美乃は幸せと言えるのだった。

それと兵庫の性格からして或いは平穏な時代からすれば、大きく出世など望めそうもなかった。

 そのことは当の本人も承知していた。

下士に甘んじて俸禄が増えなくとも別段困りはしなかったのだ。

家計のやり繰りは全て妻の美乃がして居たからである。

物の価格が上がっても財布の紐を握っている訳ではないので、相変わらずの浪費家であった。人を寄せての酒飲みぐらいだから真に浪費家とは言えないのだろうが、稼ぎの割には酒代が嵩んだのだ。

 思えば御厩方御馬乗役百五十石の父景遠が無類の酒好きであった。

家督を継いだ長男の平四郎が酒を好まなかったのはそうして酔ってだらしなくなった父の姿を見ていたからであった。

 其れがしょっちゅうのことであったので、それを嫌ったのだ。

兵庫の場合は四六時中飲んで居る訳ではない。休みの日などは振り棒で体を鍛えたりしていたのである。


 或る日美乃が彩乃を連れて出かけたので、書斎で剣術に関する考察を書き留めていたのだが、天気が良かったので庭に出て木剣を振って汗をかいた。

 何の気なしに裏に回ってみると、着物や洗い張りなどの干し物があった。

柄などから自分の物であったり、妻の物であることが分かった。

その板に張り付いた布地に何かが見えたので近づいて見てみると、継ぎ当てをしてあったのだ。

丸洗いの方にも継ぎ当てがしてあった。

外からでは分からない位置なので誰にも気づかれることは無いのかも知れないが、兵庫は愕然がくぜんとしたのである。

 兵庫の着るものにそのような物は一つもなかった。子供のものでさえないように思われたが、或いはこのように目の触れにくい所などには繕いがされてあるのかも知れなかった。 御城勤めの主の身だしなみでは特に汚れやほころびに気遣い、妻としての勤めを怠らなかったのである。

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