11.第二政務室
明らかに苛ついている。
かつて隆盛を誇った夜祭派の流れを汲む『旧夜祭派』は、今やたった二人。
萌乃先輩の不満はすべて朝日にぶつけられる。
そもそも萌乃先輩は愚痴のはけ口として、朝日を自分の派閥に迎え入れた経緯がある。
「ちゃんと白夜には話したんさ?」
相変わらず高く、可愛らしい声だった。
「もちろんです」
「じゃあなんで白夜はまだ頭を下げに来ないんさ。うらに話をしに来ないんさ」
「それは私にはちょっと」
答えに窮した朝日だったが、苦しまぎれに「まだ白夜に伝わっていないのかもしれません」と、とっさに思いついた言い訳をしてみた。
「なんさ、白夜が直接会いに来たんじゃないのさ?」
「ええ。来たのは、まほろ先輩です。無派閥で白夜に協力をしている二年の」
「織姫はどうしてるんさ?」
まほろ先輩には興味がないのか、萌乃先輩はすぐに話題を変えた。
萌乃先輩は自分に興味のあることしか話をしないので、時々というかいつも、あっちこっちに話が飛ぶ。
「会いに行ったんですけど、部屋には入れてくれませんでした」
「そうかそうか。あの写真、腹を抱えて笑ったさ」
萌乃先輩が歯笛を鳴らしながら下品に笑って、スマホの画面を見る。
「保存しちゃったさ」
見せてきたので、朝日が思わず目を逸らす。
罪悪感なく笑う萌乃先輩の顔を見たら、もっと大嫌いになりそうだった。
それ以上に、織姫先輩を貶めた白夜への怒りが沸いてきた。
「ほんと白夜って、悪魔みたいな人ですね」
朝日が顔を真っ赤にする。
「織姫先輩もベガ先輩も寮の部屋に閉じこもったままで、今日も学校を休んでいるらしくて。生徒会も、このまま辞めるんじゃないかって噂もあります。まほろ先輩から聞きました」
「織姫派、三人とも辞めるんさ?」
朝日が黙ってうなずくと、萌乃先輩が「それは困ったさあ」とスマホを閉じて、顔をゆがませた。
旧夜祭派とは
影響はそれほど多くないとはいえ、萌乃先輩にとっては避けたい事態だった。
不意にノックの音がして、すぐにドアが開いた。
色白で人の良さそうな、とぼけた顔の来客が顔を覗かせる。
「萌乃さん、いま大丈夫かな?」
生徒会役員 飛鳥派
瞬間、萌乃先輩が眉間にシワを寄せて、怪訝な顔をした。
「お、おまえ、今さら何しに来たさ」
「その説は本当にすみませんでした!」
ゆり根先輩が萌乃先輩の足元にスライディングして、何の躊躇いもなく額を床につける。一点の曇りのない土下座。
「よくもうらの前に顔が出せたもんさ」
萌乃先輩の顔が怒りで震えた。
「萌乃さんが、オイラを許せないのはわかってます。でも、きょうは話だけでも聞いて下さい」
ゆり根先輩が夜祭派を裏切り、飛鳥派へ鞍替えしたのは、つい三カ月前のことだった。
夜祭派を去ったのは萌乃先輩も同じなのだが、今でも夜祭先輩の名を宿した派閥で威光を嵩に着る萌乃先輩と、飛鳥先輩に寝返ったゆり根先輩では立場が大きく違う。
謀反を企てた罪でゆり根先輩は、当然、夜祭派から出入り禁止処分を食らっている。
「帰りんさ! 話なんかないさ」
それでも動こうとはしないゆり根先輩が「絶対、萌乃さんに損はさせません」と言うので、
「……ヌケ根が何の用さ?」
話だけでも聞く気になったのか、少しだけ態度を軟化させた。
一瞬、朝日が不思議そうな顔をすると、
「まぬけのゆり根で、ヌケ根って言うんさ」と丁寧に説明してくれた。
「……ありがとうございます!」
ゆり根先輩は立ち上がると、廊下を伺いながらドアを閉めて、鍵をかけた。
「なんさ、穏やかじゃないさ」
萌乃先輩が警戒心を強める一方で、これは面白くなってきたとばかりに口角を上げて、ゆり根先輩の目を見すえた。
ソファに座ったゆり根先輩は声を潜めると、
「折り入って、萌乃さんにお話をしたいことがあります。萌乃さんにしか頼めないことです」
そこでゆり根先輩は息を吸ってから、場違いな声量で思いを吐き出した。
