19.図書館

 白夜は本棟のエレベーターを五階で降りた。

 隣の灯はアルミのトランクケースを胸に抱えている。


 広い廊下を進むと、突き当たりのガラス張りの扉が大きく左右に開かれていた。

 生徒を歓迎するかのように入口は開放的だが、蔵書も少なく、本棟の五階などという中途半端な場所にある図書室にわざわざやって来る生徒は少ない。


 そもそも聖青女子学園の生徒は、勉学にそれほど熱意はない。

 偏差値は下の上、国内最上級のセレブ学校という触れ込みに引かれた「家柄」だけがいい生徒が入学する。

 ネットのQ&Aサイトには「最も偏差値の低いお嬢様学校はどこですか?」という問いのベストアンサーに、この学園の名前が記されている。


 中に入ると、目的の女性はすぐに見つかった。

 カウンターに左の頬を押し付け、腕はだらんと下に降ろしている。

 だらしない格好。 明らかに居眠りをしていた。


「少々お話、よろしいでしょうか」

 白夜が声をかけると、眠たそうに顔を上げた。


「学生証か、図書カード、おねがいしまぁす」


 元生徒会役員 東雲しののめきり(高校二年)


「いえ、貸出ではありません」

「でわぁ。返却でしたら、そちらのポストに」

 視線を少しだけ入口の返却ボックスに向けると、今度は右の頬を下にして、カウンターに突っ伏した。


「東雲霧さんですよね」

「はい?」

 同じ姿勢のまま、上目遣いで、かろうじて返事をする。

「本日はお願いがあって来ました」

「はあ」


 霧が顔を上げた。

 と、思ったら、また左の頬を下にして伏せた。

 眠る態勢を整えるために、寝返りを打っただけのようだった。


 同時にバンッと大きな音がした。

 灯がトランクケースを、乱暴に霧のすぐ横に叩きつけたのだ。

 さすがに飛び起きるかと思ったが、霧はめんどくさそうに顎をしゃくっただけだった。


 灯はトランクを開けると、中から例のリングファイルを取り出した。

「去年の四月の、個人情報漏えい事件」


 灯が唐突に切り出す。

 その単語に霧は微かに反応したが、素知らぬ顔でやり過ごそうとしている。

 何のことか、こちらが説明するまでもなくわかっているはずだった。


 生徒会がサイバー攻撃を受けて、全校生徒の個人情報が流出した事件だ。


「これは、その事後報告書」

「よもやお忘れではありませんよね?」

 白夜が神妙な顔をしても、焦ったり怯んだりする様子はない。

「当時、情報戦略会長だった霧さんが、責任をとって辞任した一件です」


 ようやく霧が顔をあげた。

 あくびを噛み殺しながら両手を上げて、大きく伸びをする。

「あれはもう終わったことでしょう」

 霧がファイルの表紙を一瞥して、立ち上がる。


「調査も終えて、そうやって報告書も書いたし。再発防止策だって、ちゃんと提示したんだから」

 言いながらファイルに手を伸ばそうとしたが、一足早く白夜がかすめ取った。


 白夜は手にしたファイルをペラペラとめくりながら、

「そうですね。犯行は、学生をターゲットに攻撃を仕掛けていたプロハッカー集団によるもので、生徒会の脆弱なセキュリティでは到底、防ぎようがなかったとあります」


「そうそう」

「ですが、この事件の本質は別のところにあります」

 白夜がファイルをパタンと閉じる。


「流出したのは個人の氏名や顔写真など、限定された情報ということになっていますが、それは表向きです。実際はそうではありませんでした。

 ―――生徒の家族構成、全科目の成績、内申、希望進路など、中には学園も把握していない病歴や家庭の保有資産などプライバシーに関する情報も含まれていたというではありませんか。あれ、おかしいですね」


