3.議会ホール

 部屋に入ると、安楽あんらく白夜びゃくやはついさっきまでいた第四政務室との違いに、感嘆の混じった溜息を漏らした。

 いや、何度もこの議会ホールには訪れている。

 だが、改めてその豪華さに圧倒され、心底呆れ返った。


「……いったい、どこにこんなお金があるのでしょう」


 白夜は話しかけたつもりだったが、返事はなかった。


 欧州で最も美しい議事堂をモチーフに作られたという環状扇形の議会ホールは、議長席を上座に、階段状に役員席が展開している。

 その役員席は五つのブロックに分かれていて、それぞれ派閥ごとに座るのが通例だ。

 議長席から見て一番左端のAブロックから右端のEブロックまで、各ブロック二十席があり、定員百人。

 現在の生徒会役員は十数人なので、これほどの広さはまったく必要ない。

 無用の長物も甚だしい。

 イスは特注品の一人掛けソファ、革張りの肘掛け付き。


 議長席の背後、一段高くなっているところにも五つの席がある。中央が生徒会長、残りは副会長と会長三役が座る。


 片隅にある大きな柱には「正義の女神」の西洋彫刻が鎮座していて、ここで行われる議論を静かに見守っている。

 ホールをぐるりと取り囲むように、中二階があり、そこが傍聴席となっていた。


 開閉式の天窓から、真夏のぎらぎらとした陽光が降り注ぐ。

 白夜は眩しさを感じて、窓際のパネルを操作し、天窓を半分閉めた。


 それから、どこに座るべきかしばらく悩んで、五ブロックある役員席の中央、Cブロックの最前列に腰掛けた。

 同時に、役員席の背後にある入口の扉を叩く音がした。

 しばらく待ってみたが扉が開く気配はない。

 外に立っているのは、そういう律儀な性格の人物らしい。

 白夜が「どうぞ」と促すと、ようやく扉が開いた。


 生徒会役員 飛鳥派代表 天華てんげ飛鳥あすか(高校二年)


 部屋に入ってきた飛鳥が、いきなり困ったように首を傾げる。

「? ……わたしは二人きり、と聞いて来たのですが?」


 飛鳥の視線の先、白夜のすぐ後には壬生みぶともりが座っていた。

「気にしないでください。彼女は私の影、です」


 偶然なのか、陽光が作る白夜の影が、灯と重なっている。

「あ、ああ。そう、なの」

 飛鳥は強く主張することもなく曖昧に頷いてから、まっすぐ階段を降りた。


 役員席の最前列まで来ると、一度、生徒会長席に目をやってから、白夜の右隣、Dブロックに腰を下ろす。

 ソファの背もたれを使わず、背筋を伸ばして座ったので、華奢な足を少し持て余している。


 その佇まいは優等生そのものだ。長すぎない黒髪を校則通りにシンプルにひとつにまとめ、制服も他の生徒たちのようにリボンやワンポイント等でアレンジしたりせずに、正しく着こなしてる。

