百萬石の貧乏侍

夢乃みつる

第1話 馬の世話係

 浅野川の北岸に、馬場という下級武士が多く住む町が在った。

中の橋を渡って直ぐの所に関助馬場せきすけばばという馬場があり、御馬奉行支配下の侍などが多く住んで居たのである。

 その関助馬場の後ろ側二筋目を二丁ほど入って行った処に、髙添兵庫の家が在った。

御馬奉行支配、御厩方御馬乗役百五十石の父景遠が隠居して、長兄平四郎景信が十八歳で家督を相続したのだが、次兄景清や兵庫に比べて虚弱な為病気がちで、役目を屡休んだ。

 この時兵庫は数えの十三で、上役の小堀金左衛門が烏帽子親となって元服した。

 前髪をとって月代を剃った兵庫は歳の割には恰幅も良いので、二人の兄と並んで歩くと遠目にはまるで年子のように見え、三つ五つと離れているようには見えなかった。


 ご存じのように次男三男は他家の養子となるか若しくは兄の世話になって部屋住みの冷や飯食いとなるところであったが、兵庫は小堀金左衛門の計らいで馬の世話役の見習いとして採用されたのである。

それと同時に三年程前に設立した学校明倫堂に入学し、朱子学、易学等を学ぶことになった。此れも小堀金左衛門が教授らに特別頼み込んで受け入れて貰ったものだった。

 その為に兵庫自身はある程度馬の世話の仕方を学んで、朝早くに世話をして明倫堂に行って勉強し、帰ってからまたうまやでの仕事の続きをしたのである。


 さてその関助馬場の厩だが、此処には三十匹(頭)ばかりの馬がいたが、そのうちの一匹を世話したのである。

 飛騨産の栗毛で、推定年齢が十七歳の老馬であった。

此処の世話役は十二人であったから、一人当たり二匹から三匹を見ていたのだが、見習いの兵庫には世話役頭が付いて馬の世話の仕方や馬房の掃除の仕方、餌の作り方から上げ方健康管理に至るまで細かく教え込まれた。

 厩には世話役の他に馬の調教をする乗り役が居て、毎日のように馬場に出て調教していた。

 長兄平四郎景信が御馬乗役として御厩方にいたが、家督を継いだ際に関助馬場から犀川の側にある才川馬場に移動となったのである。無論馬場の役宅から御城の西側まで歩いて通うことになったので、平四郎からしたら難儀であった。

 

 兵庫の世話する栗毛は老馬の為、乗馬することは無く、手の空いた者が手綱を引いて馬場若しくは空地を歩かせるだけであった。

 見習いとなって三月程経った或る日、頭が馬房にやって来ると、

「兵庫、こいつに乗ってみっか」

 と訊く。

「ウーンええですか」

 世話しているうちに懐いて来た栗毛が愛くるしく思えてきた頃だったので、喜んで受けたのである。

 栗毛の名前を特に聞いてなかったので“栗駒”と名付けて呼ぶと顔を摺り寄せるのだった。

 

 馬場の端っこで頭から乗馬の基礎を教わり、歩様も常歩なみあし速歩はやあしと教わった。

「背筋は真っ直だ」

 乗馬の基本を教わりながら、栗駒と気持ちを通わせるようになっていったのである。 

馬房に戻ると、栗駒の体を濡れた布で丹念に拭いて汚れを落とすと、乾いた布で丁寧に手入れの仕上げをした。


 兵庫は明倫堂から帰って来るとこうして毎日運動させたのである。すると栗駒は食欲も増して、餌の食べぶりも良くなった所為せいか、心なしか栗毛に艶が出てきたように思えるのだった。

