第3話 勝者らのご褒美
中条流の田上彦次郎が高添兵庫を下して勝者となると、真っ先に来春の参觀随行に選ばれた。
無論兵庫も例外ではない。
続いて一刀流の滝崎弥五郎が選ばれると、この三人の他に足軽の村田喜兵衛に、前半の部から谷岡孫三郎と言う念流の剣士が選ばれたのである。
江戸行きは謂わば勝者、勇者らに対するご褒美のようにも思えるが、中には選ばれることが迷惑と言うのも居たのである。
それらの多くは辞退して参加しなかったのだが、陪臣の身であれば結局は主人に従って行かなければならない者も居たのだ。
ならば勝って褒美を貰っ方が良かった筈だ。
田上彦次郎は五十石から八十石に加増され、剣術指南補佐となった。
高添兵庫は御殿警護役を拝命し、五十石を賜ったのである。
村田喜兵衛は手木足軽として特殊技術集団の小頭を仰せつかった。
結局来春の参覲にはこの五名が
田上彦次郎と高添兵庫の両名は褒美として差し料が刀箱に納められて下賜されたのと、参覲警護に付く為の支度金も合わせて下賜されたのである。
特に兵庫は年内中の移動となるので、身なりもそれなりに整える必要があった。
それはそれで別に戴いたのである。
支度金は五名全員に出たが、その額は役目に応じて差があった。
厩世話役頭豊原彦六に御前試合の結果と御殿警護係を拝命したことを報告した。
「精進が実ったな、良かったじゃないか。お前のお師匠さんは小太刀の遣い手だがどうした訳かその腕前を披露しないものだからこんな所で燻ぶって居る。変わった奴よ」
山崎幸安はその腕前を一度だけ見せたことがあった。それは見せるつもりではなかったが成り行き上そうなったのである。
或る日関助馬場でのこと。
調教をしているところに六人の浪人者が冷やかしに来ていた。
最初はにやにやしながら見ているだけだったが、その内の一人が柵を飛び越えて中に入って来ると、手綱を取り上げて素早く跨った。
「何をする。直ちに降りよ」
馬を奪われた世話役の忠助は両手を広げて制止しようと、馬の前に立ちはだかったのである。
「どけい蹴散らすぞ」
忠助が手綱を掴むと、浪人は刀を鞘毎腰から抜くと
溜まらず倒れ込む忠助を助けようと馬場に居た仲間が集まって来ると、浪人たちも雪崩れ込んで来たのである。
押問答となって抜刀した浪人が切りかかって来た。
危ういところで切られるところだったが知らせを聞いた世話役の一人が脇差を腰に駆け寄ると浪人らに、
「直ちに立ち去れば好し、さもなくば」
と柄に手を掛ける。
「馬方が小癪な」
「死ねー」
馬上の浪人は馬から降りると真っ先に切りかかったが刀を飛ばされて、腹を切られて倒れてしまった。一瞬のことであった。
二人目は小手を切られ、返す刀で三人目を袈裟懸けに切ると、残りの三人は一目散に柵外に逃げて行った。
これが山崎幸安の剣さばき披露であったのだが、仲間たちの驚愕を他所に何食わぬ顔で厩に戻ったのである。
正に一瞬の出来事であった。
当然のことながら城中、城下での話題となった。
奉行所の聞き取りもあったが、此方に非は無いので狼藉者退治で済んでしまったのである。
上からは御前試合への出場を再三勧められたが辞退し、決してその剣さばきを見せなかったのである。
無論弟子入りを希望する者も居たが取り合わなかった。
兵庫への指南は如何なる心情の変化なのか、眞奇怪であった。
二人は長屋に戻ると頭の豊原彦六の役宅を訪ね、御前試合の報告をした。
「ようやったな、これも山崎のお蔭だ。色々と支度をしてくれた小堀の親仁様に早いとこ報告して来いや」
山崎幸安と別れて、兵庫は褒美を持って、堀金左衛門宅に向った。
中の橋の上から浅野川の流れを見ていると、
「お出かけですか」
と女性が声をかけてきた。
振り返って見ると、小堀美乃が微笑んで立って居た。
「美乃さんこれからお宅に伺う所です」
「まるで夜逃げでもするみたい…」
と美乃は揶揄うように言った。
兵庫は戴いた褒美などを風呂敷に包んで背負っていたのである。
「美乃さんのお陰で戴いた物ですよ」
若い二人は愉しそうに語らいながら家へと向かった。
「来春御前様のお供で江戸に行くの?」
「多分」
未だその辺りのことは分からなかった。
何れにせよ馬の世話役から御殿警護に配置換えになることは間違いなく、その上で四月の参覲では脇の警護に付くことになりそうであった。
