第5話 親友

 アートワーカー連続殺人事件の捜査は困難を極めていた。

 佐伯の行方は依然として知れず、聞き込みについても目立った情報は上がってこない。

 自宅近所では、佐伯の存在を知っている人間がほとんどおらず、副業として行っている清掃のアルバイトでも付き合いはなく、彼が作家であることすら誰一人として知らなかった。

 ちなみに、氷室とカーチェイスとなった日も、深夜の清掃でお台場の施設に入っていた事が明らかになっている。

 そんな中、氷室と翔平は、佐伯が作家・徳井として付き合いのあった出版社を回っていたが、やはり特筆すべきような発見が全くない。

 何しろ佐伯は覆面作家である。

 その上、昨今は感染症対策もあり、どの出版社でも、打ち合わせはメールやチャット、ライン、そしてZOOMによるミーティングで事足りるのだと言う。

 しかしそんな中、とある出版社で、佐伯と懇意にしている編集者がいると言う情報を得て、氷室たちは、紹介された『K書店出版』へと向かった。

 『K書店出版』へ向かう道すがら、情報を提供してくれた編集者の言葉が頭を過る。


 ──森崎健吾は、ヘッドハンティングでウチから大手の『K書店出版』へ移ったんですよ。

 ──あいつだけじゃないかなぁ。徳井さんと面識があるの。相当懇意にしていたみたいですよ? 親友だって話です。

 ──元々徳井さんをWEB小説サイトで発掘して、最初にウチで書籍化させたのも森崎ですしね。そうそう、その作品です。よくご存じですね。

 ──どんな奴かって……まあ、行ったら直ぐに分かると思いますよ。僕らみたいなのとは人種が違うと言うか。あ、刑事さんみたいなシュッとしたイケメンですわ。

 

 K書店出版は、業界きっての大手出版社だ。

 都内にある立派なビル1つが丸々K書店出版の所有で、小説は勿論、漫画、雑誌、ビジネス書、その他映像関係に至るまで、様々な部門がここに集約されている。

 そんな社屋のロビーで、翔平は口をあんぐりと開け、吹き抜けを見上げていた。

「なんすか、これ……。ドバイのホテルみたい」

「行った事あるのか」

「ないっす! でもこういう時は、なんか『ドバイ』とか言えばハマるって聞いたんで」

「へぇ……」

 どうやら彼らの中で万能な表現らしい。

 しかし、翔平のような世代が好む、こう言った『効率重視』の価値観や表現は、本をよく読む氷室にどこか寂しさを感じさせた。

「昨日の休みに、ドバイに行ったのかと思ったよ」

「んな訳ないでしょ。あっ、あそこで聞きましょ!」

 そう言うと、翔平はインフォメーションの札の置かれたカウンターを指差す。

 そして子犬のように、一目散に走って行った。

 

  *   *   *

 

