17.議会ホール

 翌日。白夜は、飛鳥と会談を持ったときと同じ、五ブロックある役員席の中央、Cブロックの最前列に座って宇井ういを待っていた。

 一人掛けの革張りソファに深く体を沈ませる。

 後方二列目には、灯とまほろが控えていた。


 約束の時間ちょうどに、宇井は飛鳥に連れられてやって来た。

 鼻息の荒い宇井ひとりではさらに話がこじれると思ったのだろうか。

 飛鳥は役員席に腰掛ける前に、まず口を開いた。

「話は聞きました。白夜は勘違いしている」


 隣では、ものすごい形相をした宇井が、今にも掴みかかりそうな勢いで白夜を睨みつけている。

「勝手な言いがかりつけてんじゃねェぞ」


「落ち着いてください、宇井さん」


 生徒会役員 飛鳥派 薬師寺やくしじ雛子ひなこ(中学三年)


 宇井をなだめるためか、もうひとり役員も一緒だった。

 元飛鳥派の白夜だが、彼女とは接点はなく面と向かって会ったのはこれが初めて。

 確かまだ中等部だと聞いているが、名前もうろ覚えだ。

 有栖と二人が抜けてしまったため、数合わせ的に勧誘して派閥に引き入れた。

 大方、そんなことだろうとは思う。


 前髪を眉上にまっすぐ揃えたおかっぱで、制服はリボンを好む生徒が多い中、ネクタイを選択している。

 素直そうで、純朴そうで、いかにも生徒会役員といったタイプだった。

 なるほど、飛鳥の後継者にぴったりだ。


 後輩になだめられ、落ち着きを取り戻したのか、あるいはさすがの宇井も飛鳥の前では、それほど強くは出られないのか、素直にDブロックの役員席にどかっと腰を降ろした。

 ただ、せめてものアピールなのか、イライラと地団駄を踏み、ローファーの靴音を耳障りに響かせている。


 飛鳥は座らずに、白夜の前に立った。

「宇井もわたしも、夜祭と手を組むはずがありません。わたしは夜祭にクーデターを仕掛けたんです。今さら一緒になるつもりはありません」

「そうでしょうか。私に負けて、夜祭さんや萌乃さんにすり寄った、という推測も容易に出来ますが」

「そんなことはしません」

「実際、飛鳥派のゆり根さんは、新しい派閥に加わっているではないですか」


「それは……」

 飛鳥が口ごもる。ゆり根はもともと夜祭派だったから――とは、一度受け入れた手前、口が避けても言えないのだろう。


「まさか、知らなかったとは言わせませんよ」

「知らなかった」

 灯が「あ、言った」とささやくように言葉を突き刺す。


「あの、一旦落ち着きましょう。冷静になりましょう」

 小競り合いををまほろが仲介する。

 一応、無所属という中立な立場のまほろらしい対応だった。

 もちろん、この場に連れてきた理由はそれだけではないのだけれど。


 なだめられた飛鳥が宇井の隣に腰を下ろす。

 白夜は改めて居住まいを正すと、宇井に視線を送った。

 宇井が警戒心を強めて、睨み返して来る。


「新派閥の結成を萌乃さんに持ちかけたのは、ゆり根さんだそうですね。ただ、私たちはゆり根さんの背後には誰かがいると思っています。

 すべてを仕組んだ黒幕です。失礼を承知で申し上げますが、ゆり根さんに、今回のような大それたことを考えられるとは思っていません」


「それが、オレだって言いたいのか」

 宇井が顔をしかめる。


「残念です。宇井さんには私たちの力になってもらいたかったのに」

「だったらもっとマシな仕事をさせろやッ」

「慧さんは外務会長なのに、自分は庶務。納得がいかずに、こんな無茶な行動を起こしたというわけですね」

「ああ、確かにオレはおまえを恨んでる、でも、裏でコソコソ動くようなことするか。完全に言いがかりだ」


 おもむろに宇井の目の前に、灯が『碧タブ』を差し出して、画面を見せた。

