23.議会ホール

 白夜と灯が自分たちが一番乗りかと思ってホールに入ると、すでに中央の議長席にシヅカがいた。

 約束の時間までまだ三十分もある。


「早いですね」

「準備がありますわ」

 そう言って、シヅカは、白い板状のガラス片を箱から次々と取り出して、並べた。 

 インゴットのような形状で、白く濁ったような輝きをしている。

 それをくすりが隣で手伝っていた。


 シヅカには今日の総裁選の仕切りをお願いした。

 彼女は現状、生徒会役員ではないので、選挙権がない。

 そのうえ理事長の娘という表面上中立という立場で、少ない人材の中では適任だった。

 白夜でも夜祭でも、学園を良くしてくれるのなら、どちらでも構わない。

 それが今回の彼女のスタンスだった。


 広報会長に内定しているくすりには見届人という役割が与えられた。

 適宜、写真撮影などを行い、次号の生徒会広報誌に、総裁選の結果速報を掲載する予定だった。


「それを投票に使うのですか?」

 白夜が並んだ白いガラス片のひとつを手にとって、眺めた。

 シヅカは、白に続いて、紫色のガラス片を取り出しながら、静かにうなずいた。

 そちらはグラスに注いだ赤ワインのように透き通っていた。


「白と紫、一人にそれぞれ一組ずつ渡して、投票してもらうんですわ。

 白が白夜女史、紫が夜祭女史ですわ」

「なるほど、誰がどちらに投票したのか、一目瞭然というわけですね」

「これなら、不正もできない」

 灯もガラス片に細工がないことを確認する。


 シヅカが白夜を覗き込むように見た。

「どうやって勝つつもりなんですの?」

 白夜はそれには答えず、ここ最近の定番となっている、役員席中央Cブロックの最前列に腰掛け、怪しげに微笑んだ。

 そのまま議員席の後ろにある生徒会長席を見上げる。

 あの席に座るのは、この勝負に無事に勝利したときだと決めている。

 灯は白夜のすぐ後ろに控えた。


 くすりが手持ち無沙汰からか、並べたガラス片をピラミッドのように積み上げては、また戻していく。

 横に長い議長席の中央に陣取ったシヅカは、こわばった表情で、その様子を見るともなしに見つめていた。


「シヅカさん。もし、私が勝ったら、保留になっている会長ポストの件、引き受けて頂けますね?」

「勝つつもりなんですわね」

 白夜はそれを肯定の返事ととらえて「約束ですよ」と念押しした。


 そこへ、有栖と日々がガヤガヤと部屋に入ってきた。

「早いね」

「ん? 何の話?」

 シヅカが「別に何でもありませんわ」と答えると、二人は並んで灯の後ろの席に腰掛けた。


 ―――やがて約束の時間になって、シヅカが壁の時計を見上げた。

 生徒会役員は、二人を除いて勢揃いをしていた。

「夜祭女史と萌乃女史がまだですわね」

 と言った直後に、その二人が入って来た。

「遅い! 二分、遅れてっぞ!」

 日々の野次が飛ぶ。


「白夜が生徒会長でいられる時間を長くしてやろうと思っただけさ」

 夜祭の背後から萌乃が顔を覗かせた。

「全員、揃ったようですわね。では、始めていきますわ」

 シヅカの号令で、ホール内の空気が一瞬で張り詰めた。


 近影的な部屋には不釣り合いの、アンティークな議長席の両端に、白夜と夜祭が対峙する。

 その中央、二人の間にシヅカ。


 議長席を取り囲む役員席には、前日と同じ場所に、各派閥が座った。

