第6話 着信
足元に転がる骸を見下ろしながら、氷室はベッドサイドの冷蔵庫から氷をグラス一杯に入れ、ミネラルウォーターを注いだ。
喉を流れて行く冷たい水で、頭の中も冷えて行く。
それと一緒に、身体中を支配していた熱も、スッと冷めて行くのを感じた。
そして顔を顰める。
精一杯飲んでいた事もあり、翔平は失禁していた。
顔面はうっ血し、目は……溢血点が見られる。首には吉川線もくっきりと付いていた。
「風呂場に移すか……」
氷室は、翔平の首からブリオーニのネクタイを外した。
まだ翔平には似合わない。似合う日も最早来ないのだが。
息を詰めて翔平の身体を持ち上げ、弛緩した体を抱き上げた。
意思を失った人間の身体は思いのほか厄介だ。締め上げる時に背中に担いだ時よりよっぽど重い。
滴る尿が体を濡らす。もう一度風呂に入らねばならない。
寝室を出て、まだ湯気の残るバスルームのドアを開けた時だ。
深夜のマンションに、インターフォンの音が鳴り響いた。
「非常識だな」
翔平を乱暴にバスルームに放り込み、キッチン脇にあるインターホンを覗く。
そこには見たこともない若い男の顔が画面いっぱいに映っていた。
氷室は舌打ちをすると応答ボタンを押した。
「なんでしょう」
『あ、氷室さん? 鷲津不動産の石田ですぅ。遅い時間に申し訳ないんですけど──』
マンションの管理会社だった。
氷室は着替え、汚れた服をバスルームに放り込むと外に飛び出した。
男によると、駐車場からずっとケータイの着信音が流れていると近所からクレームがあり、確認しに来てみると氷室の車であることが分かったと言う。
「ね。これ、氷室さんの車でしょ?」
男が指し示したのは間違いなく氷室の車だ。
そこから延々と「森のくまさん」が流れ、途切れてもまた鳴り始める。
「すみません。ご迷惑を」
「いえいえ。良かったですぅ~」
男はそう言うと、気を付けて下さいねと言い残し、会社の名前が大きく書かれたプロボックスに乗りこみさっさと帰って行った。
それを見送るが早いか、氷室は車のロックを解除し、トランクを開けた。
ガランとしたトランクの隅に、より一層大きくなった森のくまさんが鳴り響く。
氷室はトランクの隅に放り込んだままとなっていたシーツを引っ張った。
ゴトンと言う音と共に、スマホが転がり出て来る。
それを引っ掴んで画面を見たが、その瞬間、画面は真っ黒に変わった。
バッテリー切れだった。
部屋に戻ると、浴室の照明を消し忘れた事を思い出した。
見れば換気扇も起動させ忘れている。
「危ない危ない」
氷室はそう独り言ちて換気扇のスイッチを入れた。
入浴後は、換気扇を入れておかないとカビが生えてしまうのだ。
濡れた床に転がる翔平の顔の上には、自分が先程放り投げた服が掛かっていたが、それについてはさして気にすることもなく、氷室は照明を落としてリビングへと戻った。
幸い、件のスマホは氷室と同じ機種だったため、自分のケーブルで充電をすることが出来た。
すると、電源を入れた途端、またしても着信が入った。
延々と森のくまさんが鳴り続ける。
その音楽がやたらと癇に障り、氷室はマナーモードにした。
発信者の番号は殆どが非通知だが、そうでは無い者もいる。
詳細を見たくとも、パスワードが掛かっており、見ることが出来ない。
どうすべきか──。
いや、考えても無駄だ。
今や誰もが死んだ事を知っている女に、何故わざわざ電話するのか。
悪戯に決まっている。
特定厨などが佐伯の妹の電話番号を晒して──。
氷室はふと思い立って自分のスマホでSNSを開いて見た。
「これか……」
トレンドに『ニケの電話番号』と言うのが上がっていた。
タップしてみると、電話番号の書かれたポストが引用され、電話を掛けるとニケの悲鳴が聞こえたなどのいい加減なポストが山ほど上がっている。
最初のポストをした人物は、アカウントを乗っ取られたと話しているようだが、そんなことは氷室にとってどうでも良い事だった。
それよりも──。
氷室は慌てて着信し続けるスマホの電源を落とした。
このことに捜査本部が注目したら、中継地点から割り出される可能性があった。
──森崎。
佐伯の友人であり、編集者。
そして、氷室の勘が正しければ、彼は自分と同じ。
佐伯を心棒するサイコパスだ。
彼に──森崎にハメられたか。
氷室はギリリと奥歯を噛み締めた。
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