 そこには、宇井と夜祭、萌乃が顔を寄せ合い話をしている写真が映っていた。

 場所は生徒会議事堂の廊下。

「これは何の相談をしているんだ?」

「ああ? 覚えてねえよ。立ち話ぐらいするだろう」

「写真だけじゃない」


 灯が音声アプリを操作する。連動していた天井のスピーカーから音声が流れた。

 途切れ途切れだが、夜祭の声だと認識できる。


 ――集会、あんなにうまく行くとは思わなかったな。宇井の筋書き通りになったな

 ――銀世界っていう名前も、あの映像もさすがのセンスだな

 ――このあとは何をすればいい? これからも頼りにしているから


 灯が音声を停止する。

「これはどう説明するおつもりでしょうか。宇井さんが黒幕だという、動かぬ証拠ではありませんか?」

「な、なんだこれ。こ、こんなこと、オレは言ってねェッ」


 宇井が、一瞬で顔を硬直させ、焦り始める。

 困惑しているのが手に取るようにわかる。

 飛鳥も、もう擁護できないと、観念したような表情になる。


「飛鳥さん。信じてくれッ。これは何かの嘘だ」

「これ、ディープフェイクの音声です!」

 飛鳥派の中学生、雛子がすぐに気づいた。

「詐欺電話なんかにも使われるっていう」


 ほお。意外と知恵が回る子だ。それを聞いて、まほろが恐怖を顔に張り付かせた。ほんとなんですか。という目で見てくる。

 白夜は「弱りましたね」と首を振った。


「それこそ言いがかりです。私たちはこの音声から、宇井さんが黒幕だと、そう結論付けました」

「だからこんなことは一言も言ってねェ! 汚いマネしやがってッ」

「口ではいくらでも否定できます」

「だったら正直に言うが、誘われたことは認めるよ。でも、まだ返事はしてねェ。ホントだ」

 白夜が疑惑の目を深める。


「なるほど。信じたいところですが、証拠がありません。疑わしきは罰せず―――などと甘いことは言いません。疑わしきは切る。それが私の組閣です」

「白夜くん。さすがにそれは。宇井くんが可哀そうです」

 まほろの忠告には聞く耳を持たずに、白夜は立ち上がると、宇井に顔を近づけて微笑んだ。


「――宇井さんの庶務会長就任の件、白紙とさせて頂きます」


「そんなの無茶苦茶だ」

 宇井より先に雛子が声を上げる。

「てめェ、ふざけんなよ」

「ふざけてなどいません!」

 宇井を一括してから、白夜は飛鳥を見すえた。


「飛鳥さん。確か、飛鳥さんの願いは飛鳥派の存続でしたね。しかし、ゆり根さんに続いて、宇井さんの裏切り。これ以上の背徳行為は無視できません。

 ――私にまつろろわぬ民は必ずほふる――

 どうか、ご承知おき下さい」


 宇井が乱暴に座っていた一人がけのソファを蹴飛ばし、そのまま部屋を出て行った。

 雛子がどうしようかと、おろおろ迷った末、宇井を追いかけて立ち去った。

「……白夜がわからない」

 飛鳥がじっと足元を見つめたまま、言った。

「貴方が何をしようとしてるのか……こんなやり方で、人がついて来るとでも本当に思っているの」


「お説教はいりません。私は本気で生徒会を変えてみせます。生徒会の膿をすべて出し切る、排除しなければいけない人間を取り除くこれは、そのために必要な作業なんです」

「貴方のやっていることは、生徒会の破壊。そうでしょう」

「なんとでも仰ってください。いまの生徒会長は私です」


 飛鳥はまだ何か言いたそうだったが「貴方には何を言っても無駄ね」とそこで口をつぐみ、背中を向けた。

「白夜がわからない」


 出口に向かって歩き出した飛鳥を、白夜が見送った。

 今はまだわからないでしょうが、きっとわかるときが来ると信じています。