 白夜派の右隣、Dブロックに、飛鳥と慧と雛子の飛鳥派が。

 その隣のEブロックに無所属のまほろ。

 一番左端のAブロックに萌乃と朝日の旧夜祭派に加え、飛鳥派を裏切った宇井とゆり根。

 Bブロックには織姫派の三人が陣取った。


 すでに白と紫のガラス片は配り終えていて、それぞれの手元にあった。


 シヅカが淡々と声を張り上げる。

「名前を呼ばれたら前に出て、ガラス片を中央に。

 確認ですが、白夜女史が白、夜祭女史なら紫ですわ」

 萌乃がニヒニヒと白夜に嫌らしい視線を送ってくる。


「では、織姫派の御三人。どうぞ、前へ」

 呼ばれた織姫とベガ、アルが両手に白と紫の札を持って立ち上がった。

 この三人は新派閥の結成に加わっている。

 いわば夜祭派の本流。

 間違っても白夜に投票することはない。


 議長席の前までやってきた織姫が、白夜を黙ってまっすぐ見る。

 見せつけるように、右手に握っていた白いガラス片を持ち上げた。

 そうしてわざとらしく、議長席に置こうとする。

 一瞬だけ、場内がざわついたが、

「……なぁんてな」


 無表情だった織姫が顔が、これ以上ないぐらいに歪む。

 口をへの字にして、舌を出す。

「んなわけないでしょうが。バーカ!」


 そうして、左手に持っていた紫のガラス片を議長席に力いっぱい叩きつけた。

 えへへと、夜祭に向かって照れ笑いを返す。

 萌乃が「悪いやっちゃなあ」と、声を出して指をさした。


「織姫ってば、さいあくー」

 そう言って、ベガが続けて紫のガラス片を置いた。

 さらに、アルも無言で三本目の紫を並べる。

 まずは、三対ゼロ。ただ、これは想定済み。

 動揺も安堵もせず、白夜はじっと目の前に座る夜祭と目を合わせた。


「続いて、白夜派の二人」

 シヅカが有栖と日々を呼び込んだ。

「もうさ、決まってることなんだから」

 有栖が紫のガラス片を席に置いたまま、立ち上がった。


「そうそう。わざわざこんな面倒なことしなくても、アタシらの分は、先に置いといても良かったんだよ」

 日々もまた白いガラス片だけを持って、中央の議長席に小走りで進み出る。

 そして、二人は織姫たちが置いた紫のガラス片の隣、白夜寄りの方に、白を二本を並べて置いた。


「はい。これで、白夜ちゃんにも二票」

「わからなくなってきましたよぉ」

 二人が揃ってそそくさと席に戻る。


「残念、自分も生徒会役員だったら、これで同点だったのに」

 夜祭が灯を一瞥しながら、挑発するように首を振った。

 灯は『碧タブ』を膝に置いて、無表情で見つめ返した。


「では、次ですわ」

 シヅカが、萌乃と目を合わせた。

 声をかけようとすると、反対側から声があがった。

「じゃあ、ぼくが同点にしておきますね!」


 庶務会長代理として先程からノートパソコンで議事録を作成していたまほろが手を止めて、立ち上がった。

 シヅカの案内を待たずに、自らセンターに歩み出る。

 手には白いガラス片。

 先程、有栖と日々が並べて置いたガラス片の上に、ピラミッドを作るかのように置いた。


「まほろ、信じてた! ありがと!」

「もうさ、白夜派入っちゃいなよ!」

「誉多いことでございます」

 まほろがいつものように日々と有栖の勧誘を受け流す。

 白夜が立ち上がって、丁寧すぎるほどに深く頭を下げた。

「ありがとうございます」


