7.薬局

 さっそく生徒会議事堂を出た白夜たちは、学生寮へと向かった。


 聖青女子学園は全寮制で、授業やクラブ活動が終了した後は、広大な敷地の端にある寮へと帰宅する。

 そこから各々ショッピングや習い事など所用を済ませるが、門限はきっかり午後八時。

 破れば半年間の外泊禁止という厳罰が待っている。


 とはいえ、事前に届け出をすれば週三日までは外泊が許可されるので、生徒たちに大きな不満はなかった。


 それが今回、白夜は選挙公約で「中等部育成システム」を掲げた。


 中等部の外泊を、盆暮れの実家帰省以外一切禁止し、門限以降の外出は認めないというもので、裏に表に「監獄プログラム」と呼ばれている。

 一方で、高等部には外泊の制限を設けず、極論を言えば、毎日お泊りをしてもいいという極甘な改革を提案した。

 おかげで中等部からの反発は大きかったが、高等部のほとんどの生徒に支持され、結果的に、これが白夜勝利に結びついた。


 ――というのが、先程、選挙管理委員会事務局が「速報」として全校一斉メールで送った所見だった。


 学生寮は全部で六棟あり、それぞれを中一から高三までの六学年が使用している。


 高三が卒業すると、その棟を新しい中一が使用する入れ替え方式で、生徒は大きなトラブルがない限り、六年間、同じ棟の同じ個人部屋を使用することになる。


 この方式であれば、ひとつの棟の中に先輩や後輩が混在しないため、各寮とも上下関係でギスギスした雰囲気はない。

 はずなのだが、実際は各寮の行き来が自由なため、後輩が先輩の個室に呼び出され、夜遅くまで説教を受ける、といった風景は日常茶飯事だった。


 白夜派の四人は全員高校一年なので、同じ「四棟」で生活しているのだが、今は「六棟」に向かっていた。

 ここは最上級生たる高校三年が生活していて、夜な夜な先輩に召喚された後輩が、理不尽な薫陶を受けている。


 すべての呼び出しを拒否してきた白夜にとって、六棟に足を踏み入れるのは初めてのことだった。


「……アタシは陸上部んとき、よく先輩に呼び出されてて。六棟の恐ろしさはトラウマレベルなんだけど」

「じゃあ、日々ちゃん、行くの辞めとく?」

「まさか。だって白夜派にスカウトすんでしょ、その人。だったら会っておきたいじゃん」

「だよねえ」


 いざ学生寮の六棟に足を踏み入れた四人は、廊下を進み、階段を使って、三階まで進んだ。

 エレベーターもあるが、さすがに下級生は使えない。

 ルール無用の白夜でも、いまは下手なトラブルは避けたかった。


 階段を上がりきったところで、日々が「あ」と急に立ち止まって、後ろを歩いていた有栖が背中に頭をぶつけた。


「ッた! ……どうしたの? もしかして昔のトラウマが蘇ったとか? やっぱり辞めとく?」

「そうじゃなくて。頼みごとしに行くのに手ぶらでいいのかと思って。何か買ってった方がいいんじゃないの」

「心配いりません。お土産ならもう用意しています」

 そういう白夜は手ぶらだった。


「さあ、着いた」

 先頭を歩いていた灯が立ち止まった。

「――ここが『薬局』だ」

 そう言って、部屋番号が記された、他の部屋と特に変わらないドアをノックした。


「薬局? なんでくすり屋さんがこんなとこにあるの?」

 有栖が首を傾げていると、中から声が聞こえた。

「ごめん。きょうはもう閉店でーーす」

 白夜が構わずドアを開ける。


 斑鳩いかるがくすり(高校三年)