 化粧などするはずもないが、整った眉に、長いまつげの大きな瞳には、必要ないのかもしれない。


 第一印象で、白夜とどっちが生徒会長に相応しいかと問われれば、百人が九十九人、飛鳥を指さす。

 残りの一人は、悪趣味なクセの強い変わり者で、白夜もそんな奴は信用しない。


「ちょうど良かった」

 飛鳥が白夜の目を覗き込むように見て、言う。

「わたしも白夜に聞きたいことがあったの」


「飛鳥さんが? いったい何でしょう」

「監獄プログラムのこと」

 飛鳥は、オブラートに包むこともせず、おもむろにその単語を口にした。

 白夜の口元に薄笑いが浮かぶ。


「……正しくは、中等部育成プログラム」

 声がしたので、飛鳥がそちらを振り返った。

 訂正したのは灯だった。

 飛鳥は灯に軽く頭を下げてから、また、その澄んだ純な瞳を白夜に向けた。


「白夜のことだから、何か理由があると思ってる。ううん、そう信じている」

 飛鳥が体を小さくして肩をすくめた。

 謙虚で控えめで、偉ぶるところもなければ、声も優しい。

 白夜とは真逆のタイプの前生徒会長――。


 しかし、この天華飛鳥こそ、あの生徒会史上最凶と囁かれた独裁者、夜祭よまつり摩耶まやを相手にクーデターを起こした張本人。

 夜祭を失脚させ、追放し、新生徒会を立ち上げたその人だ。


 案外、大きな何かを成し遂げる人物というのは、彼女のような人なのかもしれない。

 そんな白夜の思考を断ち切って、飛鳥が話を続ける。


「中等部の生徒の外出や外泊を一切認めないなんて、そんな乱暴な校則、『監獄プログラム』と言われても仕方がないと思う。だからどんな理由があるのか知りたくて」


「理由も何も、中等部の混沌が目に余ったから。ただ、それだけです。

 それに、一切認めないのではなく、盆と正月の実家帰省は限定的に許可します」


「なら、どうして?」

 飛鳥が白夜を遮る。

「逆に高等部を優遇するの? 外出制限なし、外泊も無期限に許可するなんて、どうかしてるよ」


 『中等部育成プログラム』とはクーデターにあたって白夜が立案した新たな学園改革案だ。

 全寮制の聖青女子学園では、午後八時までの外出と、週三回の外泊が認められている。

 しかし、白夜の新案では中等部でこれらを一切禁止にする。

 そのため『監獄プログラム』という俗称が付いた。


 一方で、高等部に関しては外出も外泊も制限を設けないとした。

 こちらは監獄にちなんで『出所プログラム』と呼ばれている。


「票集めのために中等部を切り捨てて、高等部を優遇したって、そう言っている人も多いよ」

 実際、高等部の生徒のほとんどが白夜に投票した。

 白夜は『出所プログラム』によって票の半数を確保したというわけだ。


「確かに、短い準備期間では、インパクトのある政策や聞こえのいいマニュフェストが必要なことはわかる。でも、本当にそんなことしたら滅茶苦茶になる。

 それが白夜の作りたい学園なの? それが白夜の理想なの?」

「飛鳥さんに説明するつもりはありません」


「クーデターを成功させるためのでっち上げ。本気で実行するつもりはないんでしょう?」

「この話はもう終わりです。飛鳥さんには関係のないことです」


 にべもない白夜の態度に、飛鳥もこれ以上は何を言っても無駄だと悟って、力なく首を振った。


「では、私の話をしてもよろしいでしょうか」

 すると白夜がそれまでとまるで同じ口調で、

「――飛鳥さんをしようと思います」

 なんでもないことのように口にした。


 飛鳥は身じろぎもせず、表情ひとつ変えない。

 勘の良い飛鳥のことだ。もしかすると多少は覚悟をしていたのかもしれない。


「飛鳥さんが、夜祭さんにしたことを私もしようと思います」

 白夜が同じ意味のことを、言葉を変えて繰り返した。


「ねえ、白夜……」

 飛鳥がゆっくりと立ち上がる。

 やはり、戸惑ったり、怒ったりといった様子はない。


「突然そんなことを言われて、わたしが納得するとでも思う?」

「思っていたのですが、納得しませんか?」


「知ってると思うけど、わたしと夜祭は最初から負けた方が生徒会を去るという条件で戦ったの。でも、今回は違う。最初にそんな話はしなかった。

 勝ったからと言って、何でも許されるわけじゃない。

 後出しで、好き勝手なことを言い出して。それはいくらなんでも卑怯よ」

「ご存知でしょう、飛鳥さんは。私がどれだけ腐った人間か」

 飛鳥が、呆れたように小さくため息を漏らす。


「そんなデタラメな言い分、通用するわけないでしょう」

 その口調はなぜか優しかった。そして。

「――なんて、こんな正論、白夜には通用しないよね。

 仕方がない。このバッジは返還してあげる」

 おもむろに制服の襟元に付けていた生徒会のバッジを示した。

 『聖女生徒会』と刻まれた記章は、生徒会役員の証でもある。

「でもひとつ、条件がある」

「条件?」


 すると飛鳥が手を鳩尾にあて、深々と頭を下げた。

 礼儀正しい潔く美しい、清廉潔白なお辞儀。

「――飛鳥派だけは残して欲しい」


 飛鳥がお辞儀の角度をさらに深くする。

 腰を垂直に曲げ、今にも顔が膝に付きそうなほど。武士のような厳かな佇まい。

 仰々しすぎて、嫌味すら感じる。

 白夜は少し考える仕草で、間を置こうとした。

 ところが飛鳥は「それから」と間髪入れずに、続きを被せる。


「飛鳥派にポストを用意して欲しい。

 最低二人、三役とは言わない。役職は何でもいい」

「図々しい」

 灯が聞こえるように吐き捨てる。