「大したものだ。栗駒が生き生きして来たぞ」

 先輩たちが驚きの声を上げるほど、栗駒の動きは若々しく蘇ったのである。

今では駆け歩まで出来るようになっていた。

 そのことを聞きつけた小堀金左衛門が馬場に顔を出した。

「兵庫頑張ってるようだな。頭が誉めて居ったぞ」

「何も分からずに唯懸命にしてるだけです。でも楽しいです。こいつが懐いて呉れて、うら(私)を乗せて駆けるようになりました」

「其方の心掛けが良いのと、その優しさが馬にも通じたのであろう。ところで兵庫用事がなければこれから儂の処へ来ないか」

「うら(私)は構いませんが…」

「良し決まった。彦六、兵庫を拙宅に連れて参るが構わぬか」

 小堀は頭の豊原彦六に断りを入れると、

「構いませぬ。兵庫は明日休みですから、戻らなくとも大丈夫で御座います」

 独り身の世話役や乗り手は、御厩方の長屋に住んで居たので、頭が承知して居れば外泊もできたのである。

 兵庫は手早く片付けを済ますと、小堀金左衛門の後に付いて厩を後にした。

小堀金左衛門に付いて橋を渡ると、堀川沿いに歩いて白銀町方面に向かった。

「兵庫、今日はよ娘に会わせてやるから篤と見るがよい。其の方幾つになった?」

「はい、十五です」

「左様か」

 それだけ言うと黙ってしまった。

小堀金左衛門の前を若頭が二人と兵庫の後ろに鑓持ちと挟み箱を担ぐ小者が従っていた。 

白銀町から川沿いを進み、四筋目を横に入ったところに屋敷はあった。

北面に長屋門があり左右に用人や若頭、足軽に中間小者の部屋が在った。

女中部屋は母屋にある。

結構な広さの屋敷であった。

兵庫の実家の髙添家が二百坪ほどなので、ざっと見て四倍ほどの広さがありそうだ。

門を入ると、右手の腰掛に座っていた中間らが一斉に立って出迎えた。

 玄関先には御内儀と女中らが迎えに出ていた。

「伊都乃、先達て話した兵庫を連れて参った。あれはどうしてる」

「お帰りをお待ち申し上げております」

「左様か。玉井、客人を茶室にご案内して」

「畏まりました」

 玉井は玄関横の六畳の間から廊下に出ると、幾つか座敷横を通って突き当りにある茶室に案内した。

「此方からお入り頂きまして、暫しお待ち下さいませ」

 兵庫は玉井の言うとおり、膝を着くようにしてにじり口から茶室に入ると床の間の前に座った。

四畳半の大きさで中窓があるので室内は明るく、半畳の角に出炉が切られていて湯釜が乗って居た。

その横には茶道具であろうか、茶碗や柄杓、茶筒などが置かれてあった。

兵庫はそれらをもの珍し気に観ていると、色白でぽっちゃりした若い娘が声をかけて入って来て挨拶した。

「ようこそお越しくださいました。美乃と申します」

「あッはい、うら(私)は高添兵庫です」

 女子おなごと話などしたことの無い兵庫は緊張してぎこちない挨拶を返した。

 それを見て娘はクスっと笑う。

「其のままでお待ち下さいな」

 どうやら兵庫にお茶を点ててくれるようだが、番茶をがぶ飲みする程度の不作法者に正しい所作など判ろう筈もなく、唯々娘の動作に見入るのだった。

 娘は釜の蓋を取ると、柄杓ひしゃくでお湯をすくって茶碗に注ぎ、茶筅ちゃせんとやらを入れた。

そのお湯を零して抹茶を二杓程入れてそれにお湯を注ぐと、茶筅を前後に動かして泡を立てて、茶筅を真っすぐ上に抜いた。

「どうぞ」

 娘が作法通り点てたお茶を、兵庫は不作法にも片手で持ってグイっと飲んだ。

「初めて頂きましたが美味かったです」

 悪びれることなく率直な感想を漏らす兵庫の純朴さに娘は初め驚いたが、笑いながらも好感を抱いたものだった。


「美乃の点てたお茶は如何であった」

 茶道口から金左衛門が行き成り顔を出してそう問いかけたのでこの家の娘と知った。

「美味しかったのですが、頂き方が分かりませんで不作法してしまいました」

 と頭をかく。

「行き成りでしたから驚かれたでしょう。ご免なさい」

 美乃はどうやら純朴な青年に引かれたようであった。

美乃は次女で十七歳というから兵庫の二つ上である。

 美乃には三つ上の姉志保と二つ上の兄治良佐衛門が居た。

「父上も一服如何です?」

「久しぶりに頂くか」

 金左衛門は襟を正して座り直すと、娘の点てたお茶を口元に運ぶ。

兵庫は金左衛門の所作を一つ一つ確認するように見ていた。

 此れも武士のたしなみというのであろう。

先程のぐい飲みは如何にも破廉恥な振る舞いだったと反省するのであった。

 この日兵庫は金左衛門に勧められるままに酒を飲んだ。

家で二人の兄と盗み飲みをしたことはあったもののそれは子供の悪戯で、この日ほど飲んだことは無かった。

 意外と強いことを知ったが、抑々実父景遠は大酒のみで時々羽目を外すことがあったので、長男の平四郎はそうしたことを嫌ってあまり飲まなかった。

 

