12.理事長室
エレベーターの階数表示が『7』を示してドアが開いた。
エアコンの効いていないむわっとした箱の中から、白夜と灯が陽炎のように降り立った。
学園の中心にある本棟は、派手すぎる生徒会議事堂に比べると見劣りがして、老朽化が進んではいるが、落ち着きと品のある建物だった。
一・二階に学生食堂、三階からは購買部や図書室、保健センター、視聴覚室、留学支援室、職員個室などが入っている。
最上階の七階には、校長室ともう一部屋。
二人がプレートに『理事長室』と書かれた部屋の前に立った。
「アポは取ってないぞ」
「必要ありません」
白夜はノックと同時にドアを開けた。
第一政務室の三分の一もない、すべてが手の届く範囲にある学園の身の丈にあった部屋。
その女性はメイド服を着て、正面にある大理石の理事長デスクを雑巾で拭いていた。
ドアが開いて、驚いて振り返った拍子に、頭に付けていたホワイトブリムが曲がった。
シズカはこちらを一瞥すると、ホワイトブリムをゆっくりとした優雅な動作で整え直した。
よく見るとメイド服ではなく、制服をメイド仕様にアレンジしているようだった。
首元と手首には白いカフス、そして真っ白いエプロン。
といっても、ロリータ色やフリルは強くなく、実用性を考えたフォーマルなタイプのもの。
襟足で揃えた黒髪に、インナーカラーの派手すぎないエメラルドグリーンが微かに覗いている。
「申し訳ありません。理事長は不在にしておりますわ」
ナチュラルな声や仕草から、隠しきれない濃艶な色気が滲み出る。
「母に伝言でしたら、わたくしからお伝えしますわ」
「いえ。今日はシズカさんにお話があって来ました」
白夜がそう言うと、シズカは小さく頷いて、ソファを目視した。
まるで白夜たちの訪問を待ち構えていたのかのようだった。
三人掛けの長ソファに白夜と灯が並んで座ると、シヅカは斜め向かいにある真っ白いアームチェアに腰掛けた。
「安楽女史ですわね。この度はおめでとうございます」
「白夜で構いません。皆さん、そう呼びます」
軽く挨拶を交わすと「生徒会長就任にあたり、伺いたいことがあって来ました」。
アイスブレイクもなく、すぐに本題に入った。
「――生徒会と萌乃さんの関係、学園と萌乃さんの癒着について、気になることがあります」
シヅカは少しも揺るがない。これもまた予期していたかのようだった。
これからの真剣な話し合いに、ホワイトブリムはそぐわないと思ったのか、シヅカが頭から外してローテーブルに置く。
「さあ。わたくしにはわかりかねますわ。でも、母と萌乃女史は、そのような特別な関係ではないと認識していますわ」
当然、この程度の匂わせではシヅカは口を割らない。
白夜は「では、質問を変えましょう」と目の奥を光らせた。
「今回の選挙、なぜシヅカさんは棄権したのでしょう。あの一票の棄権票、誰が投じたのか気になったもので調べさせて頂きました」
クーデター選挙は、飛鳥が八〇九票、白夜が八一〇票で白夜が勝利したが、棄権が一つあった。
仮にその一票が飛鳥に入っていたら同票。
その場合、再選挙は行われず、従来の生徒会長が続投する決まりになっていた。
つまり飛鳥の勝利。
もともとの生徒会長にとっては面倒なクーデターに付き合うのだから、これぐらいの便宜はあって然るべきだ、という考えから決められたルールで、ほんの誤差だが、クーデターを仕掛ける側にとって不利な条件となっている。
要するに、棄権票の行方次第では、白夜が負けていた可能性もあった。
白夜の運命を翻弄し、白夜を救ったとも言える一票だった。
するとシヅカは、すんなり事実を認めた。
「理事長の娘のわたくしが生徒会に介入しますと、いろいろと波風が立つこともありますわ。それで」
棄権したことを否定したり、なぜわかったのかと理由を探られたりしたら、話が長くなると思っていたので、都合がいい。時間が節約できた。
「ですが、これまでの生徒会選挙では一度も棄権なさっていないじゃないですか?」
白夜の問いに、シズカは少しだけ戸惑ったような顔をしたが、すぐに真顔になる。
「今回は、安楽女史……」
と言いかけたところで言葉を変える。
「白夜女史と天華飛鳥女史、どちらもこの学園に相応しくないと考えたからですわ」
「理由を聞かせて頂いても構いませんか?」
「理由も何も特には……」
「前回のクーデターの際には、夜祭氏に投票しているな」
はぐらかそうとするシヅカを灯が制した。
話をまた一歩進める。
「その理屈で言うのなら、なぜ夜祭氏は学園に相応しいと思った?」
飛鳥と夜祭が生徒会長を争った際、シヅカは間違いなく夜祭に投票した。
その証拠はすでに掴んでいる。
言い訳を失ったシヅカに、白夜が追い打ちをかける。
「それは、萌乃さんのご家庭が学園に多額の寄付をしていることと、関係がありますか?」
「関係がないわけがないな。萌乃氏は夜祭氏の腹心だ」
シヅカに答える間を一切与えず、灯が包囲網を敷く。
シズカは観念したのか、やれやれと疲れたように首を振って、面倒くさそうに吐き捨てた。
「ご存知かとは思いますが……いま私学はどこも経営が厳しく、慢性の赤字を抱えています。それは我が校も同じですわ。