「いや、だから今日はもう駄目なんだって。あれ、もしかして新しい生徒会長?」

 私服に着替え、入口近くの姿見の前で身支度を整えていたくすりが、すぐに白夜に気がついた。


「初めまして」

 白夜は鏡越しに丁寧に会釈をしてから、構わず薄暗い室内に強引に入り込んだ。


 狭いテーブルを挟んで、向き合うように置かれたイスに座る。

 テーブルの上には、怪しげな水晶が小さな座布団の上に置かれ、円筒に竹串が何本も突き刺さっている。これは確か筮竹ぜいちくというものだ。


「ちょいちょいちょい。アポなしはだめよ。ちゃんと予約してくれなくちゃ。いくら生徒会長さんでも」

「いえ。きょうは『薬局』に来たわけではありません」


 くすりが四人に一瞬、視線を送った。灯とは面識があるはずなのだが、覚えていないようだった。あるいは灯は変装をして会ったのかもしれない。

 そのへんのことは白夜も関知していない。


 白夜のすぐ後では、有栖と日々が小声で「ここ、やばい薬でも売ってるの?」「だから薬局?」と囁き合っている。


「じゃ、何の用? ワタシ、行くところがあるんだよね」

「斑鳩くすりさん」

 白夜がフルネームで名前を呼んだ。

 それで有栖がようやく気がついて、くすりの顔を指でさした。


「あ、もしかして、あのくすりちゃん? 知ってる。あたし、知ってた」

「誰? 誰、誰なの? なんか、失礼じゃない?」

「すいません。この子、他人との距離感が近いんです。悪気はなくて」

 日々がフォローすると、有栖がてへへと頭を掻いた。

 

 日々もまじまじとくすりの顔を覗き込む。

「そうか、あんたがくすりか。噂はアタシも知ってる」

「君の方も大概だな」

「すいません、日々ちゃんは、敬称略でやらせて貰ってるんです」


 今度は有栖がフォローすると、灯が喉がかっ切れんばかりの咳払いをひとつ。

 ようやく二人が話の腰を折っていることに気づいて、肩をすくめた。

 くすりは「まあ別にいいんだけど」と、特に気にする様子も見せずに、慌ただしく髪型を整えている。


「斑鳩くすりさん」

 白夜が仕切り直すように、またフルネームを呼んだ。

「折り入ってお願いしたいことがあります」

「はいはいはい。なんでしょ」


「生徒会の広報会長を引き受けていただけないでしょうか」

 くすりが微妙な顔で、鏡の前で手を止めた。

 短い沈黙のあと、

「ええと、言っていることがよくわからないのだけれど」


「生徒会の広報担当になっていただきたいのです」

「いや、言葉の意味は理解してるんだけど、わけがわからないっていうか。

 ワタシ、生徒会役員じゃないし」

「知ってます」

 白夜が目を澄ませる。


「ワタシ、三年だし」

「知ってます」

 白夜が目を輝かせる。


「いやいやいや」

 くすりが三回否定すると、もう三回「いやいやいや」と追加で否定した。

「唐突すぎて、話が見えないんだけど、なんでワタシなの?」


 そこで白夜が、現広報会長の織姫の辞任と、織姫の代わりは、同じように生徒から人気のあるくすりしかいないことを端的に説明した。


「くすりさんが生徒から慕われていること、よく知っています。くすりさんの名前を知らない生徒は、この学園にはいません」


 くすりは持ち上げられても警戒心は少しも解かずに、白夜を見つめた。

 白夜が、目の前にあった水晶に視線を移す。

 見よう見まねで、両手を開いて念力を送ってみる。


「くすりさんの占いがよく当たること、連日予約でいっぱいのこと、くすりさんのお名前と占いの癒やし効果からこの部屋が『薬屋』と呼ばれていること、よく知っています」


 白夜が、ついさっき灯から見せてもらったくすりに関するメモを覚えている限り暗唱した。


「これらの事実から、次の広報会長はくすりさんしかいないと思っています。そう水晶も言っています」

 白夜は水晶から顔を上げると、

「つきましては、まず生徒会役員になって頂いて、それから……」


「無理無理無理」

 くすりが、白夜のお願いを最後まで聞かずに、切り捨てるように否定した。

 

