第11話 治脩公の隠居と騒動

 十一月に入ると寒気も強まり霰や雪が降り出すが、この月の六日より浅草蔵前の八幡宮社内で勧進相撲が行われた。

先場所は不景気で不入りとなった為五日間で興行が打ち切られたがこの冬場所は前評判も上々であった。

 何と言っても大関雷電爲衛門が実力人気共に一番で、陣幕嶋之助や不知火光右衛門、千田川咲右衛門、花頂山浅右衛門に柏戸宗五郎といった人気力士らが三役から前頭の上を占めていた。

 幸安が手にしている番付表は、同じ世話役の若手頭の椿太吉から貰ったものだが、登与の話では女人禁制だから行かれないというので諦めざるを得なかった。

因みにこの場所の優勝者は千田川咲右衛門であった。

 どの道この時老中より呼び出しを受けた家老の御供で、田上彦次郎と共に呉服橋御門内に在る老中松平伊豆守の屋敷に護衛で付いて行かなければならかったので、見には行かれなかったのである。

 この時は領主治脩公の病状について訊ねられ長引くようでは引退も已もう得ないのではなかろうかと適切な判断を求められたのであった。

 この事は江戸家老から國許へ知らされ見舞いを兼ねて長甲斐守や前田内匠助ら年寄り衆らが急ぎ江戸に出て来たのである。

 長甲斐は治脩公の御意向を再度お尋ねし、嫡子斉廣への家督相続を確認すると、国許に書状を送り、年寄り衆や人持組にもこの決定を伝えて、同時上屋敷の家老前田織江を呼んで治脩公の花押入りの書状を持って、一緒に嫡子斉廣公に謁見し承諾を得たのである。



 三月二日、御用番老中の戸田采女正とだうねめのしょうに十一代領主前田治脩が病の為引退し、嫡子前田斉廣に家督を譲る相続願書を提出した。

この月の九日に許可が下りると、早速國許に報告したのであった。


 この襲封で斉廣は加賀守となり、治脩は肥前守と改名した。

因みに隠居した治脩は文化七年(一八一〇)一月に亡くなったのだが、六十六歳であった。

 ここまでの歴代領主では五代綱紀が享年八十二歳で一番の長寿で、十三代斉泰が七十四歳で二番目に三代利常が六十六歳で並び、初代利家は六十二歳であった。

 幾ら平穏な時代になっても、殿様は傍から見るほどお気楽ではなかったようだ。

それなりに気苦労が絶えず、窮屈な人生であった。

 ある大家の殿様が「殿様になんぞになるものではない」と言ったとか…

ある意味察しが付く。



 さて世子斉廣が十二代領主に襲封すると、兵庫の身辺も忙しなくなってきた。

親戚筋の富山前田家や大聖寺前田家に諸家から祝いの挨拶が相次ぎ、斉廣公は大書院での応対に出る為兵庫らはその付近に警護の為張り付いたのである。

 

 三月下旬の早朝に雪氷が金澤から届いたというので、本郷邸詰の手木足軽らと共に育徳園の心字池の東にある新御亭という建物の北側の雪氷を貯蔵する氷室に赴いたのである。

 以前は御住居内の富士権現旧地に設けたものだったが、すぐ東側には表御殿に抜ける渡り廊下があったので人の目に付き易い為現在地に移転したのである。

 この苑池は領主一家の憩いの場であり、客の接待に使うぐらいだったので特に目立つことは無かった。

況して此処の管理は手木足軽の担当だったので特に問題は生じなかった。


 小高い丘の間に隠れるようにその小屋はあった。一棟は詰所らしく茅葺の屋根が目立たないように木立に囲まれてあった。

その先の小屋が如何やら氷室の様だった。

戸口は引き戸で開くと一間の幅があり、比較的大きな荷物でも楽に入れられそうであった。

「高添様喜兵衛です。御達者でしたか」

 喜兵衛が穴蔵から這い出て来たのだ。

喜兵衛は昨年のお暇が治脩公の病気の為取止めとなったが、雪氷移送の為一旦金沢に戻っていたのである。


「おぅ喜兵衛さん何時戻られた」

「昨日です」

「ということは氷を運んで来られた?」

「さいです」

「何時出られたの?」

「五日前の早朝です」

 二人は沢庵を摘まみながらお茶を飲む。

「昨日着いたんだよね。四日で来たということ?」

 兵庫は指を折りながら驚いて見せる。

「そうですよ」

 奥で横になっていた足軽は目を擦りながら笑っていた。

「十二日間で来たとしても一日当たり十里だよ。それを四日と言うと三十里か、然も氷の入った長持ちを担いで山道を走って来たなんてとても信じられない」

 居合わせた手木足軽らは愉快そうに笑って聞いて居た。

確かに飛脚便を考えるとそれに近い期日で運んで来るが、これらは宿場宿場を繋いで来るのだからこの連中と比較はできない。

「まさか皆の衆は忍びではあるまいね」

 兵庫は冗談混じりに訊く。

「そりゃぁ先祖は分かりませんがー」

 喜兵衛はそう言って愉快そうに笑った。

近くに寝そべっていた若手の一人が起き上がると早口で喋る。

「喜兵衛兄いのお知り合いのようなのでちょいと許種明かしをしますと、殿様のお通りになる街道とは違う道を通るんですよ。これは何もお氷さまの為だけではなく、緊急時に使うことの出来る隠し道とでも言うのでしょうか、近道だから当然早く来れるのです。これ以上明かすことは出来ませんのでご容赦ください」