学費や助成金ではとても足りず、在校生や卒業生の寄付金に頼らざるを得ない現状です。そうであれば、より多くの援助をしてくれる生徒を、理事長の娘であるわたくしが支持するのは当然ですわ」
「なるほど。寄付をしていない、あるいは寄付金が少ない私や飛鳥さんは問題外というわけですね」
「ですわ。まあ、あまり大きな声ではいえませんが」
興が乗ったのか、シヅカの口が滑らかになる。
「多額の寄付があるから、素晴らしい設備の揃った学園が成り立っているんです。
新設された生徒会議事堂も個室の学生寮も、その見栄えのいい制服のデザインも、 すべて寄付金のおかげ。白夜女史も恩恵を受けているのですわ」
「そういう考えが、学園を堕落させていることに、まだお気づきではない?」
白夜の指摘に、シヅカの目尻が怠惰に吊り上がる。
「これ以上は、ご自分の口では言いにくいでしょうから、私が代わりにお話しましょう」
白夜がローテーブルに置かれていた、砂糖壺に入っている角砂糖を使って説明を始めた。
「萌乃さんの家からの多額の寄付。百万、二百万、三百万、一千万、二千万、五千万……」
そう言って、ピラミッド状に角砂糖をいくつも積みあげる。
「額がいくらであろうと、これは問題ありません。しかし……」
積み上げた角砂糖をそのまま左に移動させる。
「そのほぼ全額が生徒会に流れている。このお金の動き。これは解せません。なぜ寄付金の使い方まで、限定されているのでしょう。そして、なぜ理事長はそれを受け入れているのでしょう」
今度は、積み上げた角砂糖をひとつずつ摘んで、元の砂糖壺に戻す。
「さらに、流れた金は萌乃さんが自由に使い道を決め、理事長は提出された決算書類に何の躊躇いもなく判子を押している。
なぜこんなことがまかり通っているのでしょうか。当然、許されるはずがありません」
シヅカは表情を変えることなく無言で角砂糖を睨んでいる。
「理由は明白です。理事長が、大きな弱みを握られているからです」
白夜は角砂糖をすべて壺に戻し終えると、
「これはまだ調査中なのですが」と前置きをしてから「そういったケースは萌乃さんだけではなく、他に何人もいるのでしょう」と言って話を続ける。
「――寄付金なくして体裁が保てなくなってしまった学園は、次々と援助を募り、寄付金の金額によって生徒を優遇するようになった。
一口十万円単位だった寄付は、あっという間にゼロが増えていく。そうなれば自ずと、寄付をした者の影響力は大きくなります。
次第に発言力を増し、学園側も無視はできない。
相手はますますつけあがり、ついには経営にも口を出すようになる。金の使い道だけでなく、教育方針、教員人事にも介入をしてくるようになっても、もはや言いなりになるしかない」
「それはもう、寄付じゃない」
灯の合いの手に、
「そう。寄付という名の物乞いです」
最後の言葉は、シヅカの耳元で囁いた。
身震いしたシヅカが、あえぐように声を絞り出す。
「法に触れるようなことは何ひとつしていませんわ。不正入試も、誰かの不祥事を揉み消すようなことも。決して裏金ではありませんわ」
「ですね。ですが、私はその心持ち、
白夜がはっきりそう言い切られて、シズカは疲れたようなため息を漏らした。
しかし、その表情はまだ光を失っていなかった。
「わたくしは母のやっていることを否定しませんわ」
立ち上がり、窓の外を見つめる。
眼下には、中庭で各々の時間を過ごす生徒たちの姿があった。
「私学が軒並み廃校になる中、学園を守るためにはこうするしかなかったのです。
わたくしの母も、そして将来この学園を背負うわたくし自身も。
……学園の利益や未来のためなら、手段を選びませんわ。ああ、そうです」
振り返って、白夜と目を合わせる。
「演説を聞きました。白夜女史も自分の理想のためなら手段を選ばないのでしょう。わたくしたちの選択も、きっとわかってもらえるはずですわ」
「そうですね」
そう言って白夜は、にっこりと微笑んだ。
「学校経営なんてきれいごとだけじゃない、学園を守るためには仕方がなかった。 必要なことだった。シヅカさんの言い分はわかりました。ですが」
笑顔を消して、白トカゲの目でシヅカを見すえた。
「――残念ながら私の理想とはまるで違います。
知ってしまった以上、無視するわけにはいきません」
「公表するつもり?」
シズカが力なくうなだれる。
「そんなつまらないことはしません。
シヅカさんの言うように、犯罪に問うことも難しそうです。ただ……
けじめとして、理事長には自らの意思でご退任していただきたいとは思っています。従って頂けない場合は、少し手荒な真似をするかもしれません」
シヅカが白夜を怯えたように見る。すると白夜が目をそらして灯を見た。
灯は無言で頷くと手にしていた『碧タブ』を、持ってきたコードでモニターにつないだ。
いったい何を始めるのかと、シヅカが怪訝に見る。
「シズカさん。実はここからがきょうの本題です。新たに生徒会長となった私、安楽白夜が画期的なお金の作り方を提案させて頂きます」
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