 扉が閉まったのを確認すると、白夜は今度は背中でまほろに声をかけた。 


「まほろさん。一部始終をご覧になっていかがでしたか?」

「はあ?」

 聞き耳を立てる灯が無言で撤去作業を始めている。


「ご存知かと思いますが、これが私のやり方です。私は私の理想のためには手段を選びません。

 先ほどもお伝えしましたが、今は組閣のために、必要な人間と、不必要な人間をあぶり出している段階です。そろそろ覚悟を決めてください。

 まほろさんは私の味方ですか? それとも敵ですか?」


 白夜が白トカゲの目で見すえる。

 まほろが恐怖が張り付いた顔をさらにこわばらせた。


「み、味方に決まっているじゃないですか」 

 それはまほろの本心なのか。

 推し量るように白夜がべろりと下唇を舐めた。


            ◆


 日々と別れて生徒会議事堂を出た有栖は、目の前の中庭のベンチに座る慧に気づいた。


 確か今ごろは議会ホールで白夜が宇井と会っているはずだ。

 なぜ慧は同席していないのだろう。

 疑問に思ったところで目が合ってしまったので、勇気を出して隣に座った。

 途端に慧がびっくりしたような顔をする。


「あたいを避けてたんじゃないのか?」

「いや、そうなんだけど」

「否定しないのか」

「ねえ、どうして?」

 隣に座ったものの、有栖は目を見ることは出来ず、前を向いて宙を眺めている。


「どうして、慧ちゃんは行かないの」

「何が」

 知っているのに慧がとぼけて尋ね返す。

「宇井ちゃんに濡れ衣? 着せられて、真っ先に駆けつけるかと思ったんだけど」

「一応、生徒会の幹部だからな」


「そか。慧ちゃんもやっぱりポストをもらえて嬉しいんだ」

「そうじゃない」

 有栖が不思議そうに、顔を盗み見る。

「わかってんだよ。白夜が、飛鳥派を潰そうとしているってことは」

 有栖は「あ…」と呟いて、言葉を失った。


「外務会長というのもきっと建前だ。宇井だけじゃなく、あたいからも役職を取り上げようとしているんだろうが、そうはさせない」

 慧が地面の砂を無念そうに握りしめる。


「現政権のトップ、生徒会長は悔しいけど白夜だ。どんな手を使ったかはわからないけれど、選挙の結果は絶対だ。だったら、負けた飛鳥派が生き残る道はひとつ。

 最低でもひとりは幹部にならないといけない。

 生徒会の中枢に食い込まないといけないんだよ。飛鳥派の存続のためには」


 慧が握りしめた砂を叩きつけるように放り投げる。

「そんなこと考えていたんだ」

 有栖が寂しげな目をして、うつむいた。

「飛鳥さんのためにも、今は会長職を失うわけにはいかない。それに」

 と慧が話を続ける。


「あたいは夜祭の復活はないと思っている。飛鳥さんが負かした夜祭がまた生徒会に戻るなんてことは、ありえない。宇井やゆり根は間違ってる」

「なるほどね。それはなんていうか……」

 有栖がふっと笑って

「正しい判断だと思うよ」


「わかってんじゃねぇか」

 慧が照れたように苦笑いをした。

 ちょうど、生徒会議事堂から宇井と雛子が出てきたのを見て、慧は立ち上がった。


「有栖はどうして、白夜について行った?」

「それは、白夜ちゃんに誘われたから」

「それだけか? 飛鳥さんじゃダメだったのか」

「そうじゃないけど」


 首をかしげる有栖の返事を待たずに、慧は宇井を追いかけるように立ち去った。

 ひとり残った有栖が小さくつぶやく。


「だって、飛鳥ちゃんの隣には、慧ちゃんがいるから」


 そう言って、小さくなる慧の背中が見えなくなるまで、見送った。

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