「やめてください。ぼくは白夜くんが勝つと思ったから投票しただけです。ぼくはいつも勝つ方に味方する。そういうずるい人間なんです。よく知っているでしょう」

「承知しています。まほろさんはずるくて賢い」

 白夜が笑って白い歯を見せた。


 三対三の同票となったところで、くすりが途中経過として、ガラス片込みの、白夜と夜祭の写真を撮る。


「とっとと終わらせるさ、こんな茶番!」

 可愛い声で吠えた萌乃が「行くぞ」と朝日に声をかけてから、胸を反らせながら大股で前に進み出た。

 そうして中央の議長席に、乱暴に紫のガラス片を置いた。


「馬鹿馬鹿しい、付き合ってられねえさ。ねぇ、夜祭さん」

「まあ、そう言うな。こんなに面白い興行、すぐに終わらせるなんて、もったいないじゃないか」


 夜祭が薄笑いを浮かべて、正面の白夜をまっすぐ見つめる。

 その顔をチラリと一瞥した白夜は、すぐに先程まで萌乃が座っていた場所に目を移した。

 白夜の視線に気づいた夜祭も、後ろを振り返る。


 そこには、まだ役員席に座ったままの朝日がいた。小さな体をさらに縮こませ、小刻みに震えている。

 てっきり萌乃の後に続いて前に出たと思っていたが、そうではなかった。


「何やってんのさ、早く来いって」

 萌乃が中央から大きな声を張り上げる。

 〝おい、どうした?〟〝グズグズすんなって〟〝あとがつかえてるからよ〟

 織姫や宇井たちからも威勢の良い声が飛ぶ。


「朝日女史、何かお困りですの?」

 シヅカが困惑したように声をかける。

「どうぞ前へ。円滑な進行に協力して頂けますと、助かりますわ」

 促されて、ようやく朝日が立ち上がった。

 それでも足を踏み出すことはできず、うつむいたままだ。


「あの、あの……」

 ようやく顔を上げた朝日がまっすぐ白夜を見る。

「白夜先輩、ごめんなさいッ」

 萌乃がニヤリと口角を上げる。

「中坊ォ、悪いなんて思う必要はないさ。

 生徒会役員として与えられた自分の権利を、どう使おうと好きにしていいんさ。

 だから、別に白夜に投票しないからって、謝る必要なんてないんさ」


「白夜先輩、ごめんなさい……」

 朝日が萌乃を無視して言葉を続ける。

「私、白夜先輩のこと、勘違いしていました」

「ああ?」

 機嫌の悪そうな声を上げたのは夜祭だった。

「どういう意味だ?」


「白夜先輩は嘘つきで、よこしまで、真っ黒な、どんな手を使ってでも生徒会長の座に就こうとする人です」

 朝日が潤んだ目で見つめてくるが、白夜は何も答えない。

 朝日が決意して足を踏み出すと、白夜がいる議長席までゆっくりと歩みを進める。


「でも、それは決して私利私欲のためじゃない。本当に学園のことを考えているからだってことがわかってきました。

 ……もちろん、すべて理解したわけではありません。ですが」

 朝日が軽蔑するように萌乃を見る。


「萌乃先輩にもほとほと愛想がつきました。こっちはこっちで別の意味で最悪です」

「こっち呼ばわり!」

 と、織姫が口を開けて驚く。


「だからもう、私は自分で決めます。

 これ以上、誰かの指示や、派閥にしばられるのはうんざりなんです。

 この一票だけは、自分の意思で投じます」


 朝日は手にしていたガラス片をテーブルに置いた。

 天窓から降り注ぐ太陽の光が反射して、泡白い色を放つ。

 白――真っ先にその色に気づいたのは萌乃だった。


「中坊! どういうつもりさ」

