第2話 一報

 氷室は、自分の班の捜査員を、鑑取り及び地取りのチームに分け、それぞれ捜査に当たらせた。

 自身も翔平と鑑識を伴い、佐伯の自宅へと乗り込む。

 佐伯の住まいは、中野区の中野駅に近い住宅街の中にあるマンションだった。

 外壁もまだ新しく、エントランスも清潔で、中々に立派な物件である。駐車場も完備されていた。

 警察が続々とやってくると、流石に付近の住民も興味津々と言った体で集まり始める。

 翔平は鑑識と共にテープを電柱などに巻き付けてボーダーラインを作り、所轄の制服警官に野次馬の整理を頼んだ。

 

 捜査員が、管理会社の案内で一斉に佐伯の部屋へと向かう。

「うっわ。おっしゃれー!」

 翔平が声を上げた。

 室内は洗練されたモノトーンの家具で統一されており、スッキリと整理整頓されていた。

 12畳のリビングのほかに2部屋ある2LDKで、2つある洋室の1つはベッドルーム、そしてリビングの隣にあるもう1つは書斎となっている。

 書斎に入った氷室は、平静を装っていたが、内心酷く興奮していた。

 何しろ、被疑者とは言え、憧れの作家の書斎である。ファンならば、作品が生み出されて来たのであろう書斎は神聖な場所と言えよう。

 カジュアルな、黒い大きなデスクは書棚を背にして配され、そこに座れば直ぐに資料本に手が伸ばせる上、気分転換が必要な時には正面の窓から外を眺めることも出来るようになっている。

 氷室はデスクの後ろに立ち、シンプルな書斎を見渡した。

 背後の書棚には彼自身の書籍の他に、沢山の資料本が並んでいる。

 医療関係、警察関係、法律、辞書や地図は見当たらないが、今では最新のものがインターネットで閲覧できるのだから必要ないだろう。

 氷室は背表紙の上で、手袋を嵌めた指を順に滑らせていく。

 やはり無い。

 徳井の作品には数々のサイコパスが登場するが、そのサイコパスに関する書籍が一切ないのだ。

 地図同様、調べることも出来るであろうが……、氷室は確信していた。

 彼にそんな本など必要ないのだと──。

 次にデスクから窓側へと視線を移す。

 デスクと窓の間にはオットマン付きのチェアが置かれ、そこでアイディアを練ったり、時には音楽を聞いたり、動画を観ながら休んだり出来る。

 氷室はノートパソコンに手を伸ばし、そっと目を閉じてみる。

 そこから、作家・徳井呰鬼英の狂気とパワーが自分の身に流れ込んで来るような気がして、氷室は鳥肌が立った。

「主任? 大丈夫っすか?」

 声を掛けられハッとする。

 隣を見ると、翔平が心配そうに氷室を覗き込んでいた。

「主任、全然寝てないし──」

「大丈夫だよ」

 氷室は手を引っ込めると、何事も無かったかのようにデスクの上を検めた。

「ホントに? ここは俺が見ますから。少し休んで下さいよ」

 自分も寝ていないのに。

 氷室はくすりと笑うと、相棒の頭を搔き回した。

「サンキュ。平気だ。とりあえず、裁判所の許可は下りてる。鑑識のOKが出たら、この部屋にある物は全部押収してくれ」

 そう言うと、氷室はもう一度ざっと書棚を眺め、鑑識が触れる前にデスクの向こう側から写真を撮った。

 何のことはない、個人的な欲求である。

 それほどに、氷室にとってこの場所は特別だった。

 それから、書斎に後ろ髪を引かれつつも寝室へ入ってみる。そこには壁一面が大きなクローゼットになっていた。

 そっと中を覗いてみると、中にはラフな普段着と共に、仕立ての良い、そしてとても趣味の良いスーツが幾つか掛けられていた。

 作家だから、取材用であろうか。

 それ以外にあまりこう言った服を着て出歩くとは思えないが──いや待て。そうじゃない。

 氷室の脳内に、徳井の小説の一場面が蘇った。

 それは、トンネルで獲物を狙う場面だった。


 *   *   *

 

 暗闇の中、響くのはコツコツと言う靴音と自分の息遣い。

 狭いトンネルに入るとそれは大きく反響し、その音が前からなのか後からなのかすら分からなくなる。

 まるで亜空間に迷い込んだような不思議な感覚。

 人は皆、不思議とこの中に入り込むと恐怖感を抱く。

 早く出なくてはと焦り、自ずと早足になる。

 目の前の獲物も、初めはそうだった。

 しかし、後ろを歩く男の身に着けているスーツがイタリー製の、それは上質で趣味が良いと評判のブランド『ブリオーニ』で、おまけに容姿が優れていることに気付くとどうだ。

 意識はするも、それは最早警戒ではない。


 そう。期待である。


 歩を早め、女の脇を通り越す。

 そしてちらと振り返り声を掛けた。


 *   *   *

 

 これだ。

 彼の描くサイコパスの中に、とても趣味の良いスーツを着て獲物を狩るキャラクターがいた。

 恥ずかしながらその影響を受け、氷室も全く同じブリオーニのスーツを買った事がある。

 氷室は次々とスーツを物色した。

「あった──」

 氷室の心臓が跳ねあがった。

 そこにあったのは同じイタリー製のブランド、ブリオーニのスーツ。

 氷室は今までに味わった事のない高揚感を感じた。

 ここに、物語の中のキャラクターがいるのだと。

 それはひょっとすると、佐伯自身かもしれない。

 氷室は早くパソコンの中身が見たかった。いや、見なければならない。

 あの中に、佐伯がサイコパスであると証明出来、そして、あの車に残されたDNAに繋がる証拠、そしてまだ見ぬ作品が収められているのではないかと言う期待が渦巻いていた。

 と、その時、氷室のポケットでスマホが着信を告げた。驚きのあまり、体が稲妻にでも当たったようにびくりと跳ね上がる。

 画面を見ると森永とあった。

「はい。氷室──」

 応答すると、森永の冷たい声が耳に流れ込んで来た。

 

 

『氷室刑事。遺棄された冷凍車から、遺体が発見されました。遺体の状況から、同一犯だと思われます』

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