 やっと気付いたが、どうやらくすりは三回繰り返すのが癖らしい。

 灯のメモに付け加えておこう。


「なんでそんなこと、ワタシがしなきゃいけないの」

「ですから、いま説明した通り、くすりさん以外、適任はいないのです」

「うん、そうか、なるほど」

 くすりがせっかく整えた髪の毛を乱暴にかきむしる。


「ええと。生徒会長さん。白夜っちでしたっけ? ワタシと君、きょうが初対面だよね。ワタシのこと、よく知らないでしょう」

「そうですね」

 白夜が真顔で頷く。


「ワタシ、そういうのやる器じゃないのよ」

「大丈夫です。私が欲しいのは、くすりさんの器ではなく知名度なので」

「正直すぎるだろ」

 驚いた顔で固まったくすりの代わりに、後ろで聞いていた日々が突っ込んだ。


 くすりはすぐに正気を取り戻すと、

「あのさ。ワタシ、これでも結構忙しいから。生徒会に関わっている暇はないの。悪いけど他の人に当たって」

「私は問題ありません」

「ワタシがあるんだって! 占いだけじゃなくて、他にもいろいろ。いまも出かけなきゃいけないって言ったでしょう」


「弱りましたねえ。あ、そうだ。くすりさんにはこちらを見ていただきましょう」

「話、聞いてる?」

 白夜の合図を受けて、灯が『碧タブ』を開いて、くすりに画面を見せる。

「参考までに」


 灯が手早く聖青女子学園の公式サイトを表示する。

 校内ニュースのページに移動すると、一番上の記事に『新着』マークが点滅していた。


 【流出 天乃あまの織姫おりひめの素顔 盛れていないすっぴん大公開】


 閲覧数を稼ぐのが目的の芸能ニュースサイトのような、スキャンダラスなあおりタイトル。とても学校の公式サイトには相応しくない。

 クリックして記事を開く。


 ファッションモデルとしても活躍する生徒会の元広報会長・天乃織姫さん(高校二年)と妹のベガさん(高校一年)が、この度、ノーメイクの素顔を公開した。「いろんな人を騙すのに疲れました。ウチらの真の姿を見て欲しい」とコメントしている。


 短い記事の下には、文字通り織姫とベガのすっぴん写真が掲載されていた。

 普段の織姫とは別人の、目鼻立ちがのっぺりとした顔。派手さも華も眉毛もない、能面のような顔の写真が、何枚も並んでいる。


 スクロールしてもしてもしても、次から次へと出てくる。

 写真は寮の廊下で、隠し撮りされたような画角で、織姫もベガもパジャマ姿だった。


「ええ、何、これ、どういうこと?」

 くすりが拒絶するように手で顔を覆ったが、指の隙間からはっきりと写真を見ている。


「嘘でしょ。うわ、ショック……」。

 日々も首を伸ばして画面を覗き込んだ。

 一瞬、顔をしかめたが「でもさ」と言って、すぐに居心地の悪さに気づく。


「……こんなこと、わざわざ自分でするか?」

「確かに。写真もなんか、違和感あるよね」

 有栖がひきつった顔で、日々を見て、頷いた。


「実はこの女、織姫氏はさっき白夜氏と少し揉めたんだ」

 灯の短い説明で、くすりもすべてを理解した様子だった。

 くすりが背中に氷でも入れられたかのように、身震いをする。

「つまりこれ、白夜……っちが?」


 白夜が反射的に「まさか、まさか」と、わざとらしく大げさに手を振った。

「私はまったく関係ありません。生徒会や学園の裏サイトならともかく、これは聖女の正式なホームページです。私に更新権限はありません」

「じゃ、誰が?」


「それはわかりません。ただ、こういうことは初めてではないのです」

 白夜が水晶に映った自分をじっと見つめる。

「どういうわけか、私と衝突した相手は、皆おかしな行動をするのです」

「怖い怖い怖い。ワタシを脅すつもり?」


 仰け反ったくすりと同じように、日々と有栖も体を小刻みに震わせていた。

 まっすぐ立っていられなくなり、壁に手をついて寄りかかる。

「もしかして、これがお土産?」

「こわいよ、白夜ちゃん」

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