「わたしを信じて付いてきた人たちに、惨めな思いをして欲しくない。

 約束してくれれば、わたしは喜んで生徒会を去る」

「弱りましたねぇ」

 白夜が呟いて、目頭を揉んだ。


「自らを犠牲にして、そうやって人のために頭を下げられるのは、飛鳥さんの良いところです。ですが」

 両手を肘掛けに置き、勢いをつけて立ち上がった。


「甘い。甘いですよ、飛鳥さん!」

 丸呑みするかのような白トカゲの目で、飛鳥に顔を近づける。


「甘い、ぬるい、古い、弱い。

 ……私は、飛鳥さんのそういうところが許せないんです。

 夜祭派を追放しただけで満足して、息のかかった残党を切らずに放置した。

 その甘さが、あなたの無能さです」


「いや、でもそれは……」

 飛鳥が言葉を挟む余地もない。


「非情になりきれずに、悪の種を残した。

 生徒会の慣例だと言い訳までして、好きなようにのさばらせた。

 おかげで生徒会は何ひとつ変わっていない。

 私は、そんなあなたを軽蔑する。だから私はあなたに反旗を翻した」

「なるほど。それがクーデターの理由……」

 後退りするように距離を取る飛鳥を、白夜がさげすむ。


「あなたに学園を改革する資格はない」

 白夜が手のひらを上に広げて差し出した。ここに生徒会バッジを――そう訴えたつもりだったが、飛鳥は微動だにしなかった。

 約束が果たされるまでは外さないという強い意思。

 にらみ合う二人の時間は永遠にも感じられた。


 先に動いたのは白夜だった。

「わかりました。飛鳥派の件、お約束します」

 白夜が安心させるように微笑みを浮かべて頷いた。


「その言葉、本当に信じていいのね」

 飛鳥も警戒心を解かずに返答する。


「ええ。私もこれ以上、生徒会役員が減るのを良しとはしていません。

 飛鳥派にポストは間違いなく用意します。

 そうですね、人選も飛鳥さんにお任せしましょう」

「え?」

 思わぬ申し出に、飛鳥が今度は少し大きな声を出した。


「わたしが決めていいの?」

「構いません。飛鳥さんが推薦してください。その代わり、よろしいですね?」

 飛鳥が、ようやくこわばった顔を元に戻して「わかった」と頷いた。


「急いで候補を挙げる」

「では、話は以上です。お時間をとらせて申し訳ありませんでした」

 白夜が手を出口へ向けて、退出を促す。

 飛鳥は感謝の言葉を返し、最後にもう一度、深く頭を下げてから、ホールを去った。


 重たいドアがバタンと閉まると、灯が不満そうに口を曲げる。

「……大丈夫なの、あんなこと言って」

「何がですか」

「飛鳥氏になんか決めさせて。組閣が大事だって言ったのは白夜氏なのに」


「灯さんは、何もわかっていませんね」

 白夜がふっと笑って、自分の襟にもある飛鳥のものと同じ生徒会バッジを外した。利き手の左手でコロコロともてあそぶ。


「誰を推薦されても、関係ありません。だって、飛鳥派からの入閣はないのですから」

 白夜は、バッチを親指で弾いて、宙に放った。


「見ましたか、あの飛鳥さんの顔。私を信じて疑わない、あの素直な目。本当に飛鳥さんは……」

 どこまでも愚か。どこまでも正直。どこまでも無能。


 白夜の頬に自然と笑みが膨らんだ。もう一度、親指でバッジを跳ね上げると我慢できなくなって、くくくくと、こみ上げてくる笑いを必死にこらえた。


 灯は薄気味が悪すぎて、とても見ていられずに目を逸らす。

「死相が出てる」

「はい?」

「有名な占い師が、白夜氏のこと、そう言ってた」

 ふふっと可笑しそうに笑う白夜の顔には確かに、黒い影が堕ちていた。


               ◆


 一宮いちみやけいの長い手が、廊下の壁に伸びて、久遠くおん有栖ありすの行く手を塞いだ。

「もう、どいてよぉ。なんのつもり?」


 有栖が自分より十五センチは上背のある慧の顔を見上げる。

 細い顎が目に入った。こうして見上げると、宝塚の男役みたいだ。

「考え直せ」


 有栖は「やっぱりその話」と思いながら、何も言わずに慧の背中側からすり抜けた。

「待てって」

 今度は慧の長い足が邪魔をする。


「しつこいよ、慧ちゃん」

「有栖は間違ってる。宇井も言っていたが、このままで終わるはずがない。

 ついていく人間を間違えている。

 飛鳥さんか白夜か、どちらが正しいか。そんなの考えなくても、わかりきったことじゃないか」

「そうだね」

 有栖が初めて、慧の目を見た。


「飛鳥ちゃんは正しい。でもね、白夜ちゃんも間違っていない」

「……それは、どういう意味だ」

「真面目に聞き返さないで。ほんと、よっっぽど白夜ちゃんに興味があるんだね。

 だったら慧ちゃんもウチに来たらいい。慧ちゃんなら白夜も歓迎すると思うけ」

 言い終わらないうちに、慧が有栖の制服の襟首を掴んだ。


「あたいが飛鳥さんを裏切ることはない」

 反射的に掴んだ手を、慧が慌てて離す。

「すまない」


 有栖の視界の隅に秋篠あきしの日々ひびが入った。廊下の先から、じっとこちらを睨むように見ている。

 やがて慧も日々に気づくと、軽く舌打ちをして立ち去った。


 入れ違いに駆け寄って来た日々に、有栖がぎこちない作り笑いを浮かべる。

「何を言われてたんだ?」

「ううん、なんでもない」


「気にするなよ。慧はさ、有栖と違って、自分が白夜に誘われなくて、ひがんでるだけなんだから」

「だね」

 有栖が少し鬱陶しそうに言ってみたのだけど、日々は気づかなった。あるいは気づかないふりをしていた。

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