9.第一政務室

 翌日の放課後、第一政務室の中央のソファに、不貞腐れたような顔をしたくすりがいた。

 壁の新調された会長札の下には、財務の有栖、法務の日々の他、広報会長として、すでにくすりの名札がぶら下がっていた。


 生徒会長      安楽あんらく 白夜びゃくや

 総務

 外務

 財務        久遠くおん 有栖ありす

 法務        秋篠あきしの 日々ひび

 風紀

 広報        斑鳩いかるが くすり

 福祉

 情報戦略

 生徒会改革

 庶務


 元の名札よりも遥かに達筆で、威厳がある。


「ひどい顔してるよ、くすりちゃん」

 隣に座った有栖が背中を撫でると、くすりが取り出した錠剤を噛み砕くように飲み込んだ。

 日々も反対側に座って、くすりを間に挟む。

「それは?」

「胃薬」

 くすりがぶっきらぼうに答える。


「そんな、嫌そうにすんなって。仲良くやってこうぜ」

「とりあえず、タメ口は、やめて貰っていい?」

 日々に組まれた肩を、くすりがそっと元に戻す。


「そういえば織姫ちゃんたち、きょうは学校を休んだみたい」

「そりゃ、来れないだろ。あんなことあったら」

「あたしも会ったら何て声をかけていいか」

「そっとしておくのが一番だな」

「邪魔だって!」

 くすりが両手を広げて、二人を遠ざける。


「ワタシを挟んで、頭の上で会話をするな」

 そんな三人の様子を、白夜が生徒会長デスクから眺めて、目を細めた。

「すっかり馴染んでいますね」

「三ばかトリオ」

 白夜の真隣の執務席で灯が目も上げずにバッサリ斬った。

 どうでもいいが、三とトリオが被っているのではないだろうか。


「まほろちゃん、来ないねえ」

 誰も返事をせず、有栖の言葉だけが宙を彷徨った。

 皆、何と返していいか分からず、騒がしかった空気が淀む。

 と、静寂を打ち消すように、扉をノックする音がした。


「あ、来た!」

 有栖が嬉しそうに立ち上がり、扉を開けた。

 ところが、その顔が一瞬で凍りついた。


 廊下に立っていたのは、飛鳥派のけい宇井ういだった。

 慧と目が合った有栖が「ああ」と声にならない吐息を漏らして、扉をゆっくり閉めた。

「失礼しまーす」


「閉めんじゃねェよ!」

 宇井が乱暴に扉をこじ開ける。

 慌てて部屋に隅に逃げた有栖の代わりに、日々が勇ましく前に出た。


「政務室、お間違えですよ。こちらは白夜派の第一政務室」

 日々が「確か、飛鳥派はあちらの第七政務室では」と、廊下の先に手に伸ばすと、慧が露骨に顔を歪めた。


「日々さん。お二人は私がお呼びしたんです」

 白夜が日々をとがめてから、

「話は飛鳥さんから伺っています。お待ちしてました。そちらへ」

 ソファへと促した。

 慌ててくすりが席を譲り、窓際のついさっき決まったばかりの自分のデスクに避けた。


 宇井が不満そうな顔で部屋に入ってくると、傲慢にソファに体を沈ませる。

 その隣に、まるで猛獣使いのように慧が座った。


「やっぱりお二人でしたね」

 白夜は二人とは向き合わず、生徒会長デスクから声をかける。

「飛鳥さんは二人を推薦すると思っていました。あの方は序列を重んじる人ですから」


「あたいは嫌だと断ったんだ」

 慧が不服そうな顔をする。

「だけど、飛鳥さんにどうしてもと頼まれたから、仕方なく」

「オレだっておまえらの手伝いなんてしたくねェ。だけど、まぁ一応、話だけでも聞いてやってもいいかと思ってよ」

 宇井がつまらなそうに、顔を背ける。


「嘘を暴くんじゃなかったのか」

 灯が聞こえないように、声を殺して毒づいた。


「で、あたいたちは何をすればいい?」

 慧が壁に掲げられた会長札を見た。空席のポストを確認したようだった。


 同じように会長札を見た宇井は、舌なめずりをしながら、露骨に指をさす。

「幹部で残ってるのは、総務と外務か。ま、贅沢は言わねェ。どっちでもいい」


「そうですね。いろいろ悩んだのですが」

 白夜がデスクの引き出しを開け、二枚のカマボコ板のような名札を取り出した。

「慧さんには外務をお願いしたいと思います」


 そう言って一枚を裏返した。

 すでに慧の名前が記されている。慧が少しだけ眉を動かす。


 隣の宇井が顔を赤らめ、興奮しているのがわかった。

 外務は三役のひとつだが、副会長職にあたるのは『総務』。

 残っているそちらが自分だと判断したのだろう。

 白夜は気づかないふりをして、続ける。


「言うまでもなく、外務会長は、選挙管理委員会などの学生自治会や学校側、果ては他校との渉外を担当する生徒会の中枢です。慧さんにとっては引き続きの業務となりますが、その経験と知恵で、私の力になって頂ければと思います」


