第4話  出世の糸口

 十月朔日の朝、高添兵庫は小堀金左衛門の役宅から出仕したのである。

美乃の仕立てによる綿入れに袴を穿いて、腰には大小の太刀を差した。

美乃に羽織を着せて貰い玄関に立つと、下男の益三が寄って来て、

「兵庫さん、いや失礼しました兵庫様、ご立派ですよ」

 と嬉しそうに微笑むのだった。

「あんやと爺や、兵庫でいいよ」

 益三は兵庫の幼少時から知って居たので、己の孫のように思えてならなかったのだ。

「気をつけて」

 美乃も弟を送り出すぐらいの気持ちで見送った。

「行って参ります」

 兵庫は腰の大小の重みを感じながら堀川に出ると、歩き易いように股立ちにして川沿いを南に歩いて行った。

対岸に渡るところの右側には、年寄 長大隅守連起ちょうおおすみのかみつらおきの屋敷があった。

「でかぁ!」


 前田治脩の家臣だが禄高は三万三千石というから大名並みであった。

堀川を越えた所には筆頭年寄の前田土佐守の屋敷があった。


 その角に差し掛かった辺りで股立ちを外していると、

「お早うさんです」

 と声をかける者が居たので振り向くと、抜刀術の田上彦次郎であった。

「これはこれは田上様、長いこってー(お久しぶりで)、その節は失礼しました」

「何の何の、聞けば其方は剣術をなろうてまだ僅かだというではないか。見事な太刀捌きであったぞ」

「田上様こそ。あれが本身でしたら受けることは出来ませんでした」

 田上彦次郎は高添兵庫の言葉にその非凡さを見てとった。

 兵庫は幾ら木剣を薄く加工したとしても、真剣の鞘の滑りとは違うと感じたのである。確かに受けることは出来たがそれは木剣だからで返し技まで読めなかったのは未熟だったからである。

「番所勤めでしたな」

「はい、本日からです」

「左様か精々励まれよ」

「田上さまは何方へ」

「拙者は経武館で剣術の指導で御座る」

「御指南役ですか」

「助教(補佐)で御座るよ。何れまた」

 田上彦次郎は照れ笑いしながら上堤町の通りを学校へと向かって去って行った。

兵庫は其処から神護寺の先にある甚右ヱ門口を過ぎて西丁口御門から中に入った。

番士に声明を名乗ると、二の丸の番所を訊ねるまでもなく冨永という壮年の番士が案内するというので後に付いて行くことになった。

「ここから二の丸御殿に沿って行けば直ぐだから。御城の中は広いから最初の内は戸惑うだろうが直ぐに慣れるから」

 と親切に教えるのだった。

「ところでお前さんは上覧試合で二番目だったそうだね。若くて強いのが来ると評判になってるが」

「冨永様、うら(私)はそれ程強くねえですよ」

「経武館の剣術指南ですら簡単には勝てなかったと聞いてるぞ。まぁ皆が期待して待っとるで頑張りまっし」

「あんやとう」

 二の丸御殿の玄関口に回り込み、御鈴番所に顔を出した。

「おぅあんちゃん待ってたぞ」

 二の丸御殿の番士頭村上甚右衛門信房が愛想良く迎えてくれた。

「それじゃこれで」

 冨永小六は番茶を一杯飲むと下の番所に戻って行った。

「あの男は親切だが気が回り過ぎるのが玉に瑕だ。色々教わると良い」

「はい」

 兵庫の最初の勤めは玉泉院丸と金谷出丸を結ぶ鼠多門ねずみたもんの警備に就くことになった。

鼠多門の番頭の槻山弥之助が迎えに来て、先ずは宿舎に案内した。

側室の住居地の直ぐ横にあって大部屋が二十室ほどあるが、一部屋五人の割り当てであった。

 端の部屋に荷物を置くと、二の丸の敷地の端から玉泉院丸苑池の横を通って階段状の坂道を下り切った所に鼠多門はあった。

 槻山は門を潜って金谷出丸に掛かる木橋(鼠多門橋)を途中まで渡って振り返ると、門の姿が見えた。

「どうや此処の門は他の門とは一味違う造りとなってるが…」

 確かに変わっていた。

屋根は鉛瓦で壁は白漆喰だが、腰壁は黒漆喰の海鼠壁なまこかべと他の門とは違っていたのである。櫓に上がってみると、槍や弓矢に鉄炮が備えられていたが、内部は見た目以上に広く感じられた。

 門の内側に在る番所に入って番頭の槻山弥之助の説明を受ける。

参覲までの半年の間にこうした御門の警備の他に、二の丸御殿や庭園等と様々な警備を覚えて貰うというのだ。

そして四月には御前の警護で江戸に行くことになるだろうと念を押されたのである。

 警護の連中の間では、高添兵庫が剣術の指南役と互角の勝負をするほどの剣の達人との評判で持ち切りであった。

本人はそれらを否定するのだが、若いのに似合わず謙虚であると評価は上がるばかりであった。

 よく剣の手解きをせがまれるが、未だ修業の身だからと断った。



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