4.第一政務室

 安楽あんらく白夜びゃくや壬生みぶともりが中に入ると、広い部屋の中央で、成相なりあいまほろが荷物を乗せた台車に手を添えながら、間抜けに口を開けて、立ち尽くしていた。


「あ。白夜くん。いやあ、すごいっすね」


 生徒会議事堂の最上階にある第一政務室は、生徒会第一党に使用する権利がある。

 つまり、ついさっきまでは飛鳥派が、つい三カ月前までは夜祭派が使っていた。

 そして、たった今からは白夜派が使用する。

 飛鳥派の生徒会役員の姿はすでになく、部屋もきれいに片付いていた。


 上座にある生徒会長のデスクが、まるで宮殿の玉座のように鎮座している。

 その前には、十人は座れるであろうレザーソファの応接セットがあり、ローテーブルには、学園のモチーフである白トカゲのガラスの置物がある。

 もしこの部屋で殺人事件が起きるなら、凶器は間違いなくこの置物だ。


 天井も高く、クリスタルガラスのシャンデリアがぶら下がっている。

 高級ホテルのエグゼクティブスウィートと言われてもおかしくない部屋。

 南向きの大きな窓の外には、広いウッドデッキの「空中庭園」があり、ちょっとした社交パーティも可能な広さだ。


 ブイーン、ブィンウィン、ウゥン。

「わああ!」

 頭上で何かが動く機械音がして、思わずまほろが声を出した。


 人を感知して、微妙な温度の変化を悟ったのか、エアコンが作動した。

 春夏秋冬二十四時間、快適な温度と湿度を保つフルオートエアコンも完備。


 第四政務室とのあまりの違いにまほろが呆れ、白夜が感心していると、有栖と日々が揃って戻ってきた。

「あ、遅かったですね。どこ行ってたんですか」

「まじか。ヤベえなここ!」

 まほろの脇をすり抜けて部屋に飛び込んだ日々が、奇声を上げながらソファにダイブする。


「アタシら、ほんとに勝ったんだな」

「なに、このラグジュアリ感」

 有栖は、生徒会長のイスに座って、くるくると自転する。


 すかさず日々が立ち上がって、イスを高速回転させる。

「やめて、三半規管が壊れるぅ」

 日々は手をゆるめず、さらに回転を早めて「政権とったどー!」。

 有栖も回りながら腕を突き上げ「とったどー!」。

 

