第3話 冒涜

 氷室は家宅捜索を翔平に任せると、1時間かけて現場の岩倉街道沿いにある駐車場へ向かった。

 現場は東京都とは思えぬ木々に囲まれた山の中で、周囲には建物ひとつ見えない。

 氷室は車を路肩に止めると、駐車場の入口へと向かった。

「お疲れさん!」

 現場に着くなり竹山が声を掛けてきた。

 今日は非番だと聞いていたが、どうやら引っ張り出されたらしい。

 しかし、相変わらず本人は飄々としており、この状況を楽しんでいる節さえあった。

 竹山によると、通報したのはこの駐車場の管理者だと言う。

 普段は殆ど利用者がいないにも関わらず、何故か運転手がいないままトラックのエンジンが掛けっぱなしになっており、尚且つナンバープレートが付いていない。

「勝手に中を検める事も憚られて通報。警官と一緒に確かめたら、中にえらいモンが入っとったと」

「車はいつから有ったんですかね」

 竹山は、う~んと唸ると、スマホで何やら計算を始めた。

「うん。コイツのタンクが100L。もうエンプティランプもついとったから……、恐らく10時間前くらいか。明け方にはここに有ったんやと思うで?」

「明け方ですか……」

「氷室刑事」

 声を掛けられ視線を向けると、件のトラックの陰から森永がこちらに向かって歩いて来る姿が目に入った。

「警部──」

 思わず体を向けたものの、氷室は躊躇した。

 はて、ここからなんと言葉を続けるべきか。森永は今朝、散々マスコミに叩かれたばかりだ。

 自身は完璧であるにも関わらず、部下の失態によってマスコミに叩かれ、晒される。

 これが自分であれば、「お疲れ様です」のあいさつひとつであっても苛ついてしまいそうだ。

 しかし、森永は目を泳がせている氷室をじろりと見遣ると平然と言い放った。

「妙な気遣いは無用です」

 氷室はほっとした。

 流石と言うべきか、森永は感傷に浸ることなく、既に目の前の仕事に向き合っている。

 氷室は姿勢を正し、小さく、しかし力強く頷いた。


「遺体はトラックの中です。中の温度が上がっては困るので、冷凍機を維持させる為にもこれから一旦給油をさせますが、それが終わり次第検分を行います。その時に一緒に入って下さい」

「承知致しました」

 つまり今回も、遺体は冷凍されていると言う事だ。

 氷室は遠目から給油されている車体を眺めた。

「しっかし、4tトラックもこうやって見ると結構デカイねんな。ウッチャンが中型持っとるらしいけど、こんなんよう動かせるなぁ。感心するわ、ホンマ」

 ふいに竹山がそう言って感嘆の声を漏らし、それを聞いた氷室は驚いて竹山を見た。

「翔平が?」

「うん。前にちらっと聞いたで? ワシらは普通免許にオマケみたいに付いとるけど、今の子は普通免許じゃ乗られへんやろ?」

 そんな技術を持っているとは初耳だった。翔平とは半年、ほぼ毎日一緒にいるが、初めて聞く話だ。

 とは言え、わざわざ中型の免許を取得するなど、さして車に興味のない氷室には理解不能なのだが。

「オッケーです!」

 給油が完了したらしく、タンクローリーが移動を始め、係員が頭の上で大きく丸を作った。

「行きましょう」

 森永が先頭を行く。

 氷室はその後についてトラックへと向かった。


 *   *   *


 トラックの観音扉が開かれると、中から煙のように冷気が吹き出した。

 森永と氷室は、トラック後部にあるゲートに乗り、冷気を浴びながら上昇する。

 外はまだ夏の様相を呈していると言うのに、さも山頂に来たかのように全身がひやりとし、防寒着を着なかったことを後悔した。

「この奥です」

 森永の声が切っ掛けかのように、霧が晴れるが如く冷気が散っていく。

 すると、その奥から異質なものが現れた。

「これは──!」

 氷室は思わず身を引き、声を上げた。


 そこにあったのは、冷凍機の吹き出し口の下、手足を広げ、磔にされた全裸の遺体──。

 腕が4本、脚が4本生えている、凍り付いた異形の者──。

 それはまるで、猛然と自分たちに迫ってくるかのような圧倒的存在感を放っていた。

 

 氷室は目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。

 冷たい冷気が鼻腔を通って肺の奥まで入り、氷室の神経を沈めていく。

 そして再び目を開けると、改めて目の前のものを観察した。

 遺体は壁に描かれた円と四角を重ねた図形の中で、両手両足を広げている。

 本体の左右の肩に、それぞれ別の腕が。同じく左右の大転子に別の足が。それらはよく見ると釘と針金で固定されていた。

 実に痛ましく、悍ましい。

 森永はまじまじと遺体を観察している氷室を見遣ると、「分かりますか」と聞き、氷室は即座に頷いた。

「ダヴィンチ……」

「……流石です。男性ではなく、女性ですがね」

 森永は頷き、そして眼鏡をくいと上げた。

 間違いない。

 氷室も何度か見たことがある。

 森永の言うように、これは確かに女の身体ではある。しかし──。


 間違いなくダヴィンチの『ウィトルウィウス的人体図』を模していた。


「やはり……、芸術家でしょうか」

「芸術家?」

 森永は不愉快そうに眉を顰めて氷室を見た。

 そして小さく鼻で笑う。

「そうですね。私も最初は不謹慎にもそう思いましたが──」

 そう言うと、森永は吐瀉物でも見るかのように、磔の遺体を睨んで言った。

 

 

 これは、神への冒涜だと──。



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