 萌乃が朝日に詰め寄って、顔を近づけた。

 夜祭が静かに鋭い視線を向けている。

 二人に威圧され、いつもの朝日なら怖気付いて、体をすくませるところだが、今回は違った。

 制服の胸ポケットに隠し持っていた『離派閥届』を、萌乃の胸にどんっと突きつける。


「私は、私の信念に従ったまでです」

「裏切り者がッ、誰のおかげでこの場にいられると思ってるんさ!」

 萌乃が歯ぎしりをしながら『離派閥届』を破り捨て、朝日の胸ぐらを掴み上げる。それでも朝日はひるまない。


「萌乃先輩。これまでありがとうございました。でももう、さすがについて行けません」

「何を言うさっ」

 萌乃がさらに腕に力を込める。

 それでも目を逸らさない朝日と、長い睨み合が続いた。


「やめておけ」

 夜祭に制されて、萌乃はようやく朝日を突き飛ばすように手を離した。

 よろける朝日に、白夜が駆け寄って、体を支える。

「朝日さん、メッセージ、聞いてくれたんですね」

 朝日が助け起こされながら、小さく頷いた。


「まだ白夜先輩のことは九十九%、信じてはいません。でも残りの一%、

 これから白夜先輩が何をするのか、期待してもいいと思いました。

 そしてそれを側で見守ってもいいと思いました……私で良ければ、そのお手伝いをさせていただけますか」


 白夜が嬉しそうに微笑むと、朝日は照れたように目をそらした。

「なんて」

 その視線の先に萌乃がいる。

「……本当のことをいうと、もう、あの甘ったるい声で何か指示されるのは、うんざりなんです。どうせ命令されるんだったら、白夜先輩の声の方がまだマシかって」


「許さないさ!」

 再び掴みかかろうとする萌乃だったが、連れ戻そうと歩み寄って来ていた織姫やベガに羽交い締めされた。

 織姫派はモノには当たるが、人への直接攻撃は好まない。


「ありがとうございます。朝日さん」

 白夜が差し出した手を、朝日が握り返す。

 その様子を見た灯が、

「正気の沙汰じゃない。白夜氏の非道さは萌乃氏の比じゃない」

 と、朝日をたしなめる。


「覚悟の上です」

 朝日が満面の笑みで答えた。

「これで、夜祭女史、四票、白夜女史、四票となりましたわ」

 シヅカが改めて宣言すると、有栖と日々が駆け寄って、朝日を抱きしめた。


「ありがとう。朝日ちゃん」

「何があったのか知らないけど、信じてた」

「日々くん、よく言いますね」

 遅れてまほろも来て、朝日の背中を歓迎するように軽く叩いた。


「次だ次、早く始めるんさッ」

 役員席に連れ戻された萌乃が吠えた。

「では、最後は飛鳥派、どうぞ前へ」

 シヅカが、別々の場所に散らばっている五人、飛鳥、慧、雛子と、宇井、ゆり根を順番に見た。


「残り五票。これで結果が出る」

 慧が唇を強く噛む。

「あの、確認なんですが」

 その慧の後から雛子が控えめに手を上げた。

「同点の場合はくじ引きでしたね?」


「ナニ心配してるかわかんねぇけど、んなことはありえねェから」

 宇井が声を張り上げると、

「うっそ。まさか棄権する気?」

 ゆり根が不思議そうに首を傾げる。


「いえ、ただの確認です。失礼しました」

 雛子の返事を聞いて、そのまま宇井とゆり根が勢いよく立ち上がった。

「おおし、行くか」

 宇井が人差し指と親指で、紫のガラス片をつまんで持つと、それをひらひらと白夜に見せびらかせながら歩き出す。