 改めての勝利宣言。白夜が困ったような顔でたしなめた。

「しっかりしてください、二人とも。さすがにはしゃぎ過ぎです」

「そうですよ、お二人は、白夜派の双璧、龍と虎なんですから」

 まほろが、回り続ける有栖を微笑ましく見つめながら、白夜に問いかける。


「それで、白夜くん。蛇とマングースの二人には、何をお願いするんですか?」

「何が?」

 日々が相変わらずイスを回しながら聞く。


「やだな、さっきの組閣の話ですよ」

 まほろが壁の木枠に掲げられた会長札を指さした。まるで寄席の出番表のように、生徒会の役職と名前が記された札が、生徒会長以下十一枚、並んでいる。


 白夜が「そうですねえ」と短く息を吐き出すと、順番に財務と法務の札を指さした。

「有栖さんは財務を、日々さんには法務をお願いすることになります」


 驚いて息を止めた日々がようやくイスの回転を止める。

 勢い余って、放り出された有栖が前方にずざざざとつんのめった。

「何をそんなに驚く。

 数少ない、というか二人しかいないんだから、幹部の起用は当然」

 灯がにべもなく呟く。


「そりゃあ、なんとなくはわかっていたことだけどさ」

「実際に指名されると、なんか緊張しちゃうよねえ」

「財務は予算のとりまとめ。法務は校則の決定。

 どちらも生徒会運営を支える重要なポジションですからね。頑張ってください」

 まほろの励ましが、二人の表情をさらに固くさせる。


「そうなると、灯くんは総務か、外務ですね。どっちですか?」

「それはありえません」

 首を振った白夜は、オットマンを踏み台にして、壁に手を伸ばした。

 役職の札を残し、名札だけを順番に取り外していく。


「灯さんは、残念ながら起用できません。

 彼女はあくまで私が個人的にお手伝いをお願いしているだけで、生徒会役員ではありませんから」


「でも、白夜ちゃんは外部からも集めようと思ってるんでしょう。

 だったら灯ちゃんでもいいじゃない」

 有栖が白夜を手伝って、白夜が取り外した名札を受け取る。


「ああ、言われてみれば、それもそうですね」

 白夜は一瞬手を止めて、初めて気がついたかのような反応を示した。

 しかし、すぐに有栖の案を否定する。


「でも、やめておきましょう。彼女には別の仕事がありますから」

「え、何するの?」

「灯さんにはこれまで通り、表立っては出来ないことをしてもらわなければいけません。表裏の裏、清濁の濁、善悪の悪の部分です」


「悪って言っちゃったよ!」

 ソファに身を委ねていた日々が、お尻だけで飛び上がった。


 有栖が束ねた名札を、ばらばらばらばとゴミ箱に放った。

「じゃあ、やっぱり、まほろちゃんだね」


「それはないな」

 生徒会長席の隣のデスクをすでに確保していた灯が、ぴしゃりと会話を終わらせた。有栖が語尾の「ね」の顔のままフリーズする。


「まほろ氏は白夜派じゃない」

「それはあんまりだよ。まほろちゃんは、これまでずっと白夜ちゃんに尽くしてくれたのに。そんなこと言ったら、手伝い損じゃない」

「ああ。それに……」

 日々も有栖に追随して、灯に訴える。


「それに、まほろがいなければ、アタシは生徒会に入れなかった」

「生徒会規約、七。新たに役員となるには、既存の役員三人の推薦が必要」

 灯が暗唱する。


「そう、それ! 