金左衛門が帰宅したので、書斎に御前試合の報告に上がった。
「二番手と聞いたぞ。好くも短期間のうちに腕を上げたな兵庫、で今度は御殿の警護に配置換えのようだが、如何やら参覲の際も付いて行くことになりそうだな」
と同席の美乃を見る。
「小堀様支度を戴いたお蔭を持ちまして此度の好成績を得ることが出来ました。これらは御前様より頂きましたものですが」
と脇に置いてあった風呂敷包みを拡げて、ご褒美に頂いた品々を差し出すのだった。
刀箱の中は大小の太刀が在り、反物が五反に扇子などの小物に金子が締めて二十五両あった。
「今までのように馬を相手の軽微な服装では行かんからな、それなりの準備の為に金子を下さったのだよ。では兵庫これらの品を預かることにしよう。美乃、お前が責任を持って預かるのだぞ」
美乃は裁縫も達者であったので、それらの反物で綿入れや袷を設えるつもりであった。
「お金はお持ちになって下さい」
と兵庫の元へ置く。
「仕立て代等で物入りとなりましょうから其れで賄って下さい」
兵庫は生真面目な顔してそう言うと塊を美乃に戻した。
「では兵庫様二十両を預からせて頂きます。その五両はお手元にお持ちください。男子たるもの何時入用になるやもしれませぬ故」
「分かり申した。頂いて参ります」
二人の遣り取りを金左衛門は愉しそうに見ていた。
年齢的には未だ早いが、実直な兵庫は気立て良く育った娘に相応しい男と見ていたのである。
だが無理に一緒にさせる気はなかった。跡取りは居るが、幼少時から何かと世話して次男坊のように可愛がって面倒を見て来たのである。
「ところで平四郎が健康を害した為景清に家督を譲ったそうやがどうしたね」
「はい、次兄景清は一旦商家に婿入りしましたが商人には馴染めませんで、悩んでいる時長兄が引退となりましたで渡りに船で復縁したのです」
「景清にとっては良かったな」
「はい運が良いです」
兵庫は次兄を快く思ってはいなかった。
何しろ長兄と父親を療養と表して七尾の先の久々浦の親類に預けたというのだ。
その親類の縁者の娘を嫁にしたというのだが、武家の娘としては教養もなく、家計のやり繰りも下手で、御馬乗役百五十石の家もやがては御取潰しになりかねない程、夫婦とも
「お前は継ぐ気はなかったか」
「えぇ次兄が必ず茶々を入れて来るでしょうから考えませんでした。ただまさか二人を追いやるとまでは思いませんでした。非難しますと、お前がやれと開き直るのですから始末の悪いだだくさな(だらしない)奴です」
「ウーンほーけ、景遠殿も気の毒やな。其方がせめてもの救いだろうて」
金左衛門はつくづく跡取りの資質について考えさせられるのであった。
金左衛門は兵庫が長屋に帰ると、改めて娘を呼んで指示した。
反物は上物には違いないが柄は地味な方であった。
御城勤め用に、綿入れと袷で一反ずつ造り、後の二反で参覲の際の礼服と膝丈の道中着を仕立てさせたのである。
その他に羽織も用意させた。
兵庫は何かと小堀金左衛門の役宅に出入りした。
此処が実家のようなものだった。
美乃の兄治良佐衛門もそんな兵庫を弟のように接していたのである。
馬の世話役としての最後の日に、頭の豊原彦六と師匠の山崎幸安らと仲間数人が長屋で送別の酒宴を設けてくれた。
「兵庫らの門出に祝いの席を設けさせて貰った。細やかだが地元の酒と料理を治平らが用意して呉れたで、十分ではないが堪能して貰いたい」
頭の彦六はそう挨拶して、乾杯の音頭をとった。
治平らが浅野川で釣った鯉を料理したのだという。
お膳には皮付きの刺身やなますに、お吸い物にはふかし(はんぺん)も入っていて、料理人がしたように上手に盛り付けられていた。
「どやぁ美味いやろう。治平の親父さんは料理人だったんよ、で門前の小僧習わぬ何とかさ」
兵庫は御礼の言葉を述べようとしたが言葉にならなかった。
「頑張るまっし」
一同は若者の将来を思って快く送り出したのである。
兵庫はその際師匠の山崎幸安を通して豊原彦六に、世話になった御礼として金子を奉書に包んで渡した。
初めは断られたが、今日のお礼としてではなく、厩の世話役の方々の為に役立てて頂きたいと説得して受けて貰ったのだった。
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