第2話 御前試合

いつも通り兵庫が栗駒の世話をしていると、幸安が馬房にやって来て、

「今度の御前試合に出てみろ」

 と言うのである。

「先生未だ私には無理です」

「取れ!」

 と言うなり木刀を投げつけて来たので、兵庫はそれを右手で掴み取り、続けざまに打ち込んで来た幸安の木刀を平地で受け落としたのである。

 一瞬のことであった。

「先生失礼しました。大丈夫でしょうか」

「あっぱれじゃ、見事であった」

 幸安は右手を摩りながら兵庫を見ていた。

「心配は要らぬ、見事な太刀捌きであった」

 手加減したとはいえ未だ数本の技を教えたに過ぎないのに、咄嗟の攻撃を小太刀(木刀)で撃退したのだから大したものであった。

「案ずることは無い。以前は真剣勝負であったから決着は切り倒すか怪我を負うかであったが、それでは折角の剣士を失うことになってしまうので、今では木刀での立ち合いとなったのだ。それでも打たれ方によっては大怪我を負いかねないが、兵庫怖いか?」

「いえ怖くないです」

 幸安は兵庫の眼差しに自信を見て取った。

「何事も経験だ」

 そう言うと幸安は己の馬房に帰って行った。

幸安自らが削ったという樫の木刀は刃渡りで言うと二尺ばかりの小太刀であった。

 栗駒の世話の合間に小太刀の稽古をした。基本技である燕廻、命車、浦波、遊雲を繰り返し稽古したのである。


 御前試合は八月廿日、城内鶴の丸と決まった。

 季節は秋、城下の木々が色付くには未だ早いが、川縁(浅野川)に吹く風が何とも心地よい季節となった。

 試合前日、小堀金左衛門に呼ばれて久しぶりに白銀の役宅を訊ねた。

 客間で畏まって待って居ると、

「御久しゅう御座います」

 と美乃が来て、自らお茶を入れた。

「棒茶ですか」

「茎茶はお嫌いですか」

「いえ、この香りと色が何とも言えないもので…嫌いではありませんよ」

「それなら良かったわ。そうそう父から少し遅くなるとの知らせがありましたが、お待ちくださいね」

「承知致しました」ぶざま

 身分が違ったが二人とも気が合うようで話題に事欠かなかった。

 美乃が楽しそうに笑っているところに金左衛門が帰宅した。

 書斎に呼ばれて行くと、金左衛門が明日の御前試合について訊ねた。

「其方が剣術を幸安に教わって居るとは聞いたよ。小太刀だそうだが、自信はあるか」

「武士としての心得として始めましたばかりですので自信は御座いません。ただ御前に於いての立ち合いですので、不様な負け方だけはしないように気をつけたいと思ってます」

「うん、見上げた心がけじゃ。美乃が心配して居たが何か言いおったか」

「何もおっしゃいませんでした」

「兵庫明日の試合は御前試合だ。その風呂敷に袷や裁着袴が入っている。美乃がそなたに合わせて用意した物だ。使ぅてやって呉れ」

 と目を細めて言うのであった。

「有難く頂いて参ります。美乃様に宜しくお伝え下さい」

「あい分かった。武運を祈る」

 美乃に会って礼を言いたかったが姿を見せなかった。

 長屋に戻って風呂敷を解いてみると、羽織に長さが膝までしかない袷と襦袢に裁着袴があり、下帯に三尺の手拭いとの間に美乃の添状が挟んであった。

『兵庫様の武士としての意気込みを間近に感じて、心強く思っております』とあった。

 翌朝師匠の山崎幸安を迎えに行くと準備して待って居た。

「曇天のままだと何よりだが」

 この幸安の言葉の意味を後で知ることになる。


 二人は大手門から入ると、正面の河北坂を上がって河北御門を一の門二の門と潜り抜けて、三の丸へと入った。

この辺りに来ると試合に関係する者らであろう其れらしき出で立ちの者が多く見られた。

「先生あれは何ですか」

 兵庫は初めて城内に入ったので、目にするもの全てが珍しく、金澤城の優美な建造物が眩しく輝いて見えるのだった。