 白夜が立ち上がって、ゆっくりと慧に歩み寄った。

「私が理想とする生徒会、学園には慧さんの力が欠かせません。白夜派と飛鳥派、袂は分かちましたが、慧さんのことは本当に尊敬をしています。慧さんが加わってくれるのであれば、こんなに心強いことはありません」


「気持ちわりぃよ」

 慧が心底迷惑そうに顔を背ける。

 それでも白夜が微笑みを浮かべながら、名札を差し出した。

 慧は、部屋の隅に立つ有栖をちらりと一瞥してから、名札を受け取った。


「いずれにせよ、負けたあたいたちに選択権はない。引き受けるしかないんだろ」

「ありがとうございます」

 白夜が照れることなく、丁寧に頭を下げた。その態度に慧が、

「白夜のためじゃない。飛鳥さんのためだ」

 そうして、壁の『外務』の札の下に、自分の名が記された札をぶら下げた。


「もういいか? で、オレは何なんだよ」

 宇井が待ちきれないばかりにと、白夜が持っているもう一枚の札を、行儀悪く奪い取ろうとする。

 白夜は困ったように苦笑いすると、札を裏返した。

 やはり宇井の名前が記されている。

「宇井さんにはソウムをお願いしたいと思います」


 途端に宇井が破顔する。

 これまで見せたことのないだらしない顔で「そうか、そうか」と顎を撫でた。

「おまえにしては上出来だ」


 白夜から名札を受け取ると、さっそく『総務』の下に掲げようとした。

「白夜ちゃん、本気なの?」

「嘘、だろ?」

 有栖と日々が呆然と事の成り行きを見守っていると、


「宇井さん。そこではありません。ソウムではなく、庶務しょむです」

 白夜が否定した。

「申し訳ありません、私の滑舌が悪かったみたいです」


 途端に、宇井の顔が硬直する。

 すでに赤らんでいた顔は、赤を通り越してどす黒くなった。


「アァ、ふざけてんのか? それは何の冗談だ?!」

「? ご不満ですか? 宇井さんに適任と思ったのですが」

「馬鹿にすんじゃねェ! 庶務なんて、オレがやるわけねェだろが!」

「はぁ。どうしてです?」

 理由は想像に難くないが、白夜がわざと知らないフリをして牽制する。


「庶務って、おまえ雑用係じゃねえかッ」

「ひどい言い草ですね、庶務会長も立派な執行部です」

「舐め腐ってんじゃねェぞ」

 宇井が名札を乱暴に床に叩きつけた。


「慧が外務なら、オレが総務。そうじゃなかったら、その逆。それしかありえねェだろうが!」

「申し訳ありませんが、それは出来ません」

 白夜が、詫びるように頭を下げた。

 もちろん本心ではなく、表面上をとり繕っただけだ。


「当然ではありませんか。飛鳥派に外務と総務を与えてしまったら、財務と法務の白夜派より格上になってしまいます。そんなことは出来ません」

「だったら、なんで庶務なんだッ。他にもあるだろうが」

「庶務会長が嫌だと?」

「当たり前だろが!」


 確かに宇井の言う通りではある。


 庶務会長の主な仕事は「庶務」という名前が示すように、データ入力や資料整理、備品管理など。会長職とはいえ、実際は他の会長の下働きのような立場だ。

 「雑用係」というのも、あながち間違いではなく、やりたがる人は少ない。

 そのため、経験を積みたい、積ませたい中等部の若手が担当し、次年度の新たな会長職へのステップと捉えられている。

 

