第12話 思わぬ災難

 八月上旬、兵庫は幸安と共に浅草寺境内にある登与の茶屋に出かけた。

暫く会えなくなるので、暫しの別れを告げに行ったのである。

 そのことを登与に告げると、

「幸さんこそお身体大事にして下さいな」

 会えなくなるのは寂しいに違いなかった。前田の殿様ではないが、幸安とお登与の参勤交代であった。

「今度は兵庫様もご一緒ね」

 そう言いながら登与は千沙を見た。

無表情だが胸のうちは判らなかった。

「兵庫未の刻(十四時)に雷門で会おう」

 兵庫と千沙は観音様にお詣りして、屋台の寿司を食べてから大川端行った。

橋の直ぐ側は船着き場になって居たのでその先の土手へと向かっている時、何の気なしに橋の方を振り返ると、本所の方から橋を渡って来る一団があった。

先頭は商人らしいが、その取り巻きはやくざ者らしく、浪人が二人後ろに付いて歩いていた。

「あの人お義母さんの叔父さんみたいだわ。ほらこの間神田祭であったでしょう。それとあの横に居る男は何時か店に来て私を無理やり連れて行こうとしたならず者に違いないわ」

 確かに商人は口入れ屋清五郎で、その横で口をとがらせて喋っている与太は幸安に棒で腰を打たれた破落戸ごろつきであった。

《あの男は旗本の道楽息子の手先ではなかったか?それが何で口入れ屋の清五郎と一緒に居るのだろうか》と不思議でならなかった。 如何やら与太者が振り向いて立ち止まって居た兵庫と千沙に気が付いたらしく、橋の上から声を掛けてきたが二人は知らんぷりして土手の方に歩いて行った。


「やいこのあま嘗めるとただじゃ置かねえからな。旦那来て下せい」

 庄吉という与太者が橋桁によっかかってニヤニヤして見ていたが、庄吉が呼ぶとのそのそとやって来た。

「松永様の若様がぞっこんの娘でさぁ」

 悪人面の浪人たちであった。

橋の上に目をやると清五郎らしき男と子分と思しき者達の姿は無かった。

 この二人が高添兵庫と亡くなった姪の娘の千沙と知って姿を消したのかは分からなかったが、南町番所の同心が探索を入れてる辺り確かに怪しいに違いなかった。

「お千沙ちゃんよ、大人しくおいらに付いて来な。悪いようにはしねえからよ」

 庄吉は千沙の手を取ると引っ張り起こした。

「やめてよ」

 と手を払いのけると、

「良いから来なよ」

 嫌がる千沙の腕を掴んで連れて行こうとしたので、兵庫は素早く立ち上がると、庄吉の腕を手刀で叩き、千沙が離れた瞬間に当身を呉れると、土手を転げ落ちて川の縁に引っかかって止まった。

一人が駆け下りて行き、もう一人の浪人が刀の柄に手をやった。

「若いの、大人しく渡せば良し、さもなくば命が無いと思え」

 浪人は鼻を膨らませ眉を吊り上げて見えを切るように凄んで見せたが、兵庫はにっこり笑うと、

「千沙ちゃんちょい待ってて」

「はい」

 この問答に浪人は二人に馬鹿にされたとでも思ったか、顔を湯気でも立ちそうな程真っ赤にして抜刀した。

 兵庫は一尺三寸の脇差の鯉口を切ると、相手が動くのを待った。

 水の際では与太が息を吹き返えすと、介抱して居た浪人も這い上がって来て刀を抜いた。手入れをしていないらしく所々に錆が見て取れる。

 兵庫は土手をゆっくりと動いて二人の下に位置した。


湯気ゆげが右手に、さびが左になった。

男らは上側から兵庫を見下ろす形になった。 それは一見浪人らが有利に見えた。

事実一人の浪人は、錆のある刀を肩に担いで余裕を見せる。

与太が鳩尾みぞおち辺りをさすりながら大川橋に上がった。

橋の番人が渡り銭を要求していたが、与太は人を待ってるだけだと払おうとしなかった。 その遣り取りを土手の上からにんまりしながら見上げていた錆の方が行き成り肩から離すと兵庫に切りかかった。