 翌朝客間にて目を覚ました兵庫は、どうやら二日酔いの状態であった。

昨晩ほど飲んだのは初めてであったし、況してや金左衛門程の酒豪相手に飲んだのだから大したものである。

とは言え未だ寝ているのか日が昇っても部屋から出て来なかった。

「兵庫様美乃です。お目覚めですか」

 廊下から声をかけると、

「お入り下さい」との返事。

 兵庫は寝具は畳んで畳の上に横になっていたのである。

「二日酔いでしょ、無理なさるからですよ」

 美乃は砕けた口調で諭す。

「さぁこれをお飲みになって」

 渡された茶わんの中は、昨日茶室で飲んだ抹茶が入っていた。

「これは?」

「お薬よ、二日酔いに効くから一服お飲みなさい」

 美乃はお茶の効能を簡単に話すと、兵庫に勧めるのだった。

兵庫は手に取ると左手の上に乗せて右手で湯呑を回そうとした。

「普通に飲んでいいのよ」

 美乃は笑いを堪えるように口に手を添える。生真面目な顔して戸惑う兵庫が可笑しくてならなかった。

それでも美乃は兵庫の様子を見ながらもう一服点てて飲ませた。

薬とは言え昨晩は飲み過ぎであった。

二日酔いは解消されなかったのである。

 二人はこうして自然な形で仲良くなったが、親が思う程の進展は見せなかった。

未だ二人とも子供であったし、更に兵庫の興味は馬術や剣術にあった。

 馬術は役目柄習う機会は多かったが、剣術については世話役の中に小太刀の遣い手が居たのでその者に教えを乞うと、槍術に組み打ちも教えるのであった。

 兵庫は軽輩だが、二人扶持の前田家の下級武士である。

戦となれば戦場をかけることになるので、同時に躰術も学んだ。

 その剣術の師とも言える世話役は山崎幸安と言って、中条流剣術の中興の祖の婿養子となった山崎与六郎(富田重政)の遠縁に当たると言うのだが、真実の程は分からない。

だがその実力は確かで、どうしたことか御前試合には一度も出ようとはしなかった。

 作業の合間の休憩時に、兵庫は壮年の馬役で隠れた剣術指南の幸安にその理由を訊ねると、

「木剣と雖も手練れた剣士の打ち込みは肉を裂き、骨を砕くほどの威力があり、打たれた相手は怪我で済めばいい方だが、その多くは命を落としかねないのだよ」

 つまり幸安は木刀でも相手に打ち勝つ自信があり、無駄な殺生を避ける為出場を辞退し続けたのであった。

 その為、山崎幸安が剣の達人のようだと言われながら、その実力を目にした者は殆ど居なかったのである。

 では達人という根拠は何なのだろうか…。ある者は四、五人の浪人を相手に小太刀一本で退けてしまったとか、突いてくる槍の穂先を次々と切り落としてしまったとかの逸話に事欠かないようだが、其れとて根拠のない作り話に取られがちであった。

 高添兵庫が山崎幸安に剣術の教えを乞う切っ掛けとなったのは、厩の裏で薪を割っている時のことであった。

「兵庫それでは腰を痛めてしまうぞ」

 振り向くと幸安が笑いながらそう声をかけて来たのである。

これまでは顔を合わせるぐらいで話したことなど無かった。

「いいか、斧はこう持ってこう振り上げる。振り下ろす時は膝を少し曲げて腰は曲げないことだ」

 兵庫はこれまで適当に薪を割っていたので、姿勢が前屈みの為腰に負担がかかってか、作業の後は腰が痛くなったものだ。

だが幸安のちょっとした助言で身体に負担なく綺麗に割ることが出来たのである。

「ところで兵庫、お主は剣術を習ったことがあるか?」

 唐突な質問であった。

「ありませぬ」

「武士ならば、いざと言う時には主君を御護りせねばらぬが、その時は如何致す心算だ」

「身命を賭して御護り致します」

 幸安は苦笑する。

「主君を御護りするとは己の体を張ることも重要ではあるが、如何なる敵に対しても打ち勝つことの出来る技術を具えて居なければならないのだ。躰術であれ剣術であれ、平穏な世にあってこそ武芸を嗜むべきであろうよ」

 兵庫は地面に跪くと、

「先生剣術を教えて下さい」

 と平伏した。

「何を言うか、其方に教授するものなど持ち合わせて居らぬよ」

 山崎幸安に弟子が居るとは聞いたことなかったが、間違いなく剣術指南の腕前であることに相違なかった。

兵庫は再三に亘って指導を願ったのである。

幸安は根負けして木刀を持ち出して来ると兵庫に宛がった。

 

 幸安は兵庫を馬場の外側の茂みに連れ出して太刀の持ち方から構え方、技の繰り出し方等基本を教えた。

 兵庫は若いだけに覚えも早く筋も良く、遊雲という技を早くも覚えた。

この技は相手の太刀を押さえるようにして受けて下げると、同時に相手の小手を切るというものであった。

何れも相手の太刀を払ってその隙を突くのだが、兵庫の敏捷な動きはそれらを更に磨きをかけたのである。

 山崎幸安は平法について、

「この心は平らかにして一生事なきを以て第一とすべし。 戦を好むはこの道にあらず。 止事を得ず時の太刀の手たるべき也。

この道を知らずして此の手に誇らば命を捨てる本たるべし。」

 と兵庫に伝えた。

 幸安は常日頃から心得とした言葉だが、それを修業者としての兵庫におごり高ぶることの無いよう戒めたのであった。

その点兵庫は温厚で純朴な性格であったので先ずその心配はないと言えたが、だからと言って必ずしも断言できるものでもなかった。 抑々武術を習おうとした動機は、家臣として主君を護る為の特技が何もなかったことに端を発したものだからである。

 平素は馬の世話がある為作業の邪魔になる刀は腰に差すことは無かった。

だが普段出歩く時などは刃渡り二尺の長脇差一本を差していた。

この脇差は烏帽子親である小堀金左衛門が兵庫の元服祝いにと贈ったものであった。

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