22.第一政務室

「さて、作戦会議と行きますか」

「実際、白夜に誰が入れるか、想定するとさ――」

 持ち込んだデジタルボードの前に、有栖と日々、くすりが並んでシミュレーションしてみる。

「こんな感じかな」


 白夜:有栖 日々 まほろ 飛鳥 慧 雛子  六票

 夜祭:織姫 ベガ アル 萌乃 朝日 宇井 ゆり根  七票 


 わかっていたことだが、実際に書き出してみると、状況は厳しい。


「一票差か。灯を役員にしとくべきだったな」

「それを言うなら、くすりちゃんもシヅカちゃんもね」

「今からワタシなれないか? なれないな」

 三人がため息ともつかない息を吐き、白夜が「弱りました」と言って、口を真一文字に結んだ。


「相手側の誰かを切り崩さないといけないってことだよね」

「織姫派の誰か?」

「それよりは、宇井っちか」

「あの。そんな悠長なこと言っていていいんですか」

 三人のやりとりを聞いていたまほろが、ノートパソコンの画面から顔をあげた。


「確かにこうやって見ると、六対七の僅差ですけど、いまのままだと飛鳥派の三票だって確実ではないんですよ」

「それを言うなら、まほろ氏も」

 灯が無表情で見つめると、まほろは意味深に苦笑いを浮かべた。


「嘘でしょ。まほろちゃん。そんなことしないよね」

「どうでしょう。ぼくは勝つと思った方に擦り寄りますよ。なんて、冗談です」

「冗談を言う顔じゃない」

 日々がまほろの頬をつっついた。


「あ、さっきの議事録。白夜くんにデータを送りますんで」

 そう言ってまほろが乱暴にノートパソコンのエンターキーを叩いた。

「なんで、まほろがそんなことをしてんだ?」

「一応、庶務会長代理なんで」

「ああ、なるほど」

 そこで、日々が何かを思いついたように、指を鳴らした。


「やっぱりそれかな、会長職のポストを差し出すのが一番なんじゃないか」

 壁に掲げられた会長札を指差す。

 まだたくさんの空白があり、要職の総務会長も埋まっていない。


「ああ。宇井ちゃんとか、何かいいの用意すれば戻ってくるかも」

「広報会長、献上しますけど」

 くすりが手を上げたが、全員の冷たい視線に耐えきれず、肩をすくめた。


 すると、シヅカが日々の隣で、会長札を見上げながら

「やはり、飛鳥女史を総務会長に起用するんですの? だからずっと開けているのでは」

「それは違います」

 白夜の答えは変わらなかった。

 シヅカが今度は灯に話を振る。

「灯女史はどう考えているんですの? 当然、勝ち目があるから総裁選なんて提案したんですわね」


 灯の答えを待ったが、難しい顔で沈黙を続けたので、日々が「ないんかい!」と声を張った。

 シヅカがまた話の矛先を白夜に戻す。

「明日でいいなんて空意地を張って、本当に勝てるんですの?」


「どうしましょう、弱りました」

 白夜はたおやかな微笑みを浮かべて、ホワイトボードを見つめている。


「困っているようには見えないんですけど」

 有栖がホワイトボードの文字を消そうとすると、

「ただひとつ言えることは」

 と、白夜が止めた。

「この票読みは間違っています」


 全員の視線が、ホワイトボードを見つめる白夜の背中に集中する。

「実は先程の会合でわかったことがあります」

 白夜がホワイトボードに指を這わせる。


「先程の会合で、すべてを企てた黒幕がわかりました。

 夜祭さんを連れ戻し、新しく派閥を作るという戯れを思いついた黒幕が」

「誰?」

「萌乃さんが教えてくれました」


 白夜が、自分に投票するとされる人物の名前を順番に指でなぞる。

 有栖、日々、まほろ、飛鳥、慧…。

「萌乃さんは確かにこう言いました。仮に飛鳥さんが総裁選に出馬した場合、投票するのはせいぜい二人、二票だと。

 ですが、それでは計算があいません。本来は三票入るはずなのです」


 その指が最後のひとりのところで止まった。

「彼女が黒幕です」

 その名前を白夜が手のひらで消去した。

 白夜の得票がまたひとつ減った。


「……それが本当なら、状況はさらに悪くなるね」

 くすりがぽつりと呟く。


「どうでしょうか。彼女はそれほど単純ではないと思います。

 そうでなければ、わざわざ合計十三票などと確認した上に、

 棄権者が出て同点になった場合のことなど、尋ねてこないでしょう」


 全員が、先程の議会ホールでの彼女の振る舞いを思い浮かべて、無言になった。

「では、時間も限られています。総仕上げとまいりましょうか」

「何を?」

 白夜が手早く、再び出かける準備を整える。


「残り一票を切り崩しします」

「……あと一票じゃ足りないと思うけど」

「今度は何をするの? また盗聴?」 

「賄賂? 裏工作?」

 矢継ぎ早に声が飛ぶ。

「まだやっていないことがあります」

 白夜が真面目な顔を崩さなかった。


「誠心誠意のお願いです」


           ◆


 朝日がひとり第二政務室に戻っても、萌乃先輩の姿はなかった。