 今にも大暴れしそうな宇井を、慧が体で抑えて全面に立つ。

「白夜。さすがに、この仕打ちはひどい。嫌がらせだ」

「弱りましたねぇ」

 白夜が、宇井が放った名札を拾い上げ、どうしたものかと手持ち無沙汰にもてあそぶ。


「ふざけるなよ!」

 宇井が札を奪い取ると、壁に向かって投げ捨てた。

 頭に血がのぼっている宇井に対して、慧はつとめて冷静に話をしようとする。

「こんなこと改めて言うまでもないことだが」

 しかし、その声には確実に怒りがこもっていた。


「庶務会長は、誰もやりたがらない」

「それでも誰かがやらなければいけません」

「だから、生徒会長の党から出すのが慣例になっている」

「残念ながら、白夜派にはもう人が余っていません」


「例えば兼務。ひとりで二つを担当するとか、そういう方法もあるだろう」

「私は、どの会長職も片手間に出来るほど簡単だと思っていませんし、庶務の仕事もつまらないものだとは思っていません」


「だったらお前がやれよ!」

 宇井が加わってきたタイミングで、白夜はここが潮時だと判断し、「わかりました。もう結構です」と笑顔を消した。


「飛鳥派にポストを二つと、飛鳥さんに頼まれたのでご用意しました。約束は守ったつもりです。人選まではお任せしましたが、ポストを決めるのは生徒会長であるこの私。天華飛鳥は負けたんです。敗者にかける情けはここまでです。庶務が嫌なら辞退して貰って構いません」

 これ以上の会話を拒否して、背中を向ける。


「どうぞお帰りください」

「やってられッかよ!」

 宇井が持て余した怒りを抑えるように、体を左右に振った。


「覚えてろよ。このままで終わると思うな。今な、ちょうど白夜をブッ潰す計画が進んでんだ。おまえらがやったこと、絶対、証拠を掴んでやるからなッ! 行くぞ!」

 突き立てた親指を振って、慧に外に出るよう促す。


 慧は困惑した顔でやり過ごすと、白夜の背中に声をかけた。

「白夜の言いたいことはわかった。飛鳥さんに報告する」

「あァ、待てよ。もしかして、納得してるのか?」

 帰りかけた宇井が足を止めた。


「そうじゃないが、これ以上白夜と揉めたくない。それが飛鳥さんの願いだ」

「はァ、なるほど、そうか。自分は外務だから他はどうでもいいってわけか。裏切り者がッ」

「それは違う」

「そうとしか聞こえないけどな!」

 宇井が悪態を唾と一緒に吐き捨てて、大股で部屋を出て行った。


 慧が怒りと口惜しさが入り混じった複雑な表情で宇井を見送ると、

「――すまなかった。宇井はあとで説得する」


 白夜は「お願いします」と、軽く会釈して、戸隠宇井と書かれた名札を、壁の『庶務』の位置にぶら下げた。


「では。庶務の宇井さんには、今回のクーデター選挙の記録報告書作成、備品在庫のチェック、生徒会役員名簿の更新を明日までにお願いします。他は、追って連絡します」

「人使いが荒いな」

 慧が苦虫を噛み潰してから「ひとつだけいいか」と神妙な顔で尋ねた。

 白夜が目だけでうなずく。


「総務は誰がやるんだ? てっきり有栖だと思っていたのだけれど」


 慧が部屋の隅で存在感を完全にデリートしていた有栖を横目で見た。

 突然、名前を出された有栖の背筋が伸びる。

 沈黙する白夜に、改めて慧が聞いた。


「まさか萌乃とか言わないよな」

 慧が壁の会長札の空欄を見る。

「どうなんだ?」

「それは、まだ秘密しておきましょう。人事にサプライズは必要ですから」

「……そうだな。野暮なことを聞いた。すまない」

 慧が軽く、それでも心なしか丁寧に頭を下げてから、そのまま立ち去った。


 と、同時に隅で息を潜めていた有栖が小走りで白夜に駆け寄る。

「飛鳥派内紛! まさか、白夜ちゃん。これが狙いだった?」

 白夜が「どうでしょうか」とに首を振って、しらを切った。


「そりゃ怒るよ。外務と庶務じゃ、差が違いすぎる」

 日々も口をとがらせる。

「やはり皆さん、庶務が嫌ですか」

「そりゃ、面白い仕事じゃないよねぇ」と有栖。

「どっちにしろ、二人ともほふるんだろ」

 言いながら灯が眼鏡を外して、汚れをマイクロファイバーのクロスで拭った。


「なんか、もったいないけどね」

 不意の発言は、くすりだった。

 ドアの方を見ながら、ソファのさっきまで慧が座っていた場所に腰をおろす。

「あの子、結構役に立つと思うけど。まあ、ワタシの勘だけど」


「嘘だろ、あんなのが? ありえねえって。くすり、やべぇって」

 日々が反論する。

 それは、自分の主張というより、有栖を思いやっての発言だった。


「別に信じなくてもいいけど。っていうか、タメ口」

 すると、白夜は少し考えてから、

「そうですね、参考にさせてもらいます」

 と、くすりに同意した。


「それから、あっちも。大事にしておいたほうがいいかも」

 くすりが指さした先、まほろが遠慮気味に入口から顔を覗かせていた。

「まほろちゃん! 遅いよ、もう来てくれないかと思ったぁ」 

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