「白夜をブッ潰しましょう!」
「お、お、おお?」
声量が凄すぎて、よく聞き取れず、萌乃先輩が声にならない声で聞き返す。
「白夜をこてんぱんにやっつけましょう。そのために、萌乃さんの力が必要なんです」
やっぱり聞き間違いではなかった。クーデター選挙が終わったばかりだというのに、なんて物騒なことを言い出すのだろう。
到底、信じられずに萌乃先輩を見ると、情けない。口を開けたまま「お、お、おお」と繰り返すばかりで、事態がよく把握できていないらしい。
「あの、それで具体的には何をするんでしょうか?」
朝日が湯呑みに入ったお茶を出しながら代わりに聞いた。
ついでに萌乃先輩にもお茶を出す。あとで嫌味を言われたら厄介だ。
「私も、白夜は許せないと思っていんたんです」
ゆり根先輩は受け取ったお茶を一気に飲み干そうとして、アチッと、派手にぶちまけた。立ち上がり濡れた制服を手で仰ぐ。いったい何をやっているのか。
朝日は濡れた絨毯を布巾で拭きながら「萌乃先輩は何をすればいいんですか?」と改めて尋ねた。
するとゆり根先輩は、いかにも内緒話ですと言いたげに、萌乃先輩の耳元に顔を寄せた。
「あ@*?、は+つ&%、*!=#す」
「え? なんだって、聞こえないさ」
「新しい派閥を作るんです!!」
「うるさいさ!」
耳元で叫ばれた萌乃先輩が、ゆり根先輩の頭を反射的にはたいた。
お陰で、さっきまでどこかボーとしていた萌乃先輩が正気に戻った。
「新しい派閥って、どういうことさ?」
すると、ゆり根先輩は「ええと」と言いながらスマホの画面を見て、何かを確認してから、話を始めた。
「失礼ですが、現状、旧夜祭派は二人。いくら萌乃さんが絶大な権力とお金を持っているとはいえ、数の上では圧倒的に弱い立場です」
萌乃先輩は反論できず、ごまかすように口をもごもごさせる。
「そして今、織姫派は広報会長を奪われ、風前の灯火です。旧夜祭派にとって絶体絶命のピンチですが、実はこれがチャンスなんです」
もう一度、ゆり根先輩が手元のスマホに目を落とす。
あらかじめ用意してきた台詞を忘れないようにメモしているのだろうか。
「まず、旧夜祭派と織姫派が合流します。そうなるとどうなるか?」
二人と三人で五人。朝日が頭の中で計算をする。
第一党の白夜派は白夜含め三人。秘書官もいるが、それは数には加えない。
そして最大派閥である飛鳥派は五人。
しかし、飛鳥先輩が生徒会を去るという話も聞いている。
「数の上で、優位に立てます」
「それで、何が変わるっていうんさ。新しい派閥なんて偉そうなこと言って」
萌乃が高い声を上ずらせて「大して何も変わらんさ」と、ひねくれた。
「まず、というのは、その後も何かするということですか?」
朝日が冷静に尋ねると、ゆり根先輩が「イエスッ!」と勢いよく立ち上がって、まるで体操の着地のように両手を大きく広げた。
「その後、オイラたち飛鳥派も全員合流します」
その言葉だけはスマホのメモを見ずに、はっきりと口にした。
飛鳥派が全員? 朝日はにわかには信じられず、萌乃先輩と目を合わせる。
萌乃先輩も同じ考えのようだった。
「そんなデタラメなこと、出来るわけないさ。何を根拠に言ってるんさ」
「それが出来るんです」
ゆり根先輩が力強く首を振る。その自信満々な態度を裏切るように「ええと、ちょっと待ってください」とつぶやいて、手元のスマホを確認する。
やっぱり、どこかどんくさい。なるほど、これがヌケ根と言われる所以か。
「飛鳥さんを除いたオイラたち四人は、間違いなく合流します」
それでも萌乃先輩が疑惑の顔を崩さないので、まくしたてるように早口になった。
「確かに、
なるほどゆり根先輩の言うことも一理ある。白夜という共通の敵が、それ以外をひとつにまとめたということか。
「本当に信じていいんですね?」
朝日がおずおずと尋ねると、ゆり根先輩は「当たり前だ」と憎々しげに言う。