橋上の与太は「やったぁ」とばかり手を叩いて喜んだが、倒れたのは錆の浪人であった。続けて湯気浪人が振りかぶった瞬間に兵庫は両足の臑を払うように切った。

錆は転げ落ちて辛うじて小舟に掴まって這い上がろうとしていた。

湯気はつんのめるように土手を滑り落ちたが刀を川の中に落したものの寸でのところで止まって居た。

 橋の上で与太の庄吉が近づいて来る侍たちを大声で呼んでいた。

近づくにつれ、それらが例の旗本の松永の若様と呼ばれるドラ息子と分かった。

 兵庫は脇差を納めると、千沙の手を引いて花川戸から勝蔵院横を抜けて伝法院表門と出たが、松永市之進らが直ぐそこまで追って来てたのである。

已もう得ず雷門から廣小路に出ると其処で悪童達に囲まれた。

それを見物人が大きな輪になって囲んだのである。

 此れでは逃げるに逃げられなかった。

相手は町人を含めて六人。

兵庫は千沙を護りながらだから思うようには動けない。

「渡せ」「渡さぬ」の遣り取りに、

「娘御は拙僧がお預かり致す」

 と一人の僧侶が囲みを破るように割って入ると千沙の手を取って囲みから出た。

すると一人が千沙に手をかけ奪わんとすると、僧侶は持っている杖で男の肩を思いっきり叩いた。男は堪らず肩を押さえて蹲ってしまった。

「おのれ!」

 と意気込む男に杖を向けると、恐れをなしてか矛先を兵庫に向けた。

兵庫は未だ脇差を抜いて居なかった。

見物人の間では多勢に無勢の兵庫を、然も抜いても太刀に対しての脇差に勝ち目はないと予測した。

無残な敗北を予測しながらも、僧侶のように割って入ろう等の愚行は誰もしなかった。

いや寧ろ予測の結果を見逃してなるものかと目を凝らして留まって居るようにさえ思えるのだった。

 兵庫の表面の大男が上段に振りかぶって、その太刀を兵庫の頭上に打ち下ろす。

誰もが目を塞いだが、前に崩れたのは大男の方だった。

何と兵庫は膝を折曲げるようにして踏み込み、相手の臑を払ったのである。

これは先刻大川の土手で見せた技だが、臑切りも然ることながら、何時か見た師匠の抜刀の術を真似たものだった。

 兵庫が刀の血のりを払いながらその矛先を松永に向けると松永の若様、口元を歪ませて後退りを始めた。

兵庫は逃がしてなるかと素早く回り込み、相手との間合いを測るようにして膝を曲げると刀を払った。

「ぅあ~」

 悲鳴と共に若様の袴が垂れ下がって躓いて前に倒れた。

兵庫は師匠の山崎幸安が以前見せた、布地寸断剣を真似て又も松永の莫迦息子に浴びせたのである。

「兵庫後ろー」の声に寸でのところで攻撃をかわすと、よろける男の刀を鍔越しに鋒で叩き落とした。

 声の主は幸安であった。

「門前がばかに騒がしかったので覗いたらこの有様で、丁度その男が後ろから襲い掛かるところで危うかったぞ」

 見れば松永が袴を押さえながら仲間数人と逃げ出すところであった。

「先生危ない」

 今度は手の甲を叩かれた男が小刀を抜いて幸安に襲い掛かったが、脇差の透鍔で受け止めて弾き飛ばすと、兵庫と同じように臑を払ったのである。

 兵庫は土手の浪人や大男に対して繰り出した臑切りは筋を切って臑骨を僅かに切ったに過ぎないので、手当てが早ければ大事には至らない筈だが、幸安は其れよりも深く切ったのである。

 幸安程の剣の遣い手ともなると、その辺りの調整は思いのままの筈であったが、敢えて相手が立てない程の痛手を加えたのであった。

 観客はかなり残って居たが、千沙を護って呉れた僧侶は姿を消していた。

「兵庫さんってお強いのね」

 気が強いだけあって登与は血を見ても顔を背けたりしなかった。

「兵庫役人が来ても余計なことを言うでないぞ。儂に任せておけ」

 と言って路上に転がる二人の傷の具合を見ていた。

 そこへ南町番所の定町廻り同心の平岡吉右衛門が上役の与力六谷玉次郎と捕り方十名をひっ連れてやって来た。

「またあんたらか」

 平岡は六谷に二人とのこれまでの経緯を簡単に話した。

「分かった。で此度はどのような展開か聞かせて貰おうか」

 兵庫が大川の土手からの話をして、廣小路まで松永らに追いかけられて後は、已もう得ない私闘であったと解説したのである。

平岡は千沙が散々嫌がらせを被ってる話はしてあっが、まさか今日の騒ぎも千沙に起因して居るとは思いもしなかったのだ。

 街中での騒ぎなので双方を南番所まで連れて行って事情聴収し様としたが怪我を負った二人は御家人の倅たちである。

一応は幕臣の家族ともなると町方は支配違いなので、この場で簡単に訊くことは出来ても番所へ連れて行くことは憚られた。

一先ず近くの町医者に手当てをして貰い、大八車に乗せて組屋敷まで送ったのであった。


 さて幸安と兵庫だが、この二人について言うと大名の家臣だが、屋敷外での騒動の当事者なので裁くことは出来るのだが、肝心の相手が居ないのでこれも『御下知者』としての扱いにはならなかった。