「ヘッ、残念だな、白夜。とっとと幹部ポストを用意してくれてたら、こんなことにはならなかったのにな。あ、そうだ、総務がまだ空いてるらしいじゃねェか。

 いまからでも遅くねェから、そのポストをオレにくれたら、考え直してもいいぜ」

 白夜が無言で拒否する。


「ヘッ、地獄に堕ちろ」

 宇井がつまんで持っていた紫のガラス片を、議長席に放り投げるように置いた。

「夜祭さん。じゃあ、あとは宜しくッ。頼みますよ」

 宇井が媚びるように舌なめずりをして夜祭を見る。

 夜祭は薄笑いを浮かべながら「悪いようにはしないよ」と含みを持たせて答えると、宇井は満足したように元の席に戻った。


 役員席で待っていたゆり根が、宇井とハイタッチを交わすと、

「じゃあ、とっとと終わらせてやりますか」

 入れ違いにクラウチングスタートの姿勢から飛び出し、勢いよく階段を駆け下りる。

 つんのめって転がり落ちそうになりながら、議長席の前に滑り込んだ。


「っと、と、と。あぶねぇな」

 夜祭が助ける素振りも見せずに避けたので、ゆり根が派手に机にぶつかった。

「おい、頼むさ」

 萌乃が呆れた声を出す。

「怪我して棄権なんてことになったら、計算が狂うさ」

 ゆり根がへへへへ、とだらしなく笑うと、ガラス片を大きく振り上げてテーブルに叩きつけた。


「白夜、覚悟しろ。これでトドメだ!」

 耳障りな乾いた音が場内に響き渡って、思わず全員が耳を塞いだ。

 そのガラス片の色を、シヅカが目視する。


「白夜女史、四票。夜祭女史は六票となりましたわ」

 確認しながら、煩雑に置かれていた六つの紫のガラス片を几帳面に並べて整える。

「では、次は飛鳥女史。お願いします」


 飛鳥が振り返って、慧と雛子を見た。

 慧が力強くうなずいて、飛鳥に続いて立ち上がった。 

 雛子も無言で起立する。

 三人とも、白と紫のガラス片を重ねて片手に持っていた。


 飛鳥を先頭に三人がまっすぐ前を見すえて歩き出す。

 白夜の目は、そのうちのひとりを捉えていた。


 素知らぬ顔をしている裏切り者、この茶番の黒幕の正体――。

 この状況で、彼女はどんな決断をするつもりなのだろうか。

 飛鳥派は残り三人で二票差。きっとこの展開は彼女が望んだものではない。

 計算が狂ったのは、反旗を翻した朝日の一票だ。

 あの一票がどんな意味を持つのか、萌乃たちはまだ気づいていないが、賢明な彼女ならわかっているはずだ。


 あとは飛鳥の選択ひとつ、そこですべてが決まる。

 だから彼女はああやって、控えているフリをして一番後ろにいるのだろう。


 三人が議長席の前に整列したところで、まず飛鳥が一歩前に出た。

 白い方のガラス片を右手に握り直すと、顔をあげて、議長席の背後にある生徒会長席を仰ぎ見た。


「……今回の生徒会の混乱、そして、それを招いた飛鳥派の分裂、すべてはわたしの責任です。わたしの至らなさ、未熟さ、無能さ、心からお詫びします」

 生徒会トップだけが着座することを許された、神聖なイスに向かって深々と頭を下げる。


「償いや報いはすべて受け入れるつもりです」

「そんなこと言わないで下さい。飛鳥さんは何も悪くない」

 慧がすがるように、ほとんど泣きながら言葉を発する。

 飛鳥が力なく首を振った。


「貴方にも本当に申し訳ないことをしました。わたしを慕ってついて来てくれたのに」

「そんな、あたいはただ飛鳥さんだけを信じて……」