 おそらくまだ夜祭先輩や織姫先輩らと作戦会議という名の祝勝会で盛り上がっているのだろう。

 朝日は先輩たちの世話が面倒になって、途中退出。あてもなく校内で時間を潰して戻ってきたところだった。

 あとで嫌みの一つでも言われるのだろうか。


 自席につくと、パソコンの前に出しっぱなしだったUSBメモリに気づいた。

 あのときの会話を思い出す。

 萌乃先輩や霧先輩に改めて確かめるまでもない。

 あの慌てぶりから、アプリで生徒を監視する計画は実際にあったことなんだろう。


 このまま萌乃先輩についていって本当にいいのだろうか。

 そのことが、さっきからずっと頭をもたげている。

 だからといって、今さら白夜に寝返る気分にもなれない。

 やっていることにどちらも大差はないのだ。


「腐ってる。こんな生徒会、腐り切っている」

 思っていた本音が口から漏れてしまった。


 生徒会を辞めるのという選択肢はない。

 そうすれば、ますます生徒会は腐敗していく。それは逃げだ。

 この学園をもっと良くしたい。

 理想を掲げて、生徒会に入った。

 次の生徒会長を見すえるのであれば、飛鳥派に入るのが王道だった。

 しかし、それを選ばず、萌乃先輩の旧夜祭派を選んだ。


 弱小派閥なら、すぐに派閥のトップになれると思ったからだ。

 案の定、腐敗した萌乃先輩についていく人間はひとりしかいなかった。

 萌乃先輩が卒業してから、改革に着手すればいい、そう思っていた。

 来年を待てば良い、そう思っていた。


 まさか、それすらも待てない人がいたなんて。

 そして、今ならわかる。

 来年もこの腐敗は続く。萌乃先輩や夜祭先輩が学園を去っても、影響力は残る。

 彼女たちの息のかかった人が必ず出てくる。

 実際、もう誕生しているじゃないか。新しい皇帝が。


 あの人が次の生徒会長となり、それを萌乃先輩らが裏から支配する。

 一部の気概のある役員もいることはいるが、きっと簡単にその渦に取り込まれてしまうに違いない。

 結局、この学園は何も変わらない。生徒会は何も変わらない。

 悪い思考ばかりが脳裏を巡る。朝日は振り払うように頭を振った。


 先ほどの会話を思い出す。

 議会ホールを出た後、不意にまほろ先輩から呼び止められたのだ。

 ――迷っているんでしょう? 萌乃くんにこのまま付いて行っていいのか

 図星だった。


 ――実はね、ぼくもまだ迷っているんだ。白夜くんについていくか

 意外だった。まほろ先輩はずっと白夜側の人間だとばかり思っていた。


 ――悪い人ではないと思うよ。だけど、有栖くんや日々くんのように素直に信じることはぼくにはまだ出来ない。いくら正しいことをしていても、そのやり方がちょっと、ね。

 まほろ先輩はそう言って照れたように笑った。

 そうか、先輩は、ボクっ娘なんだ。


 ――でもね、だから思ったんだ。迷っているなら、すぐに結論を出さなくてもいいんじゃないかって。あの人がやろうとしていることがわかるまで、理解できるまで、側で見ていようって。それまでは曖昧な態度のままでいいんじゃないかって。それが出来るのが派閥に属さないってことだから。無所属って悪いものじゃないよ。


 それだけ口にしてまほろ先輩は立ち去った。


 朝日が呆然としたまま、再びデスクに目を落とす。

 まほろ先輩の言葉が何度も脳裏で反芻される。

 ふと、USBメモリがまた目に入った。

 そこでようやく気づいた。

 きのう霧先輩が持ってきた盗聴器を兼ねたUSBメモリと形と色はそっくりだけれど、ロゴが違う。

 学園のものではなく、白トカゲが薄く染み出るように刻まれている。

 

 これは別物。

 また何かの罠なのだろうか。そう思う気持ちはあったが、中身を確認しないという選択肢はなかった。

 恐る恐るパソコンに繋いで、フォルダを開く。


 そこには音声データが入っていた。ためらうことなく再生ボタンを押す。

 聞こえてきたのは、この数日、何度も聞いた静かで落ち着いた、なぜか妙に心地いい声だった。


「………もしもし、飛鳥さんの携帯で間違いありませんか? 折り入ってお話したいことがありまして、今、お時間構いませんでしょうか。

 総裁選ではありません、次の組閣についてです……総務会長のポストについて、ご相談したいことがありまして。ええ、ずっと考えていたんです。誰に任せればいいか。

 総務会長は、生徒会副会長とも言われる要のポストです。

 組閣の心魂、ここが崩れてしまっては、政権運営もままなりません。

 ですから、慎重にこれまで熟考を重ねてきました。そうしてようやく、ひとつの結論が出ました。

 ええ。聞いて頂けますか? 私が次に総務会長に指名するのは―――」


 そこからは朝日はもう自分が何をしているかわからなかった。

 ノートパソコンを閉じ、引き出しから便箋を取り出す。


 だって『離派閥届』は手書きで書くものだから。

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