「あれは五十軒長屋と言って右隅の三層の櫓が菱櫓で左が橋爪門に繋がる続櫓だよ。この向こうが二の丸で御殿があるのだ。その橋爪門から入るぞ」


 鶴の丸の中程に幕で囲んだ処が会場の様だった。

入口で所属と名前を告げると、出場者名簿で確認をとる。

付き添いは一人ないしは二人と決められていたのでこれも確認の上入場させたのである。

 正面には横長に殿上が作られてあり、中央がさらに一段高く拵えてあった。

御前(領主)が中央に座り、その両側に加賀八家と言われる年寄衆が着座した。

 人持組に寄合組からの参加者もあったが、直前になって辞退者が続出した。

実はこの試合で勝ち残った者は、来春の参勤に治脩公はるながこうの護衛として付き従うことになるとの情報が漏れた為であった。

 試合に参加する者の中には江戸定府で単身赴任を喜ぶ者も居れば、妻子を置いての長屋(貸小屋)住まいは窮屈な上、退屈なので避けたいと思う者も居たのである。

翌年の春の領主帰参で戻ることが出来れば良いが、万が一残されたなら悲惨であった。二重生活が家計に負担となったからである。

 それでも武芸で身を立てたいと考えている者はいたのだ。

その多くは平士や陪臣であった。

戦の無い平和な時代だからこそ何とか出世の糸口を見つけたかったのである。

 そうした中で二十名に及ぶ参加申し込みがあった。

既に前半五組十名の試合は終わっていた。勝ち残ったのは流派は不明だが抜刀術の遣い手田上彦次郎と知らされた。

兵庫はそれらの人物なり評判を知らないので誰が残って居ようが関係なかった。

 高添兵庫は後半十名の内の一人で運良く七試合目に組まれていたのだ。

軽輩の身の所為か、元々生まれ育った環境の為か欲も無く、伸び伸びと大らかに成長したようでがつがつとしたところがなかった。

多くの者のように何が何でも勝たなければならないという気負いはなかったのである。


 兵庫は控え席から立ち合いを見ていた。

小太刀の遣い手が数人いたが勝ち残ったのは一人しか居なかった。

しかしそれは相手が弱かったから勝てたのだと観た。

これは離れたところで見ていた師匠の山崎幸安も同様の感想であった。

 際立ったのは杖の遣い手である。

対戦相手が正眼の構えから杖を払うように打ち込んで行くと、木剣を巻き込む様に撥ね飛ばして鳩尾みぞおちを一突きしてその場にうずくまらせたのである。

 男は勝ち名乗りを受けた瞬間、口元が緩んで笑ったように見えた。抑々が締まりのない顔立ちで常に笑っているような表情をしているのである。

この男どうやら杖術と言うより槍術に長けた足軽のようで、肝が据わって居るらしく、終始落ち着いた表情で対戦相手を見ていたのである。

 武術大会であるから剣術ばかりではない。槍の遣い手も居れば鎖鎌も居た。

この鎖鎌の遣い手も木剣を絡めるようにして剣先を外し、鎌を首に当てて勝った。

無論試合用に造った木製であるが、本身を使っても同じ結果であったろう。


 漸く兵庫の出番となった。

相手は六尺を優に超える程の大男であった。手にする獲物は白樫で刃渡り三尺二寸(約九十六センチ)余りの長刀で、対する兵庫の小太刀は二尺(六十センチ)である。

 普通に立ち会えば兵庫が不利なのは明らかであった。

然も虎切と言う技が得意だという。

休憩の際に師匠の幸安がやって来て、

「お前の相手は長刀を振り翳して来て隙を見せ、つられて飛び込むと下から切り上げる剣法だ。間合いを切って懐に飛び込め」

 と、虎切の対処を授けたのである。

会場の誰もが勝手に勝敗を決して居るらしく、余興でも見るようにリラックスした雰囲気で見ていた。

 杉坂と言う長刀使いは青眼の構えから突きを入れて来る。

兵庫は砂地の滑り具合を指先で確かめながら下った。

 相手の動きが止まったので、兵庫は剣先を小突くと上段に振りかぶって打ち下ろして来たが、危ういところで外し、普通ならこの時とばかり打ち込んで行くところなのだが兵庫は敢えてそれをしなかった。