 飛鳥が優しく頷くと、白夜と目を合わせた。


「すべての始まりは、貴方がわたしの元を去ったことでした。そして、きのう貴方の話を聞いて、心底呆れました。

 ―――貴方は手段を選ばずに、本気で生徒会を変えるつもりなんだと」

「もちろんです」

 白夜が神妙に頷く。


 飛鳥が白いガラス片を掲げて、白夜に見せた。

「実はまだ迷っています。これをここに置くか。あるいは棄権するか」

 その二択で、自分の芽が潰えたことを悟った夜祭が興味なさそうに顔をそらした。


「だから最後に聞かせて欲しい」

 飛鳥がまっすぐ白夜を見る。

「――例の『中等部育成プログラム』。本当に実行するつもりなの?」


 通称『監獄プログラム』。

 中等部の外出外泊を一切禁止し、逆に高等部の外泊制限を撤廃するという、白夜がマニュフェストに掲げた政策だ。

 本当に実行されれば学園中が滅茶苦茶になることは容易に想像ができた。

 選挙のためにでっち上げたインパクトのある政策だが、実現性には乏しい。


 白夜の答えに耳を傾けようと、場内が静まり返った。

 おそらく飛鳥が求めているのは否定の言葉。

 ――やるわけないじゃないですか。あれは選挙に勝つために言っただけです。

 そう答えれば、飛鳥は納得するはず。だが。


「ええ。もちろんです」

 白夜が屈託なく答えた。

「必ず実行します。それほどの変革を行わなければ、この学園は変わらない。中等部で統制を、高等部で自由を学んでもらいます」


 途端に、飛鳥の瞳に軽蔑が浮かんだ。

「やっぱりわたしは貴方とは相容れない。やり方がぜんぜん違う。残念ですが……」

 白いガラス片を懐にしまい、棄権の意思を示そうとする。

「ただ」

 白夜が動きを制した。


「具体的な開始時期については未定です。

 生徒会で動議にかけて、早急にスケジュールを決めたいと思っています」


 飛鳥がふっと含み笑いをこぼした。

 実行までにはまだ時間がかかる。いつ始められるかはわからない。

 つまりは、そういう意味だった。


「なるほどね。そうやって、緊張感を持たせて生徒を操ろうというわけ?」

 次第に笑みが無邪気に広がっていく。

 いかにも可笑しそうに声を押し殺して笑うと、右手に持っていたガラス片を議長席に置いた。


「どうやら白夜が作ろうとしている理想の学園は、わたしの理想と同じようですね。やり方はまったく違うけれど」

 飛鳥の反転に、見守る役員たちから驚きの悲鳴があがった。


「これがわたしに出来る、貴方への最後のはなむけです。わたしはもう一度、この場所に必ず戻って来ます。

 それまでどうかこの学園を、生徒会をよろしくお願いします」


 そう言うと、踵を返して出口の方へと向かった。

 白夜が飛鳥の背中に声をかける。

「結果はご覧になって行かれないのですか?」

 飛鳥が足を止め、首だけで振り返る。

「健闘を祈ります」

 それだけ告げて、ホールを去った。


「え、ちょ、どういうことですか」

 狼狽える慧が、足をもつれさせながら飛鳥を追いかける。

「待って下さい! 投票がまだですわ。棄権されるんですの?」

 シヅカに呼び止められて慧が立ち止まった。

 体を硬直させたまま、議長席に引き返す。


「あたいはどこまでも飛鳥さんについていく!」

 慧は、飛鳥と同じ色のガラス片を議長席に置くと、

「飛鳥派は絶対に潰させない」