「合計、新しい派閥は何人になるのか。子どもでも出来る簡単な計算よ。二たす三たす四で……八。オイラたちが最大派閥になる」
朝日はすぐに気付いたが、しばらく待っても誰も指摘しないので、
「いや、九だから!」
思わず間違えた声量で突っ込んでいた。
他人をも巻き込む、恐るべしヌケ根のチカラ。
「そうして結成した新たな派閥で、今度はオイラたちから白夜にクーデターを仕掛けます」
一見、唐突な話だが、よく考えればこれは当然の流れなのかもしれない。
白夜は確かに勝利をしたが、その強引なやり方には反発も多い。
いや、生徒会内では白夜を恨んでいる人しかいない。遅かれ早かれ、こうなることは必然だったのだ。
朝日がそう思って、萌乃先輩を見ると、
「それは願ってもないことさ。だけど、ひとつ問題があるさ」
きょう一番、真剣な表情になった。あ、この顔は―――
「当然、その新派閥の代表はうらなんさ?」
子どもが悪巧みをする顔だ。
ところがゆり根先輩は、萌乃先輩よりももっと下劣な、悪代官のような顔をする。
「それなんですが。実は考えがありまして」
「はあ?」
萌乃先輩の機嫌がとたんに悪くなる。
「確かに生徒会で萌乃さんの存在感は圧倒的です。ですが、ここは一歩引いて貰って」
そうして、ゆり根先輩はたっぷりと間を取ってから、
「……あの人を呼び戻したいと思います」
聞くまでもない。萌乃先輩より相応しい人物なんてひとりしかいない。
それに、呼び戻したいって言っちゃってるし。
それでも、勘が悪い萌乃先輩はまだ心当たりがなさそうな顔をしている。
「それは誰さ」
「白夜に対抗する新派閥の顔、絶対に負けられない次のクーデターの象徴――
朝日は自分の勘が当たったことよりも、その名前をフルネームで久しぶりに聞いたことに胸騒ぎを覚えた。
生徒会史上最凶と恐れられ、独裁政権を築き、そして、
「夜祭先輩をって、そんなこと出来るんですか?」
朝日が興奮気味に聞き返す。
追放されているのだから、当然の疑問だ。
「それは大丈夫。白夜だって汚い手を使って、諸々動いているし。だったらオイラたちも使えばいいじゃない。もっと汚い手を」
そういうものなのかと、朝日は妙に納得した。
小ずるくて、小賢しい手を使うのは好みではなかったが、様々な思惑がうごめく生徒会では清濁併せ呑むことも必要なのだろう。
だいたい、生徒会の最下層にいる自分の正義感など、この際、関係ない。
「なるほど。それが出来るなら面白いさ。夜祭さんならうらも納得さ」
ところが萌乃先輩はどこか煮えきらない表情を浮かべている。
「でも、もうひとついいか?」
すっかりぬるくなったお茶を一気に飲み干して、
「それ、本当にお前が考えたことさ?」
さすがの萌乃先輩も、違和感には気づいていた。
当然、これだけのことを、まぬけのゆり根先輩がひとりで考えたとは思えない。
「そ、そ、それは、もちろんです」
ゆり根先輩は、わかりやすく取り乱して、さっきまでチラチラ見ていたスマホを背中に隠した。
なんとわかりやすい!
ゆり根先輩の裏に誰かがいる。
それはきっと――夜祭先輩本人だ。
おそらく白夜がクーデター選挙を企てた頃から秘密裏に計画を立て、ここまでの白夜追放の筋書きを書いたのだ。
ゆり根先輩はただの手駒、飼い犬、兵隊。
萌乃先輩における朝日でしかないのだ。
朝日が床を見つめたままじっと考え込んでいると、ガチャリとドアの鍵が開く音がした。
どうやら萌乃先輩とゆり根先輩が、二人で連れ立ってどこかへ行ったらしかった。
追いかけるか少し考えて――辞めた。
呼ばれたわけでもないし、わざわざあの二人に付いていくこともない。
だけど、きっとあとで萌乃先輩にはこっぴどく叱られるのだろう、な。
そう思ったら、足が勝手に萌乃先輩を追いかけていた。
我ながら情けない。
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