ただ昼の最中街中での騒動なのでその始末を残さない訳にはいかなかったので、事件の発端とこれまでの経緯、そして今回の顛末を記録に留め、お目付け役と加賀前田家双方に仔細を報告したのであった。

 旗本や御家人の道楽息子らはその家長より厳しく叱責された模様である。

 だが問題は山崎幸安と高添兵庫への処断である。

部屋住みの道楽息子とは些か事情が異なるのであった。

 江戸詰めの家臣らは屋敷外での騒動はご法度であった。

それも部屋住み相手とは言え、将軍の部下の家族を相手に騒ぎを起こしたとなると何かと面倒であった。それなりに処罰せねばならなかったのだ。

 出入りの商人の中に当日事件を目撃した者がいて若い方が男達と立ち合っていたという証言をしたのであった。

 幸安は自分がしたと嘘をついたのだが、それは兵庫が処分されないように庇ったのだが、二人は数日に迫った金澤への帰國随行員から外されてしまった。

更に兵庫は御前や奥向きの護衛まで外されたのである。


 この事を美乃に何と伝えたらいいのか思い悩んだ末、包み隠さず正直に手紙に書いて送った。


【八月十三日の発駕を五日後に控えながら、とんだ失態を冒してしまいました。気の緩みとは言え、大事の前の小事に拘ったのが良くなかったのです。

 師匠山崎様の知り合いの娘御が街中で幕臣のドラ息子らにしっこく付き纏われていたのを助けたのですが、その際相手に傷を負わせたことが町方よりも家中で問題にされたのです。

 家臣が外で騒ぎを起こすはご法度であることは重々承知して居りましたが、余りにも無体な言動を許す訳にはいかなかったのです。

思慮のなさを詰られても仕方の無いことと思います。

 わらの美乃さまへの思いは決して変わるものではありませぬが、このまま江戸に止め置かれることになりますと、帰國後に祝言を挙げるというお約束もまた果たせぬことになりそうです。然もお義父上様にご尽力頂いたお役目を外され、役高も七十石から五十俵取りとなって、凡そ百二十俵程減俸されてしまいました。

 此れ以上美乃様に迷惑をかける訳には参りませぬ。責任を果たせぬ不甲斐ないわらをお許し下さい。

此方を離れることが出来ませぬ故書面を以てお詫び申し上げる次第です】


 義父の小堀金左衛門と大野吉右衛門には筋を通すように詫び状を送った。

金左衛門からは最後の決断は飽くまでも二人の意思に任すとあり、どんな苦境や弱境にあろうとも己を信じて邁進するべしと結んであった。


 斉廣公に従って帰國する田崎彦次郎が喜兵衛と共に顔を出した。

「この様なことは予想だにしなかったが一体何があったのだ」

 田崎はこの日の為に残されたのに残念でならないと言う。

兵庫は事の経緯を初めから話して聴かせた。

「その娘さんとは特に親密と言う訳ではないんだね」

「はい、師匠のお連れの娘さんという程度でお二人が戻られる間一緒に待って居るという程度で、確かに暇つぶしで大川の土手で話をしては居りましたが…。

何せ与太に旗本や御家人の放蕩息子らが悪さをするものですから…」

 それらを許せなくて成敗に及んだと言う訳であった。


 千沙を無理やり連れ去ろうとした首謀者の松永何某という旗本の倅は真っ先に逃げてしまい、与太者も姿を消していた。

残されたその手下共にしても負傷させられたもののそれらの家からの訴えもないので、支配違いでもあり、それ以上町方の介入は適わず、相手に負傷を負わせた兵庫らも相手不詳として事情聴取のみで、結局双方お構いなしとの裁可を南町奉行 根岸肥前守鎮衛ねぎしひぜんのかみしずもりが下したのである。

 この件は千沙に被害が及んではいるものの、犯罪とまでは言えず、亦役所の支配違いによって、一貫した捜査には至らなかったのである。

 だが江戸市中に於いて騒ぎを起こしたことは事実であり、前田家ではその当事者として髙添兵庫を降格処分としたのであった。

本来なら國許への送還となった筈だが、この時は逆に居残りとされてしまったのである。


 此れには訳があった。

この二十五日の御暇の内命で上屋敷に上使としてやって来た老中安藤対馬守から漏れ伝え聞いた江戸城本丸御殿の乗用所に於けるいさかいが露見し、その仕置きを行ったばかりであったし、町方からの報告もこちらに非は無いとはあったものの、斉廣公の身辺警護にあたる番士に違いなかったので、他の者と入れ替えたのである。

家老らは軽輩の所業として特に問題にはしなかった。

 謂わばその他大勢程度の認識であったから、お役から外されたとしても目立つことは無かったのである。



   

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