 赤らんだ顔に白夜への怒りを押し隠したまま、飛鳥の後を追った。


 白夜は直立不動のまま、二人の姿が見えなくなるまで、最敬礼で見送った。

 それは二人への感謝とともに、白夜が勝利を確信した瞬間でもあった。

 あとは彼女がどんな選択をするか――白夜が横目で見ると、相手もこちらを見ていた。


「これで、白夜女史六票、夜祭女史六票となりましたわ」

 荒れた場を元に戻すかのように、シヅカが冷静に告げる。すると、

「ん? まだ同点? え、どういうこと」

 ゆり根が首を傾げた。

「……これ、ちょっとマズくない?」

「おまえは数も数えられなくなったか? だからヌケ根って言われるんさ」

 萌乃がうんざりしながら、ゆり根を小突いた。


 違う。間違っているのは萌乃の方だ。

 どうやらゆり根は感覚的にこの場の違和感に気づいているようだった。

「とっとと再開するさ」

 萌乃が最後に残った雛子を見る。

「さあ、最後。決めちゃってくれさ!」


 雛子が大きく顔を仰け反らせる。天窓から降り注いだ眩しい夕日が彼女の顔を染めた。

「おお。神々しいねぇ。陰で暗躍してきた自分に、ようやくお天道様が当たる時が来たか」

 そう言って夜祭が、囃し立てるように口笛を吹いた。


「まさかここまで追い込まれるとは思ってなかったが、これもご愛嬌だ。

 最後に最高の舞台が整ったじゃねえか。

 どうやらもう、自分の正体はみんなわかっているようだし。

 さあ、いよいよ真打ちのご登場と行こうじゃないか!」


 夜祭が両手で上げて、自軍をあおる。

 萌乃や織姫を中心に拍手と歓声が湧き上がった。

 しかし、当の雛子本人はまるでひとごとのように、肩をすくめる。

「―――いったい何のお話でしょうか」


 一瞬にして、場内が沈静化した。

「雛子の正体? はて、何のお話でしょう」


「しらばっくれてんじゃねえさ」

「本当にわからないのですが」

 萌乃に凄まれても、雛子は表情ひとつ変えない。


「ふっざけんじゃねえさ。これまでのことは全部、おまえさんが仕組んだことさ」

「勘弁して下さい、言いがかりです。雛子は、正真正銘、飛鳥派の人間です」

 萌乃の顔から表情が消える。

 予想外の展開に思考が追いついていない様子だ。

「自分、騙したのか?」


 夜祭が立ち上がった拍子に、派手にイスが転がって倒れた。

 雛子は怯えたような顔で、助ける求めるように白夜に視線を送ってきた。

 この人たち、怖いんですけど。助けてくれませんか。


 夜祭が頭をかきむしる。

「自分が何をしたいのか、まるで見えない。わかるように説明しろ」

 すると雛子が真顔になり、急に声のトーンを落とした。

「夜祭さん、あなたは負けたんです」


 手に持った白いガラス片をくるくるとバトンのように回して弄ぶと、おもむろに白夜に差し出した。

 白夜が立ち上がり、うやうやしく受け取る。

「ありがとうございます。有り難く頂戴いたします」


 白夜は受け取ったガラス片を雛子を真似てくるりと一回転させ、自分の前に置いた。これで白いガラス片は七本となった。

 その瞬間、萌乃の怒号が響いた。

「!! まさか、裏で手を組んでいたんさ?」

 白夜が「とんでもありません」と目を見開いて、毅然と否定する。


「雛子さんと面と向かってお話するのはこれが初めてです。ねえ」

 同意を求められた雛子も素直にうなずく。

「だったら! なんでこんなことをするんさ! 