 白夜と有栖と、まほろの三人の推薦があったからアタシは生徒会に入れた」

「それとこれは別の話。日々氏の個人的な事情は今は関係ない」

「ひどいこと言うなよ。関係なくはないだろ」


「まほろ氏が白夜派に加わるタイミングはこれまで何度もあった。それを、誉れ多いことなどとはぐらかして、無所属で活動してきたのは、彼女自身」

「じゃあ、今日から入会!」

 有栖がまほろの肩を叩いたが、灯が即座に否定する。


「幹部になれるから、白夜派に入る。そんな都合のいいことが許されるわけがない」

「どうして、そんなまほろちゃんにだけ厳しいの」


「当たり前だ。二人は、白夜氏と一蓮托生。のし上がるのも沈むのも常に一緒。

 だけど、無所属のまほろ氏は他にもっといい条件で、自分の価値を認めてくれる人がいれば、いつでも鞍替えできる。

 いつでも白夜に反旗を翻すことができる。

 リスクをとらずに、メリットだけ得る。そんなの、ウチでは通用しない」


 灯が完膚なきまでに反論を封じ込める。

 灯の正論を止められるのは、もはや白夜しかいなかった。

 たまらず日々が助けを求める。


「白夜、なんとか言ってくれよ」

「灯さんの言うこともわかります」

「まさかの便乗!」

 白夜がまほろに頭を下げる。


「まほろさんには大変お世話になりました。

 ですが、私もこれ以上、派閥の人間で要職を固めるのは得策じゃないと考えます。

 幹部独占は、お友達内閣の典型。

 生徒会内部だけでなく、全校生徒からも反発が出ます」


「理屈はわかるんだけど」

「血も涙もないのないかよ」

 あまりの非情さに有栖も日々も顔が凍りつく。


「いや、ええと、その……」

 ぎこちなくなった空気を取り繕うかのかのようにまほろが、

「大丈夫です、ポストをもらえないからって、今さら裏切ったりはしませんよ」

 わざと明るくおどけてみせた。


「つまり、いまはタイミングが悪いってことですよね。

 それなら、この先、落ち着いて、状況が変わったら合流させて下さい。

 いや、でも、絶対とか約束とか、そういうんじゃなくて機会があればって話で……

 って、もう! ぼくにこんなこと言わせないでくださいよ。

 これでも一応、傷づいているんですから」


 やせ我慢で道化を演じているのか、本当に会長職はどうでもいいと思っているのか、まほろは真意を見せない。

 白夜が改めて頭を下げる。


「すみません、まほろさん。

 代わりと言っては何ですが、このように広すぎる政務室で、デスクもたくさん余っています。いつでも自由に使って頂いて、構いませんので」

「じゃあ、ここ。ぼくの席ってことで」

 まほろが入口に近い席を確保すると、


「一時間、五百円」

 灯が目を合わせずに『碧タブ』を開きながら、呟いた。

「金とんのか! しかも、リアルな漫喫価格」


「まほろちゃん、冗談だからね」 

 ぎこちなさ満載ながら、多少の和やかな雰囲気が戻ると、見計らったように、入口のドアを叩く音がした。

「ン、誰だ」いち早く反応した日々ではなく、有栖が「どうぞ」と促すと、ドアが開いた。


「……あの、白夜先輩。いらっしゃいますか」


 生徒会役員 旧夜祭派 高朝日だかあさひ(中学三年)


 天井まで届く大きなドアの前で、小柄な朝日が、緊張気味に立ち尽くしている。

 部屋に入ってくる様子はない。


「朝日ちゃんじゃない、どうしたの? まあ座ってよ。ふかふかだよ」

 有栖がソファに座って、自分と日々の間を指さすと、朝日が顔の前で手を振った。


「いえ、あの、白夜先輩。すみませんが、萌乃先輩がお呼びです。

 第二政務室まで来て頂けませんか?」


「いや、用があるならそっちから来いよ」

 日々が声を尖らせる。

「偉そうに、朝日なんかを使いに寄越してさ。これだから老害は」

 まほろも「ほんとです」と言って、首を何度も上下させた。

「白夜くんは選挙のあと、引越し作業もあって、お疲れなんですよ」


「ほんとにすいません!」

 朝日が食い下がる。

「もう遅いし、明日でも良いか」

 灯まで加勢して追い返そうとすると、朝日が急に唇を震わせて、


「ええと、でも、それじゃ、その、萌乃先輩に何と言われるか」

 おろおろと肩をすくめて、小さな体をさらに小さくした。


「ほら、朝日さんが困ってるじゃないですか。私は全然構いませんよ」

 白夜がニッコリと笑いかける。

 この爽やかな笑顔をすると、最初はみんな騙される。


「では、行きましょうか」

 白夜が朝日を促すと、

「すいません、ありがとうございます!」

 笑顔にほだされた朝日が、ほとんど泣きそうな顔で頭を下げた。


「では、ちょっと行ってきます」

 朝日と共に白夜が部屋を出ると、当然のように灯も後に続く。

「あ、灯さんは大丈夫です」

 灯が露骨に眉間にシワを寄せる。


「どうせ大した話ではありませんし。

 それよりも外部招聘する候補のリストアップを、宜しくお願いします」

「……わかった」

 灯がまったく納得せずに自分のデスクに戻った。


「あ、それから、もうひとつ」

 白夜が付け加えるように、指を一本立てた。

「さっきの選挙、棄権が一票あったでしょう」

「あった、確かに、あった」

「それがどうかしたの?」

 日々と有栖も思い出して、声を揃えた。


「灯さん。あれ、いったい誰だったのか、調べておいてください」

「もう、だいたいの目星はついている」

 灯が本気とも冗談ともとれない口ぶりで『碧タブ』を操作する。


 とっさに日々が「え、誰?」と聞き返すと、

「あのぅ、少し急いでもらえると、助かるんですが」と、朝日が会話を遮った。

 白夜が、急かす朝日に、目でもう少し待ってと合図を送る。


「有栖さん。一緒に来てもらえませんか」

 不意を付かれた有栖が「え、あたし?」と、完全にだらしなく弛緩した顔で見る。

「お願いします」

「別にいいけど」

 有栖が不思議そうにソファから立ち上がった。

「あたしじゃあんまり役に立たないと思うけど」


「大丈夫です。どうせ大した話じゃありませんから」

「だから私なの! ひどい!」

 有栖が、茶目っ気たっぷりに頬を膨らませた。


「朝日さん。お待たせしてすみません。では、参りましょう」

 白夜が朝日を追い抜いて、スタスタと先に廊下を進んだので、慌てて朝日と有栖が後を追った。

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