「あんやとさんです」

 此処に保管した雪氷は六月朔日の氷室の日に将軍家に献上されるものであった。

それとお冷やしの間と呼ばれる客間の冷房に使われたようである。

 将軍家に献上された雪氷がどのように扱われたかは定かでないが、前田家では食膳に供される生ものが痛まないように添えたようである。


 兵庫が氷室からお貸小屋の自室に戻ると、金澤の美乃から手紙が届いていた。

微かだが匂いを感じた。


【御前をお護りするお役目に就いて居ると伺いました。特に気の抜けない部署なれば、くれぐれも健康に留意されますようお祈り申し上げて居ります。

また年内にも御前の初のお国入りがあるように聞き及びましたが、兵庫様の周辺にそのような動きがお有りでしょうか。

 信頼すべき筋の話としまして、年寄り方や人持組の方々多数が江戸へ向かったとのことです。若しお国入りがあるとするなら、兵庫様の随行を願って止みません】


 忙しさにかまけてつい手紙を書きそびれがちだが、返信だけは必ず出すことにしていた。

【美乃様の優しさに触れるたびに心が癒されて居ります。此方も昨日國許より重役の方々が板橋平尾邸に到着されたとの連絡がありました。一部の番士らが迎えに出た模様です。我らは斉廣様の周辺警護ですので、今のところは屋敷内での警備にとどまって居ります】


 翌日には本郷邸に到着し、甲斐守や前田匠助らと重役らが小書院にて斉廣公に襲封祝いの言葉を述べたのである。

これら重役たちは前田織江に将軍家への御礼の挨拶に家臣同行を願い出て許されると

、斉広は長甲斐守と前田内匠助の二人を伴って江戸城黒書院で将軍家斉に謁見した。

更には世子家慶には今枝内記、津田玄蕃、前田織江、織田主税、不破彦三らを加わえて謁したのである。



 五月二十五日に御暇の内命があり、七月二十五日、上屋敷にて正式に使者を迎えた。

上使老中安藤対馬守より白銀百枚と巻物三十、西丸側用人水野出羽守より巻物を二十巻拝受し、御礼として其々に御刀を進呈したのである。

 また帰り際に家老の前田織江はお冷やしの間に使者らを案内し、暫しの間涼んで貰ったが、この時の雑談で内密にと断りがあったものの、話が余りにも危険を孕んだものだったので上使を玄関に見送った後、斉廣公に報告したのであった。


『それは去る五月十五日、先の領主治脩が江戸城に御礼の挨拶に出掛けた時のこと。

乗用所で御三家との間で乗物を退けろ退かぬで揉めたのである。

御供頭が刀に手をかけ威嚇し、供侍の中村兎毛が蹲踞している水戸家の供侍の肩を押し付け、更には立ち上がろうとしたその者の頭を掌で叩いたのであった。

中村はその場に取り押さえられたが、御大小將の大脇六左衛門が詫びて事なきを得た』というもので、帰宅後この事を報告していなかったのである。


 斉廣は前田織江にその当事者らを大料理の間に集めさせると、年寄りの長甲斐守らも臨席した。

「誠に残念である。如何なる理由があろうともこの様な振舞いは士道にもとり、恥ずべき行いである」



 御大少将横目大脇六左衛門は役目を外され国許へ送還後遠慮となり、御大小將中村兎毛は組から外され、送還後は閉門となった。御徒士横目の塚本久左衛門は謹慎、御供頭の高畑木工は何故かお構いなしとなったのである。


 斉廣はこの様なことが再び起こることの無いように次のような通達を出した。。

『登城の際は作法よろしく必ず蹲踞の姿勢にて待機し、御三家、御老中の御供の通行を妨げぬよう心掛け、決して心得違いをせぬよう法に従うべし』と。


 この二十七日には暇御礼で登城すると、再び黒書院で熨斗鮑を頂戴し、腰物や馬・鷹などを拝領した。

この時同行の長甲斐守と前田織江らは巻物を頂戴したのであった。



 帰國は八月十三日と決まって兵庫も随行の一員に選ばれた。

師匠の山崎幸安に田上彦次郎、手木足軽小頭の喜兵衛も一緒に戻ることになったという。 所帯道具などは特に無いので始末するものなど殆ど無かったが、ゴミなどは所々に設けられていた所定の穴の中に放り込めば良かったのだ。

そこには何でも構わず捨てることが出来たが一杯になると土をかぶせてまた別の所に穴を掘ってゴミ捨場としたのである。


 兵庫は早速金澤の美乃に手紙を書いた。

【漸く美乃様のもとに戻れることになりました。

 江戸に詰めて以来一年と四か月ぶりです。月半ばには武蔵國熊谷宿辺りに居るものと存じます。美乃様は金澤にて、わらは熊谷にて月見をしましょう。


雲の間に やっと覗いた 黄金月 川面に揺れる 笑顔愉しき 】


 駄作ではあるが、兵庫なりに心情を詠ったものであった。

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