 夜祭さんに投票すればいいだけ、

 それで終わり、それで勝ちだったはずさ」


「いいえ。夜祭さんは負けです。正真正銘、紛れもない敗北です」

 夜祭がジロリと雛子を睨んだ。

 地の底から這い出てきたような低い声で威嚇する。

「どういう意味だ。わかるように説明しろ」

 雛子が苦笑いを浮かべる。

 そうして、口を閉じたまま、ほとんど聞こえないような小さな声を口の中でこもらせた。

『まったく一から十まで説明しないとわからないのですか。これだから貴方達は』

 それから天を仰いで、声を張る。


「だって、雛子が夜祭さんに投票したら、になっちゃうじゃないですか」

「ああ? 頭おかしいのか。ヌケ根みたいな計算間違いしてんじゃねぇさ。

 で、うらたちの勝ちさ!」


 萌乃に、織姫も怒気を含んだ声で応戦する。

「何、バカなこと言ってんだよ!」

「いや、間違いじゃない」

 声をあげたのは灯だった。


 灯が、顔も上げずに興味なさげに言う。

「もうひとり、白夜に投票する人がいる」

「何を言ってるんさ! おまえは正式な生徒会役員じゃないんだから、選挙権はない」

 萌乃が灯の前まで大股で勇み寄る。


「違う」

 灯が自分ではないと手を振って否定する。

「ああ?」

「いるじゃないか、生徒会役員がもうひとり」


 そう言って、灯がまっすぐ指を突き出した。その指の先には白夜がいた。

「あば…、あばばば、ばばかな……」

 やっと気がついた萌乃が声にならない悲鳴をあげた。

 激しく取り乱し、髪を振り乱す。


「だったらさ! だったら、夜祭さんだって、夜祭さんにだって!!」

「夜祭氏は、すでに生徒会を除籍になっている。役員ではないため、選挙権はない」

「ばば……、そんなばかな……」

 肩で息をする萌乃が、膝から崩れ落ちた。

 夜祭はまだ何が起こったのか理解できない様子で、呆然と立ち尽くしている。


「だけど、それでも同点さ。なんで雛子は、夜祭さんに投票しないんさ」

 萌乃が力を失った目で雛子を見すえる。

 だが、雛子はさげすむように、冷ややかな目を向けるだけで、何も言おうとはしない。

 仕方なく灯が追加で説明をする。


「同票の場合はくじ引き。そう決めただろう。

 そうなれば、運を天に任せるしかない。さすがにこれだけ人の目があればイカサマも出来ない。

 勝利する確率も五十%なら、負ける可能性も五十%――そんな危ない橋は渡れない。

 なぜなら、彼女がこの場で一番避けなければいけないのは、自分が負けること。

 それだけは絶対に回避しなければいけない。

 だから、お前たちは切られたんだ。彼女の保身のために」


 灯が冷たく言い放つ。

 萌乃が完全に言葉を失い、うずくまるように床に顔を伏せた。

 夜祭もようやく事態を理解した。

 というより、ようやく現実を受け入れたようで、みるみる顔は青ざめ、怒りと屈辱に虚しさの感情が、綯い交ぜになっている。


「は、はは、ははは。なるほど、自分はしてやられたというわけか」

 とても穏やかではいられないはずだが、最後の理性とプライドで己を保っていた。

「やってくれたな。中坊の分際で――」

 強く握った夜祭の拳に、深い爪の跡が刻まれる。


「あ! だから、あれだけ同票になった場合のこと、聞いていたのか」

 有栖が、キラキラした目をぱちくりと何度も瞬きさせながら、よく通る声で呟いた。有栖の隣で日々も、

「もしかして投票の順番も、自分が一番最後になるように、調整した?」

 と、純粋に問う。


「ですから、何の話でしょう。雛子にはまったく意味がわかりません」

 雛子が勿体つけたように首を振る。

「なるほど、なるほど」

 その笑顔にくすりがカメラを向ける。

「雛子っちは、そうやってなかったことにするつもりなのか。なるほど」

 シャッターを切ると、雛子は困ったように、一切の混じり気のない笑顔を白夜に向けた。


 白夜もまたぎこちなさを完全に排除した、満面の笑みで応じた。

「皆さま、このたびはお騒がせしました」


 愕然としながら、成り行きを見守っていた織姫や宇井たちを順番に見回す。

 顔が上げられずにいる萌乃や、気丈にその場に立ち続ける夜祭もいる。

 すべてを見届けて、白夜が隠し持っていた自らの白いガラス片を取り出した。


「夜祭さん。きょうは楽しませていただきました、もう二度とお会いすることはないと思いますが……これからも私に挑むというのであれば、どうぞ覚悟を持って挑んで来て下さい

 ――私にまつろろわぬ民は必ずほふる――それが私の信条です」


 そうして、目の前で山になっていた白いガラス片の一番上に、自分のものを重ねた。

「では、シヅカさん。お願いします」

 促されたシヅカが着席したまま、感情を込めずに無機質に報告する。


「白夜女史、八票。夜祭女史、六票。

 生徒会長は引き続き、安楽白夜女史の続投としますわ」


 宣言を受け、白夜は 議長席の後ろにある階段をのぼった。

 五つ並んだ幹部席の中央、生徒会長席に悠然と腰を下ろして、そこから見える景色を堪能する。


 有栖はほっとしたような顔で手を振り、日々は握った拳を突き上げ、まほろはいたずらっぽい笑顔を弾けさせていた。

 灯は相変わらず無表情を貫いている。

 傍には、照れくさそうに顔を赤く染める朝日もいた。


 同胞たちを頼もしく見つめる白夜の横顔に、くすりがカメラを構える。


 初めて座った神聖なイスの感触は、心地良さよりも、くすぐったい気持ちの方が大きかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る