 白夜が指を口に当て、まるでフクロウのように首を傾げる。


「それほどまで私的な全校生徒のデータが、なぜ生徒会に存在していたのでしょう。いくら生徒会の力が絶大だとはいえ、これはいささか越権が過ぎます」


 霧は興味なさげに「よっこらせ」と言って立ち上がると、返却本が積まれたワゴンに手をかけた。

 押しながら、よたよたと目的の本棚に向かって歩き始める。

 それは明らかに白夜の追及を逃れる動きだった。


「理由はこうです。――当時、生徒会は、とても信じがたい計画を練っていたからです」

 白夜がぴったりと相手をマークするように後を追う。


「生徒会は開発中の独自のアプリで、全校生徒を監視下に置こうとしていた」


「なに、その怖い話~。変な冗談はやめてよ~」

 食い気味に霧が全否定する。

 おどけたように伸ばした語尾で、必死に取り繕っているのがわかる。

 白夜は構わずに続けた。


「悪いことは出来ませんねぇ。

 どこからかその情報が漏れ、ハッカーに狙われたのでしょう。個人情報の漏えいが発覚したあと、夜祭さんは監視アプリの件が明るみに出る前に隠蔽し、闇に葬ろうとしました。

 証拠をすべて消し去り、計画を中止した。

 そうして、霧さんひとりに責任を押し付け、幕引きを図ったのです」


 ワゴンを押していた霧が立ち止まる。

 一瞬だけ、白夜を見たが、まるで何もなかったようにワゴンから本をつかみ、本棚に戻していく。

「だから、そんな話、知らないってー」


「この際、すべてぶちまけて、洗いざらい暴露しませんか」

 霧は無言で本を本棚に戻す。

 その隣で、白夜もワゴンから本をとって、返却の手伝いを始める。


「夜祭さんを恨む気持ちよくわかります。だって霧さんは指示に従っただけで、何も悪いことはしていない。それなのに自分ひとりが生徒会を去った。許せませんよね」


 霧は、白夜が棚に差し込んだ本を引き抜いて、正しい場所に移し替える。

 今度は、反対側の隣に灯が立って、行く手を阻んだ。


「まったく意味がわかんないんだけどー。勝手に話を進めないで欲しいなあー」

「もし証言をしていただけるなら、霧さんを生徒会に呼び戻します。

 それなりのポストも用意します。ですから。

 あ、夜祭さんを恐れているのでしたら、心配には及びません。私たちが守ります」


「あのさ」

 霧が白夜の目を見る。

「霧さんは、過去を蒸し返すのは好きじゃないんだよねー。それに、霧さんはもう生徒会を辞めた身だから。残りの学園生活、穏やかに過ごせればそれでいいんだよー」


 霧がまたワゴンを押して、別の本棚に移動する。

 白夜はもう追わなかった。

「わかりました」


 やっと諦めたかと、霧が背中で手をひらひらと振って、送り出そうとする。

「さすが、霧さんです。感服しました」

「はあ?」

 何を言っているのか、と霧が目を見開いた。


「本当はすべてご存知なのに、何も言わない、その頑固さ、潔さ、口の固さ、たぬきっぷり。さすがです」

「いや、霧さんの話、聞いてるかなぁ?」

「隠さなくてもいい」

 灯が、トランクを開けて、中に詰まっている大量の紙資料を見せた。


「別に証言なんかなくても、証拠はすべて揃っている」

「!」

 絶句した霧が慌ててトランクの中を覗こうとしたので、灯がぴしゃりと蓋を閉じた。

 白夜が霧の前髪を掻き上げるように掴んで、目を覗き込む。


「私たちを見くびってもらっては困ります」

 霧がゴクリとつばを飲む音が響いた。

「それでは、私たちはこれで」

「待って」

 霧がそれまでとは違う、明らかにうろたえたような声を出す。


「それを、どうするつもり……、なの?」

「折を見て、しかるべき手段で、公開します」

 白夜はそう言うと、後は任せたとばかり、灯に目配せをして、踵を返した。


 霧は、口をぱくぱくと動かし、白夜を呼び止めようとするが、言葉が見つからないといった様子だ。

 灯はトランクケースのダイヤルキーを回してロックをかけると、霧に握手を求めた。

 戸惑い怯える霧の手をとって、強引に握り締める。

 その瞬間、霧の手に何かを握らせた。


「ここに証拠はすべて入ってる。買い取り交渉にはいつでも応じる」


 霧がゆっくりと手を開くと、そこにはUSBメモリがあった。

 本棟四階の購買部で誰でも購入できる、学園のロゴが入った、ありきたりのUSBメモリだった。

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