 総合受付で森崎健吾と面会したい旨を伝えると、直接編集部のあるフロアへ行って欲しいと言われ、氷室と翔平は鏡張りのエレベーターで6階へと向かう。

 文芸編集部と書かれた大きな部屋に入ると直ぐ、ひとりの男が目に入った。

 なるほど、その男は確かに他の大勢の男性編集者とは違った。目を引くのである。

 長身だからと言うだけではない。スマートで、顔だちも整っており、同性の氷室から見ても色気を感じる程だ。

 そして、身に着けているのは──。

 間違いない。あれはブリオーニのスーツだ。

 氷室は引き寄せられるように彼へと歩み寄った。

「森崎さんですね?」

 呼びかけると、森崎は氷室の頭からつま先まで視線を動かした。

 高速でスキャニングするAIのような素早さである。

 一瞬の事ではあるが、その値踏みするかのような視線に、氷室は不快感を覚えた。

「そうです。失礼ですが──?」

 森崎はにっこりと笑顔を浮かべている。

 氷室も負けじと笑顔で名乗った。

「警視庁の氷室と言います。佐伯郁門についてお話をお伺いしたいのですが、お時間を頂けますか?」

 佐伯の名を聞くと、森崎は表情を曇らせ、声を落とした。

「ニュースは知っています。しかし、佐伯が徳井だと言う事は、編集部でも私以外誰も知りません」

 ほう、と氷室は声を上げた。

 意外だった。敏腕編集者なら、これを戦略にしようと考えるだろうと思ったからだ。

「佐伯は今最も話題になっている事件の容疑者です。このことを公表すれば、本の売り上げが伸びるとは考えないのですか?」

「佐伯は友人ですよ」

 森崎はそう言って眉を顰める。

 氷室は更に追い打ちをかけた。

「殺人犯でも?」

 その一言を皮切りに、氷室と森崎の間に壁が出来た。

 余所行きの顔だった森崎に、剣のある表情が浮かぶ。

「……場所を移しましょう。今、部屋を用意させます」


 *   *   *


「やっぱ大きい会社は違いますねー!」

 翔平は用意されたミーティングルームのソファーに腰掛けると、女性が持ってきたアイスコーヒーを一気に飲み干し、子供のようにキョロキョロと部屋を見渡した。

「少し大人しくしろ」

 そう言いつつも、氷室も室内を観察する。

 ガラス張りの明るい部屋に、ヘリンボーン張りの床。

 グレーの2人掛けソファーとオレンジの1掛けソファーがテーブルを囲むように配され、部屋の所々に観葉植物が置かれている。とても居心地の良いミーティングルームだ。

 こういった部屋が各フロアに何室もあると言うから驚かされる。流石大手出版社という所だ。

「すみません、お待たせして。1本電話を受けていたので」

「佐伯ですか?」

 氷室がジャブを打ち込む。

 森崎はため息をつくと、違いますよと言ってソファーに腰を下ろした。

 動きのひとつひとつが、癇に障るほど洗練されていてスマートだ。

「で、私は何をお話したら宜しいんでしょうか」

 言葉は丁寧だが、森崎の整った顔には隠し切れない苛立ちが浮かんでいた。早く切り上げたくてうずうずしているのが嫌でも分かる。

 その様子に賊心が沸き起こった氷室は、わざとゆっくりとした口調で聞き取りを始めた。

「そうですねぇ……。先ずは、佐伯の交友関係についてお聞きしても宜しいですか?」

「さあ」

「さあ?」

 氷室が繰り返す。

 森崎はじろりと氷室を見た。そして再びため息をつくと、ソファーの背に体を預けて言い直した。

「佐伯から友人等の話は聞いた事がありません」

「カノジョの存在とか!」

 氷室と森崎の顔をキョロキョロと見ていた翔平が、雰囲気を変えようとわざと明るい声で聞く。

 しかし、それは見事に失敗した。

 森崎にじろりと睨まれ、亀のように首を引っ込める。

 だが、隣の氷室にも睨まれ、翔平は取り繕うように、もう一度質問を投げた。

「ご存知ないようなのでぇ……。そうだ! えっと……家族の話なんか……」

「そこは警察で調べられる事でしょう? 私は佐伯から家族の話は聞いた事はありません。恋人についても同様です!」

 それを受け、氷室が「へぇ」と言いながら眉を上げた。

「親友とお聞きしておりますが。そんなあなたが、彼について何も知らなかったと」

「そういう事になりますね」

「彼がサイコパスだと言う事も?」

 瞬間、その場が凍った。

 森崎の視線が、ゆっくりと氷室を捉える。その表情は硬く、視線は鋭い。

 しかし──。森崎は、僅かに小首を傾げると言った。

「……そうなんですか?」

「さあ」

 氷室はそう言うと肩を竦める。

 途端、森崎が立ち上がった。

「馬鹿馬鹿しい。お引き取り下さい。お話出来ることは何もありません」


 *   *   *


「森崎さん、なんか主任に似てましたね」

 K書店出版の地下駐車場で、翔平は運転席に乗り込むや否や、シートベルトを引きながら言った。

「そうか?」

 答える氷室は不満そうだ。

 その様子を見るや、翔平は慌てて手を振った。

「顔じゃないですよ? 雰囲気というか……。イケメンVSイケメンって感じでしたね~。

 あ! そう言えば、捜査会議で貰ったプロファイルに当てはまる気がする!」

「お前ね……」

 氷室の口から長いため息が漏れた。

「それじゃあ、似てる俺もサイコパスって事になるぞ?」

「あははは。ホントだ」

「何が、あははだ」

 氷室は横目で翔平を睨みながら、ポケットからスマホを出す。

 森永からの着信に嫌な予感がした。

「はい、氷室──」



「森永です。3人目の遺体が発見されました──」

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