 杉坂は長刀の利を生かして揺さぶりをかけて来る。

兵庫が間合いに入ったので素早く振りかざして打ち下ろすと、兵庫は瞬間左に動いて外し、撥ね上がる長刀に小太刀を当てて滑らせて小手を叩いた。

「それまで」

 会場は思わぬ決着に歓声が上がった。

まるで弱者が強者に勝った時のような騒ぎが起こったのである。

「御前であるぞ、静まれ」

 年寄りの一人が床几から立ち上がると、両手を上げて制止する。

殿上の御前はご満悦であった。

 勝者となるには後二人に勝たねばならない。そして前半の勝者との決戦がある。

 兵庫の二戦目の相手の流派は不明であった。相手の出方を見るように剣先をチョンチョンと当てて出方を見ている。

兵庫が剣を絡めるように巻きを見せると、スッスッと下って八相の構えをとる。

打ち込んで来るのを待つが、相手も動かなかった。

 左に動くと見せて相手が打ち込んで来るのをぎりぎり右に躱して胴を払うと、相手は腹部を押さえて倒れ込んだ。

残りはあと一人だが、その相手とは杖遣いの足軽喜兵衛であった。

 この男二試合目で鎖鎌の更科重吾を破っての決勝戦進出だから、可なりの手練れと見て良いだろう。

軽輩だからと言って驚くことは無い。

兵庫とて馬の世話役だから同じ軽輩である。共に三戦目での対戦であった。

 ここでまた休憩となった。

「あの男は掬い取るのが上手い。巻かれたら逆らわず真っ直ぐ抜いて回転軸を叩け」

 そのような稽古をしたことは無かったので出来るかどうか分からなかったが、勝負とはそんなもので、実戦を通して経験して身に付くものであった。


 喜兵衛は身の丈五尺三寸ばかりだが、向き合ってみると大きく見える。

表情は相変わらずにやけているが、窪んだ眼が妙に光って見えた。

ひとつ二つと突いて来たのでその先を剣先で弾くと、跳ね返されながらも剣先に絡みついて来る。

 どうやら小太刀を巻き取る算段のようだが、兵庫は相手の早い突きをかわして、中に入ろうとすると杖を振り上げて頭目がけて打ち下ろして来た。

此れこそ正に戦場に於ける槍の使い方のひとつで穂先で突くのではなく打ち下ろして頭部を叩き割る術であった。

 兵庫は咄嗟に頭上で受け止めると小太刀を滑らせて左手首を切って返す刀で首を切る。

「それまで」

 喜兵衛は杖を落として首を押さえて倒れ込んだ。

木剣ではあるが打撃力は半端ではない。

肉を切り裂くこともあるのだ。


 愈々決勝戦だが半時ほど休憩となった。

二人は鶴の丸から御本丸の石垣沿いに歩いて行き、二の丸との連絡橋である極楽橋の下を潜って庭園の見える高所に立った。

「あれはよ、玉泉院丸庭園と言って二代目利長公の正室のお住まいどころだったのを利常公(三代目)が京の庭師に作庭させたのが始まりで、元禄の頃にはあの中の何処かに氷室ひむろを造ったんだとさ」

「氷室とは雪の…」

「そうだ雪氷を貯蔵する施設だが、それも手木足軽てこあしがるらが庭園管理を含めて全てを担っているんだ。雪を貯めて三月頃にそれを江戸まで運ぶのさ。所謂将軍家献上氷としてな。

大体百二十里ほどの道程だが…。ひょっとしたら、お前が勝ったあの杖術の喜兵衛は手木足軽の一人かも知れんぞ」

 師匠は江戸に行くのもいい経験となるだろうとも言った。

だが試合内容については一言も触れず、褒めもしなかった。

 会場に戻る途中、

「慢心は禁物だぞ」

 兵庫が少々浮ついているように見えたのか諫めるように呟いた。

 会場に入ると、対戦相手の田上彦次郎が鉢巻襷はちまきたすきをして床几しょうぎに腰かけて瞑想しているところであった。

 抜刀術の遣い手というが真剣や刃引きは使用できないので、それを活かすことは出来ないではないかと高を括って居たら、何と田上彦次郎は鞘に収まった木剣を腰に差して対峙したのである。所謂竹光ではない。

 普通の木刀の半分ほどの厚み位だろうか、間違いなく鞘に収まっていて左手は鯉口を切る形になっている。

刃渡りでいうと二尺五寸程だろうか、兵庫の出方を待って居るらしく動かなかった。

 前半での勝者である田上彦次郎は二戦で勝者となった為、技らしい技を見たものは居なかった。

兵庫は木剣を受け止める自信はあった。

 田上が左に動いた。

急に陽が差したので兵庫はお天道様の光を真面に受けて、眩しさに左手を目の前に翳した瞬間、相手の木剣が脇腹を狙って来たが、寸でのところで受けて打ち返えし一進一退となった。

兵庫が横に回り込もうとしても田上は許さず、不利な体勢が続いた。

 出がけに何気なく聞いた師匠の言葉「曇天のままだと何よりだが」を思い出していた。相手は晴れた瞬間に太陽を背にしたのである。己の技量の研鑽を積むばかりではなく、時に自然を利用するのも兵法であった。

 兵庫の動きが止まったのを見て、田上は素早く木剣を鞘に収めた。

この時打ち込んで居れば間違いなく勝てた。

だが振り出しに戻してしまったのである。

抜刀術の田上にとっては鞘に収まっている状態が最善の形であったのだ。

 だがこの時またもや陽が陰った。

左手を翳す必要がなくなったので本来の構えに戻す。

 田上がやや腰を落として木刀を鞘毎前に送り出すのが見えた。

〈来る〉

 その瞬間繰り出された田上の剣先を受け、小太刀を鎬地に沿わせて滑らせて小手を狙ったが、逆に棟で打たれて落として負けてしまった。

相手の動きを読んで己の勝ちを確信したが為の油断であった。

これこそ師匠山崎幸安が忠告した慢心と言えるだろう。

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